第二十一話 楓の過去と日向
「桜屋敷副隊長おはようございます」
「おはよう、楓」
寝ぐせのついたぼさぼさの日向と、いつもの眠そうな隼が二人して楓の部屋の扉を叩いた。
「……おはようございます」
楓は完璧なる無表情でそう返すと、日向の腕を掴んで部屋に放り込んだ。
「次から、泊まる時は私に事前に連絡をいれてください」
そう隼に告げるとぴしゃりと扉を閉める。
そして、しかめた顔の楓が部屋にころがった日向を睨む。
「あんさんに昨日言ったよな、とにかく些細なことでも報告しろと」
「ごめんって、気づいたら寝ちゃってたんだよ」
楓はため息をついて、日向の首元を見る。
「御守りは……もう新しいもんはないんか?」
昨日はずしているところを見ていた楓は、また赤い渦巻き模様のついた御守りをつけているところを見て眉をひそめた。
「あー……うん、まあ」
隼が作っていることは言わない方が良いみたいだ。
昨夜を思い出して、日向の気持ちがしずむ。
あのまま寝ちゃったけど、朝起きたら隼はいつも通りだった。
「日向」
あ、この声は怒ってるやつだ。
日向は起き上がって正座をする。
「これから、柴波には近づくな」
「は? なんでそこで柴波さんが出てくるの?」
顔を上げて、楓の表情を確認するが、無表情は何も映していない。
「これ以上お前の悪評を増やすのは得策やない」
「え、そんなぼくの評判悪いの?」
楓はジトっと日向を見下す。
「……最悪やな」
日向はため息をつきながら、肩の力を抜いた。
「じゃあ、もういいじゃん、すでに最悪なら、どれだけ悪くなっても変わんないよ」
へっとふくれっ面をした日向を、楓はギロッと睨む。
「わたしに関わる」
「……」
「柴波との接触はやめろ」
冷たい声に、日向は首を横に振った。
「それはむり」
頑なな日向に、楓の眉が寄る。
「……なあ、日向、お前の保護者はだれや?」
楓の眼が鋭く射抜く。
日向は睨み返す。
「楓だよ、でも、楓全然かまってくれないじゃん」
楓は心底面倒くさそうに顔をしかめる。
「頼まれてもあんさんの相手なんぞしたない」
うじ虫を見るような目で首元を睨む楓に、日向は勢いよく首を横に振る。
「違う、こういうのじゃなくて、普通にお茶屋いったりさ!」
じろっと睨まれて、楓は資料をもって盗聴部屋へひっこんでしまった。
ちぇっと肩をすくめて日向は午後の訓練のために準備を始めた。
「訓練、覚えること多くて大変だぁ」
午後の訓練を終えても夏の夕方はまだ明るい。
訓練でへろへろになりながら、楓の部屋を通って自室に向かいながら言う日向を、楓が一瞥した。
「日向、このあと暇か?」
「え?」
自室の襖を開けようとした手が止まった。
「え、暇だけど?」
心底不思議そうに楓を振り返る日向。
「なら、少し付き合え」
そう言う楓は、心底面倒くさそうだった。
パァッと顔を輝かせた日向は、満面の笑みでうなずいた。
「わかった! どこ行くの?」
「道具屋」
そう言って盗聴防止部屋に入っていった楓の背中に、にやける顔を抑えられない。
楓から、初めて誘われた!
「やったー!」
両手を上げて飛び跳ねる日向に、顎で示す。
「汗臭いから、着替えろ、準備できたら呼べ」
「はーい!」
外に出るだけで汗をかく七月の下旬は何度着替えてもすぐに服がベタベタになる。
汗っかきの日向は身体を拭いて、薄い上衣を着て黒い刀を持つと、財布を懐にしまって楓の部屋に戻った。
「行くぞ」
鎖鎌を携えた背中を追いかける。
もう随分慣れてしまったその背中に、一瞬だけ足が止まった。
司……。
昨夜、隼から聞いた話は、心の奥にしまっている。
隼とは何事もなかったかのように普通に会話ができた。
隼はきっと、聞かれたら言える範囲で答える覚悟はしてたんだと思う。
刺青の色は濃いままだったけど、訓練中も苦しそうな気配はなかった。
司は、いまどこにいるんだろう。
留学するという話に、何を学びに行くのか聞いたとき司は答えた。
―― 「治せないものを治すための医療だ」 ――
その表情が、ひどく悲しそうな笑顔で、それでいて、絶対に曲げない信念が、こそに感じられた。
日向はもうなにも言えなかった。
司は、なんでわたしに、わたしが『なんなのか』教えてくれなかったんだろう。
どんどん遠くなる背中は、振り返ることはない。
もうすぐ司と離れて四ヶ月が経つ。
手紙は二回目からもう二ヶ月もこない。
あのいつだって日向を振り返る司の背中は、いまはない。
はやく、はやく帰ってきてよ。
「日向」
振り返って声をかける桜銀色の髪が目に入って、はっとする。
「まってよー」
日向は急いでその背中を追いかけた。
「いらっしゃいませ」
やってきたのは城下町から少し外れた、人通りの少ない路地にある小さな道具屋だった。
「なんか、楓がこういう生活感あるお店にいるの変な感じ」
少し古びた道具屋には、様々なものが棚に並んでいた。
あまり足を踏み入れたことがない日向は、きょろきょろ周りを見渡しながら楓の後ろをついていく。
「いつもの砥石を」
「かしこまりました」
周りには様々な武器やそれを手入れする部品などが売られていて、興味深くあたりを見回していた。
すると、すぐに用意ができたようで、会計を済ませた楓がすぐに店を出てしまう。
「え、これで終わり?」
目を見張って楓の顔を見上げると、面倒くさい、と思いっきりかいてあった。
「こっちへ来ぃ、散歩や」
そう言って、楓は郊外の山道へ歩き出した。
日向の顔がぱぁっと明るくなって、嬉しそうに隣をついていくのを、楓は無表情でちらりと確認していた。
少しの間、山道を静かに歩いていると、近くの寺が見えた。
その寺からは川を見下ろすことができる。
「ここで、ひとやすみしない?」
日向が寺の近くにある長椅子を指させば、楓は、ええ、と頷いた。
今日はやけに優しい。
緑の多い町の隅に置かれた忘れられたような長椅子に座り、日向はもってきていたお茶をのむ。楓にはもちろん断られた。
ふと、息をついて、静かに眼下に流れる川を見ていると、楓が口を開いた。
「あの神守という男は、いつ帰ってくるんや」
「一年後には戻るって言ってたよ」
あと、半年もある。
「連絡をとる方法はないんか」
「司から送られてくる伝書鳩に返事を書くしか方法がないんだ、留学先も教えてもらえなかったし」
しょぼんと肩を落とす日向に、楓は、そうか、と小さく返事をする。
「ねえ、楓に兄弟はいないの?」
日向は話題を変えるように首をかしげる。
緑の映える空は少しずつ茜色に染め変わっていく。
「……兄が、一人」
また空を見上げながら呟く楓。
春に桜を咲かせていた緑の大樹。人々の記憶からどんどん桜の美しさは消えてゆく。新緑を愛でる記憶にゆっくりすり替えられる。
「楓のお兄さんのこと教えてよ」
楓は何の反応も示さない。
「ぼくには司がいるけど……血のつながった兄弟がいないんだ、たぶんだけど。ずっと兄弟に憧れててさ、だから楓の話を聞きたい!」
楓はふっと笑った。
「そうやな、今は気分が良い」
楓は目を伏せ、温かい日差しを十分に受けながら、過去の幸せの記憶を手繰り寄せた。
今からちょうど一〇年前。一八八五年、丁度『愛知中立国宣言』が配布された初夏のころ。
楓が七歳、兄の柊は一二歳だった。
楓は京都に家族四人で住んでいた。
「兄上! 今日もお稽古してください!」
仕事から帰ってきた柊に、いつも通りとびつく。
様々な仕事をこなす両親はあまり家に帰ることはなく、楓と柊は日々仕事と勉強、稽古をしていた。環境だけはとてもよかった。
銀に光る癖毛の楓の髪を、いつもくしゃっとなでる柊は、同じ銀色の長い髪を後ろで束ねている。女性と間違われてもおかしくないほど綺麗な顔立ちの柊。仕事の関係もあり、いつも外に出る時は顔を隠している。その布を外しながら柊は微笑んだ。
楓と共にいる時だけ、その顔を隠す布をはずす。楓だけには外も中も素顔を見せる。
二人は毎日共に生活し、これほど仲の良い兄弟はないというほど、互いに信頼し合い、支え合い、固い絆で結ばれていた。
「はいはい、元気なのはええけど、しっかり鎌の刃に当て布してくださいな」
柊は抱きついた楓を持ち上げて横に置くと、縁側に移り、大鎌を置いて髪を結びなおした。
稽古中も本物の鎌を使う二人。その刃は岩をも簡単に切り裂くことのできる切れ味。代々伝わる大鎌を操る柊。楓はもう一つの中型の鎌だ。
「はーい! 兄上、いきますよ!」
自分の体より一回り大きな中型の鎌を、小さな体全身で操る。楓の力は七歳とは思えない程に強かった。しかし、柊は髪を結びながらでも簡単に避けてしまう。
「楓はいつも突進してばかりで、学習しませんね」
髪を結び終え、楓の一振りを軽やかにかわし、縁側に置いておいた大鎌を掴む。
兄の柊は一二歳にして京都で五本の指に入るほどの武力の持ち主だ。
柊が大鎌を構える。その刃には楓の数倍の当て布。柊の攻撃はほぼ楓に当たるからだ。柊の全く無駄のない美しい動き。目でとらえることのできない素早さ。
楓は必死で抵抗するが、柊に鎌が当たる前に、自分が攻撃をくらう。
「兄上は背が高いし、鎌も大きいから、ずるです!」
楓が攻撃を繰り出しながら頬を膨らませる。柊が肩をすくめて微笑む。
「水まんじゅうのような顔になってるよ、楓」
よりふくれる楓。
「兄上はいつもばかにする!」
楓が地面を蹴る。遠心力を使って素早く鎌を柊の首元を狙う。
しかし、猛スピードで近づいたはずの柊は目の前から消え、空を切り裂いた瞬間、自分の首元に大鎌が当てられる。
「だから、少しは学習しなさいって」
ため息をつきながら首元から刃を離す。気配すら感じさせない動き。
「私たちが戦う時は、静かに、音を立てないことを意識しなくては、仕事にならないよ」
楓はがっくり首を垂れた。
「生まれて一度も勝ったことがありまへん。兄上に勝つにはどうすれば良いん?」
のんびり縁側に戻る柊。
「私が風邪で寝込んでいるときでも勝てなかったからね」
楓は舌を出す。
「そうやなあ、たくさん戦うんやな。色んなものを見て、勉強し。まあ、とりあえず突進はやめはることやな」
むっとして、庭に立ったまま、縁側に座る柊を睨む。その時やっと柊の服装を見る余裕ができた。
「あれ、今日は軍服ですか?」
柊は今頃気付いたのか、と呆れた顔をする。
「仕事でね、私は着物のほうが落ち着くんだけど、時代は変わってきてるからねえ」
軍服の白い帽子を頭に乗せ、ニコッと微笑む。
「似合っとりますか?」
楓は柊のその姿を見つめ、息を飲む。
初夏の日に当たった柊の姿はまるでこの世の者とは思えないほど美しかった。
見とれた自分に悔しさを感じ、柊のもとに走ると、その帽子を奪った。
「似合ってまへん、ぜんぜん似合ってまへん」
柊の膝の上に乗り、帽子で遊ぶ。
「こらー、帽子を汚すんじゃないよー」
のんびりした柊の声。二人は笑いながら帽子を取り合う。
晴れた日の昼下がり。楓の一番幸せだった時。
こんな幸せがずっと続くと思っていた、そう信じていた。
「わたしががまだ、一〇歳の頃、『大京戦争』が終わりはった。わたしの家は庶民やけど、たまに皇族に関係する仕事もしてた。親は有能で、兄の柊もすごい人やった」
楓の瞳が優しく細まる。本当に兄や両親のことを尊敬しているのが伝わってきた。
目を伏せ、楓は思い出した。
――兄の柊は不思議な人だった。
優しいながらも絶対に揺らがない。
柊は誰よりも勤勉で、賢かった。
『俺はこんな狭い世界で生きて行くなんて考えられないなあ』
縁側で並んで会話した。
『兄上ほど強くて賢い人はいないのに、兄上は贅沢ですね』
むっと頬を膨らませる楓に柊は笑った。
『はは! 贅沢か、確かにそうかもしれへんな』
誰もが羨む生活をしているのだって自覚していた。
『いつか楓と巡って見たいなあ。
楓は嬉しそうに目を輝かせた。
『いつか、山のような雪を見てみたいです』
『東北か、北の雪は優しいんだよ』
『優しい?』
『こっちの雪みたいに重たくないんや』
『へえ、そうなんですか!』
楓は無垢な目でただ柊を見つめていた。――
眼を開き、昔の記憶をゆっくりしまう。
「わたしは、兄上が大好きやった。よく、世界の話をしとった」
楓は遠くを見るように眼を細めた。
「いつか、北の柔らかい雪を見ると約束した」
本当の楓を見ているような気分だった。いままで見たことのない優しい眼をしてい。
「でも……大阪軍は京都御所……帝様の住む敷地に火を放った」
肩がかすかに震えているのが分かる。
こんなに感情的な楓は初めてだ。
「帝様はお亡くなりになられ……生き残った関係者は全て公開処刑」
日向は楓を見るのをやめた。
「楓、ごめ――」
「両親はそこで火あぶりに、兄上は……首を斬られました。」
淡々と、まるで教科書を読んでいるような、感情を全て殺した楓を見るのが、本当に辛かった。
「わたしは、一人、逃れることができました。」
そう言って、楓は長椅子に立て掛けた鎖鎌をなでた。
「そう、それで、この大鎌だけなんや」
「え?」
思い出したように楓が言う。
「兄上の、家族の形見……家は、全て燃やされてしまったから」
先ほど、鎌の手入れをするための道具を買っていたのを思い出す。楓はいつも大鎌をもっている。
日向には、いままで楓がどんな生活を送ってきたのか分からない。
「楓、その」
なんていえばいいのか分からない。
こんなにも楓のことを知ることができるとは思っていなかった。
なんで、楓がこんなにも話してくれたのかも。
「わたしはただ、大阪が憎い、憎くて仕方がない」
日向はただそんな楓を黙って見つめることしかできなかった。
親や兄を殺した大阪国で、我慢して働いてきた楓。
大阪国に殺される危機を逃れるために愛知に来た楓。
いつも感情を読ませない無表情でいる楓。
大鎌という武器しか残されずに一人生き残った兵士。
「まあ、だから、わたしはあんさんを最後まで有益に使わせてもらう、それだけや」
さっきまでの話を忘れてしまうほどに、軽くそう言うと、楓は長椅子から立った。
「これだけわたしのことを話したんや、思い出したら、ちゃんと聞かせろよ」
ふっと笑った楓に、ようやく、日向はぱっと立ち上がって、うなずいた。
「わ、わかったよ、思い出したら楓に全部話すよ!」
「約束や」
「うん、約束!」
紺色に染め上げた空の下、日向は楓の隣を歩いて、そして、その存在が闇に溶けてなくなってしまわないよう、楓のことをじっと見上げた。




