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市影譚-短編シリーズ  作者: 鳥ノ木剛士


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市影譚-EP4【人為的に生み出された怪異】地図の上の旧避難路

 最初に見たのは、地図だった。


 桂一さんは、相談メールに書かれていた地名をそのまま検索しなかった。


 まず、相手のサイトに載っている写真を一枚ずつ確認する。


 道路の形。

 山の稜線。

 ガードレールの色。

 古い看板の文字。

 電柱の影。

 舗装の割れ方。


 それらを見ながら、別の画面で航空写真を開く。


 私は横で、A5用紙に情報を書き出していった。


 相談内容。

 旧避難路。

 白い女。

 自殺の名所。

 行政が封鎖。

 動画化予定。

 夏の特集記事。


 書けば書くほど、嫌な言葉ばかりだった。


「この“旧避難路”って、本当に避難路なんですかね」


「たぶん、一時的にそう呼ばれていただけだと思う」


 桂一さんは、航空写真を拡大しながら言った。


「ほら、ここ。山側へ抜ける道はある。でも、今の防災計画で主要避難路になっている感じじゃない」


「古い道、ということですか」


「昔は使った人がいた。けど、今は使う理由が薄い。そういう道は地方には多いよ」


 画面には、細い道路が表示されていた。


 住宅地の端から田んぼの脇を通り、途中で山へ入る。

 山道というほど深くはない。

 けれど、夜に車で入るには明らかに細い。


 途中から、道路の線が少し曖昧になっていた。


「ここ、道が途切れてませんか」


「Googleマップ上ではね。でも航空写真を見ると、轍はある」


「通れるんですか?」


「通れるかどうかと、通っていいかどうかは別」


 桂一さんは、画面から目を離さずに言った。


「日本は狭いんだ。管理が行き届いていないだけで、田舎は誰かの土地であることも多い。それに、噂は理由があることもある」


「理由、ですか」


「人を遠ざけるための理由」


 私は、ペンを止めた。


「怪異の噂で、ですか?」


「そういうこともある」


 桂一さんは、少しだけ間を置いた。


「危ない場所を危ないと言っても、行く人はいる。でも、出ると言えば行かない人もいる」


「逆に行く人もいますよね」


「今はね」


 その言葉が、妙に重かった。


 昔は、怖い噂が人を遠ざけていた。

 今は、怖い噂が人を呼ぶことがある。


 その違いが、今回の話の根っこにあるのかもしれなかった。


 私は画面を見ながら、ふと以前の記事を思い出した。


 罠猟の荷運びバイト。

 山へ入る仕事。

 佐原さん。

 ブルーシート。

 ロープ。

 猟期。

 山には、入っていい時期と、入るべきではない時期があるという話。


「そういえば、夏は狩猟期間外ですね」


 私が言うと、桂一さんは小さく頷いた。


「そう。表向きは、野生動物の保護・繁殖と人間の安全確保となっている。子育て期間の動物は気が荒れているからね」


「えっと、表向きは、ですか?」


 言ってから、私は桂一さんの顔を見た。


 珍しく、しまった、という表情をしていた。


「……今のは忘れてくれ」


「忘れられる言い方ではなかったです」


「忘れてくれ」


 二回目は、少しだけ強かった。


 私はそれ以上聞かなかった。


 聞きたい気持ちはあった。

 けれど、この話は、踏み込まないことを決める話でもある。


 踏み込んでいい話と、踏み込まない方がいい話。


 たぶん、それを見分けるのも市影譚の仕事なのだ。


 私はA5用紙に、短く書いた。


 夏。

 山。

 野生動物。

 理由のある噂。

 深追いしない。


   *


 相談者のサイトに戻る。


 桂一さんは、記事に載っている写真を一つずつ開いていった。


 旧避難路とされる写真。

 白い女が出るという曲がり角。

 地元民が近づかないという看板。

 行政が封鎖したとされるゲート。


 どれも、それらしく見える。


 でも、じっくり見るとおかしい。


「この写真、季節が違いますね」


 私が言うと、桂一さんが頷いた。


「うん。記事は夏の特集なのに、草の色が春先だ」


「こっちは、たぶん秋ですよね。ススキが出てます」


「そうだね」


「この看板、同じものが別の記事にも出てます」


「使い回しだろうね」


 桂一さんは、淡々と言った。


 私は、画面の下へスクロールした。


 記事の本文には、SNSから拾ったらしい投稿がいくつも引用されていた。


 数年前のもの。

 十年以上前の掲示板らしきもの。

 誰が書いたのか分からない短文。

 元の投稿が削除されているもの。


 それらが、まるで現在も続いている噂のように並べられている。


「これ、現地の話というより、ネットに残っていた断片をつなげただけですね」


「そう見える」


「でも、読んだ人には、今もそういう場所なんだと思えます」


「そこが厄介なんだ」


 桂一さんは、別の記事を開いた。


「怖い話は、古くても新しく見えるからね」


 私は、画面に並ぶ見出しを見た。


 地元が隠す。

 行政が封鎖。

 誰も語らない真実。

 深夜二時に聞こえる声。


 どれも強い言葉だった。


 読む人の目を引く。

 クリックしたくなる。

 怖いものを見たくなる。


 でも、その言葉の向こうには、道がある。


 実際の道だ。


 路肩の狭い農道。

 誰かの畑の横。

 軽トラが通る作業道。

 夜になれば真っ暗になる山際。


 そこへ、人が向かう。


 記事の中でなら、ただの怪談だ。

 でも現地では、車が停まる。

 ライトが照らす。

 住民が不安になる。

 警察が呼ばれる。

 誰かが事故を起こす。


 私は、A5用紙にもう一つ書き足した。


 ネットの記事は、人を動かす。


   *


 桂一さんは、しばらく黙って画面を見ていた。


 それから、スマートフォンを取った。


「少し連絡してみる」


「どこへですか」


「知っている人がいる地域が、いくつか近い」


「現地ですか?」


「現地そのものとは限らない。でも、こういう話が出ているなら、周辺にも何かしら届いてる」


 桂一さんは、少し席を外した。


 私はその間に、相談者のサイトをさらに確認した。


 見れば見るほど、違和感は増えていく。


 市影譚に似ている。


 でも、市影譚ではない。


 市影譚も、読まれるための記事を書く。

 収益も出している。

 有料記事もある。

 オンラインサロンもある。

 広告も扱う。


 私の給料だって、そこから出ている。


 だから、収益化そのものを悪いとは思わない。


 けれど、このサイトは、収益が先に見えすぎていた。


 怖いから読む。

 読んだから広告が回る。

 もっと怖い場所を探す。

 行き方を書く。

 人が行く。

 また記事になる。


 その流れが、画面の中で組み上がっている。


 私は、少し気持ち悪くなった。


 怖い話が、怪異を生むのではない。


 怖い話を扱う仕組みが、怪異のようなものを生んでいる。


 そう思った。


 しばらくして、桂一さんが戻ってきた。


 スマートフォンを机に置き、深く息を吐く。


「どうでした?」


「やっぱり、既に問題が起きているみたいだ」


「問題、ですか」


「SNSでタイミングを合わせて集まったりしているらしい。路上駐車が増えている場所もある。警察が出たところもあるし、遅い時間にバイクが集まる場所もある。路面が悪いところでは事故も起きてる」


 私は、ペンを握り直した。


「事故も」


「うん。軽傷で済んだものもあるけどね」


「この相談の場所ですか?」


「断定はできない。ただ、同じ系統の噂で人が動いている」


 桂一さんは、相談メールをもう一度開いた。


「この人が全部悪いわけじゃない。けど、こういう記事が集まると、現地へ行く理由になる」


「理由」


「人間は、理由があると動くからね」


 桂一さんは、静かに言った。


「危ないから行かない、より、怖いから見たい、が勝つ人もいる」


 私は、その言葉をメモした。


 危ないから行かない。

 怖いから見たい。


 その二つは、よく似ているようで、まったく違う方向を向いている。


   *


「返信しますか」


 私が聞くと、桂一さんは頷いた。


「する。いきなり突っぱねるより、まず消した方がいいところを伝える」


「アドバイス、ですか」


「うん。戻れるなら戻った方がいい」


 桂一さんは、メールの返信画面を開いた。


 私は横で、言葉を記録する。


 実在地名を伏せること。

 “自殺の名所”という表現を使わないこと。

 災害や事故を刺激的に扱わないこと。

 夜間訪問を促す文言を消すこと。

 管理者不明の場所を紹介しないこと。

 “地元が隠す”“行政が封鎖した”などの断定を避けること。

 市影譚の名前を記事に出さないこと。


 そして最後に、桂一さんは少し考えてから付け加えた。


「相談された、という形であっても、あまり話題にしてほしくない場所があります」


 私は、その一文を見た。


 柔らかいけれど、はっきりしている。


 行かないでください。

 書かないでください。

 広げないでください。


 それを、相手が受け取れる形にしている。


「かなり丁寧ですね」


「断る時ほど、丁寧にした方がいい」


「どうしてですか?」


「雑に断ると、断られたことだけが残る」


 桂一さんは、返信文を読み返しながら言った。


「丁寧に断っても怒る人は怒る。でも、少なくともこちらの線引きは残る」


 送信ボタンを押す。


 メールが送られた。


 それだけで、少し部屋が静かになった気がした。


 けれど、たぶんこれで終わりではない。


 そう思った。


   *


 返事は、その日の夕方に来た。


 想像していたより早かった。


 最初の数行は、やはり丁寧だった。


 ご助言ありがとうございます。

 水野様のお考えは理解いたしました。

 ただ、私たちも生活があります。

 読者が求めているのは、リアルな怖さです。


 そこから先で、文章の温度が変わった。


 市影譚様も、最初はそうやって有名になったのではないですか。

 私は同じことをしているだけです。


 私は、思わず画面から顔を上げた。


「同じじゃないです」


 小さく呟いたつもりだった。


 けれど、桂一さんには聞こえていたらしい。


「うん」


 桂一さんは、怒っていなかった。


 少し困ったような、疲れたような顔をしていた。


「でも、同じに見えるなら、こっちの見せ方も悪かったのかもしれない」


「桂一さんが悪いんですか?」


「悪いというか、届いてない部分があるんだろうね」


 桂一さんは、少し考えてから返信を打ち始めた。


 その文章は、思ったより長かった。


 昔の記事はそのまま残っていますので、確認してみていただけますか。


 そこから始まった。


 名前が売れる前は、休みなく仕事を入れて経験を積んだこと。


 引っ越し。

 選挙運動。

 結婚式場。

 葬祭関係。

 裏方の仕事。

 複数サイトの運営と失敗。


 その中で、たまたま自分に向いていたのが、都市や地方の問題を集めたサイトだったこと。


 私は、少し驚きながら画面を見ていた。


 知っている仕事もある。

 聞いたことのない仕事もある。


 桂一さんは、淡々と続ける。


 絶対的にアクセスを稼げるネタはいくつもあること。

 けれど、取材だけで止めているものもあること。

 失敗もしてきたこと。

 そうならないように知識を身につけてきたこと。

 取材先には名前を伝え、相手に安心してもらえるように、専門家と名乗れるほど資格も取ったこと。


 相手を責める文章ではなかった。


 でも、軽く真似できるものではないと、静かに伝えている文章だった。


 送る前に、桂一さんは私を見た。


「きついかな」


「いいえ」


 私は首を振った。


「かなり抑えていると思います」


「そう」


 桂一さんは、送信した。


 しばらくして、相手から短い返信が来た。


 稼げないのであれば、私たちはどうやって生活していけばいいのでしょうか。


 私は、その一文を見て、少しだけ言葉に詰まった。


 腹は立つ。

 でも、分からないわけではない。


 生活がある。


 市影譚にもある。


 私にも給料がある。

 桂一さんにも支払いや経費がある。

 収益化しなければ、続けられない。


 桂一さんは、また返信した。


 収益化を急ぐのは理解できます。

 私は数年、一人でやってきました。

 今はスタッフが一人いますが、取材から動画編集、文章作成、法律問題への初期対応まで、ある程度は一人で対応できるようにしてきました。


 私は、その一文を見て少し引っかかった。


 法律問題への初期対応。


 さらっと書いているけれど、普通はなかなか出てこない言葉だ。


「桂一さんって、もしかして法学部の出だったりしますか?」


 私が聞くと、桂一さんが、ちらりとこちらを見た。


 その顔は、まるで、


 言ってなかったか?


 とでも言いたげだった。


「一応ね」


「聞いてません」


「そうだったか」


「そうです」


「まあ、たいしたことじゃないよ」


「たいしたことです」


 私が言うと、桂一さんは少しだけ困ったように笑った。


 そして最後に、相談者へこう書いた。


 運営のスタイルが違うので、他のサイトを参考にするのもいいかもしれません。

 意見を求められればお答えしますが、こちらの名前は出さないでいただけると助かります。


 それが、桂一さんの線引きだった。


 突き放さない。

 でも、利用はさせない。


 怒らない。

 でも、同じだとは言わせない。


 私はその返信文を見ながら、少しだけ桂一さんを見る目が変わった気がした。

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