第二〇話 さたでいと古い記憶 四守隼視点
猫を飼っていた。
故郷においてきた、名をさたでいという。
黒いさわさわした毛並みで、まん丸い黒い目をいつも輝かせていた。
座っていると、いつもちょこんと、胡坐の真ん中に当たり前のように座ってくる。
昔、家を出て荒れていたときに、後ろをちょこちょこ付いてきた野良猫だ。
その日は土曜日で、遠くの親戚のおじさんが使う言葉から「さたでい」という名前をつけた。
飼い始めたのはなんとなくだ。
よくいる黒猫なはずなのに、どこか特別な、ちょっと違う感じがしたからだ。
よく、何もない空間を見つめ、ひとり、いや一匹、納得したような大人びた顔をすることもあった。
かと思えば、急に甘えたいようににゃあと鳴き、ちょこんと座って腹に顔をこすりつけ、気づいたら寝ている。
さたでいと寝ると、よく眠れた。
夢見が悪く、寒いときに嫌なことを思い出すことがよくあった。
そんなときは、さたでいを抱きしめて寝た。
初めて会ったとき、そっと腕を撫でられて振り返ったとき驚いた。
「さたでい」
目の前の少年に、無意識に声がでた。
生死を扱うこの戦場に、自分より八つ小さな子供がいた。
黒いさわさわした髪に、丸い瞳。庇護欲をかきたてるような小柄。
「守る」という言葉がよく似合う容姿だった。
俺は、男には興味ない。
だが、女顔のこいつは、この女っ気のない職場では、ほかの部隊員からそういう目で見られていた。
こいつは、鈍感なのか、それとも気づいて鈍感を装っているのか、よくわからない。
でも、気にせず振舞っていた。
馬鹿なのか、それともそれも計算しているのか、よく分からなかった。
―― 「好きなだけ撫でて」 ――
そう言われたときは少し戸惑ったが、それでも頷いたのは、恋愛うんぬんの感情より、さたでいといたときのことを思い出したからだ。
少し考えて、頷いた。
少年――日向は嬉しそうに笑って、当たり前のように頭を差し出した。
さたでいみたいだ。
頭を撫でると、少し驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに、無防備に笑って、目を閉じた。
無防備。
それが、自分に向けられる信頼だと嬉しく思う反面、どこか残念な、負けたような気にもなるのは、おかしい。
こいつはさたでいだ。
男に興味はない。
そう言い聞かせて、少しずつ温かくなってゆく季節のなか、いつもより温かい日向を抱きしめてよく昼寝をした。
そういうときはびっくりするほどよく眠れた。
なにか、昔の夢を見た気がする。幸せな夢。
ほっこりと、心を温める優しい思い出だ。
昼寝から起きた時、腕の中に、さたでいが眠っていた。
幸せそうに、なんの苦労も知らなさそうな、心を温める表情で、そいつは眠っていた。
白い頬に赤みがさして、閉じられた両目尻には花のような模様のあざがある。
それをすっと撫でて、ふっくらした頰を撫でた。
こいつはさたでいではない。
苦労をして、命を狙われて、それでも生にすがって、ここで生きている。
おれが守るほど、守れるほど弱くない。
明るい笑顔の底に、能天気の底に、深い影がある。
白だけじゃない、黒だけじゃない。
無垢でもない。
ふと、時折、儚げな大人びた表情でどこか空を見ることがある。
それが、さたでいに酷く似てる。
でも、こいつは、日向だ。
人間で、人間ではないなにかを混ぜた、おれが逃げた「それ」だ。
おれが家を出る原因になった存在と同じ。
おれが、拒否した存在だ。
そして、おれと同じ、完璧でないものだ。
初めて日向が「それ」だと気づいたとき、驚いたが、それよりもため息が出た。
どこまで行っても、逃げきれないんだと。
東北州を離れるとき、ばあちゃんが無理矢理持たせてきた「それ」のための様々な道具が、これからもしかしたら必要になるかもしれないと思った。
苦しむ日向を見て、同情もした。
でも、最初は本当に何も考えてなかった。
かわいそうだから同僚として接する。それだけだった。
家系の使命感など微塵もなく、日向をただの友人として義弟として接する。
考えるのは苦手だから。
色んなものから逃げたから、いま自分はここにいる。
無駄なことは考えない、考えても仕方がないことの方が多いから。
自分には、正解がわからないから。
でも、ここまで深く関わってしまった。
契約を破るぎりぎりまで日向に伝えるほどには。
きっと、正解ではなかったんだろう。
まだ息苦しさが残る怠い身体に、深いため息をつく。一週間は倦怠感が続くだろう。
腕の中で眠る日向を見下ろして、御守りを編む手を止めた。
でもきっと、間違いでもなかった。
結局、ばあちゃんの「いつか必要になる」という言葉通りになった。
いま、「それ」の日向のために、忘れかけていた御守り作りを再開し、もう一生使うことのないと思っていた十連結びを思い出した。
切れた御守りを見る。
緻密に丁寧に編まれた渦巻きの御守りからは、司という守人の想いが伝わってくる。
日向はきっと、とても大切に愛されていたんだとわかる。
おれは、守人でも、尚且つ日向の守人でもない。
だから、自分の作った御守りがどこまで効果があるかなんてわからない。
自分はそこまで器用じゃないし、十年以上も作っていない。
それでも、少しは、同僚として、義兄として……友人として日向を想う気持ちを込めて作る。
そうか、兄貴や姉貴たちは、こういう気持ちで作ってたのか……。
「それ」を思い出して、ゆっくりと目を伏せた。
あいつは、元気でやってるのか……。
閉じ込められて、全てを監視されて、制限されたあいつ。
逃げよう、と、自由になれ、と言ったとき、あいつは――
「ん~、肉……」
腕の中で身をよじる日向を見て、身体の力が抜けた。
なんだか、どうでもよくなった。
考える、という慣れないことをしたせいで疲れた。
考えるのは苦手だから。
自分には、正解がわからないから。
日向には日向の考えがあって、ここにいる。
おれは、おれの意志でここにいる。そして、日向のために御守りを作る。
それだけだ。
どうせ考えたってわからない。
完成した首用の御守りを、日向の首筋に当てる。
相変わらず凹凸のない喉に、細すぎる柔らかい身体。
もしかしたら女なんじゃないか、とたまに思う自分は、たぶん疲れている。
腕の中で眠る日向を抱きしめた。
いまだけ。
こいつの抱えるものが多いことは知っている。
そして、こいつを抱えるものが多いということも。
手首と足首についた渦巻きの御守りを作った司という日向の義兄。
首元に痛々しいほどの痕をつけた四番隊長。
日向の保護と監視をする桜屋敷副隊長。
他にもきっとたくさんの奴が、日向を想って、利用しようとしてる。
いまだけだ。
腕の中に閉じ込めて、守るように、だれにも取られないように。
そんなことは無理だと知ってるのに。
「なあ、せめて、長く生きろよ」
できれば、自由に、何にも縛られずに、お前自身の好きなように。
柔らかい頬の花の模様のあざを撫でる。
こいつは、さたでいじゃない。
知ってる。
さたでいに似てるだけ。
さたでいには抱かない、他の人間には抱かないこの気持ちに自分が気づかないように。
気づかされないように。
日向が眠っている間だけ、自分の想いに封印をするように、その額に唇を落とした。
叶わないと知っている。
日向は、「あの人」のものだ。
だから。
だからこそ。
御守りで隠れる首筋に、自分の痕を残した。
きっと、数日後には薬できれいに消えている。
だれにも見られることのない自分だけが知ってる痕。
寝息をたてて眠り続ける日向に、自分の模様の入った御守りをつける。
四角と三角の幾何学模様、「四守家」の守人の文様。
「……」
でも、その上から、今日切れた渦巻き模様の御守りをつける。
同僚の変人研究者は、新しい模様の御守りを見たら必ず問い詰めてくる。
自分が守人だったということはこれから誰にも言うつもりはない。
「早く戻ってこい」
日向の守人にため息をつく。
手首と足首用の御守りは、明日作ろう。
道具を置いて、いつも通りの渦巻きの御守りを首に巻いた日向を見る。
自分のつけた痕も、自分の作った御守りもない。
いつもの日向を抱きしめると、腕の中でふふっと笑い声が聞こえた。
驚くも、すぐに寝息が聞こえて、息を吐く。
少しだけ寝るか。
起きたら、いつもみたいに不機嫌な桜屋敷副隊長の元に送ればいい。
今日は、少し疲れた。
畳の上で、日向を抱きしめながら横になり、目を閉じた。
せめて、寝ている間だけでもただの本当の能天気でいてくれ。
お前には、抱えるものが多すぎる。
無理だってわかってるから、いまだけ。
言葉にもならないようなあやふやな感情は声に出しはしない。
最後に、黒いさわさわした髪に唇を落とす。
夢を見よう。
こいつと眠るときは、いい夢しか見ない。
そうだ、こいつはさたでいだ。




