第十七話〜地獄の合図〜
「奥様!!おめでとうございます!!女の子ですよ!!」
2番目の子は女の子だった。
私は、その子をイリスと名付けた。
そのイリスが___三つの春に、何も見せなかった。
グリューネ家の侍医が、早期鑑定の水晶を持ってきた。娘の小さな手を水晶に押し当てた。
光らない。
「そんなはずないわ!!ちゃんと押し当てて!!イリス!!力を込めなさい!!」
水晶の触れ方や、力の込め方など関係はない。
「この水晶、不良品なんじゃないの!?新しい水晶を用意しなさい!!」
侍医が、別の水晶を用意するがもちろん結果は変わらない。
「なんでよ!?なんで!?」
水晶を叩きつけ粉々に砕く。
「......イリスが.....私の子が.....。」
私は死亡届に署名できなかった。
ペンを持ったまま、一刻も動かなかった。
夫が代わりに署名しようとするが、その手を掴み止める。私の手は、夫の手を強く握り、震えていた。
「私が...............私が署名......いたします。」
葬儀に飾った白百合は、銀貨四十枚だった。
覚えているのは、それだけだ。
___それだけの、はずだった。
小さな手が自分の人差し指を握った感触が、ふいに指先に蘇った。生まれて三日目だったか、四日目だったか。乳母の腕の中から娘が手を伸ばして、たまたま近くにあった母の指を掴んだのだ。
驚くほど、強い力だった。
ヴェロニカは、帳面を持つ手に力を込めた。指先に残った記憶を、革の固さで押し潰した。
___アイツと同じ《零》を産んだのは、私のせいではない。夫の血が安いからよ。
《風》と《風》は相乗する、と血統の相談役は言った。相乗しなかったのは、夫の《風読み》が、風を起こす力では無いからだ。
わたしの腹のせいではない。
ヴェロニカは、帳面の頁をめくった。
_________
中ほどの頁に、それはあった。
太い線で四角く囲まれた、数行の文章。
___力と力は、母の胎にて競り合う。
___強き者同士を掛け合わせれば、互いを潰し合う。潰し合いし果てが、名なき子なり。
___ゆえに、母は無たるべし。
___母に名なくば、父の名は損なわれずして子に渡る。
ヴェロニカは、その数行を三度読んだ。
強き者同士を掛け合わせれば、互いを潰し合う。
この内容が事実なのであれば、いや、事実で無くともあの《零》を陥れる事ができる。
ダグラス家の刺客を、すぐさまアルデン家に送り、監視を続けた結果、思わぬ収穫が手元に舞い込んできたというわけだ。
《零》の娘には値がつかない。この国の誰もが信じているその常識を、ひっくり返す数行だ。
《零》の腹からは、父の力が、薄まらずに出る。
そして、実際に《零》であるエレインの腹から、《炎熱》が産まれている。さらに、その能力が薄まるどころか、三日で兆しが出たと書いてある。早ければ早いほど、その能力は質が良く、質量の最大値が大きい。
それが真実であれ嘘であれ、これを信じた者は、この国の《零》の女を、一人残らず買い集めようとするだろう。
この情報を売る最適の相手は___。
「フフッ、フフフフフフあははははははっ!!!!」
この先、どうなるかを想像したら笑いが止まらない。
「あぁ、生きるってほんっっとうに楽しいわァ。」
_________
「おはよう、ヴェロニカ。」
露台の戸口に、夫が立っていた。
アルブレヒト・フォン・グリューネ。三十四歳。背は高いが、いつも少し猫背だった。いつも書類に齧り付き、一日のほとんどを座って仕事をしているからだろう。柔らかな茶色の髪は、額の両端から薄くなり始めている。鼻の上に小さな丸眼鏡をかけ、右手の中指には、いつも墨の染みがあった。
毎朝、空を見て、風の向きと湿りを帳面に書きつけるのが、この人の日課だった。
グリューネ伯爵家の当主。《風読み》。
風を起こすことはできない。ただ、風を読む。三日先の雨、五日先の嵐。空気の重さと、匂いと、肌に触れる冷たさの違いから、それを知る。それだけでなら、農民として暮らすのが天命だろう。
だが、質の良い《風読み》はそれだけではない。世界の流れを読む。いつ、どこで、なにが起きているのか。その世界が記録する出来事を読むことができるのだ。人により、範囲は異なるが、風が強ければ読める内容も幅広くなる。
そして、私が起こす風も読むことが出来る。私の今の感情。考えていること。全て見透かされる。風を起こせる人間に対してだけに使える技である。
本当に気味が悪い神賢だ。
本当に気味が悪いのは、私の感情を読んでおきながら、イリスの書面に代わりにサインをしようとした事だ。
「おはようございます、アルブレヒト様。」
アルブレヒトは、ニカッと笑う。
「君の風が、今朝は昂っているね。火傷しそうだ。なにかあったのかい?」
ヴェロニカは、帳面を閉じた。
「聞かなくても、すでにご存知ではないですか?」
「いーや、知らないよ。」
「なにしに来たのですか?」
「最愛の妻に朝の挨拶をするのがそんなに不思議なことかい?」
夫はそう言って笑った。
___笑えない。
「それは、なんだい?」
「北の毛皮商の見本帳よ。」
嘘をついてみた。
「へぇぇぇ、そうなんだ。そう。……それよりも、フェリクスがね、今朝、三日先の雨を当てたよ。」
「三日。」
「すごいだろう。僕があの子の年の頃は___」
「五日先まで読めるのでしたわね。」
夫は、少しだけ黙った。
「……そうだったね。」
アルブレヒトは自慢げに微笑む。
踵を返しかけて、夫は一度だけ振り返った。
「イリスの花を今年も替えておいたよ。白百合がまだ咲いていなかったから、白い薔薇にしたんだ。」
私はなにも言わず、ただ背中を見送った。」
_________
この国で最も金を持ち、最もこの数行を必要としている者。東の山脈で、もう十八年も戦をしている国の主。この、神賢格差社会の首謀者。
ヴェロニカは、帳面の頁を指で叩いた。
すべては売らない。帳面には、妻の名がない。妻が誰なのかを知っているのは、この王都で、自分だけだ。
その一枚だけは、まず手元に残す。
___肉を与え、むしゃぶり尽くした後に、この肉の一番うまい部位を最後に与える。利用し駆使し活用する。王から絞れるだけ搾り取ってやる。それは、実家の借金で着飾らされた娘が、十七の年に覚えたことだった。
王宮に手紙を出すと、翌日には招待状が届いた。対応が早い。
王宮は、ファルゼン大通りの突き当たりの丘の上にある。白い石灰石で築かれた城だ。壁も、塔も、回廊も、すべてが白い。中央に、王都で最も高い鐘楼がそびえている。
【白鐘宮】
その鐘は、年に一度しか鳴らない。王が死んだときと、新しい王が立ったときだけだと、王都の子どもは教わる。
ヴェロニカは、大広場の北の門を抜け、長い坂を上り、二つ目の門で輿を降りた。
案内の侍従は、白髪の痩せた男だった。回廊を歩きながら、侍従は振り返らずに言った。
「謁見の間では、陛下の問いにのみ、お答えください。問われぬことを、口にされませぬよう。それから___」
「存じております。」
ヴェロニカは、遮った。
「嘘はつきませんわ。」
「さようですか。」
侍従は、それ以上何も言わなかった。
___________
謁見の間は、ヴェロニカがこれまで見たどの広間とも違っていた。
なにも無い。
壁には、一枚の綴織も掛かっていない。
床には、一枚の絨毯も敷かれていない。
黒と白の大理石が、市松に並んでいるだけだ。窓は高く細い。冬の光が、白い柱の列を斜めに切っていた。
暖炉はあった。
だが、火は入っていなかった。
寒い。
吐く息が白く濁った。蜜蝋の蝋燭の甘い匂いと、冷えた石の匂いと、どこからか、かすかな鉄の匂いがした。
ヴェロニカが一歩踏み出すと、靴音が、広間の奥まで響いて、戻ってきた。
二歩目も、三歩目も。自分の足音が、こんなに大きく聞こえたことはなかった。
___声が、よく響くように造ってあるのだ。
絨毯も、綴織も、音を吸う。火の爆ぜる音は、声を濁らせる。
この広間は、ただ一つの目的のために、何もかもを剥ぎ取られている。
王が、人の声を聞くために。
ヴェロニカの周りの風が、どこにも当たらずに、消えていった。
広間の奥、三段高くなった場所に、玉座があった。
そこに、男が座っていた。
背の高い男だった。座っていてもそれと分かるほど、首が長く、手足が長い。王という名に遜色ない、威圧感に足がすくむ。灰色がかった白髪が肩まで伸びている。顎の髭は、細く尖るように整えられていた。
頭には、細い金の環が一本だけ載っている。宝石は一つも嵌まっていない。
身に纏うのは、飾り気のない濃い灰色の長衣だった。
目は閉じていた。
長い指が、玉座の肘掛けの上に置かれている。
ルドヴィク四世。
ファルゼンドゥルク国王である。
この国の貴族で知らぬ者はいないであろうその力は、
《真贋》
王は人の言葉の中の"嘘"を聞き分ける。
王に嘘をついた者は死ぬ。それがこの国の法だった。王の力が裁くのではない。王が、裁くのだ。
そして、この王は即位してから三十年、真実を語った者を、ただの一度も罰したことがないという。
どれほど不敬な真実であっても。
この王の前では、正直者は馬鹿を見ない。
玉座の左側の一段低い場所に、一人の若い男が立っていた。
年齢は二十代に見えるが、痩せていて顔色が悪く、若さゆえの覇気が全く感じられない。冬だからというだけではなく、室内でも厚い毛皮の外套を、首元まで着込んでいる。
手には、掌ほどの石板と、白墨を持っており指先が、白く汚れていた。
つまり、この空間には三人しか居ないのだ。
兵も居なければ、何か特別な細工がある様な物も無い。顔色の悪い男も、側近という立ち位置なのかは分からないが、王を守れる力があるとも思えない。
「名はなんと申す。」
王が、目を閉じたまま口を開いた。
低く、静かな声だった。張り上げてもいないのに、広間の隅々まで届いた。
「ヴェロニカ・フォン・グリューネ、旧姓はダグラスにございます。」
王の右手の人差し指が、肘掛けを一度、とん、と叩いた。
「ダグラス。ヴェルシアの、傾いた辺境伯家か?」
「……左様にございます。」
トンッ
「余の力を、知っているか?」
「存じております。」
トンッ
「では、問う。貴様が持ち込んだ情報はどこで手に入れた?」
ヴェロニカは、両手で抱えた帳面を、わずかに持ち直した。
「私が、アルデン辺境伯邸に置いていた者から届いた、この帳面に記載された情報です。」
トンッ
王の瞼が、わずかに動いた。
「ガーウィンの遺体は戻らなかったと聞いている。その場合の、弔い方をまさか知らぬわけではあるまい。
「存じております。」
「まさか、貴様は遺品を盗んだのか?」
「燃やされる前に、回収しました。」
トンッ!
「燃やされるはずだった遺品を、余に売りに来たのか?」
ヴェロニカは、息を吸った。
ここで飾れば、死ぬ。
「陛下が、一番高く買ってくださると思いましたので。」
広間に、数秒の沈黙が落ちた。
「貴様の手紙には、【望む神賢を子に継承させる方法を教える】と書いてあったな。それが本当なら、我が国の社会変革が起こる。今一度問う。この情報に嘘、偽りは無いな?」
「はい、我が名に誓い、一切の虚偽はございません。」
本当のことだ。私は、この帳面に書いてある内容を売りに来た。その情報が、偽りであっても私は偽りだと知らない。話す相手が信じるものこそが真実なのだ。そして、それが王の能力の弱点だ。
「持ってこい。」
問いではなかった。
「待ってください。まだ、この情報に幾らお支払いいただけるのか、教えていただいておりません。」
「貴様は、どの様な情報で、真偽のわからぬものに値を出せと申すのか?」
「それはこちらも同じです。教えた後に、そちらにとって有益な情報でも、不要だったと嘘をつき対価を支払わないかもしれません。もしくは、情報の価値に不相応な___」
王の顔色が変わっているのに気づく。目を閉じているのに、鋭い眼光で睨まれている様な錯覚。小動物が肉食獣に目をつけられた感覚。
そして気づく。王の隣にいる男は、瞬きを一切せず私を見ていることに。
「貴様は、よりにもよってこの私が嘘をつくと、そう言うのだな。」
「も、申し訳ございません......。私の失言をどうかお許しください。直ちにお持ちいたします。」
ヴェロニカは三段の階を上り、帳面を王の膝の上に置いた。
部外者が、ここまで王に近づいても大丈夫なのだろうか。
王はようやく目を開けた。
淡い琥珀色の瞳だった。濁ってはいない。だが、光も宿っていない。底の見えない、古い蜂蜜のような色だった。
王は帳面を開く。
一頁ずつ、ゆっくりとめくっていく。兵の名の列を、指でなぞる。四角く囲まれた数行で、しばらく手を止める。
王の手が、ある頁で止まった。
ヴェロニカには、それがどの頁か分かった。
王は、帳面を閉じる。その瞬間から、王の顔は元に戻っていた。瞼が半分下り、人差し指が、肘掛けを叩き始めた。
トンッ
「この男の説を、お前は信じるか?」
ヴェロニカは、一拍おいた。
「信じるかどうかを決めるのは、私ではございません。」
「答えになっていないな。」
「はい。ですが、嘘でもございません。」
王の瞼の奥で、何かが光った。
王は、玉座の背に身を預けた。
「貴様はこれをいくらで売る?」
さぁ、ここからが本題だ。
「金貨は要りません。」
トンッ
「ほぉう。では、何を望む?」
「グリューネ伯爵家の、陞爵を希望します。」
玉座の脇で、白墨の音が止まった。
王の声が、わずかに低くなった。
「ヴァルヴィラを、三位に落とせと?」
「そうは申しておりません。グリューネを上げていただきたいと申しております。」
「上げれば誰かが落ちる。貴様はふざけているのか?」
「ふざけてはおりません。」
王は、拳を握り締めながらしばらく黙った。
「......結果が出たら、考えよう。」
ヴェロニカは、深く頭を下げた。
「セヴラン。」
王が、玉座の脇の男を呼んだ。
若い男が、一歩前に出た。毛皮の外套の裾が、冷えた床を擦った。
「王都に在住する《零》の数を述べよ。」
答えは、一呼吸も置かずに返ってきた。
「登記の上で、十八より四十に限れば、七百十三。」
「セヴラン。なぜ、十八からなのだ?」
「それより若い腹は、産褥で死ぬ数が多すぎます。四十を越えれば孕む数が減ります。どちらも、歩留まりが悪いかと。」
「却下だ。成人を迎えた一六から子を成す力を持つもの全てに命令を下せ。既婚者だろうが関係はない。どうせ使い道のない物だ。ただ生かしておくより有意義に利用できる。数を優先とし、抵抗する家族はその場で裁け。」
「かしこまりました。」
ヴェロニカは握りしめた右の拳を左手で抑える。
王は、目を閉じた。
人差し指が、肘掛けを一度だけ叩いた。
_________
これで、王都中の《零》が王国中の勇士の血を注がれ、私のために子を産むことになるだろう。その中に、アイツは居ない。ガーウィンの死後、アルデンを出たあと行方が分からないと手紙には書いていた。
「......今頃、どこにいるのでしょうね。」




