第十五話 御守りとピアスの穴
かつ丼を食べ終える頃、いくつかの大きな木箱を漁っていた隼が、長方形の小箱を二つ出して机の上に置いた。
一つの長方形の小箱の中には、鉄のコの字に、針が刺さっている機械とたくさんのピアスが布に刺さっていた。
もう一つは、ペンチやカッター、接着剤などが入った工具入れだった。
「あ、ピアス!」
「穴、あけるだろ?」
「すごい、覚えてくれてたんだ、ぼくはすっかり忘れてたよ」
食べ終わったお盆を端によせて、隼のあぐらの中に潜り込む。
再び、隼の大きな手が日向の頭を撫でる。
日向は少し高くなった目線から、ピアスの入った小箱を見た。
「すごいね、こんなにたくさんピアスもってるんだ」
三十組以上の、三角や四角などのシンプルなデザインから、木の葉のような凝ったデザインなど、様々なピアスがある。
隼を見上げて、その耳に手を伸ばす。その大きな耳には黒い三角や四角のピアスが、耳たぶには大きな穴を囲うようなピアスがはまっていた。
その穴に人差し指を恐る恐る通しながら聞く。
「隼、たくさん耳に穴空いてるけど、痛くないの?」
「ん」
「……どうしてこんなにあけたの?」
「お前くらいの年に、ちょっとやんちゃした」
「隼のやんちゃが底知れない」
日向の顔を下げさせて、頭を撫でていた手が、日向の耳に触れた。
「小さいな」
小さな耳たぶを引っ張りながら、隼が呟いた。
「隼がでかいんだと思うだけどね。ぼくの身体全部、隼の三分の一の大きさだと思えばいいよ」
隼の背中にもたれながら、肩を竦めて言う。
「三分の一……」
ふにふに、と耳たぶを触っていた隼の手が、するり、と日向の後ろ首に移った。
「細い……」
片手で日向の後ろ首を掴んだ隼の指は、首の前でくっつきそうだった。
気にすることもなく、たくさんのピアスをいじる日向。
隼の指が、日向の首に巻いてある、黒地に灰色の渦巻きが描かれている布を撫でる。
「……これは?」
「御守りだよ、さっき言った司が作ってくれたんだ。司はぼくが欲しいものをいつでもくれちゃうんだ」
ふふっと司の自慢をしながら笑う日向に、隼の指が止まる。
「……御守り?」
「うん、これがあれば、阿修羅の力が制御しやすくなるんだ、すごいよね。この灰色が赤になったら交換しないといけないんだけど……よくわすれちゃうんだよね、隼も気づいたら教えてくれたら助かるよ」
自分の首元を撫でながら、日向が苦笑する。
ピクッと隼の指が動いた。
「……簡単に、自分の情報や弱みを晒さない方が良い」
隼の声が、いつもより低く響いた。
「隼?」
日向の細い首を掴んだ指に、少し力が入った。
「おれは、いま、お前を殺せる」
隼の声には、感情がなかった。
日向の肩が驚きに、少しだけ跳ねた。
でも、ゆっくりと目を伏せて、隼の指に両手を添えて、深く隼にもたれかかった。
「ふふ、ぼくは馬鹿だけど、兄を警戒するほと野暮じゃないよ」
そう言って、笑いながら隼を見上げる。
「……」
隼はいつもは眠そうな眼を見開いて、少し固まった後、深い深いため息をついて、日向の首から手をはなした。
そして、日向の顔を下げさせるように、頭をぐりぐりと撫でた。
「ああ」
そう小さく納得するように呟いて、日向の頭に顎をのせると、両腕を日向を包むように回した。
「それに、隼がその気になってれば、もっと早くにぼくを殺せたでしょ?」
さらっと言う日向に、隼は頭の上で頷いた。
「……その御守りを作ったやつは、いまどこにいるんだ?」
「司? ……昨日、留学に行っちゃったんだ」
寂しげに言う日向に、隼の身体が固まった。
「……どこに?」
「分かんないんだ、教えられないんだって。一年後に戻ってきてくれるんだけど……結構寂しいね」
「……そいつに、家族は?」
突然、焦燥感を滲ませた声で問う隼に、日向は驚いた。
「二年前に亡くなっちゃったんだ……う! 隼、苦し」
隼の背後から抱きしめる腕に力がこもった。
「は、隼?」
返事のない隼を見上げようとしたとき、隼の声が耳元で低く響いた。
「御守りを変えるときは、おれがつける」
突然雰囲気の変わった隼に、驚きながらも、つとめて明るい声をかける。
「え、つけてくれるの? ありがとう! 結び方がちょっと難しいんだけど、また今度教えるね!」
「……日向、本当に危なくなったら、おれのところに来てくれ」
どこか悔いるような、苦しさを滲ませた声に、日向は隼の考えがよくわからなかった。
苦笑しながら隼の腕に手をのせて、ひとつだけ頷いた。
「隼は優しいね、ありがとう」
少しの間、日向の肩口に顔を埋めていた隼は小さく首を横に振って、ようやく苦しいくらい強く抱きしめていた腕をふっと緩めた。
「隼が馬鹿力なのはすごいわかった」
ぽんぽんっと隼の腕を叩く日向の頭をぽんぽんとなでる隼は、悪い考えを全て吐き出すように、深い深いため息を吐いた。
それから、先ほどと同じように日向の頭を撫でるのを再開した隼の優しさに、日向も力を抜いて甘えることにした。
「あ、これかっこいいね」
ピアスを眺めて指さしながら言う日向に、隼はいくつかのピアスの針部分を眺めて、一番細いものを選んだ。
「日向、通信機あるか?」
「うん、もってるよ」
お風呂セットの上に置いてある若葉色の羽織の内ポケットから、通信機を取り出して、指定席に座る。
ガッ 隼は、ピアスの細い針の部分と装飾品の部分を外した。
「え?」
「かして」
差し出された隼の手の上に、呆然としながら一センチ角の黒い薄板を置く。
隼は工具箱から接着剤を出して、通信機とピアス部分をくっつけた。
「ん」
ピアス型通信機になったものを差し出されて、日向は唖然としたまま隼を見上げた。
「え、いいの? 壊しちゃったし、貰っちゃって」
「ん」
「いや、ダメだよね! そのピアス、輸入品でしょ? めっちゃ良さそうなやつだったじゃん! もらえないよ!」
艶や細工まで品質の良いピアス部分を見るからに、愛知国では見られないものだとわかった。
慌てる日向に、隼は首を横に振る。
「もう使ってないから、大丈夫だ」
「いや、ぼくが大丈夫じゃないよ、お金そんなもってないから、うう、なにを返せるかな? ぼく、隼に貰ってばっかりだよ。なにか隼に返したい!」
「別に、いい」
眠そうな目で、気にしない、と首を横に振る隼。
「ぼく、最初に言ったよね? 隼と対等でいたいって! もらってばっかりは嫌なんだよ。隼はなにか欲しいものある?」
見上げた隼は、少し考えるように眉をよせて、それから、すっと目を逸らした。
もう何度か見たその仕草に、日向は苦笑した。
「……猫」
実家で飼ってたさたでいを思い出したのだろう、ふっと柔らかく目尻を下げて、恥ずかしそうに言った。
「……ごめん、この寮、動物禁止なんだ」
「……ん」
少し間を開けて、眉を下げて頷く隼に、日向は慌てて、その隼の手をつかんで自分の頭にのせた。
「えっと、ここにいる間は、ぼくを好きなだけ撫でて! さたでいじゃないけど、ぼくも撫でられるのは嬉しいから! それから、今度、よく行くお茶屋の看板猫を紹介するよ! ダンゴっていう、三毛猫なんだ。好きなだけ撫でれるよ」
元気付けるように、隼を見上げると、ふわっと嬉しそうに目を細めた。
「ん」
満足そうに日向の頭を撫でて片方の腕を日向のお腹に回すと、ゆるりと抱きしめてくれた。
なんだかいいことができた気分だ。
日向も満足げにもたれた。
「あけるぞ」
日向の耳たぶをぎゅーっと強く押して、感覚が分からなくなったとき、隼が鉄のコの字の機械を日向の耳たぶにあてた。
「うん」
緊張しながら、身構える日向の耳に、 ガンッ と大きな音が響いた。
「ひっ!」
音に驚いた日向の肩をぽんぽんっとたたいて、耳に布を当てる隼。
「痛いか?」
「んー、そんなに」
「ん」
今日の訓練の時の傷みに比べれば、大抵の傷はかすり傷だ。
血が止まり、布を外して、新しい穴に通信機をつける。
「毎日少し動かせば、たぶん、穴は塞がらない」
「ありがとう!」
憧れのピアスが、右耳についてることに、日向は興奮気味に笑顔で隼を見上げた。
「ん」
満足そうに頷く隼。
日向は、右耳に手をあてて、そっと目を閉じた。
これで、また一歩、名隊に近づいた。
嬉しいはずなのに、そこには不安のほうが強くて、苦しくなる。
日向の頭をぽんぽんっと撫でる隼は、いつもの落ち着いた声でささやいた。
「よく頑張ってる」
その優しい声に、日向は俯いて、体を隼にあずけた。
「ぼくね、隼がいて、良かった」
敵ばかりの名隊に、こんなにも温かくて優しい人がいた。
兄と呼べる人がこんなに近くにできた。
司に会えなくて不安でも、心配してくれる仲間ができた。
「ありがとう」
「……ん」
隼は言葉は少ないけど、その分すごく優しい。温かい。
日向はそんな温かさに、ほっと息をついて目を閉じた。
さたでいに似た日向を撫でてると、寝息が聞こえてきた。
「ん」
肩を叩いて起こしても、全く起きる様子がない。
仕方がなく、日向を俵のように脇に抱えて、日向の荷物を持つ。
(副隊長の部屋で、合ってるよな?)
日向を呼びに行くときに、何度扉の名前を見ても日向の名前がなかった。
副隊長に場所を聞けば、部屋から荷物をもった日向が出てきた。
そういうことなんだろう。と納得して、隼は副隊長の部屋を再度叩いた。
「桜屋敷副隊長、五番隊の四守です。朝日奈を連れてきました」
声をかけると、すぐに扉が開いた。
「よく運んできてくれました。この部屋のことは他言無用で」
日向を渡すと、副隊長は一瞬、眉を潜めたがすぐに無表情に戻って、日向とその荷物を片手で抱えた。
「では、失礼します」
すぐに締められた扉に、日向は明日、副隊長に叱られるんだろう、と思いながら部屋に戻る。
ふと、先ほどまで日向を抱えていた手を見て立ち止まる。
あぐらの上にのせたときも、さっきもそうだった。
日向は、軽くすぎて、柔らかすぎる。
本当にさたでいを抱えているような気分だった。
隼は首を横に振って、再び歩き出した。
考えるのは苦手だ。
だから、いま自分はここにいる。
だから、無駄なことは考えない、考えても仕方がないことの方が多い。
自分は、だいたいいつも、正解がわからないのだから。
隼は特技の思考放棄をして、部屋に戻った。
かつ丼の香りが少し残ってる部屋に、ふっと苦笑して、小箱を片付ける。
無意識のうちに左手の襖を見ていて、襖の奥に詰めた木箱を思い出して、眉をひそめる。
(……本当に、ばーちゃんの言う通りになった)
自分には、正解がわからない。
だから、余計なことはしない、問題からは離れて生きると決めた。
考えなくていい場所で、現場では命令に従って、たまに猫を撫でる生活ができたらいい。
そう思って、自分はここにいる。
隼は首を横に振って、木箱だらけの部屋に布団を敷くと、新しくできた弟を思い出し、少しだけ口の端を上げて眠りについた。
楓は、肩に乗せた日向を、日向の部屋の敷いたままになっている布団の上に放り投げた。
勢いよく落ちても、ぴくりともしない。
死んだように眠っている。
でも、日向の心臓は動いていて、呼吸は続いていて、目を閉じた頰には赤みがさしている。
日向は生きている。
少し赤くなった右耳に、通信機がつけられている。それを見て、昼間に聞こえた、楓、という声を思い出した。
眉を潜めて、日向が生きているのをわざわざ確認する自分の頭に苛立たしくなって、荷物を乱暴に置くと、扉を閉めた。
「面倒くさい」
そう呟いて、盗聴防止部屋に戻って、書類の続きにとりかかった。




