04 三章 豪華客船 エピソード06 悪魔
バタン…………と、背後でウィズの部屋が閉まる。俺は背後を振り返る事も躊躇われ、最高グレードの階層の廊下で、茫然と立ち尽くしていた。
落胤。魔法使い。そして、神と悪魔。ぐるぐるグルグルと脳内を、見知らぬ非常識が駆け回る。
船の揺れも相まって、眩暈がしそうだ。
「一体、あの女は何者なのですか」
少なくとも、俺の知る中で最も知識量が在るのだろう。
ただ幸いなことに、口に出した途端少し肩の力が抜けた。そして代わりに、体がぐらついた。最高グレードと言う重心が高い位置にいるため、安定感に劣るのだろうか。
否。そんなはずはないだろう。だったらば、金を払うものは居なくなる。
「なら、俺の心象が足に来ているという事ですか…………」
「っと」またもふらついた時、「っ、お客様。いかがなされましたか」と、通りすがりの船員に肩を優しく掴まれ、壁際にそっと寄せられた、
だが、今在った事を話すことなど憚られる。
「すみません。少し、船酔いのようで…………」
「ああ、でしたら医務室へ参りましょう。薬も常備しておりますゆえ」
ありがたい。礼を言おうとそちらを見やった時、俺は表情が強張った。
「お客様?」
心配そうに聞いてくる彼は、バズ・ボーンその人であったのだ。
「…………いえ、お願いします」
ウィズ・キャネルの言った『丁度いい時間』とはこの事だろう。思わず、彼女の部屋をちらと見てしまう。
ここまで読んでいたのか。いや、見えていたのか。バトーの技術的推測とは違う。明らかな異能を用いた未来予知を実感し、俺は冷や汗が出た。
「…………全知」
「え、?」
「いえ、全治どれほどになるかと…………」
「あぁ、いけません、顔色が優れません直ぐに行きましょう。さ、肩につかまってください」
出来るだけ驚きを押さえ、俺はバズの肩につかまり、今居る階層から二階下がった医務室へと足を運んだ。
内部は清潔感を出すためか、白を基調としており、薬品が硝子窓の棚から覗けた。
カーテンで仕切られたベッドが合計八つあるが、今は誰も使ってはいないようで、俺は出入り口から最も近いベッドへと腰を下ろした。
「少しお待ちを」との気遣いの後、バズは慣れた手つきで薬品棚から、二つの薬瓶を取り出し、錠剤を二つと水の入ったコップを俺に渡したのだ。
「これは?」
「そちらは酔い止めです。微量に睡眠導入効果がありますが、問題はありません。それと、もう一方はビタミン剤になります。顔色が優れないようでしたので。」
「手際がいいですが…………薬学の知識がおありに?」
「え、ああ。いえ。我らバーニス号の船員は、お客様を不快にさせぬよう、マニュアルを徹底し頭に入れておりますので、今回はその成果と言ったところでしょうか」
にこやかに説明をされてると、この男が殺人犯だとはまるで思えない。
正直、事前情報が無ければ、俺はこの男へと高額のチップを渡していたくらいだ。
「…………そうですか。」
「信じられませんか?」
俺への機微にも聡い。どうしてか聞くと、
「お客様の中には、その経歴やご身分から、命を狙われる常をお持ちの方も少なくはなく。ですが、我々としては、そのような気持ちは乗船中お忘れになり、安らいでほしいのです。いかがしましょうか、よければ、私の方で、今渡した薬を毒見いたしますが?」
対応が早く的確ではありませんか。パーフェクトですよ、バズ。出来ればうちの接客に欲しいくらいだ…………。
「では、一応頼みます」
「はい」とバズは薬を躊躇う事もせず飲み込んだ。
それから三十分ほどたつが、バズは一向に顔色も衰えない。と言うかそもそも、俺がバズを狙っているという事実を彼は知らない筈
ならば、これは善意であると判断した。
「問題なさそうですね。薬をいただけますか」
バズはほっとしたように「どうぞ」と先ほどと同じ錠剤を俺に渡した。
ただ、本当に念のため、水は魔術によって掌に溜め飲んだ。
それから、またも三十分が経過したが、
「ん…………。」
何やら睡魔に襲われてきた。
気が抜けたからか、それとも、
「眠いですか、ご心配なく。酔い止めの方は、睡眠効果がわずかながら含まれておりますので、人によっては、その作用でしょう。」
「そうですか…………」
「お休みになられてはいかがですか。いりようでしたら、今のうちに言伝を預かっておきますが」
「…………いえ。」
だめだ非常に眠い。頭が回らない。
俺はその後、数回瞬きをした後の記憶が消えた。
そして、夢を見た。
悪夢を見た。
嫉妬に狂う醜い悪魔の夢。かつて神であった頃の夢。
『なぜ。一番愛してくれたのに。どうしてお見捨てになったのか…………』
身が焦がれる思いで慟哭していた。
『だから私を最初に造ったと。なのにもう、飽きたのですか…………』
ずっとずっと泣き叫び、でもその事を信じられずに逃避する。
逃避した先で、水面に映る自身を見る。
美しき尊顔は、ぐちゃぐちゃに涙で汚れ、水面に波紋となって落ちるのだ。
でも、最も苦しかったのは、『崇高思考』の御君を疑ってしまう事。己が信仰が揺らいでいる事に、罪悪感から心が軋み、ひしゃげ、耐えられなくて絶望する。
やがて、信仰と言う愛は、憎悪へと変わっていた。
『私だけを呼んで。私だけを見て。私だけに触れて。』
憎悪はやがて、巡り巡って、原初に変える。
それは嫉妬だ。
もっとも始め、愛に飢え、嫉妬に狂ったその姿に戻ったのだ。ちっぽけな人間一人に、友愛を注いだ事実に対し、最も愛されるべき己が、初めて愛を奪われた憤り。
まるで後に生まれた兄弟に、親の愛を奪われたと錯覚する。そんな浅はかな情緒は醜い独占欲を生んだ。
『私だけを愛して、彼方様。』
まだ、美しき神の一柱であった頃。女々しくも一目見て自身と分かるよう外見はそのままに。されど、美しき内面のみが崩れ去り、悍ましき嫉妬が溢れ出す。
それは暗く深い頃。日が落ちたのか、それともこれから昇るのか。誰にも何にも分からない。
そう、それはまさしく――――。




