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第八話 アリス・マーガトロイドの追憶

 それは私が、『幻想郷』に移り住む数年前の話。



 読書を終えた私が自室から出ると、廊下に連なった四角い窓の一つから、吹き抜けるような高い青空が目に入った。

 それまでずっと目の前の単語の羅列を目で追っていた私は、無性に遠くの風景が見たくなって、その窓に近付いた。

 雲一つない青のキャンパスを背景に、庭で一番背の高い樅の木が風と戯れて揺れている。

 温かい日差しと、鳥の歌う声が、文面を凝視するだけの単純作業で硬質化した思考を溶かしてゆく。

 少し疲れたし、こういう日は外でお茶にしよう。

 私はそう考えると、軽い足取りでテラスへと歩いて行った。

 廊下を少し進んで私がテラスに着くと、そこには既に先客がいた。

 風に靡く白銀色の長髪。その左上をサイドテールに結わえ、赤い衣を纏ったその人物は、私の存在に気が付くと今日の日差しのように温かい眼差しで私に笑顔を向けた。

「あら、いらっしゃいアリスちゃん」

「御機嫌よう、ママ(、、)。お茶でも一緒にどうかしら?」

 私の母――神綺はこの『魔界』の全てを創造した〝魔界神〟であり、私は母と、メイドの夢子と一緒にこの屋敷で生活していた。

 母は私の提案に一層顔を綻ばすと、そっと手を翳した。

 するとそこには、たちまち一脚のテーブルと椅子が二つ出現した。

「私がアリスちゃんのお誘いを断る理由が、何か一つでもあるって言うのかしら?」

 言いながら、嬉しそうに席に着く母。

 私も向かいの椅子に腰掛けながら、

「ママが思ってることなんて、ママにしか分からないじゃない?」

 本当は、母がそんな事を思ってもないことをちゃんと理解していながら、私はついそう返してしまった。

 しかし、捻くれた私の言葉に気を害した様子は無く、母は笑って

「ご一緒できて嬉しいわ、アリスちゃん」

 そして母はすぐに夢子を呼び、彼女に紅茶を二人分用意するように伝えた。

 二人のやり取りを遠巻きに見ながら、私は二人に気付かれないように溜め息を吐いた。

 愛嬌のある笑みを浮かべる母の顔は、まるで小動物のそれのような無邪気さがある。

 それに比べて私ときたら……。

「……可愛くないな」



 それから、私と母は談笑しながらお茶を楽しんだ。

 その話題は自然と、それまで私が読んでいた本の話に切り替わっていった。

「『幻想郷縁起』?」

 聞き慣れないタイトルだったのだろう。小首を傾げた母に私は頷いた。

「そう。前に〝ハクレイノミコ〟を名乗る祈祷師と、〝キリサメマリサ〟っていう魔法使いが来たことがあったでしょう? あの二人が住んでいる『幻想郷』という世界の歴史が書かれている本なの」

 それから私はついつい饒舌になって、本の中に書いてあった幾つかの事柄を母に話し始めた。

 純正の『魔界』生まれ『魔界』育ちに私には、他の世界の知識はどれも物珍しいものばかりで、私はかつて〝幻想郷人〟と邂逅したその時から、『幻想郷』という異世界への興味をずっと胸に抱き続けていた。

 そしてこの頃には、私は書物による知識だけでなく、実際に『幻想郷』を訪れてみたいとも思うようになっていた。

 ただ私は、そのことをまだ母には打ち明けてはいなかった。

 それは、きっとすぐに反対されるだろうと思っていたし、何より私も、母に無用な心配を掛けたくなかったからだった。

 そんな私の話を、母は一つ一つ相槌を打ちながら聞いていた。

 しかし、私の話が長くなるに連れ、次第に母の表情が曇りがちになってきたことに私は気付いた。

「ママ、どうしたの?」

 不審に思った私は母に尋ねた。

 母はすぐには答えず、私の顔をじっと見つめてから、

「アリスちゃん、その『幻想郷』に行ってみたいと思う?」

 突然の、私の心を見透かしたかのような母の質問に、私はお茶を溢しそうになった。

 それと同時に、やっぱりママには敵わないな、と心の隅で思った。

 観念した私は、それから母に全てを打ち明けた。

 『幻想郷』に行ってみたいということ。

 そして出来れば、暫く滞在してみたいということも。

 結論から言えば、母は私の言うことに一切反対はしなかった。

 私は安堵する一方で、この時母の漏らした一言がずっと頭の奥に引っ掛かっていた。

「そうよね、そう思うわよね(、、、、、、、)。あなたは私の娘だものね(、、、、、、、)



 私が『幻想郷』に移り住んでから、数年が過ぎた。

 私はこの土地で傀儡を操る術を身に付けて、人形達と森の奥でひっそり暮らしていた。

 そして今日も私はいつものように、遠隔操作で人形にお茶の準備をさせて、それをテーブルの上に置かせた。

 こちらを見る、その無機質な瞳に私は彼女(、、)の言葉を、私の想いを乗せて夢想する。

〝出来たよ、アリス〟

「ありがとう、上海」

 虚しい一人芝居。

 たった一人の人形劇。

 その〝孤独〟に気付かされた私は、この土地で一人、心を壊し始めていた。

 最初は良かった。

 それで毎日、沢山の人形に囲まれて、笑顔で暮らして行けると思った。

 心を持たない人形は、私の気持ちを自由に投影することが出来る。

 この子は友達想い。この子は泣き虫。この子は皮肉屋。

 そんな皆に囲まれて、楽しくやっていけると思った。

 しかし現実は違っていた。

 この人形達の言葉も、動きも、小さな挙動についてすらも。

 全ては私がそう仕向けさせたものだった。

 全ては私の内面で生まれたもの。

 私から生み出されたもの。

 だからこの子達は絶対に、私の考える以上のことは出来ない。

 私の想像を超えることは決して無い。

 予想外の出来事も、驚きも、喧噪も無い静かな時間だけが、刻々と流れて行った。

 いつしか私は、〝心〟を持つ人形、〝自我〟を持つ人形を生み出す研究に明け暮れていた。

 生きている人間と同じように感じ、思考に、行動できる人形。

 それが完成すれば、私はこの一人芝居に幕を下ろせる。

 そしてその理想の自分、最終的な理想像として私が掲げたものは、他でもない母の姿だった。

 自ら世界を創造し、あらゆるものを生み出して、その中で暮らす母の姿。

 だけど、そこで私は気付いてしまう。

 その母と今の私と、何が違うと言うのだろうか?

 例えどんなに完成度が高くても、どんなに精巧に人に似せても、それが私からの被造物である限り、それが私を超えることは無いのだ。

 それは、母も同じはずではないのだろうか?

 私は遠く、『魔界』の母に思いを馳せた。

 では、母は一体どんな気持ちで、今まで生きてきたのだろうか?

 そして思い起こされたのは、あの時の母の言葉。

「そうよね、そう思うわよね(、、、、、、、)。あなたは私の娘だものね(、、、、、、、)



「いやああああああぁぁぁぁあああああぁぁぁぁーーーーーーっ!!!」


 気が付くと私は叫んでいた。

 全て(、、)を知って、私は慟哭した。


 ママ、貴女は数百年後の私なの――?


 私は嘆き、苦悩した。

 時に母を恨みもした。

 だけど結局、私は私の中にある、母への気持ちを裏切ることは出来なかった。


 ――大好きなのよ……。

 例えどんな目に遭わされても。


 そしてその葛藤の日々の中で、私は一つの目標を得た。


 大好きなママ、確かに私は貴女の人形かもしれない。

 だけどママ、私は貴女を救いたい。

 この深い絶望の日々から、貴女を解き放ってみせたい。


 そのためには、禁忌とされる魔法に手を出すことも躊躇はなかった。


 ――ママ。


 私の心に、母から貰ったこの〝心〟に、迷いは無かった。


 もし、私が貴女をこんなにも想える〝心〟が、貴女に由来するのなら――。

 もし、こんなにも誰かを愛せる気持ちを、貴女も持っているのなら――。

 貴女こそ、本当に救われるべきなのよ。

 私が必ず救ってみせる。


 ――ねぇ、ママ。

 私の大好きなママ。


 もう一度会って、二人で長い長い話をしましょう?

 ママに聞かせたいこと、ママの知らないような話も沢山あるのよ?

 そしてもし、ママがこれまでに見せたことの無いような、驚きや感動を引き出してあげられたなら。

 私は――。


 ――そのために今まで生きてきたんだとすら、思えるの。

明けましておめでとうございます。


第八話、投稿です。

ですが厳密には、これは本編とは違う、いわゆる〝回想シーン〟とか〝過去回〟ってやつです。

序章もこれから始まりましたが、この後もちょくちょくこういう場面を書いていく予定です。

鬱陶しいと思われる方は、飛ばしてください。

一応、これらのシーンは読まなくても、本編には差し支えの無いようにするつもりです。

ですが、これは物語のバックグラウンドであり、本編はこれに従って進んで行きます。

ですから本編で、「なんでこうなるの?」と思った時には、ここに戻って来て頂けたらと思います。

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