第二節 強くなる時④
2/21 推敲に伴い、旧③を③と④に分割し再編しました
「そろそろ休憩にしよう」
「りょ、了解……」
息をするのも忘れがちになっていたギルガメシュは、宣言と同時に木剣を取り落とすとその場に大の字になった。
ひたすら呼吸に集中しないと意識が遠くなってくる、全身を濡らす汗の感覚も感じ取れないまま、ただぜいぜいと荒い息を繰り返すだけだ。
「ちゃんと水分補給な」
「ああ……」
ようやく上半身を起こせるようになった弟子が、秘密の塩水を飲んでいるのを確認した師匠の方はといえば、汗一つかいていないどころか呼吸すら乱れていない。
強靱な心肺機能も訓練のたまものだろうかと疲弊しきった思考で考えていたら、昼食の準備を始めたリョウから声が飛んでくる。
「昨日の半分も打ち込まれなくなったな、明日には十割でやれそうだぞ?」
「まだまだ、だ」
ダミアンの十割に手が届きそうな喜びより、同年代の彼との差が悔しいギルガメシュが心底そう思っていると、察したリョウが自制を促した。
「目標を見誤ると過負荷で身体を壊すし、気持ちにも悪影響だぞ。ギルは今、限界の速度で成長してるんだからそのまま伸びてくればいいんだ」
「う……」
見透かされた、と恥ずかしくなった。
言われたとおりに気持ちを入れ替えようとするが、そうは言っても簡単に割り切れるものでもない。
ギルガメシュだって男であり、純粋な強さへの憧れはそれなりに持っていたのだから。
再燃してしまった気持ちが暴走しないようぐっと飲み込んでいると、川縁にしゃがみ込んでいた原因は洗い終わった平たい岩を選んできて火の側に置いた。
「何をしているんだ?」
「焼き網代わりだよ。肉とか野菜とか買ってきたから焼いて食べよう」
「買ってきたのか。魚はとれないし抜きかと思っていた」
「今の運動量や疲労度、全身が鍛えられている機会に食事を軽視するのはもったいない」
ギルガメシュも身体を作るためにたくさん食べるという話は耳にした事があるが、具体的にどういう効果や関連性があるのかまでは分からない。
そう言えば以前父が、騎士団の食事見直しについて大学へ助言を聞きに行っていたことを思い出した彼は、リョウのやることにはきちんとした知識と理論の裏付けがあるんだろうなと何となく思った。
「食欲は?」
「朝と違って凄くある!」
良いことだと頷いたリョウは魔法の道具入れから色々取り出すと、野菜を切り分けたり大きな骨付き肉に塩や香辛料を擦り込んでいる。
その手際の良さに兄妹が感心している間に、温まった岩に肉が載せられてじゅううと食欲を刺激する音と匂いが周辺に広がった。
染み出した肉汁を受け止めるように野菜やパンを並べ、買ってきたばかりの食器を取り出したリョウはその一つをリイナに差し出して。
「リイナ嬢も一緒にどう? お腹空いてるんじゃないか」
「け、結構ですわっ!」
生理的嫌悪から反射的に首を振ったお嬢様は、こんな不潔で野蛮な食事なんて冗談じゃないと顔を強ばらせている。
リョウも無理強いせずに手を引っ込め、繰り返し唾を飲み込んでいるギルガメシュに頷いて早めの昼食が始まった。
「そろそろ良いぞ、好きに食べてくれ」
「そう言われても……」
右手にフォーク、左手に皿は欠食戦士の構え。
血―――ではなく肉に飢えてぎらぎらとした視線は中央の肉に釘付けになっている。
しかし、はしたないですわと咎める声も耳に入らない兄がどう食べればいいのか分からない様子なので、肉を掴んだリョウは焼けている部分を何枚か皿にそぎ落としてやった。
「こんな風にナイフで好きなだけとればいいんだ。切り落としたところにそこの塩と香辛料を振ってまた焼けばいい」
順応が早いのか、野外の食事も気にならないほど空腹だったのか。
聞いているのか分からない速度で分厚い肉にフォークを刺したギルガメシュは端から大胆に食いちぎり、野生に帰ってしまった兄を見たリイナは両手で顔を覆っている。
「旨い……これは旨いな! 家でも食べたいが、頼めば出てくるだろうか?」
「シュラスコを食べたいと言えば近いものが出てくると思う。問題は場所かな」
「確かに家だと大がかりか。暖炉でやったら怒られるだろうか」
「鍋物ならともかく暖炉で焼き肉はやめとけ」
貴族のお坊ちゃんに料理の経験などあるはずなかったが、焼き加減はともかく見よう見まねで似たようなものは作れるだろう。
もともと器用な方らしいので本気で覚えたら一通りのことをこなせるようになりそうなものの、嫡男が何をと周囲に静止されるのが先かもしれない。
「だめなのか?」
「片づけまで責任もってやるなら止めはしないが。庭に竈を作るとか、隊商や馬車持ちが使うような組み立て式のたき火台を使った方がいいと思うぞ。騎士団なら遠征用装備にありそうだし、ブライアン様に聞いてみたらどうだ?」
「ほう、いろいろあるんだな」
「そもそも臭いや光、煙を出せない危険地域を除外しても、こんなふうに一カ所にとどまる場合と移動時では準備と片づけの負担が変わってくるからな。天候や水の確保の問題もあるし」
僕一人なら火を熾すことも出来ないな、とギルガメシュは自分の生活力の無さが悲しくなってしまったが肉を食べる手は止まらない。
分厚い二切れを削ぎ落としてまたかぶりついた兄に妹はもう何か言うのを諦めてしまったのか、じっと黙っている。
と、言うより漂う匂いにやられてしまったらしく、お腹を押さえてうつむいていた。
リョウはあれこれ説明していないが、実はしっかり血抜きなどの処理をされた上に丁寧に熟成された、美食貴族向けの高級牛肉である。
しかも、かつては超高級品、今でも決してお安くはない胡椒を贅沢に使い、他の香辛料にも普通ではないものがちらほらと混じっていた。
焼き方は乱暴かもしれないが、厨房に入ることも滅多にない貴族にとって焼ける音、香ばしい匂い、滴る肉汁すべてが新鮮で野趣に溢れており、胃が刺激されてしまったのは当然だった。
「だれかもっと携行性に優れた竈を作ってくれないかな。絶対売れると思うんだが」
「町の外向けの道具って、やはり違うものなのか」
そんなことを話しながらも二人の手と口は止まらず、結局あれだけあった食材は残らず彼らの胃に消えてしまう。
恍惚とした表情で膨れ上がった腹をさする兄を横目で見ながら、拷問のような時間がやっと終わったとリイナが肩の力を抜きかけたところ。
「そう言えば菓子も買ってきたんだった。ギルは甘いもの大丈夫か?」
「我が家は全員甘いものが好きだぞ。特に母上とリイナがな」
なら良かったと取り出された包みを見て唾を飲み込んでしまった。
(お菓子ですって!? あの包み紙はまさか『しまや』ですの!?)
そんな妹の驚きと苦しみもつゆ知らず、口の中が脂っこかったんだと一つを手に取った兄はぱくぱくと二口で片づけて舌鼓を打っている。
「リイナ嬢もどう?」
ものすごい目力で指まで嘗めている兄を見つめる彼女に、リョウは一つを皿に取り分けてそっと差し出した。
しかし、ぐっとこらえたリイナは甘い誘惑を振り切って首を振る。
「……け、結構ですわ…」
「リイナも好きだろう? 遠慮せずに貰えばいいじゃないか」
「お腹、空いてませんの!」
「たまに父上が買ってきたときは、必ず一番に確保するくせに」
「お兄様!」
余計なことを言わないでくださいまし、と言わんばかりの眼光で兄を睨みつけたつもりが半分涙目になっていた。
別に一食や二食抜いたところで構わないし、普通のクッキーやケーキだったらここまで食指は動かない。
しかし貴族令嬢とは言え公務員の子爵であり、お小遣いも限られた学生にとって『しまや』の高級三神菓子は憧れの逸品だったのである。
(しかもあれは、新製品の……!)
級友のお嬢様方がチラシを囲んで食べてみたいときゃいきゃい騒いでいたのも記憶に新しい。
いち早く体験すれば、フォレスト子爵令嬢は流行ものに疎いとか出遅れがちとなっている評価も改善できるはず。
決して大好物に対する食欲だけではない―――割合は乙女の秘密だが―――気持ちに後ろ髪引かれる思いでいると。
突然、ひざをついたリョウが出来た貴族さながらに彼女の手を取った。
「きゃ! な、なんなんですの!?」
「リイナ嬢。つい買いすぎてしまったため、数減らしに協力してください」
不意打ちに真っ赤になったリイナが振り解こうか迷っている間に膝の上に皿が置かれ、そっと手を離したリョウは一礼すると食事の後かたづけを始めてしまう。
(なるほど。あれなら意地っ張りなリイナの体面も保たれるか)
僕にはできないなと機転に関心するとともに、女性に慣れているのだろうかと彼の遍歴が気になったギルガメシュはけだるい身体を持ち上げた。
「何か手伝おうか?」
「いや、休憩してくれ。身体をほぐしたら仮眠をとってもいい」
「わかった、そうさせてもらう」
なにしろリョウの訓練は身体以上に頭が疲れるせいか、甘い三神菓子が痺れるほど美味く感じられるのだ。
ついでにもう二つつまんだせいで腹は苦しいが、急激に眠くなってきたギルガメシュは柔軟体操をするなり毛布に潜り込んでしまい、食器を桶に入れたリョウも川岸へ行ってしまう。
一人残されたリイナは膝の上のお菓子と、鼻歌交じりで洗い物をしている大きな背中とを見比べて複雑なため息を吐いてしまった。
餌付けをされるつもりはないが、供もつけず食事のあてもなく居座っているのは自分のほうなのだ。
少し強引な気もするが、嫌悪感や嫉妬を抜きにすれば気遣われていることぐらい彼女にだって分かる。
(私、そんなに物欲しそうな顔をしていたんですの……?)
はしたないのは私の方でしたわ、と反省するリイナがなんとなく膝のすあまを突っついてみるとふわふわの感触が返ってくる。
その柔らかさが心地よくて。
未知の味わいが楽しみで。
ぷに、ぷに、ぷにと繰り返しているうちにまるで、悪意をぶつけても意に介さず、敵愾心を持ってもただ優しさを返してくるあの人のようだ、と思ってしまった。




