第1章 ゲームのログイン先は異世界でした
俺の名前は柊和人。
どこにでもいる、ごく普通の高校二年生……と言いたいところだが、ライトノベルを読み、同人誌を作り、フィギュアを集め、コミケに足を運ぶ。そんな趣味を持つ、いわゆるオタクだ。
そして、こっちが幼なじみの観音寺涼音。
中学時代から剣道を続けていて、大会では好成績を収める実力者。高校二年生にして剣道部の主将まで務めている。
俺とは違い、運動神経は抜群。剣道のことになると真剣そのものだが、ライトノベルやゲームの話になると、俺と同じくらい熱くなる。
そんな俺たちが、ここ最近、夢中になっていたものがある。
VRゲームだ。
仮想現実の世界に入り込み、自分自身がゲームの主人公になれる。画面越しでは味わえない臨場感に、俺たちはすっかり夢中になっていた。
そして、あの日。
俺たちの運命を大きく変えるゲームが発売された。
その名も――。『剣と魔法が支配する世界~ダークオベリオン~』
発売前から話題になっていた超大作VRゲームだ。
剣と魔法が入り乱れる広大な世界を自由に冒険できる。しかも、ゲーム内の行動によって物語が変化するらしい。
ライトノベル好きの俺が、そんなゲームを見逃すはずもなかった。
「おぅ、涼音! やっと手に入れたぞ、例のゲーム!」
俺は満面の笑みで、手に入れたばかりのゲームソフトを掲げた。
「えっ、マジで!? ほんとに買えたの!?」
「もちろん! 予約しておいた二本、ちゃんと確保してきたぜ。ほら、お前の分!」
「やったー! 私、三か月も待ってたんだからね!」
涼音はソフトを受け取ると、まるで宝物でも手に入れたかのように目を輝かせた。
「ちょうど明日から夏休みだし、今夜は徹夜コースかな?」
「いいねぇ! ただし、明日の朝に寝落ちしてても知らないぞ?」
「それ、和人のほうでしょ。あんた、ゲーム始めると周りが見えなくなるんだから」
「失礼な。俺は計画的に遊ぶ男だ!そして嫁は常に2次元にいる!」
「……そのセリフ、先週も聞いたんだけど?」
「……細かいことは気にするな!」
二人で笑い合う。
このときの俺たちは、まだ知らなかった。
いつものようにゲームを始めるだけのはずだった。
それなのに、その夜を境に、俺たちの日常は二度と元には戻らなくなる。
「で、何時にログインする?」
「二十時! 先にアカウントを作って、VRで合流しようよ!」
「了解。待ち合わせ場所はどうする?」
「パッケージに噴水が写ってたでしょ? あそこの前でいいんじゃない?」
「よし。アバターを設定したら、噴水前に集合だな」
「アカウント名は?」
「俺は本名にするわ。変な名前にすると、あとで分からなくなりそうだし」
「じゃあ、私も『涼音』にする!」
「決まりだな!」
こうして、俺たちは約束を交わした。
翌日の二十時。
俺はVR機器を装着し、ソフトをセットした。涼音との通話をつないだまま、最終確認をする。
「よし、準備完了! 涼音、そっちは?」
「こっちもオッケー! 今からログインするね。先に着いたら待っててよ?」
「任せろ。噴水前で待ってるからな!」
「それじゃ、ゲームの中で!」
通話を切る。
そして、俺たちはほぼ同時にログインした。
次の瞬間――。
「うわっ!?」
視界が真っ白な光に包まれた。
足元の感覚が消え、身体が空中へ放り出されたような浮遊感に襲われる。
落ちる。
まるで、どこまでも続く空の中を落下しているかのようだった。
「ちょっ、待て待て待て! これ、演出にしては派手すぎないか!?」
身体が地面に叩きつけられた。
「いってぇぇぇっ!」
俺は思わず腰をさすった。
痛い。
妙に生々しい痛みだった。
「……え?」
顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、見知らぬ森だった。
木々の間から光が差し込み、遠くには巨大な城がそびえている。空はどこまでも青く、風が草木を揺らしていた。
確かに美しい。美しいのだが……。
「いやいやいや! パッケージと全然違うじゃん!?」
俺は慌てて周囲を見回した。
噴水どころか、街らしきものも見当たらない。
それどころか、アバターの設定画面すら表示されていなかった。
「バグか? いや、でも……」
自分の身体を確認して、俺は言葉を失った。
革の鎧にマント。そして手には、見覚えのない杖が握られている。
「なんだこれ……。俺、魔法使いっぽい格好になってるんだけど?」
杖を持ち上げてみる。
ずしりとした重みが手に伝わった。
「アバターの設定もしてないのに、勝手に装備されてるのか? まあ、魔法使いを選ぶつもりだったからいいけどさ……」
俺は杖を振ってみた。
もちろん、何も起こらない。
「そりゃ、そうだよな」
そう呟いた直後、俺はふと思い出した。
「……って、涼音はどこだ?」
待ち合わせ場所に行くどころではない。
まずは涼音を探さなければ。
遠くに見える城を眺めながら、俺は歩き出した。
「城があるなら街もあるだろ。噴水も、たぶんそっちだよな。よし、とりあえず行ってみるか!」
まだ俺は、この世界をゲームだと信じていた。
自分がどこへ召喚されたのかも知らずに。
同じ頃。
涼音もまた、見知らぬ場所で目を覚ましていた。
「いたたた……。ちょっと、何なのよ、ここ!」
広がっていたのは、果てしなく続く草原だった。
遠くには城壁が見え、その向こうには巨大な城がそびえている。周囲では鎧をまとった兵士たちが列を作り、剣を打ち合わせていた。
「……え? あれ、何?」
涼音は目を凝らした。
兵士たちの動きは妙に生々しい。剣がぶつかる音も、掛け声も、風に乗ってはっきり聞こえてくる。
「すごい作り込み……。これ、本当にゲームなの?」
彼女もまた、身体に違和感を覚えていた。
剣を腰に差し、身体には鎧をまとっている。
「アバター、決めてないんだけどなぁ……。まあ、剣士っぽいからいいけど」
そう言いながら、涼音は腰の剣に手を伸ばした。
その瞬間。
ビリッ!
「きゃっ!?」
身体の奥を電流が走り抜けたような感覚がした。
「な、何? 今の……静電気?」
慌てて周囲を見回す。
誰もいない。
だが、腰の剣に埋め込まれた藍色の宝石が、淡い光を放っていた。
涼音は恐る恐る剣を触って、ゆっくりと剣を抜いた。
宝石は、まるで彼女の存在を確かめるかのように輝きを増していく。
そして――。
『ようやく目覚めましたね。あなたは、選ばれし者なのです』
「えっ!? 誰!?」
頭の中に、女性の声が響いた。
『その剣は、ただの武器ではありません。あなたを認めた者にのみ、その真の力を解き放つ宝剣なのです』
「ちょー、ちょっと待って! 何なの、その設定!?」
『あなたの内に眠る力を呼び覚ましましょう。これから訪れる戦いを生き抜くために』
次の瞬間、宝石から眩い光があふれ出した。
「うわっ……!」
光は剣を伝い、涼音の身体へと流れ込んでいく。
熱い。
だが、不思議と苦痛はなかった。
むしろ、身体の隅々にまで力が満ちていくようだった。
視界が鮮明になり、周囲の音がはっきりと聞こえる。風の動きさえ、肌で感じ取れる気がした。
『その力を、正しく使いなさい』
女性の声が、静かに告げた。
そして、声は途絶えた。
「……何だったの、今の?NPCかな?」
涼音は剣を見つめた。
宝石は、何事もなかったかのように藍色の輝きをたたえている。
「まあ、ゲームのイベントってことかな……。でも、やけにリアルだったなぁ」
彼女は剣を鞘に収め、遠くの城を見上げた。
「とりあえず、街に行こう。和人もどこかにいるはずだしね」
涼音は歩き出した。
このとき、彼女が召喚されたのは、剣の王国――デュランダル。
そして和人が向かっていたのは、魔法の王国――ヴァリアスだった。
二人は、知らぬ間に別々の国へと引き離されていたのである。
この世界には、八百年もの長きにわたって争い続けている二つの大国があった。
一つは、剣の王国デュランダル。
もう一つは、魔法の王国ヴァリアス。
両国は、それぞれが所有する秘宝を巡って戦争を繰り返していた。
伝承によれば、二つの秘宝が一つになったとき、世界を揺るがすほどの強大な力が解き放たれるという。
その力を手にするのは、どちらの国か。
それとも、秘宝を手にした者が新たな支配者となるのか。
真実を知る者は、ほとんどいない。
ただ一つ確かなのは、長きにわたる戦争が、今も多くの命を奪い続けているということだった。
そして今、異世界から二人の若者が召喚された。
魔法の才能を秘めた少年と、剣の才能を秘めた少女。
彼らの出会いが、この世界の運命を変えることになるのか。
それは、まだ誰にも分からなかった。
「うわぁ……すげぇな、これ」
森の中をしばらく歩いていた俺は、目の前に広がる景色に思わず足を止めた。
そこには、大きな湖があった。
水面は透き通り、木々の隙間から差し込む光を反射している。湖の上には、無数の光の粒が漂っていた。
「VRのグラフィックってここまで進化してるのか……。いや、さすがにすごすぎない?」
俺は湖のほとりへ近づいた。
水面を覗き込むと、光の粒が不思議な模様を描くように揺らめいている。
そのときだった。
『異世界より召喚されし者よ』
「……え?」
誰かの声が聞こえた。
周囲を見回しても、人影はない。
『あなたは、この世界を生き抜くための力を必要としています』
「ちょっと待って。異世界って……今、異世界って言った?」
湖の水面が大きく波打った。
そこから、光に包まれた美しい女性の姿が浮かび上がる。
人間とは思えないほど神秘的な気配。
その姿を目にした瞬間、俺は思わず息をのんだ。
「うわ……。すごい演出だな。これ、重要イベントか?」
『私は、炎を司る女神』
女性は静かに告げた。
『あなたに炎の力を授けましょう。杖に魔力を宿し、そしてあなた自身の身体にも、力を刻みます』
「炎の女神……? 魔法を教えてくれるってことか?」
『そうです。ですが、力を得るだけでは意味がありません。その力を扱えることを、あなた自身が証明しなければならないのです』
女神が手をかざした。
すると、俺の手に握られていた杖が赤い光を放ち始めた。
「おっ、おいおい! 杖が光ってるぞ!?」
杖の先端が変化し、赤い宝石が埋め込まれていく。
まるで、ルビーのような美しい宝石だった。
同時に、身体の奥から熱が込み上げてきた。
「うっ……! 何だ、これ……!」
胸の奥が熱い。
身体の内側に、今まで感じたことのない何かが流れ込んでくる。
それは、全身を巡りながら少しずつ広がっていった。
熱はやがて、確かな力へと変わっていく。
「これが……魔力ってやつなのか?」
『あなたの中に眠る可能性が、目覚め始めたのです』
女神の声が響く。
『ですが、あなたが本当にその力を使いこなせるかどうかは、これからの試練にかかっています』
その瞬間、湖の水面が黒く染まった。
「……え?」
先ほどまで美しかった湖に、禍々しい影が広がっていく。
水面が大きく盛り上がり、黒い霧が渦を巻いた。
そして、湖の奥から巨大な魔物の影が浮かび上がった。
『さあ、召喚されし者よ。授けられた力を使い、試練を乗り越えなさい』
「いやいやいや! ちょっと待て! いきなり戦闘イベントかよ!?」
俺は杖を握りしめた。
目の前に現れた魔物の姿は、どう見ても冗談では済まされない迫力を放っている。
「……まあ、ゲームなら戦わないと先に進めないってことか」
俺は大きく息を吸った。
頭に浮かんだのは、涼音の顔だった。
「待ってろよ、涼音。絶対に見つけ出してやるからな!」
その決意とともに、俺の身体が光に包まれた。
視界が揺れ、足元の感覚が消える。
次に目を開けたとき、俺は湖の底に建つ古びた神殿の前に立っていた。
巨大な石造りの扉が、目の前にそびえている。
『この神殿には、古代より魔物が封じられています。あなたに与えられた力を使い、すべての魔物を打ち倒しなさい』
「……なるほど。チュートリアルにしては、ずいぶん本格的だな」
俺は苦笑しながら扉に手を伸ばした。
重い音を響かせ、扉がゆっくりと開く。
中は暗闇に包まれていた。
だが、俺が一歩踏み入れた途端、壁に並ぶ燭台へ次々と炎が灯っていく。
薄暗かった神殿が、赤々と照らし出された。
「おお……!」
思わず感嘆の声が漏れた。
広間には無数の石像が並んでいた。
その最奥には、玉座に腰掛ける巨大な石像がある。
身の丈は俺の倍近く。手には巨大な斧が握られていた。
「まさか……あれも動くのか?」
その疑問に答えるように、石像の一つがピシリと音を立てた。
表面に亀裂が走る。
続いて、二体、三体と石像が動き始めた。
ゴゴゴゴ……。
石の破片が床に落ち、魔物たちの目に赤い光が灯る。
『さあ、戦いなさい』
女神の声が響いた。
『ここであなたの力を示すのです』
「はいはい、やるしかないんだろ!」
俺は杖を構えた。
魔物の一体が、剣を振り上げながら突進してくる。
「うおっ、速い!」
咄嗟に横へ飛び退く。
剣が床を叩きつけ、石片が飛び散った。
「ちょっ……当たったら普通に死ぬだろ、これ!」
冗談を言っている場合ではなかった。
俺は杖を握りしめ、頭に浮かんだ言葉を口にする。
「ファイアーボール!」
杖の先から、炎の球が飛び出した。
炎は魔物の胸に命中し、その身体を赤く染め上げる。
次の瞬間、魔物は大きな音を立てて崩れ落ちた。
「……え?」
俺は呆然とした。
「今の、俺がやったのか?」
杖の先には、まだ赤い光が残っている。
「おおおっ! マジか! 本当に魔法が使えるじゃん!」
思わず声を上げた。
だが、喜んでいる暇はなかった。
残りの魔物たちが一斉に襲いかかってきたのだ。
「うわっ、ちょっと待て! 一体ずつ来いよ!」
俺は必死に逃げ回りながら、炎の魔法を放ち続けた。
魔物の攻撃をかわし、隙を見つけて杖を振るう。
炎が走り、石像が砕け散る。
最初は戸惑っていた俺も、次第に魔法の使い方を理解し始めていた。
杖を握る手に意識を集中させれば、身体の中にある力が集まってくる。
そして、その力を解き放つことで魔法が発動するのだ。
「なるほど……。これが魔力ってやつか!」
しかし、戦いが長引くにつれて、身体が重くなってきた。
「はぁ、はぁ……。やばい、めっちゃ疲れる……!」
炎を放つたび、身体の中から何かが減っていくような感覚がある。
魔物の数は減っている。
だが、最後に残った巨大な石像は、まだ玉座から立ち上がろうとしていた。
巨大な斧を引きずりながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
「でかっ! 俺の倍どころじゃないだろ、あれ!」
巨大な魔物が咆哮した。
次の瞬間、斧が振り下ろされる。
「うわっ!」
床を転がるようにして回避した。
斧が床を砕き、轟音が神殿に響き渡る。
「ちょっと待て待て! こんなの、普通に戦ったら勝てないだろ!」
『あなたは、まだ真の力を解き放っていません』
女神の声が響いた。
『大気に満ちるマナを感じなさい。焦らず、意識を集中するのです』
「マナ……?マナー?」
俺は一度距離を取り、杖を握り直した。
目を閉じ、呼吸を整える。
周囲に漂う何かを感じ取ろうと意識を集中させた。
最初は何も分からなかった。
だが、少しずつ、空気の中に細かな粒子のようなものが存在している気がした。
それが身体の中へ流れ込み、減っていた力を補っていく。
「……これか!」
身体の重さが、少しずつ消えていく。
同時に、杖の宝石が強く輝き始めた。
「よし……! これなら、いける!」
俺は杖を高く掲げた。
身体の内側に溜まった熱が、一気に燃え上がる。
炎が腕を伝い、全身を包み込んだ。
「うおおおっ! すげぇ……!」
炎は俺の頭上へと集まり、巨大な火球を形成していく。
巨大な魔物が斧を構え、こちらへ突進してきた。
「でかい身体が弱点だってんなら……!」
俺は地面を蹴った。
魔物が斧を振り上げる。
その瞬間、俺は正面から魔物へと突っ込んだ。
「これで終わりだ! 食らいやがれっ!」
魔物が大きく口を開いた。
俺はその一瞬を逃さず、炎を宿した杖を口元へ突き出す。
「吹き飛べぇぇぇっ!」
杖の先から、凄まじい炎がほとばしった。
炎は魔物の口から体内へと流れ込み、次の瞬間、巨大な爆発を引き起こした。
轟音が神殿を揺るがす。
巨大な魔物の身体に亀裂が走り、やがて全身が崩れ落ちた。
静寂が訪れる。
「……はぁ、はぁ……。勝った……のか?」
俺はその場に膝をついた。
全身が重い。
だが、目の前の魔物は動かなくなっていた。
『見事です。あなたは試練を乗り越えました』
女神の声が、優しく響いた。
『あなたの手にある炎の書には、炎を司る数々の魔法が記されています。学び、鍛え、己の力としなさい』
俺は足元に落ちていた古い本を拾い上げた。
表紙には、見たことのない文字が刻まれている。
不思議なことに、文字の意味は何となく理解できた。
「これが……魔法の書か」
『私は炎を司る女神。ほかにも、水、風、土、闇、光を司る女神たちが存在します』
「六人もいるのか……」
『あなたがどこまで成長できるのか。それは、あなた自身の歩みにかかっています』
女神の声が遠ざかっていく。
湖の水面から差し込む光が、神殿を包み込んだ。
そして、俺は再び湖のほとりへと戻されていた。
「……とんでもないゲームだな」
俺は炎の書と杖を見つめた。
そこで、ようやく違和感が頭の中でつながった。
ログインしたときから、ずっとおかしかった。
コントローラーを握っていない。
痛みも、風の冷たさも、杖の重さも、本物のように感じる。
そして、さっきの女神は確かに言った。
――異世界より召喚されし者よ、と。
「……待てよ」
背筋に、ぞくりとしたものが走った。
「異世界から召喚って……。まさか、ここって本当に異世界なのか?」
俺は乾いた笑いを浮かべた。
「いやいやいや! そんな、ラノベじゃあるまいし……!」
そう言いながらも、否定する材料は何一つなかった。
俺は杖を握りしめ、遠くに見える城を見つめた。
「……とりあえず、街に行こう。涼音を探すのはそれからだ」
そうして、俺は森を抜け、城下町を目指した。
城下町は、想像以上に賑やかだった。
石畳の道には人々が行き交い、露店には見たこともない果物や食べ物が並んでいる。
大きな鳥のような生き物に荷車を引かせている商人もいれば、尖った耳を持つ者や、獣のような耳と尻尾を持つ者もいた。
「……うわぁ。本当に異世界っぽい」
思わず周囲を見回してしまう。
目の前を通り過ぎた獣人らしき人物が、店主と値段交渉をしている。
エルフのような女性が、籠いっぱいの果物を抱えて歩いていた。
どこを見ても、ラノベで読んだような光景ばかりだ。
「すげぇ……。これ、全部本物なのか?」
感動していると、ぐうぅ、と腹が鳴った。
「……あ」
そういえば、まだ何も食べていない。
肉を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
思わず露店を見つめたが、すぐに現実へ引き戻された。
「……金がない」
財布どころか、持ち物らしい持ち物もない。
このままでは、食事どころか宿に泊まることすらできない。
「いや、異世界生活って、最初はこんなに厳しいのかよ……。勇者なら王様から装備とお金くらいもらえるだろ、普通!」
もちろん、返事をしてくれる王様はいない。
途方に暮れながら歩いていると、人だかりができている場所を見つけた。
大勢の人々が、木製の掲示板を取り囲んでいる。
「何だろう?」
俺は人の隙間から掲示板を覗き込んだ。
そこには、国王直属の魔法兵団からの告知が貼られていた。
『来たるデュランダルとの戦いに備え、我が軍は新たな魔法兵を募集する。腕に覚えのある者は闘技場にて実力を示せ。優勝者には金貨百枚、城内に住む権利、そして食事を保証する。優れた力を持つ者には、国王直属の魔法兵団への登用も検討する』
「……金貨百枚!?」
思わず声が出た。
金貨百枚に、住む場所、食事までついてくる。
今の俺にとっては、まさに救いの手だった。
「しかも魔法兵の募集か……。これは参加するしかないだろ!」
俺は掲示板から申込書を一枚取り、受付の場所を探した。
道を尋ねながら城内の受付へ向かい、申込書に名前と得意魔法を記入する。
「お名前と得意魔法をお願いします」
受付の女性が微笑んだ。
「柊和人です。得意魔法は……炎、かな」
「ヒイラギ・カズト様、ですね。珍しいお名前ですね。では、こちらをお受け取りください。試合は明日の午後からとなります」
渡された参加証を、俺はしっかりと握りしめた。
「あっ、ども、ありがとうございます!」
これで食事と寝床を確保できる可能性が出てきた。
そして、もし国王に近づくことができれば、情報も集められるかもしれない。
何より――。
「涼音が剣士になりたいって言ってたんだ。だったら、剣の国デュランダルにいる可能性が高いよな……」
俺は参加証を見つめた。
「この国で力をつければ、涼音に会えるかもしれない。絶対に見つけ出してやるからな」
そのためにも、まずは明日の試合に勝つ。
俺は炎の書を開き、魔法の習得に取りかかった。
翌日。
ヴァリアスの闘技場は、大勢の観客で埋め尽くされていた。
歓声が響き渡り、参加者たちが次々と試合に臨んでいる。
炎を操る者。氷の槍を生み出す者。風をまとって高速で動く者。
どの試合も、俺がこれまで読んできた物語を現実にしたような光景だった。
「すげぇ……。魔法って、こんなに種類があるのか」
俺は試合を観戦しながら、相手の動きを観察していた。
昨夜は炎の書を読み込み、魔力の扱い方を練習した。
基本的な炎の魔法だけでなく、身体の動きを速める魔法も何とか習得できた。
とはいえ、実戦経験は神殿での戦いだけだ。
「喧嘩なんて、めちゃくちゃ弱いんだけどな……。でも、殴り合いをするわけじゃない。魔法で戦うんだ。やるしかない!」
やがて、俺の名前が呼ばれた。
「第一試合! 柊和人、入場!」
闘技場の中央へ進む。
向かいに立つのは、炎を操る魔法使いだった。俺は昨日、彼の試合を見ていた。
攻撃の癖も、魔法を放つまでの動きも、ある程度は分かっている。
「よし……。いけるはずだ」
開始の合図が鳴った。
相手が炎の弾を放つ。
俺は素早さを高める魔法を使い、横へ飛び退いた。
「ファイアーボール!」
杖を振り、炎を放つ。
相手も炎で応戦したが、俺は動きを止めず、距離を詰めていった。
魔法がぶつかり合い、火花が散る。
相手の攻撃を避けながら、俺は隙を探した。
そして、相手が次の詠唱に入った瞬間――。
「そこだ!」
杖の先から放った炎が相手の足元をかすめ、体勢を崩させた。
続けざまに炎の弾を放つ。
相手が防御を固めたところで、俺は横へ回り込んだ。
「これで決まりだ!」
最後の一撃が決まり、相手が降参を告げた。
勝者、柊和人。
会場から歓声が上がった。
「よしっ!なんとか勝った!」
胸の奥から喜びがこみ上げる。
神殿での試練に比べれば、まだ余裕があった。
だが、勝ち上がるにつれて、相手は強くなっていった。
氷の魔法で足場を凍らせる者。風の刃を連続して放つ者。幻影を作り出し、こちらの攻撃を空振りさせる者。
俺は何度も追い詰められた。
魔力が尽きかけたときには、呼吸を整えてマナを吸収し、どうにか次の攻撃につなげた。
それでも、戦うたびに分かることがあった。
魔法は、ただ強い力を放てば勝てるわけではない。
相手の動きを見極め、距離を測り、魔力を使うタイミングを考える必要がある。
涼音が剣道でよく言っていたことを思い出す。
――戦いは間合いが大事なのよ。
「……なるほどな。剣でも魔法でも、そこは同じなのか」
俺は小さく笑った。
そして、ついに決勝戦へと勝ち進んだ。
「さあ、いよいよ決勝戦です!」
司会者の声が闘技場に響き渡る。
「ここまで勝ち上がってきたのは、炎の魔法を操る新人、柊和人! 対するは、幻影と闇の魔法を駆使する実力者!」
向かい側に立つ男を見て、俺は息をのんだ。
何度も試合を見ていた相手だ。
幻影を生み出して姿を消し、敵の背後から闇の魔法を放つ。これまでの対戦相手は、彼の動きを捉えられずに敗れていた。
「こいつ、決勝まで温存してたのか……?」
男は余裕の笑みを浮かべた。
「君が噂の新人か。ここまで勝ち上がったのは見事だ。だが、ここまでだよ」
「へぇ……。そう簡単に負けるつもりはないけどなっ」
開始の合図が鳴った。
男の姿が、ふっと消えた。
「なっ!?」
次の瞬間、背後から闇の魔法が襲いかかる。
俺はとっさに身をひねった。
黒い刃が肩をかすめ、痛みが走る。
「痛っ……! マジかよ!」
男は再び姿を消した。
左右、背後、正面。
どこから攻撃が飛んでくるのか分からない。
幻影と本体を見分けようとしても、わずかな判断の遅れが命取りになる。
「くっ……! 速すぎる!」
炎を放っても、幻影を焼くだけ。
相手の攻撃を防ぐたびに、俺の魔力は削られていく。
息が荒くなり、足が重くなった。
「はぁ、はぁ……。こいつ、今までの試合じゃ本気を出してなかったのかよ……!」
相手は笑いながら、闇の魔法を放った。
「終わりだ!」
黒い刃が迫る。
俺は杖で受け止め、どうにか弾き返した。
だが、反撃する余裕はない。
このままでは、確実に負ける。
そのとき、頭に浮かんだのは、炎の書に記されていた一つの魔法だった。
強大な炎を生み出し、すべてを焼き尽くす上級魔法。
習得には成功したものの、魔力の消費が激しすぎるため、実戦で使うのは避けていた。
「決勝戦だし……やるしかないか」
俺は杖を握りしめた。
身体の中に残された魔力をかき集める。
炎が腕を伝い、身体を包み込んだ。
相手の動きが止まる。
「何だ……その魔力は?」
俺は答えなかった。
ただ、杖を頭上へと掲げる。
炎は渦を巻きながら集まり、次第に巨大な火球へと姿を変えていった。
熱風が闘技場を吹き抜ける。
観客たちがどよめいた。
男の表情から、初めて余裕が消えた。
「まさか……そんな魔法を!?」
「悪いな。俺だって、負けるわけにはいかないんでね!」
炎がさらに膨れ上がる。
俺は最後の力を振り絞り、呪文を唱えた。
「すべてを焼き尽くせ――インフェルノォォォッ!」
巨大な火球が放たれた。
炎は渦を巻き、やがて龍のような姿を形作る。
幻影を生み出していた男は、逃げようとした。
だが、炎の奔流がその行く手を塞いだ。
「う、うわぁぁぁっ!」
轟音とともに炎が広がり、男を包み込む。
やがて炎が消えたとき、男は闘技場に倒れ込んでいた。
審判が駆け寄り、試合の終了を告げる。
「勝者――柊和人!」
一瞬の静寂。
そして、会場全体が歓声に包まれた。
「うおおおおっ!」
「すげぇ魔法だ!」
「新人が優勝したぞ!」
俺は杖を支えに、どうにか立っていた。
「はぁ……はぁ……。か、勝った……」
喜びよりも先に、全身の疲労が押し寄せてきた。
「やばい……。これ、もう一回使えって言われても無理だぞ……」
それでも、俺は笑っていた。
これで金貨百枚が手に入る。
寝床も、食事も確保できる。
そして、この国で生きていくための足がかりもできた。
「よし……。次は、涼音を探す番だ!」
試合の後、俺は城内の特別な部屋へ案内された。
部屋には大きなベッドがあり、テーブルには見慣れない料理が並べられていた。
「おお……! これ全部、俺のために用意してくれたのか?」
焼いた肉に、香辛料の効いたスープ。見たことのない野菜や果物まである。
空腹だった俺は、さっそく食事に手を伸ばした。
「うまっ! 異世界の飯、最高じゃん!」
夢中で食べているうちに、疲労も少しずつ和らいでいった。
「金貨百枚に、部屋に、食事付き……。優勝してよかったぁ」
ふかふかのベッドに身体を沈める。
だが、目を閉じると、すぐに涼音の顔が浮かんだ。
「……あいつ、今頃どうしてるんだろうな」
剣士になりたいと言っていた涼音。
もし本当に異世界に召喚されたのなら、剣の国デュランダルにいる可能性が高い。
そこは、俺たちがいるヴァリアスと戦争を続けている国だ。
「まさか、敵国にいる幼なじみを探すことになるなんてな……」
俺は苦笑した。
「絶対に見つけるからな。待ってろよ、涼音」
そう呟き、俺は眠りに落ちた。
翌朝。
コンコン、と扉を叩く音がした。
「……ん? 誰だよ、こんな朝っぱらから」
眠い目をこすりながら扉を開けると、白い鎧をまとった兵士たちが立っていた。
「柊和人殿ですね。国王陛下がお呼びです。ご同行願います」
「えっ、国王!? 俺、何かやらかした?」
「いいえ。昨日の試合について、陛下がお話しになりたいとのことです」
「そ、そうですか……」
俺は急いで身支度を整え、兵士たちについていった。
大広間の奥には、豪華な玉座が置かれていた。
そこに座っていたのは、威厳ある風格を漂わせた国王だった。
「そなたが、昨日の闘技場で見事な勝利を収めた者か」
「は、はい。柊和人です」
「昨日の戦い、見事であった。とりわけ、最後に放った炎の魔法。あれほどの威力を持つ魔法を扱える者は、我が国でもそう多くはない」
「ども、ありがとうございます……」
国王は頷き、真剣な表情で続けた。
「実は、我が国は長年、デュランダルとの戦争を続けている。戦況は厳しく、兵の育成も急務となっているのだ」
やはり、そういう話か。
俺は黙って耳を傾けた。
「そなたには、魔法兵団の育成に協力してもらいたい。加えて、将来は我が軍の一員として、戦いにも力を貸してほしいのだ」
その言葉を聞いて、俺は考え込んだ。
この国に協力すれば、生活は安定するだろう。情報を集める機会も増えるはずだ。
しかし、相手はデュランダル。
もし涼音がそこにいるのなら、俺は幼なじみのいる国と戦うことになる。
「……陛下、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「申してみよ」
「デュランダルとの戦争は、なぜ続いているのでしょうか?」
国王は、少しだけ表情を曇らせた。
「両国が持つ秘宝を巡る争いだ。古い伝承によれば、二つの秘宝が揃えば、途方もない力を得られるという。どちらも譲るつもりはない。それゆえ、戦いが終わらぬのだ」
「秘宝……」
俺は、その言葉を心の中で繰り返した。
八百年もの戦争。
そんな長い争いが、本当に秘宝のためだけに続いているのだろうか。
疑問は残ったが、今の俺にできることは限られている。
「……分かりました。俺にできることなら、協力します」
「よくぞ申した!」
国王は満足そうに頷いた。
「そなたには、魔法兵団の育成を任せたい。衣食住についても、こちらで保証しよう」
「ありがとうございます」
こうして俺は、魔法の王国ヴァリアスで、国王の協力者として迎えられることになった。
豪華な部屋も、食事も、召使いまで用意されるという。
まさかゲームにログインしただけで、こんな生活になるとは思ってもいなかった。
だが、浮かれてばかりはいられない。
俺はこの世界で生き抜き、涼音を見つけ出さなければならないのだから。
一方、その頃。
剣の王国デュランダルでは、涼音が城下町を歩き回っていた。
「うーん……。これぞ異世界って感じだけど……」
並んでいる店を眺めながら、彼女はため息をついた。
「お金がない。お腹はすいた。宿にも泊まれない……。これ、どうすればいいのよ」
剣を持っているとはいえ、街で暮らすにはお金が必要だ。
困り果てていた涼音の目に、一枚の貼り紙が飛び込んできた。
『集え、勇敢なる戦士たちよ! コロシアムで勝ち抜き、賞金を手にせよ! 優勝者には金貨百枚を進呈する!』
「……金貨百枚!?」
涼音の目が輝いた。
「ちょうどいいじゃん! 剣道なら自信あるし、これに出れば何とかなるかも!」
彼女は貼り紙を手に取り、近くの住民に受付の場所を尋ねた。
エントリー会場には、多くの戦士たちが集まっていた。
人間だけではない。巨体の戦士や、獣のような姿をした者、奇妙な武器を背負った者までいる。
「うわぁ……。人間じゃない人もいるんだ。まあ、異世界だしね!」
涼音は気にすることなく受付へ向かった。
「参加したいんですけど!」
「おや、若いお嬢さんがコロシアムに? 剣を扱えるのかね?」
「もちろん。こう見えても、剣道部の主将なんだから!」
「ケンドウ……? 聞き慣れぬ言葉だが、腕に覚えがあるということだな。よし、登録しよう」
涼音は参加証を受け取った。
「よーし! まずは金貨百枚、いただきますか!」
翌日の夜。
デュランダルのコロシアムは、観客たちの熱気に包まれていた。
貴族たちは席から戦士たちを見下ろし、観客たちは勝者を予想して賭けに興じている。
「さあ、今宵もやってまいりました! コロシアムの開幕です!」
司会者の声が響き渡った。
「優勝者には、なんと金貨百枚! そして今回、最も注目を集めているのが、初出場の若き剣士、涼音!」
観客席から、好奇の視線が集まる。
「対するは、巨人族の戦士ガッツ! その巨体と怪力で、数々の相手を打ち倒してきた強豪です!」
東の門が開く。
巨大な戦士が姿を現し、地面を踏み鳴らした。
続いて、西の門が開く。
涼音は深呼吸をしてから、剣を抜いた。
「よし……。やってやるわ!」
目の前にいるガッツは、彼女より頭二つ分以上も大きい。
手にした大剣も、普通の人間なら持ち上げるだけで苦労しそうな代物だった。
だが、涼音は怯まなかった。
剣を構えた瞬間、身体の中に眠っていた力が目覚める。
藍色の宝石が輝き、剣から水のような気配があふれ出した。
「……やっぱり、この剣。何かあるんだ」
開始の合図が鳴った。
「グオオオオッ!」
ガッツが大剣を振り上げ、真正面から突進してくる。
「うわっ、速い!」
涼音は横へ飛び退いた。
大剣が地面を叩き、土煙が舞い上がる。
その隙に、涼音は相手の懐へと踏み込んだ。
「そこっ!」
剣を振るう。
水のような光が刃を包み、ガッツの鎧を弾いた。
「なっ!?」
巨人が体勢を崩す。
涼音は間髪入れずに距離を取り、相手の動きを見極めた。
身体が軽い。
足が地面を蹴るたび、普段の自分では考えられないほどの速度が出る。
「何これ……! 身体がめちゃくちゃ軽い!」
剣を握る手にも、力が満ちていた。
「この剣のおかげかな? なら……!」
ガッツが再び大剣を振り下ろす。
涼音はその一撃を紙一重でかわし、回転するように相手の脇を抜けた。
そして、剣を一閃。
藍色の光が走った。
ガッツの武器が弾き飛ばされ、巨体が膝をつく。
「勝負あり! 勝者、涼音!」
会場が沸いた。
「うおおおっ!」
「新人が巨人族を倒したぞ!」
涼音は剣を下ろし、ほっと息をついた。
「……勝ったぁ!」
喜びがこみ上げる。
だが、すぐに別の考えが頭をよぎった。
「待って。今のって、もし本当に斬られてたら……」
背筋がひやりとした。
ゲームなら、負けてもやり直せるかもしれない。
でも、この世界で本当に命を落としたら?
その疑問は、彼女の胸に小さな不安を残した。
それでも、今は前へ進むしかない。
「よし! 次も勝つわよ!」
涼音は剣を握り直した。
その後も、涼音は次々と勝ち上がっていった。
相手の攻撃を見切り、剣で受け流し、隙を突いて反撃する。
水の力を宿した宝剣は、彼女の意思に呼応するように輝いた。
戦うたびに、剣の扱いが身体に馴染んでいく。
そして、ついに決勝戦。
「さあ、いよいよ決勝です!」
司会者の声に、観客たちが沸き立った。
「決勝の舞台に立つのは、初出場ながら圧倒的な強さを見せた新人剣士、涼音!」
涼音が姿を現すと、大きな歓声が上がった。
「そして対するは、前回、前々回の優勝者! レイピアを操る『光速の翼』、アリシア!」
金色の鎧をまとった女性が、優雅な足取りで闘技場へ入ってきた。
手にしているのは、細身のレイピア。
その構えには、一切の無駄がなかった。
「……あの人が、アリシア」
涼音は剣を構えた。
アリシアは涼音を見つめ、静かに微笑んだ。
「あなたが噂の新人ね。ここまで勝ち上がったのは見事だわ」
「ありがとうございます。でも、勝つのは私ですから!」
「あら、威勢がいいのね。楽しませてもらうわ。でも、その闘気、あなた強いわね?」
開始の合図が鳴る。
その瞬間、アリシアの姿が消えた。
「えっ!?」
涼音が反応するよりも早く、レイピアが目の前へ迫る。
キィン!
涼音は剣で受け止めた。
だが、アリシアの攻撃は止まらない。
突き、横薙ぎ、斬り上げ。
目にも留まらぬ連撃が、次々と繰り出される。
「くっ……! 速い!」
涼音は必死に剣を振るい、攻撃を受け流した。
しかし、アリシアの動きは予想以上だった。
彼女が剣を振るうたび、空気が鋭く裂ける。
そして、目に見えない刃が涼音の鎧をかすめた。
ギィン!
「なっ……!?」
鎧に、細い切り傷が刻まれていた。
直接斬られたわけではない。
アリシアが放った真空の刃が、離れた場所から鎧を切り裂いたのだ。
「何それ……。かまいたちみたいな技まで使えるの!?」
「驚いている暇はないわよ!」
アリシアが踏み込む。
レイピアの連撃が、さらに速度を増した。
涼音は後退しながら、相手の動きを必死に見極めた。
剣道の試合とは違う。
相手の間合いも、攻撃の速度も、技の種類も、まるで別物だった。
全国大会で優勝した経験さえ、この世界では通用しないことがある。
「くっ……! これが実戦経験の差ってやつなのね……!」
それでも、涼音は諦めなかった。
相手の剣先を見つめ、呼吸を整える。
どれだけ速くても、攻撃には必ず動きの起点がある。
アリシアが踏み込む瞬間。
そのわずかな動きを、涼音は捉えた。
「そこだっ!」
剣を振り下ろす。
藍色の宝石が輝き、水の力が刃へと集まった。
アリシアはレイピアを引き、攻撃を受け流そうとする。
だが、涼音の一撃は予想以上に重かった。
金属音が響く。
アリシアのレイピアに、亀裂が走った。
「……っ!」
次の瞬間、レイピアが折れた。
刃の破片が宙を舞い、地面に突き刺さる。
アリシアは一歩下がり、折れた武器を見つめた。
涼音もまた、剣を構えたまま動きを止めていた。
息が荒い。
腕も震えている。
だが、まだ戦う意思はあった。
「……これで、終わりですか?」
涼音が尋ねると、アリシアは小さく笑った。
「ええ。私の負けね」
「えっ……?」
「あなたの剣、ただ鋭いだけじゃない。私の技を受けながら、最後の一撃を見極めた。あの瞬間、あなたの剣は私の剣を上回ったわ。それに折れた武器では戦えないわ」
アリシアは折れたレイピアを見つめ、それから涼音へ視線を戻した。
「でも、あなたも分かっているはずよ。今の勝利だけで、私より強くなったわけではないことを」
「……はい。正直、最後は夢中でした」
「それでいいのよ。戦いの中で成長できる者は、そう多くないわ」
アリシアは穏やかに微笑んだ。
「涼音。あなたに一つ、頼みたいことがあるの」
「頼み?」
「私たちと一緒に城へ来てほしい。そして、敵国ヴァリアスとの戦いに力を貸してほしいの」
その言葉に、涼音は表情を引き締めた。
ヴァリアス。
その国の名前を聞いた瞬間、真っ先に思い浮かんだのは、幼なじみの顔だった。
「……ヴァリアスって、魔法の国ですよね?」
「そうよ。私たちデュランダルとは、長い間戦争が続いているわ」
「そう……なんだ」
涼音は剣を見つめた。
もし和人が異世界に来ているのなら、魔法使いになりたいと言っていた彼がヴァリアスにいる可能性は高い。
ならば、敵国と戦うということは、和人と敵対することになるかもしれない。
だが、ここで断れば、情報を集める機会を失ってしまう。
それに、今の自分には、この世界で生き抜くための力も、知識も必要だった。
「……分かりました。私、もっと強くなりたいです。だから、一緒に行きます」
アリシアは満足そうに頷いた。
「ありがとう。きっと、あなたの力は私たちの助けになるわ」
観客席から大きな拍手が湧き上がった。
涼音は剣を鞘に収め、深く息を吐いた。
初めての戦い。
そして、初めての勝利。
その喜びの裏側には、まだ知らない世界への不安があった。
それでも、彼女は前を向いた。
「和人……。絶対に見つけ出すからね」
コロシアムを後にした涼音は、アリシアとともに城へ向かった。
城内へ入ると、すぐに国王との謁見が行われた。
アリシアは国王の前で片膝をつき、涼音を紹介する。
「陛下。この者は、先ほどのコロシアムで見事な腕前を示した剣士、涼音です。私との決勝戦でも、類まれな判断力と剣技を見せました」
「ほう……。そなたが、あの戦いの勝者か」
国王は涼音を見つめた。
「若いながら、見事な腕前であったと聞いている。アリシアが認めるほどの剣士ならば、我が国にとっても大きな力となるだろう」
「ありがとうございます」
涼音は頭を下げた。
国王はしばらく考えた後、アリシアへ告げた。
「アリシア。そなたの推薦を受け、涼音を騎士団の幹部として迎えよう。実力を磨き、我が国のために力を尽くしてくれることを期待している」
「承知しました」
アリシアが答える。
こうして涼音は、デュランダルで重要な立場を得ることになった。
寝床も、食事も、これで何とかなる。
しかし、彼女の心は、もう一つの問題でいっぱいだった。
「和人は魔法使いになりたいって言ってた……。なら、ヴァリアスにいる可能性が高いよね」
涼音は窓の外に目を向けた。
遠くには、広大な平原が広がっている。
その先には、長年戦争を続けてきた敵国がある。
「もし和人があっちにいたら……私は、どうすればいいんだろう」
答えはまだ出ない。
だが、立ち止まっているわけにもいかなかった。
同じ頃、ヴァリアスの城では、俺が国王から与えられた部屋で、炎の書を読み返していた。
魔法の仕組みは、少しずつ理解できてきた。
しかし、これから何をすべきなのかは、まだ分からない。
国王の頼みを受け入れた以上、魔法兵団の育成にも協力する必要がある。
それでも、俺の一番の目的は変わらなかった。
「涼音……。どこにいるんだよ」
俺は窓の外を見つめた。
この世界には、二つの大国がある。
剣の王国デュランダルと、魔法の王国ヴァリアス。
俺が召喚されたのは、魔法の王国。
そして、涼音がいるとすれば――。
「……やっぱり、デュランダルか」
その予想が正しければ、俺たちは敵国同士に引き離されたことになる。
しかも、両国は八百年もの間、戦争を続けている。
「なんだよ、それ……。ゲームなら、もっと簡単に合流させてくれよ」
俺は苦笑した。
だが、すぐに表情を引き締める。
「いや……。ここが本当に異世界なら、ゲームみたいに簡単にはいかないんだろうな」
俺は杖を握った。
杖の先に埋め込まれた赤い宝石が、かすかに光る。
あの神殿で授かった力。
それを鍛えれば、もっと強くなれるはずだ。
もっと強くなれば、涼音を探し出せるかもしれない。
そして、二人で元の世界へ帰る方法も見つかるかもしれない。
「待ってろよ、涼音。絶対に会いに行くからな」
俺は決意を胸に、炎の書を開いた。
そのとき、窓の外から、兵士たちの慌ただしい声が聞こえてきた。
「国境付近で、デュランダルの部隊が動いたらしいぞ!」
「またか……。今度は何を仕掛けてくるつもりだ?」
俺は窓の外を見た。
遠くの空には、夕暮れの光が広がっている。
だが、その美しい景色の向こう側では、二つの国の戦争が続いている。
そして俺も、涼音も、その戦争から逃れることはできないのかもしれない。
俺は杖を握りしめた。
ゲームのログイン先は、異世界だった。
そして、俺たちの冒険は、まだ始まったばかりだ。
――いつか、二人が再会するその日まで。
この世界で生き抜くために、俺は前へ進む。
だが、俺はまだ知らなかった。
この世界を巡る二つの秘宝が、単なる国宝などではないことを。
そして、俺たちがこの世界へ召喚されたことにも、誰も知らない理由が隠されていることを。
赤い宝石と藍色の宝石。
二つの輝きが再び交わるとき、八百年続いた戦争の運命さえ、大きく動き始めるのだった。




