第九話 それぞれの想いを胸に
『天界』から急いで引き返して来た霊夢が『太陽の畑』の上空に差し掛かると、向日葵畑手前の集合地点に、こちらに向かって大きく諸手を振る魔理沙の姿が見て取れた。
妖夢と共にプリズムリバー三姉妹への聞き込みに向かった魔理沙は、『太陽の畑』からは移動していない。
彼女が一番乗りでここに着くのは当然のことだったが、どういう訳か、彼女の隣に妖夢の姿は見当たらなかった。
不審に思いながらも、ゆっくりと高度を落とし始める霊夢。
徐々に魔理沙との距離が近付くに連れ、霊夢は彼女の表情がひどく取り乱していることに気が付いた。
「どうしたのよ魔理沙?」
訊きながら地に足を着ける。
すぐに魔理沙は血相を変えて駆け寄ってきた。
「妖夢が! 妖夢がいなくなっちまったんだぜ!」
慌てた様子で魔理沙は言った。
その声色はまさに切羽詰っており、とても冗談とは思えなかった。
霊夢は眉間に皺を寄せた。
「妖夢が? アンタずっと一緒にいたんじゃないの?」
「それが……」
その後、魔理沙は皆と別れてから今までの行動を話し始めた。
向日葵畑の中で、妖夢を置いてきぼりにしてしまったこと。
そのまま一人『プリズムリバー楽団』の特設ステージに向かったものの、そこには誰もいなかったこと。
そして、
「咲夜からの式符が届いてここに戻って来たんだが、いつまで経っても妖夢が出て来ないんだ。それとこれ……」
言って魔理沙が帽子の中から取り出したのは、一体の人形だった。
「これがそこに落ちてたんだ」
「これってアリスのじゃない」
魔理沙から人形を受け取った霊夢は、腕を組んで考え込んだ。
妖夢を置き去りにしたことは、言うまでもなく魔理沙の過失だ。
二人に渡した式符は磁石のように、それに対応する符を追い掛けるように術が施してある。
つまり符を持っていない妖夢の元には、咲夜の式符は届かない。
二人が一緒に行動することを見越して、霊夢はそうしていたと言うのに。
(何が、「魔理沙さんのお目付け役は任せて下さい」よ。まったく……)
霊夢は内心で悪態を吐くと、魔理沙を睨み付けた。
「アンタもちゃんと探したんでしょうね?」
「当たり前だろ! 霊夢が戻って来るまでに、何回も空から探したんだ!」
答えた魔理沙の顔は真剣そのものだ。
霊夢はそれ以上の追求はせずに、今度は手元の人形に目を落とす。
「で、仕方なくここで一人で待ってたら、これを見付けたのね?」
「ああ。私までここを離れる訳にはいかないからな。でも、どうにも落ち着かなくて。この周りをあちこち歩き回ってたら、足元にこれが」
魔理沙の言葉を受けて、霊夢は再び思案した。
最初にここに集まった時、地面には何も落ちていなかった……と思う。
こればっかりは推測の域を出ない。
しかし、ここにいた四人全員がこれを見過ごしていたとも考え難い。
つまりこの人形は、自分達がこの場所を離れた後から、何者かによってここに置かれた可能性が高いと見て間違いないだろう。
そして霊夢の考え得る限り、ここに人形を置いて行った可能性のある人物は四人。
まずはこの人形の持ち主であるアリス。
次に姿を消した妖夢。
更にこの『太陽の畑』を管理する幽香と、彼女と〝スキマ〟を通して接触したであろう紫。
妖夢以外の三人は天子の証言からも、ここを訪れていたことが分かっている。
しかしこの人形はこの場所にピンポイントに、まるで後から来る自分達に気付かせるようにしてここに落ちていた。
つまりこれを残した人物は、ここが自分達の集合地点であることを知っていた人物になる。
〝境界〟の能力を使えば何でもござれの紫はともかく、先の四人の中でそれを知っていたのはただ一人。
(人形をここに置いて行ったのは妖夢ね)
霊夢はそう結論付けた。
それさえ分かれば、後の筋書きは自然と出来てくる。
この人形の本来の持ち主であるアリスはこの『太陽の畑』に来ていたのだから、そもそもの出所はこれに間違いない。
(となると……)
恐らく妖夢は向日葵畑の中でこれを発見し、単独でアリスの元に向かったのだろう。
そして後から来た自分達がそれと分かるように、人形だけをここに残した。
殊勝なことだが、どうしてもっと分かり易い目印にしておかなかったのか。
(私が妖夢なら、あの黒のリボンを人形に結び付けておくところよ)
霊夢は溜め息を吐き、魔理沙に向き直った。
「アンタも勘付いてるでしょうけど、妖夢はきっとアリスの所よ。『天界』で天子から聞いたんだけど、アリスもここに来てたみたいだから」
すると魔理沙は、では早速とばかりに意気込んで、
「だったらすぐにアリスの所に向かおうぜ!」
「――待ちなさいっ!」
と、魔理沙の声を掻き消すように、空から咲夜の声が響いた。
霊夢と魔理沙が声のした方向に目をやると、息も絶え絶えといった様子の咲夜が、二人の間に滑り込むようにして地面に着地した。
「次の行動に出る前に、まずは私の話を聞いて頂戴!」
額に玉の汗を浮かべながら、肩で息をする咲夜。
そこ声色は、普段の落ち着いた彼女からは想像も出来ないほど切迫したものだった。
霊夢はその咲夜の様子を見てすぐに、彼女がこれからするであろう話が、何か良からぬものであることを直感した。
咲夜が『紅魔館』を去った後、パチュリーもまた『大図書館』を後にしていた。
彼女は『紅魔館』の廊下を一人で進み、やがてレミリアの寝室の前までやって来た。
静かに二回ノックをする。
本来なら就寝中であろうレミリアも、今日は起きているはずだという確信がパチュリーにはあった。
そして案の定、暫く待つとドアの向こうからくぐもった声で、
「入りなさい」
と言うレミリアの声が聞こえた。
そっとドアを開けてパチュリーが入室すると、レミリアは部屋の中央に鎮座するベッドではなく、その脇に置かれたウォールナットの椅子に腰掛けていた。
他は特に何かをしていたような様子は無く、彼女はじっとそこに座っていたのだろうということが分かる。
そしてパチュリーの思った通り、レミリアは寝巻にすら着替えてはいなかった。
「眠れないようね、レミィ」
レミリアの前まで進みながらパチュリーが声を掛けると、彼女は鬱陶しそうな顔をして、
「これだけ〝運命〟が乱れてはね。なんだか胸騒ぎがして、おちおち眠ってなんていられないわ」
「それで、今夜は誰も部屋に近付けるな、と?」
単刀直入にパチュリーは尋ねた。
「レミィ、貴女なら見えているんでしょう? 今夜この『幻想郷』で何が起こるか」
それはこの会話の相手が、パチュリーが『幻想郷』で唯一親友と認めるレミリアだからこその、一歩踏み込んだ質問だった。
レミリアは少し考える素振りを見せてから、
「今夜、誰かと誰かが再会を果たす。両者を繋ぐ一本の糸が、双方を引き寄せているのを感じるわ」
そしてレミリアは、その深紅の相貌を僅かに細めた。
その瞳の奥に何が映っているのかなどパチュリーには知る由も無かったが、ただ一つ言えることは、レミリアのその目は確かに、それをしっかりと捉えているということだけだった。
それは暗に、【月下美人】が今夜発動することを示している。
顔を顰めたパチュリーに、レミリアは続けた。
「やっぱりパチェにはバレちゃってたみたいね。そう。女々しい話、私も再会を期待する人物がいない訳じゃないの。だから『紅魔館』の者達に、私がその人物と再会して、あまつさえ泣きじゃくってるところなんて見せられないじゃない?」
それもまた、相手が自分だからこそ明かしてくれた、彼女の胸の内なのだろうとパチュリーは理解していた。
「そうね」
短く答えながら、パチュリーは小さく息を吐いた。
レミリアが今夜の人払いを命じたことを小耳に挟んだ時から、パチュリーは気付いていた。
彼女もまた、誰かとの再会を密かに心待ちにしているのだろうと。
その気持ちを否定するつもりはない。
しかし、だからこそ、彼女だけには断っておかねばならないことがある。
その為に、自分はここに来たのだ。
パチュリーはレミリアのその赤い瞳を、真っ直ぐに見据えた。
「だけど貴女も知っての通り、〝運命〟は変わるものよ、レミィ」
それは彼女が親友だからこそ、絶対に伝えなければならない言葉だった。
「私は一人の魔法使いとして、全力でその〝運命〟を変えてみせるわ。だからごめんなさいレミィ。私は今夜初めて、貴女の期待を裏切ってしまいそうなの」
まだこの時点では、パチュリーはレミリアに対して何も悪いことはしていない。
しかしこの時には既に、彼女は強い贖罪と自責の念に駆られていた。
室内が静寂に包まれる。
パチュリーにとってはその僅かな沈黙が、永遠のようにも感じられた。
少し呆気にとられたように、ぼうっとした表情でパチュリーの顔を見つめていたレミリア。
しかし、すぐにその顔付きは元の威厳を取り戻した。
やがてレミリアは口を開いた。
「嬉しいわ、パチェ」
その言葉に驚いて、パチュリーは目を瞬かせながらレミリアの顔を見返した。
こちらを向くレミリアの顔は、――全くもって予想外なことに――とても柔らかい笑顔だった。
「何を驚いているの? わざわざ私の為に、それを言いに来てくれたんでしょう? それが嬉しいって言ったのよ」
そしてレミリアは椅子から立ち上がって、パチュリーの肩に手を置いた。
「これから貴女がすることで、確かに私はその人との再会の機会を逃してしまうかもしれない。だけど、それでも構わないわ。貴女の言う通り、〝運命〟なんて移り気なものだもの。今こうして、私のことを想ってくれる友人の言葉の方が、私にはずっと確かで、ずっと尊いものなんだから」
瞬間、パチュリーの胸の奥には様々な感情が入り乱れるようにして湧き起こり、たちまち彼女は何も言えなくなってしまった。
まるで自らの罪を許されたような、そんな気持ちだった。
俯いたパチュリーに、レミリアは諭すように言った。
「一人の魔法使いとして、と言ったわね? だったらこの、傲慢な友人からのアドバイスよ。矜持と言うものは、何が何でも貫きなさい。それでこそ……」
途端にレミリアははにかんだ。
「この私の親友だわ」
レミリアの言葉に小さく頷きながら、パチュリーは込み上げてきた涙を堪えることが出来なかった。
咲夜の話を受けて、三人を取り巻く状況は一変していた。
持ち主の資質を問わず、動機さえあれば誰でも発動させることの出来る究極の魔法【月下美人】。
これではその発動を目論む犯人の手掛かりは、それが『紅魔館』に侵入することの出来た人物という他には、その者の能力に関することだけの二つになってしまう。
その該当者数は計り知れない。
押し黙る三人の沈黙を破って、魔理沙が悔しそうに言った。
「美鈴の奴がしっかりしてりゃ、もっと犯人を絞り込めたんだ!」
それは聞き捨てならないと、透かさず咲夜が魔理沙に返した。
「今更そんなこと言っても、後の祭りでしょう」
「そうね。とにかく今は、この時点で私達に出来ることを考えましょう」
咲夜の言葉に便乗して霊夢はそう促したもの、すぐにそれぞれが難しい顔をして考え込んでしまう。
(だけど見方を変えれば……)
しかし勝気な霊夢はこの状況の中でも、自分達にとって何か有利にはたらいた事象は無いかを思案した。
確かに、これで犯人探しは振り出しに戻ったかのように思われる。
だが考え方を変えれば、これにより、それまで候補に入らなかった人物を犯人候補の枠に入れることが可能になったとも言えるだろう。
そして今の状況の中で、最も怪しいと思われる人物は……。
(アリスね)
誰が犯人であってもおかしくないこの状況の中で、唯一不自然な手掛かりを残して行ったのがこのアリスだ。
霊夢はアリスの上海人形の存在を思い起こした。
それは今、再び魔理沙の帽子の中に仕舞われている。
この物的証拠の存在を踏まえれば必然的に、アリスには疑いの目を向けざるを得ない。
霊夢は今日の一連の出来事と、アリスとの関係性を一から考え直した。
そもそも、今朝【月下美人】が盗まれたことと、霊魂が『幻想郷』に集まっていることの二つを同時に知っている人物は、ここにいる三人と妖夢を除けば、後はパチュリー以外には犯人しか考えられない。
しかし、アリスは魔理沙と妖夢が『魔法の森』で、霊魂が『太陽の畑』に向かって飛んで行くのを見る前からここにいた。
霊魂を追って来たにしてはタイミングが早過ぎる。
ではどうして、彼女が事前にここに辿り着けたと言うのだろうか?
自分が映姫から『彼岸』のことを聞かされた時点では、『幻想郷』に流出した霊魂の数は三つ。
『冥界』の分を足せばそれ以上だが、前回の『花の異変』ほど、溢れ返るような数ではない。
つまり魔道書の盗難を知らない彼女が、そもそもそんな半端な数の霊魂を見たところで、本来なら不思議に思うことすら無いはずなのだ。
しかし彼女はここにいた。
それも、誰よりも早く。
これは十分に、その魔理沙と妖夢が森で見た霊魂が、アリスを目指していたのだと仮定することも出来る。
(もしもアリスが犯人なら、問題ね)
霊夢は下唇を噛んだ。
それは、もしもアリスが一連の犯人なら、彼女がわざわざ人形をここに置いて行った理由が、罠以外の何物でもないからだ。
恐らく四人同時に迎え撃つことを警戒して、各個撃破に乗り出した可能性もある。
つまり、急がなければ妖夢の身が危ない。
「まずはアリスの所に向かいましょう。妖夢もそこにいるはずよ」
長考から顔を上げた霊夢はそう提案し、そして顔付きを険しくしてもう一言付け足した。
「だけど忘れないで。アリスが犯人の可能性もあるんだから。油断するんじゃないわよ」
その時、一陣の風が『太陽の畑』を吹き抜けて行った。
その風を受けて、群生する向日葵が一斉に音を立てて揺れる。
その様子はまるで、これから起こる出来事を前に、『太陽の畑』全体がざわめいているようでもあった。
第九話になります。
でも今回は、何だか次への〝繋ぎ〟みたいな内容になってしまいましたね。
状況を整理して、すっきり次の話に向かおうって感じです。
その所為か、全体を通して霊夢が思考力フルです。
きっと知恵熱出ますね、あの娘(笑)
そして次回を以って、第二章は終了の予定です。
まぁ長くなりそうなら分割して、二話に分けますが。
さて、まだまだ続く『東方逢月譚』。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。




