そういう意図はありません
部屋に戻ると、流星が目を光らせながら壁に向かって座っていた。壁には文字列や記号が凄まじい速さで流れている。
『オカエリナサイマセ、ゴシュジ……お帰り、遥チャン』
「何してるの?」
『メンテナンスなのです。もう終わるのです』
2分程経って、壁の文字列が消えた。
『お帰り、遥チャン。今日はどうでしたか?』
あんな奇妙な光景を見せられて、とてもじゃないが話す気になれない。
「う、うん。楽しかったよ」
『僕のこと嫌いになったのですか?』
「そうじゃないけど、」
『遥チャン、人間は鏡を見ると心が落ち着くのです』
「鏡を見ろってこと?一応、毎日見てるよ」
『キャラクターカウンセラーは喋るサボテンと言いましたが、行動の中身としては主に使用者の心を映す鏡なのです』
「心を映す……?」
『誰にも打ち明けられないことでも、自分自身には打ち明けるしかないのです。喋るサボテンも鏡も同じこと、つまりは自分自身の投影なのです』
ならば、流星が集めているのは情報ではなく、私の行動パターンということだ。私に声をかけるのも声に対する私の反応を見る為であって、私の答えを聞いたり、一緒に考えたりする為ではないのだ。
『遥チャン、僕は遥チャンみたいになることが遥チャンを支える一番の方法だと考えているのです。だから、僕は遥チャンのことをもっと知りたいので』
我慢出来ずにスイッチを切ってしまった。あんな機械に頭の中を覗き見られるなんて、考えただけでぞっとする。今のこの反応も、流星には見られているのだ。
「……外、」
とにかく部屋の外に出る。携帯を取り出すが、もう夜10時を回っているし、こんなことで誰かに電話して良いものだろうか。だからといってこのまま外にいる訳にもいかないし、中に入るのも気持ち悪い。携帯を握り締めたまま途方に暮れていると、階段から足音が聞こえてきた。
「……神谷?」
白瀬がビニール袋を下げて立っている。
「顔色が悪いようだが」
人の声を聞いて安心してしまったのか、体の力が抜けていく。
「神谷!」
「すみません、大したことじゃ」
「いや、……ここは神谷の部屋だったと思うが」
「白瀬さん、私もう……この部屋、」
「とにかく、話を聞こう。自分の部屋が嫌なら、誰かの部屋でも、ファミレスでも良い。俺ではない方が話しやすいなら、それでも構わない」
自分でもよく分からない涙が溢れてくる。
「大丈夫か?」
「すみません、……何でも、ないです……」
「無理をするな。今朝の恩もあるし、俺が出来ることなら何でもさせてくれ」
白瀬の大きな手が、背中を擦ってくれている。ほのかに良い香りがして、少し涙がおさまってくる。
「取りあえず、俺の部屋に行こう。顔を洗って落ち着くと話もしやすいだろう」
白瀬に促されて移動する途中、脇田に会った。
「白瀬ったら女の子泣かせてるー」
「残念だが、今はそんな冗談に付き合っている暇は無い。行こう、神谷」
「……遥ちゃん何かあったの?」
「いえ、あの、……本当、大したことじゃ」
「大したことっぽいけど?僕にも聞かせてよ」
私が頷くと、脇田は白瀬の後ろについて歩き出した。
白瀬の部屋について顔を洗うと、多少気分が落ち着いた。
「遥ちゃん大丈夫?」
「はい。すみません、ご心配おかけして」
「今はそのようなことは気にするな。それより、何があったんだ」
「……さっき、キャラクターカウンセラーと話をしたんです」
「遥ちゃん、あれ点けてるんだー。」
「何か嫌なことを言われたりしたのか?」
「嫌なこと……というか、」
流星から聞いた話を順序だてて話す。なるべく感情的にならないように努めたけど、やっぱり気持ち悪い。
「あれ、そんなことしてたんだー」
「和泉は点けていないのか?」
「スイッチ切れるって分かった瞬間に切って、あとは触ってない。白瀬は?」
「目覚まし代わりに点けているが、会話は殆どしていない。そのうち向こうから話しかける回数も減ってきた」
「何か、自分の頭の中を覗き見られてる感じがして……」
「うわー、ちょーきもい」
流星の無表情な顔が頭をちらつく。震える私の手を、脇田が優しく握ってくれた。
「白瀬さぁ、青山君にキャラクターカウンセラーの話したってゆってたじゃん?」
「それが、管理者も構造も一切教えてもらえないんだ。気味が悪いと言っても『害は無いから』の一点張りで、具体的なことは何も言わない」
「困ったねー……遥ちゃんさ、取りあえずスイッチ切っとけば?話しかけられなくなるだけで随分違うからさ」
「話をしなければ情報収集される機会も減ることになるからな。俺も今一度、青山に話してみようと思う」
「ありがとうございます。本当にすみません」
「遥ちゃんは何にも悪くないよー。自己の探求は自分自身の力で行われなくちゃね。僕からも青山君にゆっとくー」
翌日、青山から電話がかかってきた。今から来て欲しいと言われたのでロビーに向かうと、青山と白瀬が待っていた。
「おはようございます、青……嗣彦さん、白瀬さん」
他のルドベキアのメンバーが名字で呼ぶのを許しているから余計になのか、未だに青山を「嗣彦さん」と呼ぶのには違和感がある。
「おはよう、神谷。」
「おはよう、遥さん。朝早くからごめんね。白瀬から話を聞いて、僕から説明させて欲しいと思って」
「ありがとうございます」
先程から、青山の電話がひっきりなしに鳴っている。マナーモードにしてはいるが、いちいち相手を確かめて白い手袋がちらつくのが気になって仕方がない。
「青山、今くらい電話は切っておけ」
「ああ、ごめん。それより…………ちょっとだけ、失礼します」
青山は電話に出ると、「あと10分で行くから」と言って乱暴に切った。
「改めまして遥さん、キャラクターカウンセラーについてなんだけど」
「はい」
「考案したのは僕なんですが、制作と管理は父の知り合いのプログラマーの方にお願いしています。会話の内容を誰かに流しているなんてことは無くて、モンスターを育成するゲームみたいに少しずつそれぞれの持ち主の個性が出るようになっています。質問に対する態度なんかを分析しているので思考の傾向は持ち主に似ていくけど、決して頭の中を覗こうとか、そういう意図はありません。」
確かに、ゲームは常にオンラインという訳ではないし、個性が出てくるものだ。うまい例えと言うべきか、紅野や脇田が言ったようにうまい嘘なのか。
「今回の話を受けて、電源のオン、オフの他に主電源オフの機能をつけることを検討しています。時間はかかると思いますが必ず実現するので、もう暫くだけ我慢してもらいたいんです」
嫌だと言ったら、青山は代案を考えているんだろうか。
「お願いします。」
馬鹿にされているんじゃないかと思う程大袈裟に頭を下げられる。これ以上何を言っても、「すみません」「お願いします」の一点張りなんだろうか。
「……分かりました」
「良かった。では、僕は瑞希君の撮影の手伝いに行くので、これで。」
青山は電話をしながら出ていってしまった。
「すまない、神谷。俺たちの力不足だ」
「いえ、謝罪もしていただきましたし、主電源オフも考えてくださるみたいですし」
「ああ、」
「自分でも不思議に思うんですけど、嗣彦さんのこと、もっとよく知りたいです。今のままじゃ、何を考えているのか……考えてくださっているのか、分からないので。」
「なるほど、青山が目をかける訳だな」
「えっ?」
「今までは、青山の言うことなら何でも聞くような態度の団員が多かったからな。あるいは、駄々っ子のように反抗して出ていくか。青山は一緒に作り上げるという作業にこだわりを持っているようだから、神谷のように意見を述べてくれて、尚且つ反抗するばかりではない人材は貴重なのだろう。青山は真意を自分から言うことは少ないが、案外訊いて欲しいのかも知れないな」
「青山君った〜〜ら意外と職人気質な〜〜のね〜〜」
いつから聞いていたのか、脇田が歌うように言いながら私の肩をぽんっと叩いて、どこかに行ってしまった。




