48話 火口
活火山の火口に立って、気分が安らぐと感じるものは少ないだろう。
深い穴は落下を予感させるし、マグマの熱は暴力的だ。
マグマが下から吹き上げてくるかもというプレッシャーを感じる。
シリウスとエルダは蜿蜿の火口、すぐ入り口に立っていた。
「ここで間違えないのでしょうか」
「ああ、間違いない」とシリウスはこたえる。
シリウスたちは、火口の一角を眺めている。
そこには本来あるべきものがなかった。
魔将ラージの遺体だ。
「おそらく崖の下に落ちたのだろ。
地面に滑り落ちた後がある。
ここ最近、この山では地震が頻発しているというから、その揺れが原因かもしれない」
「下に降りられますか。
これ以上進むのは、あまり気が進みませんが。
この火口はやはり何かおかしいです」
エルダが火口の崖を覗きこむ。
濃い霧の中を、うっすらと赤いマグマが揺らめいているのが見える。
シリウスとエルダは火口へくる前に、近くにある村にたちよったっていた。
そこの宿で一泊し、体を少し休めた。
そして村人から最近の蜿蜿の火口の噂を聞いた。
どうやら噴火が近いのではないか、ということらしい。
地震は頻発しているし、マグマの様子も落ち着きがないらしい。
蜿蜿の山が噴火を起こすことはそれほど珍しいことではない。
しかしその他にも奇怪な現象がいくつか起きていた。
火口の底から、正体不明の生物の鳴き声を聞こえてきたという村人が大勢いた。
火口付近でモンスターの姿を見なくなったいう話も多い。
噴火の直前にモンスターが移動することはよくあることだった。
しかし、今回はモンスターの移動ではなく、消えたのだ。
どこか別の場所にそのモンスターがいるわけではなく、どこにもその姿が見当たらなくなった。
移動した痕跡はないし、死骸もない。
手品師の持つコインのように、どこかにぴょっこりと消えてしまった。
実際にシリウスたちが蜿蜿の火口に到着すると、すぐにその異常さに気がついた。
魔素の量が多すぎるのだ。
魔素は魔力や魔物のもととなる物質である。
魔素自体が人間や魔物に影響を与えることはない。
空気のようなものだ。
反対に人間や魔物が魔素に影響を与えることもできない。
魔素の量を増やすこともできないし、減らすこともできない。
魔素を加工することもできない。
魔素から魔力を作りだしたり、魔素を集めてモンスターを生みだすことももちろんできない。
それらは神の領域の話だった。
魔素の量が多いこと自体は、問題ないのだが、ここまでの量となると不安となる。
もともと蜿蜿の火口は魔素の量が多かった。
魔素の量が多いと、必然的に空気中の魔力量も多くなる。
それが理由で、シリウスたちはここをラージとの戦闘の場所に選んだのだ。
しかしその当時の魔素の量よりも、10倍は濃くなっていた。
それに対して空気中の魔力の量はさほど変わっていない。
魔素が増えればモンスターも増えるはずだが、逆に減っているらしいし。
蜿蜿の火口で、何かしらが起こっていることは確かだった。
「火口をくだろう。
ラージの死体はどれほどリスクがあろうと手にいれたい。
魔将ラージを継承できたら、ほぼ確実に魔王に迫る力を得ることができるからな」シリウスが言う。
シリウスとエルダは、切りたった崖に沿ってつづいている、道とも言えない道を進んでいった。
道は狭く、足場は不安定だったが、シリウスやエルダにとっては何の問題もなかった。
マグマの熱も、魔法結界で遮断し、暑さを感じない。
たとえふたりがこのマグマに落ちることがあっても、水の上のカラーボールのように浮かんで、ダメージは何もないだろう。
ふたりの魔法結界は優秀だ。
「シス殿は、人生に楽しみなどはないのですか?」
唐突にエルダが言った。
何を急にと思ったシリウスだったが、しばらくは危険もなさそうだったので(危険なのは底についてからだろう、とシリウスは予想できていた)、エルダからの会話を無下にすることもないと思い、こたえた。
「ない」
そういえば、以前も趣味か何かの話をしてすぐに会話が途切れてしまったのだったけか。
ふたりはかつての会話を思い出した。
シリウスは何とか言葉をつなぐ。
「俺は子供の頃から強くなることだけがすべてだったんだ。
趣味や遊びに時間を使うことをしてこなかった。
時間ができたら魔法の勉強に使っていた。
ただ魔法は嫌いじゃないんだ。
新しい魔法を覚えたり、上達したりすると嬉しい。
強さのみを求める人生も、決して不幸だとは思っていない」
「なぜそこまで強さにこだわるのですか?」
「復讐のためだ。俺の人生の目標は魔王を殺すことだ」
「その言い方ですと、魔王を殺す目的は人類の平和のためではないように聞こえます」
「ああ、魔王への復讐は個人的なものだ」
エルダは誰のための復讐か聞こうか迷ったが、聞かずにおくことにした。
親しくなれば、そのうちに向こうから話してくれるだろう。
「本当に復讐だけの人生なのですか。
たとえば女性などはどうですか。
興味がまったくないということもないでしょう。
男性ですので、性欲はあるはずです」
「まあ、まったくないというと嘘になるかもしれない。
ただ、」
「でしたら、どうして昨日夜這いに来られなかったのですか」エルダが口早に言う。
シリウスは「ああ」と納得した。
なぜエルダがシリウスの旅についてきたのか、今ひとつ理解できなかった。
エルダはエルフの里では、族長の娘でありそこそこ重要な人物である。
エルダが強いといっても、シリウスや魔王軍との戦いでは、力不足であるのは明白だ。
それなのにこの危険のともなう旅に同行する。
メリットがほとんどない。
しかし、シリウスとエルダが男女の関係になってくれれば、エルフ族としては、とてもありがたいだろう。
精霊王の力は、やはりエルフの民にとって重要であり、その力を持つものをつなぎとめておきたい。
てっとり早い方法は、族長の娘であるエルダが、彼と婚姻を結ぶことであろう。
昨日、宿に泊まったさい、エルダは強く同部屋を望んでいた。
同じ部屋に泊まったほうが安くすみ、お互いの状況がすぐにわかり安全だというのだ。
男性と女性が同じ部屋で過ごすことに、エルダは抵抗が少ないのかと考えていたが、シリウスが夜這いをしやすいようにとの行動だったらしい。
「私はエルフです。
しかもエルフの中でも美しい部類に入ります。
つまり絶世の美女です。
その美女がすぐ近くのベッドで寝ているのですよ。
普通はとびかかるでしょう」
普通はとびかかるというのは問題あるが、確かにそういう気が起こってもおかしくない状況ではあった。
しかしそれならもう少しそうであるという、仕草を見せるべきである、とシリウスは思った。
薄着の寝間着姿をシリウスに見せたり、何気なく同じベッドの上に座ったりするものだ。
しかしエルダは、一切のスキも見せずに着替えをすませ、布団の中にしっかりと潜り込むと、「おやすみなさいませ」と無表情に言って電気を消した。
あれでは道徳的男子であれば、誰も近づくことはできない。
むしろ睡眠を邪魔してはいけないと思う。
「いや、そういう男女の関係というのも、やはり魔王を倒してからの話だと思ってな。
恋愛を嫌悪するわけではないが、やはりそこには緩みがでやすい。
それに今の俺の体はゴブリンだからな。
相手する女性は、このガサガサ肌は痛そうだ」
シリウスは無難にそうこたえておいた。
「確かにその肌は痛そうです。
ただ、それなりに私も鍛えております。
それぐらいの痛みたえられるかと思います。
しかし、シス殿に色仕掛けは難しそうですね」
エルダはため息をつく。
そんなエルダの姿を見て、シリウスはなんだか、かわいそうに思えた。
それと同時に、あれのどこに色仕掛けがあったのかと、おかしくも思った。
「シス殿は、『華園』の景色が綺麗だったとおっしゃっていましたよね」
以前そのような会話をしたことをシリウスは思い出した。
ロジンの使った魔法「華園」の景色は確かに美しいと感動した。
「ああ」とシリウスはうなずく。
「花が咲く景色がお好きなのですね。
桜という木があるそうです。
淡いピンクの花を、枝全体に咲かせる木です。
東の国には、街のすべての道沿いに桜が植えられているようです。
一年のうち一週間しか、その花は咲きません。
満開になってもすぐに散ってしまうそうです。
ただしその一週間の間は、東の国は世界中のどこよりも美しい街となります。
ピンク色の花が咲き乱れ、街を彩る様子は想像するだけで、その感動がわかります。
風が吹くと花びらが飛び交い、その儚さと、花吹雪の美しさが、見るものを幻想へと誘うそうです。
すべてのことが解決しましたら、その桜を見にいきませんか。
とても素敵な場所だと思います」
「確かに、それはとても美しそうだ。
ぜひに見てみたい」
シリウスは素直にこたえた。
魔王を倒した後のことなど、これまで考えたこともなかった。
しかし、その未来はなかなか幸せだと感じた。
「では約束ですよ。ふたりで桜を見にいきましょう」
エルダは桜の花に負けないぐらい綺麗な笑顔で言った。
シリウスは、こんなに美しい奥さんをもらうのも、もちろん幸せな未来なのだろうと思った。
明日は16時15分ごろ投稿いたします。




