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かわす言の葉


「君を迎えに来た」


 そう言った黒いコートの青年が自分の手を取ったとき、ニルチェニアは「やっとか」と思った。彼は本来の役目を果たしに来たのだと、そう思ったのだ。優しい微笑みはきっと、これから冥府につれていかれる自分を安心させるためのものだろうと。曇天のような髪を少し夜風に揺らし、ニルチェニアを優しく見つめている青年の名はアルリツィシスだ。発音が難しくて、ニルチェニアはまだ一度もろくに呼べていない。

 

「そう、……そうなのね。もう少し、長くいられると思っていたのだけど」


 死ぬのは怖いし、正直なところまだ死にたくはなかった。今は初冬、すこし前に秋が終わったくらいの季節だ。空気もすんでいて、星の綺麗な季節だ。せめて春まで待ってくれたなら、と思う。そうしたら、庭の薔薇を見て逝けたのに。

 強がって微笑んでみたけれど、きちんと笑えたかどうかは微妙なところだ。きっと、どこかに諦めがにじんでいるに違いない。寝台の上に腰掛けながら、ニルチェニアは黒いコートの青年に微笑む。ニルチェニアの真っ白な髪が月光を受けて、ほろほろと仄かに煌めいていた。

 白いドレス、透けるようなヴェール、優しく輝く真珠のはまったティアラ。物語のお姫様のような姿で、ニルチェニアはそこに佇んでいる。そんな少女を迎えに来たアルリツィシスは、冥府の渡し守であり、死に行くものの魂を黄泉へと送り届ける精霊だった。


 明日でおしまいってこういうことだったのね、とニルチェニアは手袋に包まれた自分の手をぎゅっとにぎった。きっと、自分は今日でおしまいなのだ。それを知っていたから、アルリツィシスは一月もの間、こんなに嬉しいことをしてくれたのだろう、と思った。ニルチェニアがほしかった靴、読みたかった本、一度は着てみたいと憧れていたお姫様のような衣装。すべて、アルリツィシスが用意してくれたものだ。優しい人だ、と思う。

 ニルチェニアが知る限り、アルリツィシスという精霊は紳士で真摯なのだ。優しくて、どこか遠い存在だった。


 この日をずっと待っていたんだ、と精霊の青年は静かに口にする。

 病弱な少女は、それを聞いて小さく微笑む。


 ──月の綺麗な、夜だった。




***



 扉を開けて部屋に入ったとき、アルリツィシスは知らずに息をのんだ。

 いつものベッドに腰かけているのは、綺麗に身だしなみを整えられたニルチェニアだ。アルリツィシスが贈ったドレスに身を包み、淑やかな顔は薄いヴェールの向こうに。白い長手袋は月の光を受けて仄かに照らされている。結い上げられた髪には、昨夜贈ったばかりのティアラがあった。耳に煌めくのは星の光をあつめて作った耳飾り。満月の光にきらきらと瞬いているのが、本物の星のようだ。

 綺麗だと口にする前に、ニルチェニアがアルリツィシスを見てゆっくりと微笑む。思わずどきりとした。


 ニルチェニア、と小さく名前を呼ぶ。少女はいつも通りに笑って、アルリツィシスに手を伸ばした。こうすれば、アルリツィシスが抱き締めてくれることをこの少女は知っている。けれど、そうやって手を伸ばしてくれることを、アルリツィシスが嬉しく思っているのを知っているかはわからない。


「君を迎えに来た」


 今夜ばかりは抱き締める前にやることがあるのだと、アルリツィシスは寝台に腰かけているニルチェニアの前に片膝をつく。すこしぽかんとした顔をしてから、ニルチェニアの顔がじわじわと切なそうなものになっていくのが、なぜなのかアルリツィシスにはわからなかった。白い手をとって、菫色の瞳を見つめる。小さく微笑んでいるニルチェニアは、ほんのり色づいた唇を動かす。


「そう、……そうなのね。もう少し、長くいられると思っていたのだけど」


 この日を待っていたんだ、とアルリツィシスはニルチェニアの頬をそっと撫でた。ぱちぱちと瞬く瞳が、少しずつ水気を増しているようにも見える。どうしてそんな泣きそうな顔をするのかと、アルリツィシスはニルチェニアの額に口付けた。


「ニルチェニア」

「はい」


 覚悟はできていますと、ニルチェニアはアルリツィシスを見据えた。最期の最期まで優しく付き合ってくれた人だからこそ、駄々をこねて困らせたくはなかった。いつかはこうなることくらい、自分でもわかっていたからだ。


 アルリツィシスの次の言葉を、ニルチェニアは待つ。心のなかで叔父や兄、面倒を見てくれた使用人たちに感謝を述べていた。普通ならこういうときは「死にたくない」と祈るものなのかもしれない。なにしろ、アルリツィシスは見た目だけなら死神そっくりなのだから。夜の闇の色ををしたコートに、薄くクマの浮かんだ容貌。小さい頃読んだ本に出てきた死神のイメージによく似ている。が、彼は優しい。だから、死にたくないとは祈れなかった。


「ニルチェニア。……僕の伴侶になってくれないか」


 けれど、ニルチェニアが覚悟したものとは全く違う言葉がアルリツィシスの口からは飛び出た。言われた意味が理解できず、ニルチェニアは頭のなかでそれを三度繰り返す。ようやっと頭が理解できたときにニルチェニアが口にできた一言は。


「しんでしまう」


 そう言ったきり、ふっと意識を手放したニルチェニアにアルリツィシスは酷く狼狽えた。大急ぎでソルセリルを呼びに行き、落ち着いた頃にはミシェルに大笑いされるはめになった。


 ──さすが兄妹、よく似てるなァ!


 兄妹揃ってうっかり冥府に渡りそうになるなんて、笑えない冗談だと思った。とくに、ニルチェニアは洒落にならない。




***



「ごめんなさい」

「いや……」


 気にしなくていい、とアルリツィシスは寝台の上で縮こまるように座っているニルチェニアに苦く笑った。よりによってあんなタイミングで失神だなんて、と縮こまったニルチェニアは呟いている。気を使ったのだろう、ミシェルもソルセリルもニルチェニアが目覚めた頃にそっと部屋を出ていった。頑張れよとでも言いたげに肩をポンと叩いていったミシェルが、「駄目だったら流石に慰めてやるから」と生ぬるい顔でアルリツィシスに笑いかけたのは忘れられない。


 なんとも声をかけづらく、アルリツィシスは先程の告白に対する彼女の答えをまだ聞けていなかった。ニルチェニアは耳まで真っ赤にして、アルリツィシスの目の前でうつ向いてしまっている。ほんの少し泣いていたように見えたのは気のせいじゃないだろう。ごめんなさい、とニルチェニアはまた繰り返した。


「ニルチェニア」


 声をかければ、華奢な肩がびくっと跳ねた。答えを聞かせてくれないか、とアルリツィシスはニルチェニアの左手をとる。するりと白い手袋を脱がせて、先程渡すはずだった指輪を手に取った。

 夜の神がこれ以上ないほど苦々しい顔をして差し出してくれた「星の欠片」を加工した指輪は、月の光を受けずともきらきらと煌めいている。あの子は僕のもののはずなんだけれど、という神の恨みがましい一言は聞かなかったことにしたが、ひいきにした娘のためにと彼は出来る限りの祝福をこの星の欠片に込めてくれた。


「……嫌だったら、指輪を通せないように手を握ってくれ」


 北極星のように夜に煌めく石のはまった指輪を、アルリツィシスはニルチェニアの指先に近づけた。ぴくっとした指先に一瞬心臓が

破裂しそうになったものの、ニルチェニアは手を握ることはしない。細い指に小さな金属の輪を通して、アルリツィシスは少女の左手の薬指に口付ける。


「君の伴侶になりたい」


 真摯な夜空色の瞳に、ニルチェニアの瞳からは涙が溢れた。何をどう答えたらいいのかもわからない。嬉しくない訳じゃない。むしろ嬉しかった。素敵な贈り物を受け取ったときより、ずっとずっと嬉しかった。けれど、嗚咽を漏らす喉からは「うれしい」の一言が出てこないのだ。涙で張り付いてしまったように。


 だから、ニルチェニアは口付けることにした。


 アルリツィシスにもらった口紅で色づいた唇を、アルリツィシスの血の気のない唇に押し付けることにした。言葉が出てこないのなら、話せないのなら、行動で表せばいい。


 月の光を織った布で作り上げた靴に足を飾って、その足でふらりと立ち上がる。よろければアルリツィシスはきっと抱き止めてくれる。

 ふわりと香水の薫りを纏って、月の光にティアラを煌めかせ。髪と一緒に揺れるヴェールとともに、アルリツィシスの胸に飛び込む。驚いた顔をしたアルリツィシスに精一杯の綺麗な笑顔を見せて、ニルチェニアはその唇にそっと自分の唇を押し付けた。ニルチェニアを支えるために背中に回されたアルリツィシスの手のひらが、純白のドレスの上を滑る。腰に落ち着いたところで、アルリツィシスはぎゅっとニルチェニアを抱き締める。


 ニルチェニアもそんな精霊の青年の体を抱き締めた。右腕には白い手袋をつけたまま、左手の薬指には星の欠片の収まった指輪を煌めかせて。


「よろこんで」



 交わす言の葉は、二人だけのものだ。



異種族婚姻譚ってかなりロマンがありますよねという話から始まった話でした。お付き合いくださった文咲るねさんにこの場をお借りしてお礼申し上げます。


ロマンポイント

*人間の常識を知らないいわゆる【人外】がひとの慣習にのっとるところ

*そこまでして相手を求めてしまうところ

*とはいえ人の常識からはやっぱりすこしずれてしまうところ

*病弱な令嬢と冥府の渡し守という組み合わせ

*おとぎ話的なアイテム(雪明かりを紡いで作った手袋エトセトラ)


趣味を詰め込みつつ、長い文章を書くことに慣れよう、勘をとりもどそう……!としたお話でした。

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