第二節 強くなる時③
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7/11 脱字修正
2/21 推敲に伴い旧③を③と④に分割し再編しました
一方、ギルガメシュは未だに一匹の魚も捕まえられずに苛立っていた。
(一体何が足りない? 集中力? 腕の振り? 狙う場所? 角度? 立ち位置?)
リョウとの違いは何なのか。
同じ事を繰り返さぬよう、少しずつ思ったことを試しているのだが魚にはかすりもしないのである。
「ハッ!」
渾身の一撃はしかし、空振りに終わった。
「くそっ!」
悠々と泳ぐ魚が憎たらしくてまた側の岩を蹴っ飛ばすが、悔しがっても魚は捕まらない。
深呼吸をして気持ちを入れ替え、再び視線を向けて獲物を追い始める。
すでに時刻は十時に差し掛かろうとしていた。
◇ ◇ ◇
手配書などが張り出されている衛兵の待機所の脇を過ぎ、外郭門をくぐって、駅馬車の行き交う停留所を通り過ぎたあたりでリョウは立ち止まってみた。
しかし、数歩後ろをつかず離れずのリイナも立ち止まって二人の距離は縮まらない。
正直気まずいのだが、こめかみに触れた彼もなんと話しかければいいか分からなかった。
あのお年頃の女の子がなにに興味を持つかや、どんな話題に乗ってくるかなどは父も教えてくれなかったのだ。
リイナの方は警戒心最大、敵愾心最高でいるし、信頼できる供もなしに町の外へ出るのは初めてとあって緊張感も半端ではない。
程度はともかく、そう言った心構えでいるのは貴族の娘として当然なので、いまはこの距離でも仕方がなかったのである。
(近づいてくる相手が安全かよく見極めないと……!)
王都の治安が良いとは言え犯罪件数はゼロではない。
ましてや騎士や衛兵の庇護が届かない町の外となると、言葉が通じない怪物や野盗の類が闊歩する危険地帯になる。
供もなしに外に出たなどと両親に知れたら、笑い話では済まされないことぐらいリイナにも分かっていた。
仕方なくリョウもまた歩きだし、結局サクタール河が近づくまで無言が続く。
「ほら、ギルがあそこに居るのが見えるかい?」
目を凝らしてみると確かに人影が辛うじて見えるのだが、それが兄かどうかまでは判断が付かないリイナは判らない、と後ろから声を出した。
「こんな遠くから判るわけないですわ!」
常識的に考えていただけますかとでも言いたげな声に頬をかいてしまうが、驚異的な視力のリョウにはギルガメシュの唇が紫色になっているのも、焚き火が燻っているのも見てとれるのだ。
(ずっとやっていたのか)
集中力が高まっているのか、自分の状態が分からないほど遮二無二なのかは分からない。
だいぶ冷えているようだし休ませた方が良いな、と思っていると脇をすり抜けたリイナが川岸へ走っていってしまう。
「お兄様! お兄様ったら!!!」
しかし十数メートルの距離まで近づいた妹がいくら呼べど叫べど、兄は水面を見つめたまま微動だにしない。
さらに大声で呼び掛けようと大きく息を吸い込んだ彼女に追いついたリョウはその肩を叩き、口に指を当てて小さく首を振った。
「今は駄目だ、かなり集中が高まっているんだろう。俺達の事は目にも耳にも入らないらしい」
果たしてそれは視野が狭くなっているのか。
それとも不要な情報を遮断するほど集中が高まっているのか。
周囲から否応なしに飛び込んで来る情報の取捨選択は簡単に会得できる技術ではない。
落ちる水のひとしずくを見極める集中力と、職人芸とも言える五感と脳の連携が必要になるのだ。
もしかしたら彼は、集中力に関してかなりの才能を持っているのでは。
見えるのもその副次的能力かもしれない、と残してあった木剣を拾い上げたリョウは背中に向けて投げつけた。
リイナが危ない、と言うより早く。
「!?」
真っ直ぐに飛んだ木剣は振り向いたギルガメシュの木剣によって弾かれ、しぶきを上げて水に落ちると下流へ流されていった。
「……あ?」
当の本人は何があったか分からない様子で呆けていたが、やがて緊張の糸がきれたのか極度に疲弊した表情で肩を落とし、そこでやっと妹の姿に気がついて驚いた声を出した。
「なんだリョウか、戻ってきて……リイナ!? どうしてここに!?」
「お兄様を迎えに来たのですわ!」
「迎えに? ……父上が呼んでいるのか?」
「こんなどこの馬の骨とも分からない男に教えてもらうよりも、お父様に教わったほうが何十倍もためになりますわ! お兄様はこの男に騙されているんですの!! 私と一緒に帰りましょう!!」
自信満々、自分の正しさを疑わないリイナはふんすと鼻息も荒く胸を張ったのだが。
「はは、あはははは! あははははははは!!!」
「ど、どうして笑うんですの!? 私、間違ったことを言ったつもりはありませんが!!!」
本気の警告を笑い飛ばされて真っ赤になった彼女は説明を求めたが、涙目で岸へ上がってきた兄が笑いやんだのは、それから少し経ってからだった。
「リイナはまだ子供だから、リョウの本当の強さが分からないんだよ。リョウが本気で戦ったら、おそらく父上も足下に及ばない」
「こ、これは催眠や洗脳の類!? お兄様! 今すぐ神殿に行って司祭様に診てもらいましょう!」
「僕は正気だよ」
「そんなはずありませんわ! こんな貧乏そうで地位も名誉もない顔は良い男が、お父様より強いだなんて!」
冒険者にとって財力は生死や戦力に関わる大事な要素であるが、地位も名誉も腕っ節には関係ない。
まあ分からないだろうなと笑っているリョウに苦笑いを向けたギルガメシュは、優しく言い聞かせるように説得を続けた。
「嘘じゃない。検査官に嘘発見の奇跡をかけてもらっても構わないよ」
「むーっ」
「それにリョウは父上から学べないことをたくさん教えてくれるんだ。昨日、城でもね―――」
まったく納得がいかない様子のリイナに城での一部始終を聞かせたのだが、まだ彼女は疑惑の視線を投げかけている。
「怪しいですわ! どうして昨日知り合ったばかりのフォレスト家にそこまでする必要があるのですの!? きっと裏があるに違いありませんわ!」
リイナの疑念は、もっともと言えばもっともである。
貴族は平民に施されるような真似はしない。
施すのは常に持てる者から持たざる者へであり、それが貴族の権威と立場を保つからだ。
貴族は貴族にも借りを作らない。
むしろ常に貸しを作ろうと虎視眈々としており、いざと言う時はそれを盾にあれやこれやと要求するからだ。
まかり間違って借りを作ってしまった場合は、なるべくすみやかに金品を贈答して後腐れを無くしておくのである。
「正体見たりですの、この間者めが! 潔く観念して何をたくらんでいるのか話すのですわ!」
「リイナ! 僕の話の何を聞いていたんだ! 父さんだってリョウの事を信頼しているんだぞ、怪しい奴を客として招待するはずないだろう!」
滅多にない兄の怒声にびくりと身体を震わせた妹はしかし、信用できないとの意見を引っ込めない。
「では、お兄様を鍛えて、彼になんの得があるのです?」
「そ、それは……」
「護衛として契約し報酬を支払う、シーバスのようにのちのち我が家に招き入れる、どこかの貴族に口利きする、と言うのであればまだ分かりますが」
「そんなの要らないさ。ギルと俺は友達だし」
「そ、そうだよな! 僕らはなんといっても友達だものな!」
リョウの助け船にぱっ、と顔を輝かせたギルガメシュはわっはっはと勝ち誇るが、それを見つめるリイナの横目はとても冷たい。
そんなやりとりの最中、ふと彼女の脳裏にある可能性が過ぎった。
(まさかお兄様!! 浮いた噂の一つもないと思っていたら、こういう男が好みだったとでも!?)
もちろんそんな事実はないが、価値観の異なる堂々巡りの議論の末、これまでの記憶と知識からむりやり納得できそうな答えを探すのはよくある思考の漂着である。
貴族の間にも男色家の噂が絶えない者がいたりするし、男向けの男娼も存在しなくはない。
また、そう言う書籍が地下で出回っているのも確かで、貴族学級の一部のお嬢様方の間では、ませた一人により極秘入手された『お耽美倶楽部』なる男と男の秘め事が書かれた本が回し読みされている始末だ。
「お兄様。嫡男が男色家と言うのはさすがに……」
「お前は何を言っているんだ!?」
幸いにしてリイナには波長が合わなかったのだが、まさかお兄様がという衝撃と、血筋を守らねばという義務感からつい言ってしまったら、飛び上がった兄は悲鳴に近い声をあげた。
「ギル、妹さんは兄を取られるんじゃないかって不安なんだよ。大丈夫、試験日にはちゃんと家に帰すからさ」
やり取りを見ていたリョウは君が心配するようなことはないんだと微笑んでやった。
別に他意はなかったのだが、真っ直ぐで黒々とした瞳に見つめられた彼女は子供っぽい図星を突かれた事もあって、頬を染めぷいっとあっちを向いてしまう。
それで会話が止まったので、かたかたと震え始めたギルガメシュを呼んだ彼は燻っている炭火に発火の粉を振りかけた。
これは雑貨屋などで手に入る普通の練金製品で、硝石、硫黄、木炭などを一定の比率で混ぜたものだそうだ。
火打ち石で起こした火種や燃えさしにかけると一気に燃え上がるため、着火の魔法を使う者がいない冒険者や旅人などに重宝されている。
「とにかく温まれよ、ずっとやってたんだろう」
「……は、はっくしょん!」
思い出したように大きなくしゃみをした彼が暖を取り始めると、おそるおそる隣にやってきたリイナもちょこんと隣に腰を下ろした。
リョウはと言えば、発火の粉が完全に燃え切って火力が安定するのを待つ間に野外用の小鍋を取り出している。
川の水で軽く洗い流してからミルクと蜂蜜を入れ、焚き火の真上に渡した鉄柱へかけると、すぐにくつくつと煮える音がし始めた。
「頑張るのは良いけど、風邪でもひいたら大変だろう」
「途中でそう思ったんだけどさ。もし風邪をひいたら神殿に行くか治療の霊薬貰えば良いかなと」
一応注意してみたら、しれっと答えたギルガメシュの覚悟が昨日と異なっていることに気がついた。
自分でも成長を実感できるせいか、今は修行以外を割り切ることにしたらしい。
「ほら、火傷するなよ」
「ありがとう」
「リイナ嬢は……」
「結構ですわ」
ぴしゃりと断られた二つ目のマグカップを自分の分にしたリョウは、ふぅふぅとミルク啜るギルガメシュを見つめて考える。
(さっきの動きは………)
リイナの声には全く反応しなかったのに、後ろから投げつけられた木剣には気がついた。
刹那の動き、その切っ掛けとなったのは果たして何なのか。
もしかしたら成長の伸びしろのみならず、非凡な才能が隠されているのではないか。
(気配感知なら操気技術への目覚め、音なら集中力の証、両方なら………)
三十秒ほど目を閉じていたリョウはやがて、即断せずに少し話を聞いてみる事に決めた。
「ギル。さっき俺が投げつけた木剣に反応出来たよな。何か掴めたのか?」
「ああ、さっきのか? よく分からない、身体が勝手に動いていた」
「重要な事なんだ、よく思い出してくれ。あの時、避ける事も出来たはずだ。どうして振り返ってたたき落とす事を選んだ?」
彼の真剣な声に、目を閉じたギルガメシュはうーんと思い返すと、かなり間が空いてから一つ一つ確かめるように答える。
「君の殺気は分かった。夕べみたいにあからさまではなかったけど、突然狙われたように思えて驚いた」
「木剣については?」
「……静まりかえった中、後ろから風を切る音が聞こえたんだ。君が何かしたんだと思って振り返ったら、目の前に何かが飛び込んできた。木剣に当たったのは偶然だよ」
(なるほど、ギルは極限集中持ちなのか。ダミアンは格下決定だな)
それでリョウは、彼が集中力に関して非凡な才能を持っていると知った。
訓練を積み重ねて到達する超集中の世界でなければ、雑音を遮断して必要な情報だけを感知する事は出来ない。
それを今の時点で発揮していると言うことは先天的な能力なのだろう。
どうりで吸収も早いはずだと色々納得しできたのと同時に、八日後に彼の相手をしなければならないダミアンが少し哀れになってしまった。
「昨日に比べて格段の進歩だな。明日には魚も捕れるようになるだろう」
「そ、そうか? 自分でも、少しは強くなっているかなと思うけど……」
座学はともかく体を使うことで褒められたのが初めての、しかもそれが達人からとあって口元が綻んでしまった彼は彼で、今まで誰も知らなかった自分の才能を見いだしてくれるリョウの凄さを実感してしまう。
(きっと、君が教えてくれるからなんだ)
過去の伝承を伝える詩にあった。
自分のみならず、他人の才能をも満遍なく発揮、覚醒させ、さらにはその限界すら突破させる希有な存在。
他人の運命を変えるほどの力をもち、己に降りかかる数多の宿命を打ち払い、人と大地と世界を導く存在のみに与えられると言う力の片鱗が、目の前の相手から感じられる。
彼と共に居るだけで不思議な力が湧いてくる。
激励されると強い気持ちが生まれてくる。
こんなに尽くしてくれる相手の期待に応えたいと思う。
それは決して気のせいではない、と誰よりも近いギルガメシュは思い始めていた。
そんなふうに二人が相手の才能に感じ入っていたら、のけ者はごめんですわとリイナが割り込んだ。
「お兄様。このような食べ物も満足にない場所で本当に大丈夫なんですの?」
わざわざ立ち上がって視線を遮る妹に大きく息を吐いた兄は、いい加減に分かってくれと苦笑してしまう。
普段なら懐いてくれる可愛い妹でも、さすがに最高の師の下で修行している今だけは邪魔をされたくない。
「リイナはどうしても僕を連れて帰りたいようだね」
「当っ然ですわ! フォレスト家の嫡男がこんなところでこんなことをしていると知られたら、何を言われるか分かったものではありませんもの!」
貴族の娘らしい発言に数日前だったら同意していただろう。
しかし首を小さく二度、横に振ったギルガメシュは諭すように言った。
「リイナ、いいかい? 見た目、見かけだけで判断する様な輩には好きに言わせておけばいい。もっと物事の本質を見極めて、上辺の評価に流されないように自分にとって何が大切かを選べる力を身につけるんだ」
時と場合によっては貴族としての常識を投げ捨てても良いと、今まで刷り込まれた当たり前の思考を否定する発言に目を白黒させたリイナはしばらく絶句していたが。
「で、では、お兄様には本質が掴めていると言うんですの?」
「もちろん、全部がそうとは言えない。大体、そう知ったのはリョウに出逢ってからだ。でも今は分かる。今までの僕が、どんなに世間知らずでちっぽけだったか」
「……………」
「それに僕の評判なんて今さらさ。払拭できたらそのとき、陰口を叩いていた人達は僕の行動に意味があったんだと気づくだろう」
堂々とそこまで言われた妹は説得の不可能を悟った。
今まで一緒に育ってきたのだから、兄の頑固さは父の説得をもってしてもで容易に覆せないと知っているのだ。
「……分かりましたわ。お兄様がそこまで仰るのであれば、このリイナもここに居て彼からなにを教わるのかきちんと見させていただきます」
「ええっ!? 邪魔になるんじゃないか?」
「邪魔になんてなりませんわ!」
驚いたギルガメシュは判断ができずリョウを振り返った。
同時にリイナも、追い返さないでほしいと縋るような視線を向けてくる。
板挟みの彼は眉を動かして左右の兄妹を見比べていたが、自分が決めて良いならとリイナ側についた。
「邪魔になんかならないさ。リイナ嬢はそう約束したからな」
「そうですのよ!」
「……君がいいなら構わないが」
先ほどまでは近寄ろうともしなかったくせに、心強い味方を得たとばかりに胸を張っているのでギルガメシュは現金な奴だと呆れてしまう。
それでも二人の距離が少し縮まったのは兄として友として喜ばしいことなので、まあ良いかと深く考えないことにする。
「そろそろ始めないか。身体ならだいぶ温まったし」
考え込むリョウが教育課程を修正して、さらに目標を高くしているなどとはつゆ知らず。
やる気満々のギルガメシュに促された彼は組んでいた腕をおろし、傍らの木剣をつかんで立ち上がった。
「じゃあ昨日の復習から。打ち込む速さや攻防の精度はダミアンの八割だ」
「分かった!」
成長を実感できる弟子が夢中なのと同様に、師の方もこの修行の間に教えられるだけ教えたいと思っていた。
なにしろ他人を鍛えるのは初めての事なのだ。
自らも学ぶことが多く、それがまた彼の分析能力や身体操作能力―――主に手加減方面で―――を向上させている。
果たして初めての弟子は期限内にどこまで強くなり、自分に何をもたらしてくれるのか。
「……勉強になるなあ」
「何か言ったか?」
何でもない、と首を振った彼に導かれてギルガメシュの修行が再開された。
それは成長と言うには余りに早すぎる、進化と言っても差し支えないほどの変化を生みだし、やがて彼ら以外の全員を驚かせることになる。




