梅雨
梅雨が、静かに近づいてくる。
雹のような雨。
やがてそれも止んで、
今はただ、
みずみずしい君だけが、目の前にいる。
「レン、起きろ!」
頭の奥に響く声が、夢の底まで沈んでくる。
「-- -.-- / ..-. --- .-. . ...- . .-. / ..-. .-. .. . -. -..」
次の瞬間、影の中から何かが這い出してきた。
「うわっ!」
「おっと」
現れたのは、緑色の髪に淡いピンクのTシャツ。
どこか子どもっぽい笑顔のやつだった。
「びっくりした?」
「……誰だよ、お前。なんで俺の夢にいる」
「ジュン。そう呼んでくれればいい」
「いや、答えになってないだろ」
こいつの存在が気になる。
……いや、違う。気になるんじゃない。
警戒しているんだ。
「俺もよくわかんないんだよな」
ジュンは肩をすくめた。
「お前が生まれた日、俺、この空から落ちてきたらしい」
「……なんだそれ」
「ま、とりあえず会えたわけだし」
少しだけ照れたように笑う。
「走るか?」
その一言と同時に、足元から水のような馬が浮かび上がった。
「走るの、気持ちいいぞ」
馬が一気に駆け出す。
水しぶきが跳ねて、冷たい感触が足に触れた。
「速っ……!」
「はは、いいだろ」
「次、飛ぶぞ」
翼が生え、視界が一気に開ける。
空気が薄くなるような感覚。
「無理だって!高いの苦手なんだけど……!」
「おい、吐くなよ。現実でも来るぞ」
その瞬間、足場が消えた。
「……は?」
体が落ちる。風が耳を裂く。
「うわああああ!!」
そのとき――
「グオオオ!」
ジュンの体が膨れ上がる。
気づけば、俺はその手のひらの上にいた。
大地が揺れる。
空気が震える。
「……すげぇ」
見上げる。
圧倒的な存在感。
「俺も……お前みたいになりたい」
「はは」
低く、響く笑い。
「なれるさ」
「それより、どうだ?」
「走って、落ちて――楽しいだろ」
「……うん。楽しい」
胸の奥が、少し軽くなった気がした。
「そろそろ時間だ」
「またな」
「待っ――」
目が覚めた。
「……変な夢だな」
けど、悪くなかった。
「中学に入ってから、こんな気分は初めてかも」
「レンちゃん!」
「……おはよう、ユラ」
自然と、口元が緩む。
「え、今笑った?」
「ずっとそんな顔しなかったのに」
「……よかった」
ユラが小さく笑う。
「ちゃんと馴染めてるみたいで」
「ねえ、勉強した?」
「……何の話?」
「中間テスト」
一瞬、思考が止まる。
(……終わった)
「全然やってない……」
ユラは少し考えてから、笑った。
「じゃあ、教えてあげる」
放課後。
机を並べて、問題を解く。
「また止まってる」
「……ごめん」
「ほら、集中」
軽く指で額をつつかれる。
「今回、理科70点以上取れたらさ」
ユラがふっと笑う。
「文化祭、一緒に行ってあげる」
「……ほんとに?」
「その代わり、ちゃんとやりなよ」
「……うん」
前日。
「ジュン」
「ん?」
「俺、ちゃんとできるかな」
「やりたくてやったんだろ」
少し、黙る。
「……好きな人がいる」
「……へえ」
「誰?」
「……ユラ」
言った瞬間、少しだけ楽になった。
「ちゃんと話せてなくてさ」
「いつも向こうからで」
「……ダサいな、俺」
「だったら変えろ」
ジュンはあっさり言う。
「自分で行けよ」
「……」
チャイムが鳴る。
「時間だな」
「行ってこい」
試験終了。
「はぁ……」
体が重い。
「どうだった?」
「……わかんない」
「採点しよ」
――67点。
紙を持つ手が、わずかに震えた。
「大丈夫だよ」
ユラの声が遠い。
「頑張ってたじゃん」
「……」
言葉が出ない。
「……ごめん」
「先、帰る」
家に帰る。
何も考えたくなくて、目を閉じた。
「……」
「マイゴ」
声がする。
「ここなら、泣いていい」
「悔しい……」
「あと少しだったのに……」
「もう一回……ちゃんとできたら……」
涙が止まらない。
「……」
ジュンは、何も言わない。
「……走るか?」
「……うん」




