50話
「悪いな、手間かけて」
夕食を運んでくれた山口に礼を言えば、山口はグシャリと顔を歪めた。
「おまえ、高校生のうちから女で身滅ぼしてんじゃねえよ」
「滅ぼしては……いや、滅ぼした、か」
地央さん、顔も見せてくれなかった――。
金森に週刊誌を見せられたときは、心臓が止まるかと思った。
あの不意打ちのキスが、せっかく縮まった地央との距離をまた遠いものにしてしまったのだ。
洗濯室のドアの向こうから聞こえた地央の冷たい声は、未だに真直の耳に残っている。
芽依里を前にしてあの時感じた胸騒ぎ。
芽依里の連絡先も知らず真偽は不明だが、撮られているのを知っていたのではないだろうか。
うっかり芽依里の腰に手を回してしまったあの短い時間は、カメラに収められた時点で悠久のものとなってしまった。
呼び出しを受けた義母の前、酒の話はともかく、ホテルには行っていないとか、過去に付き合ってはいたけれどいたって健全な交際で体の関係はなかったとか口にするのは、いろんな意味でキツかった。
そうやってイタイ思いをして必死で記事の内容を否定したけれど、あの写真のせいで記事のすべてがまるで本物のように見え、教員も「酒は飲んでいない」「最後までヤってない」という真直の言葉を完全には信じてくれてはいないようだった。
現在真直に与えられている処罰は謹慎。
関係各者に事実確認が取れ次第停学の日数が決定するとのことだった。
本来なら自宅での謹慎となるのだが、モロモロを鑑みて停学が決定するまで特別に寮スタッフの宿泊部屋での蟄居を申し渡された。
「携帯まで取り上げられたんだってな」
「うん」
信じて欲しいと送ったメールの返事すら確認できない。
でも、返事が来ていない可能性の方が高く、いっそ取り上げてくれたほうがいいかもしれないなんていう弱気な自分に嘲いがこぼれた。
「なあ……」
地央さんは、どうしてる?
聞きたくてたまらない言葉。でも、そんな事は聞けるはずもない。
「停学、どんくらいだろ」
「わかんねえけど、ほんと、ムカつくわ。週刊誌訴えろよ、お前。あんなもん取られなきゃこんなことになってないのにさ。なんか、学校と寮にへんな電話いっぱいかかってくるから、普通より厳しい処置されるみたいだ。普通女とエッチしたのがバレたからって、謹慎止まりだろ」
「してねーけどな」
やはり学校や寮内でもそういう話の流れになってしまっているのだ。
「マジで?なら尚のこと処分厳しすぎだろ」
「どうでもいいよ、もう」
地央にさえ信じてもらえればそれで他なんてどうでもいい。
なのに、地央のくれた言葉は「間違い」だの「目を覚ます」だの、完全に今までの関わりを打ち消すようなフザけた言葉。
自分とのことをなかったことにしようとされたときは、本気でドアを蹴り開けて押し倒してやろうかって気持ちになった。
そんな簡単に振り切れるんなら、最初から追いかけたりしてないっつの。
地央の姿を最後に見たのは、股間を放り出した状態の間抜けな姿だったことを思い出して、腹の底からため息がこぼれた。
「なんか羨ましいような羨ましくないような」
「うー、謹慎・停学で桑折明里とエッチだろー?いやー、悩むー」
「いやいや、お前にはそういう機会訪れねえから」
「つかどうやったら女優とかと知り合えんのよ。あいつマジすげえな」
「あー、なんか桑折明里の出身ってこっちらしくて、黒川と付き合ってたんだってよ」
真直の名前は耳に飛び込むたび、胸が引き攣れ、耳を塞ぎたくなる。
「えー、何?じゃ、あれか!ちょっと前、黒川が彼女の話してるとき鼻血出したことあんだよ。彼女どんだけヤバイんだよって思ったけど、桑折明里だったのかな?」
鼻血……。
ふと、思い当たって、地央は胸の痛みを緩和させようと胸に手を押し付けた。
あれ、俺とできない欲求不満だと思ってた。
元カノ?
はは。
ほんと、俺、バカみてー。自意識過剰にも程があるだろ。
でも、あんな風に存在を求められたら、誰だってそうなる。
求められる心地良さを失いたくなくなる。
携帯のメールボックスを開けて、最後に真直から届いたメールを呼び出す。
『誰になんて思われてもいいから、地央さんにだけは信じて欲しい』
お前は俺に、一体、何を求めて、どうして欲しいんだ。
どうでもいい相手なら、簡単に「信じてる」なんて無責任な言葉も吐ける。
でも、心があるからこそ、信じたいからこそ、そこに疑いの気持ちが入ってしまう。
……信じたい?
何を?
俺は一体、何を求めて、どうしたいんだ。
反復横とびのように、行っては戻る気持ち。
ただ一緒にいるということは、なんて難しいんだろう。
「黒川、推薦どうなるんだろうな」
「ああ、あいつ△△大の推薦だっけ?そりゃ停学あったら無理だろ。わー、デカイ代償だな」
そんなクラスメイトの言葉に、地央の思考がやっとそこに辿りついた。
そうだ。
あいつ一般で△△大に受かると思えない。
じゃあ、大学、離れるんのかな、あいつと……。
そんなことを思えば、急に足元からせり上がるように不安が広がってきた。
そうだ。日韓戦だって……。
そんな時、ポケットの携帯が大きく揺れた。
真直かと慌てて取り出す自分を情けなく思いながらも、発信先を見ればそれは一来からのもので肩を落とす。
きっと真直のことを知ったのに違いない。
一来にキスされたことへの後ろめたさや、現状に触れられたくないこともあって、今朝から数回かけてきているのを無視していたのだった。
そもそもあんたのせいってのもかなりあるんだからな。恨むぞ、一来さん。
SHRを終え足早に教室を出れば、まるで地央の心にように、湿気を含んだような強い風が吹いていた。




