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Akeenohi -アケノヒ-  作者: 大化
第三部 『救われるもの』
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第六話 福音〜その②〜


ー冷たい。


最初に感じたのは、それだった。


上下も分からない暗闇の中で、フランの身体は荒れ狂う海へ引きずり込まれていく。


息ができない。


伸ばした手は何も掴まず、口を開けば塩辛い水が入り込んでくる。


(……神様……)


意識が遠のいていく。


その時だった。


腕を、誰かに掴まれた。


(――フラン!)


フランは反射的に、その腕へしがみつく。


どれほど流されたのか。


どれほど波に呑まれたのか。


やがて何も分からなくなり――。


フランの意識は、そこで再び途切れた。


◇


潮騒が聞こえる。


寄せては返す波の音。

鼻をつく、潮と砂の匂い。


「……ん……」


フランが目を開けると、青い空が広がっていた。

頬には砂が張りつき、長い金髪は海水に濡れて身体へまとわりついている。


「……ここは……」


身体を起こそうとすると、全身に痛みが走った。

それでもどうにか上体を起こし、周囲を見渡す。


砂浜。その先には深い森。

人の姿も、建物も見当たらない。


「アンジロウ……?」


返事はない。


「アンジロウ!」


先ほどより大きな声で呼ぶ。

胸の奥がざわついた。

自分がここにいるということは、彼もどこかへ流れ着いているかもしれない。

けれど――逆もある。


「……っ」


フランはふらつきながら立ち上がった。

砂浜を歩く。


流木。

割れた木箱。

船の破片。


それらを横目にひたすら歩く。


そして、少し離れた波打ち際に、倒れている人影を見つけた。


「アンジロウ!」


フランは駆け寄り、うつ伏せになった男の身体を必死に起こした。


「アンジロウ! 起きて!」


ーー返事はない。


「お願い……!起きて…!死なないで、アンジロウ!!」


フランが呼びかけ続ける。


すると。


「……うるせぇ……」


「え?」


「耳元で……騒ぐな……」


ヤジロウが薄く目を開いた。


「アンジロウ!」


「だから……うるせぇって……」


かすれた声だった。

それでも確かに生きている。

フランは目元を拭い、笑った。


「よかった……本当に」


「……お前もな」


短く答えると、ヤジロウは再び目を閉じた。


その日の夕方。


二人は、自分達が置かれた状況を確認した。


どうやらここは無人島らしい。


周囲を歩いても、人が暮らしている痕跡はない。


しかし、不幸中の幸いもあった。


船から流れ出た荷物の一部が、島へ漂着していたのだ。


衣服や道具。


そして、木箱に入った保存食。

ヤジロウは箱の中身を確認すると、フランへ振り返った。


「……運が良かったな」


「食べ物ですか?」


「ああ」


木箱を閉じる。


「これだけありゃ二人なら、しばらく保つ」


その言葉に、フランは胸を撫で下ろした。

そして、


「でしたら、救助を待ちながら暮らせそうですね。幸い、気候も安定している様ですし…ちょっとしたバカンスみたいなものですね!そうだ、まずは拠点を作るのはどうでしょう?屋根付きの」


「楽観的だな、お前」


「悲観したところで船は来ませんから」


「そりゃそうだがよ」


「それに」


「…?」


「アンジロウがいてくれますから」


フランは笑う。

そして「まずは島を探検しましょう!」と言いながら砂浜を走り出した。

その様子にヤジロウも呆れながら、荷物を担いだ。


二人の遭難生活は、こうして始まった。


◇


しかし、無人島での遭難生活には予想していたよりも大きな困難が待ち受けていた。


彼らは、海岸沿いに手頃な洞窟を見つけると、そこを拠点とした。

飲み水については、早い段階で確保することができた。

森の奥に、小さな湧き水があったのだ。

だが問題は、食料だった。


海へ出れば魚の姿は見えた。

だが、潜って魚を狙おうにも、周りは岩礁だらけで打ち返す波に体を取られ、まともに狩りをする事はできなかった。

ヤジロウは出来るだけ波の影響の少ない浅瀬へ入り、即席の槍で魚を狙ったが、獲物が手に入る日は少なかった。


森の中の木々も、細く痩せほそっており、実をつけているものが少なかった。やっとの思いで木の実を見つけても、食べられるものなのか判断できないものが多く、口にできるものはごく僅かだった。

貝や海藻も探したが、木の実同様に二人の身体を維持できるほどの量は見つからなかった。


「一見豊かな島に見えましたが…意外と食べ物って無いものですね…」


「ボヤいてねえで食えそうなもんは何でも拾っとけ」


「うーん、そう言われましても…」


「あー、何でもとは言ったが、キノコはやめろよ。毒かどうか判断がつかねえからな」


ヤジロウが振り向くと、言った側からキノコに手をかけようとするフランと目が合う。


「…意外と食い意地張ってんなオメェ」


「なっ…!!違います違います!!」


2人は軽口を言い合いながら島を探索し続ける。

だがやはり、島をグルっと一周しても目ぼしい植物は生えておらず、周りの海も岩礁だらけでとても魚が取れそうな状況では無いことしかわからなかった。


それでも、フランは希望を失わなかった。

ヤジロウと2人なら、なんとかなる。

そう信じていた。


♢


腹を満たすふりをした。


数日経つ頃には、腹の空く感覚にも慣れた。


しかし、十日を過ぎる頃にはそれは苦痛へと変わった。


胃が痛む。


夜になると身体が震える。


立ち上がれば、視界が暗くなる。


それでも。


フランの前では何でもないように振る舞った。


「アンジロウ」


「なんだ」


「少し痩せました?」


「お前が食いすぎなんじゃねぇか」


「失礼ですね!」


フランが頬を膨らませる。

それを見て、ヤジロウは少し笑った。

だが、ただ笑うというだけで疲労感が体を襲う。


それでもフランが何かを食べているのを見ると、妙に安心した。


ある日。


ヤジロウは島の反対側まで歩いていた。

今日も魚は捕れなかった。

森にも、食べられそうなものはない。


「…くそッ」


足取りが重い。

何度も立ち止まりながら、岩場を進む。


その時。

鼻をつく臭いに気づいた。

潮の臭いとは違う。

腐った肉の臭い。


ヤジロウが匂いを頼りに岩の隙間を覗くと、その臭いの発生源はすぐに見つかった。


船の乗組員の一人。

─その死体だった。


比較的最近、積み荷と共にこの島へ流れ着いたのだろう。腐敗はしておらず、遠目で見ればまるで生きているかのようだった。

周りの海域は寒冷地域で水温が低い。

さらには、海中を漂い、こうして岩礁の裂け目に引っかかる事で直射日光を浴びていないのも大きな要因だろう。

ヤジロウは、しばらくそれを見つめていた。


「……」


そして、目を逸らすと、すぐにその場から立ち去った。


─次の日。


今日も魚は捕れなかった。

洞窟の近くで山菜を探すフランに、残り僅かとなった保存食を渡した。


「ありがとう。アンジロウは?」


「いらねぇ。昼に魚食った」


ヤジロウは、船員の死体がある岩場へ再び足を運んでいた。しばらく、それを見つめた。

保存食も底が見えて来ている。持って10日、と言ったところか。だが、それは『2人分の場合』だ。1人が何か他の方法で腹を満たせさえすれば──


「……馬鹿馬鹿しい」


ヤジロウは、頭を振ると自分に言い聞かせるように呟く。そして、船員の死体に背を向けた。


─その次の日も。


また、ヤジロウは岩場に来ていた。

死体の前で、長い時間立ち尽くした。


腹が鳴る。

口の中に唾液が溜まる。


「……クソが」


拳を握る。

自分自身に嫌悪感を抱く。


まだだ。

まだ、そこまでは墜ちてはいない。


空腹に歪む腹を抑えながら、ひたすらに言い聞かせた。


◇


あれから何日経ったのか。


ヤジロウにも、分からなくなっていた。

立ち上がるだけで。

目の前が真っ暗になる。

手に力が入らない。

フランから声をかけられても、返事をするまでに少し時間がかかる。


「…アンジロウ。本当に、大丈夫ですか?」


「…大丈夫だ」


「明らかに疲労しているでしょう。ちょっと待ってください、食料を取って来ますから。保存食はまだあったはず─」


「大丈夫だっつってんだろ!!」


ヤジロウが大声を出すと、フランはビクッと肩を震わせ目を見開いた。


「…悪い」


「い、いえ…」


(…もう、誤魔化しはきかねぇ、か)


ヤジロウはふらつきながら立ち上がる。

心配そうに駆け寄るフラン。それをヤジロウは手で制止する。


「保存食は…お前が食え。昨日いい狩場を見つけた。そこで俺1人食うのに困らねえ『大物』も見つけた。…だから、大丈夫だ」


「本当ですか…!で、では私も一緒に…!!」


「いや、そこは岩礁の隙間で波も荒い。お前は待ってろ。…心配すんな、無事に戻るからよ」


そして、精一杯笑ってみせた。


♢


2人が漂流して間もない頃─


2人は、拠点とした洞窟で食事を取っていた。


「しかし、本当にたくさん流れ着いていたんですね」


フランが保存食を頬張りながら言う。


「僕達、かなり運がいいのでは?」


「難破して無人島に流された奴が言う台詞じゃねぇだろ」


「でも、こうして生きています!」


「……まあな」


ヤジロウは自分の食事を口へ運ぶ。

フランはそれを見ながら笑った。

自分達が難破したと分かった時には絶望しかけたが、今はこうして笑顔を浮かべる余裕すらある。


食料も、飲み水もあるのだ。

それに何より、一人ではない。


不便ではあったが、不思議と恐怖は薄かった。



─それから何日か経った頃。


フランが琵琶を取り出した。

元々彼女の私物であったが、先日偶然海岸に流れ着いていたのを見つけたのだ。

幸運にも、ケースに入れていたおかげで大きな損傷はなかった。


「それ持ってきたのかよ」


「ええ。ほら、中身は無事ですよ」


「そんなもんより食い物探せよ」


「もちろん、ちゃんと探しましたよ!でも、今は…ほら」


そう言いながら弦を弾く。

静かな旋律が、波の音へ重なった。

ヤジロウは焚き火の向こうで寝転がっている。


「心が安らぐでしょう。…どうです?」


「……何がだ」


「僕の演奏ですよ!日の本に来てから始めた割には、結構上手いんじゃないかと僕は思っているんですけど」


「眠くなる」


「ふむ、それは褒め言葉ですね」


「好きに取れ」


フランは笑った。

過酷な無人島生活とは裏腹に、穏やかな日々が続いた。


しかし、十日。十五日。二十日と経つにつれ。

フランは、小さな違和感を覚えるようになっていた。


「アンジロウ」


「なんだ」


「貴方、少し痩せました?」


「気のせいだ」


「でも……」


「逆に、お前が食いすぎなんじゃねぇか」


「なっ、失礼ですね!」


ヤジロウは笑いながら魚を口へ入れる。

…確かに食べている。保存食もまだある。

現に、自身の体型は無人島生活を経ているというのに、痩せこけたりさしていなかった。

反面、ヤジロウは頰が痩けていた。


「俺の方が動いてんだから当たり前だろ。こちとら女と違って筋肉も多くて燃費も悪りぃんだ。

それに、本土でゴミ漁って凌いでた時に比べりゃ今の方がまともな飯食ってるくらいだぜ」


ヤジロウが笑いながら魚を口に放り込む。

そういうものか、と。フランは納得し、それ以上は追求する事はしなかった。


だが、その言葉と裏腹に、ヤジロウの体調は悪化していった。

以前より睡眠時間が長くなった。

魚を捕りに行く回数が減った。

立ち上がる時、時折ふらつくようになった。


「本当に大丈夫ですか?」


「…大丈夫だ。何度も言わせんな」


「心配しているのです」


「だったら自分の心配だけしてろ」


いつものやり取り。

いつもの口調。

故に、フランは気づけなかった。


─その夜までは。


◇


遭難から二十日ほどが経った頃。


真夜中に、フランは喉の渇きで目を覚ました。

焚き火の火はほとんど消え、洞窟の中は月明かりだけが差し込んでいる。


「……アンジロウ?」


フランが体を起こす。周りを見渡すと、隣にいるはずの姿がない。


─水でも汲みに行ったのだろうか。

最初はそう思った。

しかし、水汲みに使っていた桶にはなみなみと水が残っている。


フランは洞窟の外へ出る。


「こんな夜更けに一体どこに…」


(─いい狩場を見つけた)


「…まさか」


フランの胸に嫌な予感が過る。

そして、彼の言っていた『狩場』へと足を運ぶのだった。


♢


そこは、岩場が囲む奥まった場所にあった。

2人が拠点にしていた洞窟から大きく離れており、足元は隆起した岩でとても悪く、ヤジロウが自分を連れて行きたがらないのも納得の立地の悪さだった。


「彼は優しすぎますから…もし無茶をしているようなら強く言ってあげないと」


フランが岩場へと近づく。

すると、遠くから妙な音が聞こえた。


何かを引き裂く音。

─何かを咀嚼する音。


「……?」


フランはその音を追った。

岩場を越えると、月明かりの差し込む海岸へと出る。


そこにヤジロウがいた。

こちらには気づいていなようだった。

背中を丸め。

何かを抱え込んでいる。


「アンジロウ?」


声をかけると、ヤジロウの動きが止まった。


「……フラン?」


ゆっくりと振り返る。


その口元に、赤黒いモノが付着していた。

よく見れば、口元だけではない。

その手にも。身に付けた衣服にも。


「……何、を……」


フランの視線が、その腕の中へ落ちる。

そこで、息が止まった。


彼が持っていたのは人間の足だった。

背後には解体されたであろう船員の亡骸が転がっている。


その身体の一部が――欠けていた。


「……」


フランは動けなかった。

ヤジロウも。

お互いが見つめ合い、何も言わない。


波音だけが静かに2人の間に響いていた。


「食料は……」


ようやく、フランが口を開いた。


「まだ、あるのでは……?」


ヤジロウは目を逸らした。


「……」


「アンジロウ」


「……ねぇよ」


小さな声だった。


「え?」


「食料はねぇ」


「でも……十分にあると」


「お前の分だけならな」


フランの目が見開かれる。


「最初から……大した量じゃなかった。2人で食えば一瞬で底をつく」


「じゃあ……貴方は全ての食料を僕に渡していたのですか……?」


「……」


ヤジロウは答えない。

フランは声が出なかった。


思い返せば、毎日の食事時。

自分が食べている間、確かにヤジロウも口へ何かを運んでいた。

けれど、自分と同じ物を口にしているのは見たことがなかった。


「どうして……」


「お前の方が体が小せぇ」


ヤジロウが言った。


「俺の方が保つ」


「だからって……!」


フランが声を荒げる。


「どうしてこんな事を…!!ひ、人を…!!た、食べるまで、自分を追い込むなんて…!!」


ヤジロウは何も言わずに目を伏せる。


「…悪いな。腹が減って……どうしようもなかった」


拳が震えていた。

ヤジロウが、声を絞り出す。


「……俺はまた、道を外れちまった」


その言葉に、フランの胸が締めつけられる。

目の前にいる男は静かに涙をこぼした。

声もなく、ただ自分が犯した行為を理解したまま。


「俺は……」


ヤジロウが膝をつく。


「やっぱり、悪人なんだろうな」


「……」


「人殺しだけじゃねえ。人間まで食って」


自嘲するように笑う。


「今度こそ、本当に終わりだ」


「アンジロウ」


「お前だけでも生きろ」


「……何を言っているんですか」


「お前は真っ当な人間だ。生きるべきだ。…俺と違ってな」


その言葉を聞いた時。

フランの中で、込み上がってくる何かがあった。


それは、怒りであった。


ヤジロウへではない。

自分への怒り。


何も考えず、彼から差し出された食事を受け取り。彼がいるから安全だと思い込み。

あげく、彼の痩せた身体を見ても、「大丈夫」と言われれば信じて、何もしなかった。

この男が自分を生かすために、自身をここまで追い込んでいたというのに。

それに気づくこともなく。


「……違う」


フランが呟いた。


「君だけの罪じゃない」


「何言ってんだ」


「僕だって同じです」


「ふざけるな!」


ヤジロウが立ち上がる。


「お前は何も知らなかっただろ!」


「知らなかったことが、罪ではないと言うのですか?」


「当たり前だ!」


「僕は君が飢えていることにも気づかず、毎日食事を受け取っていました。そして、ここまで追い込んだ…」


「違う!!」


「君は僕の為に罪を犯した!僕が、いたから…!!」


「やめろ!!!」


辺りに怒声が響き渡る。

しかし、あまりにも悲痛な声だった。


「頼むから……」


ヤジロウは顔を覆う。


「俺のやったことまで、お前が背負うな」


フランは黙って彼を見つめる。

やがて、ゆっくりと口を開いた。


「『良い行いは良い運命として帰ってくる』…あの時にも言いましたね」


そして、腰元へ手を伸ばした。

そこにあったのは、護身用に携帯していた小さな刃物。フランはそれを鞘から抜いた。


「……おい」


ヤジロウが顔を上げる。


「何してる」


フランは答えなかった。


「貴方は僕を良い人だと、生きるべき善人だと、そう言ってくれた。…でも、それは僕からしても同じ」


そして、ゆっくりとその刃先を、自分の顔へ向ける。


「…やめろ、フラン!!」


ヤジロウが駆け出す。

しかし、フランは小さく微笑むと

その刃を、自らの目へ突き立てた。


「――ッッ!!」


灼けるような痛みが走った。

視界が赤く染まる。

続けて、もう片方の目に対しても刃を突き立てた。

駆け寄ったヤジロウが腕を掴んだ時には既に遅く、フランは両目から鮮血を垂れ流していた。


「馬鹿野郎!!何やってんだよ!!!」


フランの身体が崩れる。

ヤジロウが抱き止めた。


「……僕は」


痛みで声が震える。

涙と血が頬を伝う。

視界が赤黒く染まり、消えていく。


「何も……見ていません…から」


「……は?」


「今夜の、ことは…」


震える手で、ヤジロウの頬を探す。

その手をヤジロウが掴んだ。


「僕は、何も見ていない」


「ふざけるな……!」


「君が何を食べたのかも」


「そんなことで……!」


「僕は知りません」


「そんなことで罪はなくならねぇ!!」


ヤジロウが叫ぶ。


「俺は覚えてる!俺がやったんだ!」


「忘れなくて、いい」


フランは静かに答えた。


「……え?」


「罪をなかったことにするつもりはありません」


「じゃあ、なんで……」


「君一人だけに、背負わせないためです」


フランは痛みで顔を歪ませながら、力無く笑う。


「君が僕を生かそうとして罪を犯したなら…僕も一緒に、その罪を背負います」


ヤジロウは言葉を失った。


「だから」


フランは彼の頬に触れたまま続ける。


「今日あったことは――僕達二人だけの秘密です」


「……馬鹿野郎が」


ヤジロウの顔が崩れた。


「なんで……そこまで……」


「僕の方が聞きたいですよ」


フランは小さく笑った。


「どうして、そこまでして僕を生かそうとしたんですか」


「……知らねぇ」


ヤジロウは彼女を抱き締める。


「知らねぇよ……」


その日から、ヤジロウとフランは。

守り、守られるだけの相手ではなくなった。


互いに、決して失ってはならない人になった。


◇


フランが視力を失ったことで

島での生活は一変した。


それも、不思議なことに「良い方向へ」だ。


「右、もう少し右です」


「ここか?」


2人は海岸沿いの岩場に来ていた。

フランは目に包帯を巻き、ヤジロウの手を取りながら歩く。

そして、ヤジロウへと指示を出す。


「そこです。その隙間に逃げ込んでいます」


ヤジロウが指示に従い、手製の槍を岩の隙間に突き刺す。

すると、手のひらサイズの大きな蟹がその槍先に刺さっていた。


「…お前、よく分かんな」


「視力を失った代わりに聴力が上がったんでしょうね。目が見えていた時以上に周りがわかるようですよ」


視覚を失って以降、フランは聴覚を頼りに周囲を知るようになった。


生き物の息遣い。

枝葉の揺れる方向。

水の流れ。

木の実が地面へ落ちる音。


今のフランには、その全てが手に取るようにわかった。

その能力を使い、二人で食べ物を探し、二人で分け合うことが出来た。

ヤジロウが隠れて何かを口にすることは、もうなかった。

フランも、彼が食べたことを確認するまで自分の食事へ手を付けなくなった。


「…んだよ、さっさと食えよ」


「はい。アンジロウが食べたら食べますよ」


「頑固な奴だなテメェは」


「あなたにだけは言われたくありません」


「……チッ」


ヤジロウが根負けして焼いた魚を無造作に頬張る。

フランは、音でそれを確認すると、手元にある自身の分の魚に口をつけた。



─そして、遭難から四十二日が経つ頃。


「…アンジロウ!」


「どうした」


「……間違いありません。船です!」


ヤジロウが海を見る。


「どこだ?」


「南の方です……多分。何か聞こえます」


二人は砂浜へ走った。

すると、沖の方に小さな漁船が見えた。

ヤジロウが布を振り、大声を上げる。


「おーい!!」


フランも声を重ねた。

やがて漁船が二人の方へと進路を変えた。

ヤジロウは力が抜けたように、その場へ座り込む。


「……やっとだ」


フランも隣へ腰を下ろす。


「はい」


「帰れるぞ」


「…はい!」


二人の肩が触れた。

長い四十二日間だった。

とても無事とは言い難いが

それでも、生きていた。


◇


漁船は日の本の遠洋漁業船だった。

その為、救助された二人は日の本へと戻った。


あとは、現地の役所などに助けを求め、保護してもらえばいい。本来なら、それで終わるはずだった。


「名前は」


役人が尋ねる。


「フラン=シスコです。こちらは――」


「…アンジロウ」


役人達の視線が変わる。

身元を証明するものがない男。

異国から来た、目の見えない女。

難破船の生存者だという説明も、にわかに信じ難かった。


「悪いが一旦、警察へ来てもらう」


「待ってください。僕達は――」


「黙れ。…まずは貴様からだ。来い」


フランが抗議するも、役人に強引に腕を掴まれる。それを見て、ヤジロウが一歩前へ出た。


「おい、乱暴にすんな」


「何だ?」


「そいつ、目が見えねぇんだぞ」


フランがヤジロウの袖を掴む。


「アンジロウ、僕は大丈夫です」


小さく囁く。

─ここで騒ぎを起こしてはいけない。


このまま警察に引き渡されてしまったら、ヤジロウは一瞬で捕まってしまうだろう。

そう思い、フランは役人に従い部屋を出た。

ヤジロウは不満げにフランを見つめるも、引き下がり、フラン達を見送った。


ヤジロウは兎も角として、真っ当な宣教師であった自分なら疑いを晴らす事は容易いはず。

そう考えた。


「異国の女ってのは珍しいな」


だが、状況はさらに悪くなった。

フランは連れていかれた別室で、役人の男に壁際へ追い詰められていた。


「…やめてください」


「何、ちょっと調べるだけだ」


腕を掴まれる。

そして、その手が衣服へ手が伸びる。

見えなくとも、その役人の男がどんな表情を浮かべているのか分かるようだった。


「離してください!」


「騒ぐな。それともこのまま警察に突き出されたいか?」


役人がフランの口を手で抑える。

しかしその時、部屋の扉が派手に蹴破られた。


「その手を離せ」


「アンジロウ……!」


「俺は一回言ったぞ」


そして、次の瞬間。


「ギニャアアァア!!」


響き渡る役人の悲鳴。

そして、再び刃の音が響いた。


「走れ!」


フランが手を掴まれる。

二人は役所を飛び出し、街を走り続けた。


「こっちだ!」


息が切れ、フランは何度も転びかける。

それでも、ヤジロウは決してその手を離さなかった。


(まただ)


フランの胸が痛む。


また。自分のために。

この人に罪を背負わせてしまった。


「……ごめんなさい」


走りながら、フランが呟いた。


「あ?」


「僕のせいで……」


「いいから、黙って走れ!」


「でも」


ヤジロウが立ち止まった。

そして、振り返る。


「お前が謝るなら」


荒い呼吸のまま言う。


「俺は何のためにアイツを斬ったんだよ」


「……」


「俺が勝手にやった事だ。…一緒に背負ってくれるんだろ?」


フランは何も言えなかった。


◇


二人が辿り着いたのは。

街外れの小さな教会だった。

ヤジロウが扉を叩く。


「誰かいるか!」


しばらくして。扉が開く。


「……はい、なんでしょうか」


銀髪の若いシスターが現れた。

フランが彼女に向かって頭を下げる。


「すみません、突然。少しだけ……匿っていただけませんか。どうか、お願いします」


女性は二人を見た。


返り血の付いた服を着るヤジロウ。

目元を包帯で覆ったフラン。

そして、微かに聞こえる追っ手の声。


「…もちろん。中へどうぞ」


女性は何も尋ねず、二人を招き入れた。


◇


――風の音。


フランがゆっくりと顔を上げた。


今は、京へ向かう機体の中。

もう波の音は聞こえない。


代わりに、隣から聞き慣れた呼吸が聞こえる。


「……アンジロウ」


「なんだ」


「京に着いても、無茶はしないでね」


「なんだ、急に。お前にだけは言われたくねぇ」


「あはは、やだな。僕はいつだって慎重だよ?」


ヤジロウが、呆れたようにフランを見る。


「よく言うぜ全く」


フランが笑う。

そして、小さく呟いた。


「…もう、僕のせいで誰かが苦しむのはごめんだからね」

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