男子は「魔女っ子」になれるのか?
「はぁ……」
不気味な山羊人間と出会った次の日の朝、学校に着いた僕は、自分の席に座るなり大きな溜息を吐いてしまった。
「どうしたの、イブ君、溜息なんて吐いて」
心配そうに僕の顔を覗き込んだのは隣の席の篝 愛さんだ。篝さんは僕と同じ中学の出身で、初対面の時から僕のことを「イブ君」と呼んでいる。「私のことはラブちゃんって呼んでくれていいよ」というありがたい申し出を受けたけど、丁重にお断りしている。篝さんは化粧気が少ないものの、色白の可愛い顔立ちと、温厚で明るい性格とが相俟って、中学生の頃から男子女子を問わず人気が高い。
「おはよ、篝さん」
「どうしたの? なんか元気ないね」
僕の内心の憔悴を汲んだかのように、気遣いの表情を見せる。篝さんは本当に優しい子なのだ。そんな篝さんを毎日頭の中で縛ってしまっているのは少しだけ罪悪感がある。もちろん、今も既に緊縛は完了している。
「そうかな? ちょっとね……」
さすがに、山羊人間に会ったのが原因だとも言えず、僕は言葉を濁した。今思えば、あれは悪い夢だったんじゃないかと、思わなくもない。でも、あの山羊人間との会話は、夢だと笑い飛ばせないほど、僕の記憶に鮮明に残っているのだ。
***
「念のため、言っておくけど……」
「魔女っ子」などという荒唐無稽な用語を聞いて、幾分恐怖心と緊張感の抜けた僕は、わかりきったことを一応説明しておくことにした。
「僕は、男だよ?」
中性的な童顔と言われることはあるし、身長も160cmと、男子高校生の平均よりは小柄かもしれないけれど、僕は今まで一度も女性と間違われたことはない。それでも、万が一ということもある。逆に、「魔女っ子」とやらのスカウトに会う理由なんて、僕にはその程度しか思いつかなかった。
「この国の人間のことは一応勉強したからね、キミが男の子であることはわかっているよ」
「だったらなんで……」
「この国の言葉で『魔女』っていうのは、英語のウィッチの訳語だよね。今の英語にはウォーロックみたいな男性形があるけど、昔はそんな言葉はなかったんだって。だから魔法を使う男もウィッチ、つまり『魔女』と呼ばれていたらしいよ。だったら、男の子のキミが『魔女っ子』になっても、別に不思議はないよね?」
「いや、かなり無理があると思うんだけど……」
「まぁ、細かいことは気にしない、気にしない」
理論が強引過ぎる上に、男女の違いは決して細かいことではなく、寧ろ「魔女っ子」好きにとってはクリティカルな問題のはずなんだけど、山羊は気にせず続けた。
「それに、この国では、成熟した女性になる前の未成熟な状態を、女の子とか女子って言うんだよね?」
「いや、最近は二十歳を過ぎて三十路、四十路になっても、女子って言うみたいだよ。女子力とか、女子会とか……」
都合の悪いことは基本的に聞こえないらしい。山羊はまたしても僕の言葉を無視して、続ける。
「だったら、いずれ『魔女』になるキミたちは、『魔女っ子』と呼ぶべきだと思うんだ」
日本における「魔女っ子」の特別な意味を、この山羊はわかっているのだろうか? 僕の認識では、魔女っ子は魔法を使うという点を除けば、いわゆる魔女とは似ても似つかぬロリっ子集団だ。下は幼女、少女から上は大きなお友達まで、幅広い層を虜にする王道アニメの登場人物、それが「魔女っ子」、あるいは「魔法少女」というものだろう。
ちなみに、魔女と言えば、僕の貧相な想像力では怪しげな材料を大なべでぐつぐつと煮込む老婆しか思い浮かばない。
山羊が僕に求めているのがその「魔女っ子」であるならば、人選ミスも甚だしい。僕は呆れて何も言えなかったんだけど、こんな時に限って、心を読んではくれないようだ。
「寧ろ素直に、魔法少女とか魔法少年って言えばでいいんじゃないの? 意味もそんなに変わらないでしょ」
「甘い! 魔法少女は魔法使いの少女形ではあっても、魔女の少女形ではないでしょ。『魔女』に対応させるなら、『魔女っ子』と呼ぶべきだよ!」
男を魔「女」と呼ぶのは気にしないくせに、魔女っ子を魔法少女と呼ぶのはダメらしい。どうやらこの山羊人間は、「魔女」という言葉に強い拘りがあるようだ。僕は不毛な議論を中断して、本題に入った。
「で、『魔女っ子』になると、どうなるの?」
「よくぞ聞いてくれました! 当然、魔法を使えるようになるよ」
「……代償は?」
この手の話に代償が必要なのは、言わばお約束だ。大体、何の見返りもないなら、わざわざこの山羊人間が魔法の力を配り歩くわけがない。
「鋭いね。代償というほどではないけど、条件として、数人の魔女っ子達の参加する『魔女っ子大戦』に参加してもらいたいんだ」
「魔女っ子大戦?」
その胡散臭い響きを訝りながらも、一応確認する。
「そう。魔女っ子達による凄絶なバトルロイヤルさ。最後の一人になるまで、戦ってもらう。勿論、そこで勝ち残れば、素敵な賞品がゲットできるんだ」
「素敵な、賞品?」
ますます胡散臭い。
「そう。魔女っ子大戦の勝者には、文字通り『魔女』の資格が贈られる。それだけじゃなく、副賞として、どんな願いでも一つだけ叶えて貰えるんだ」
「どんな願いでも……」
僕の頭にまず浮かんだのは、身長を180cmにして欲しい、という願いだった。武術をたしなむ者にとって、体格は天賦の才に近いものがあるのだ。勿論、急に伸びたら不自然だから、一年かけてじっくり伸ばす等、願いを吟味する必要はあると思うけど。金では決して叶えられない願いが叶えられるのだとしたら、少なくとも非常に魅力的な条件に思えた。
「うぷぷ、願いごと、あるみたいだね」
山羊人間の笑いに再び鳥肌が立つ。この山羊人間は怪しい。この山羊の頭が本物でも、偽物でもだ。そんなことは十分わかっているはずなのに、僕はこの非日常的な会話を止めることができなかった。
「じゃあ、負けたらどうなるの?」
何となく答えは予測できたけど、僕は恐る恐る、聞いてみた。
「いい質問だね。言ったよね、最後の一人になるまで戦う、って。文字通りの意味さ」
「つまり、負けたら死ぬし、全員を殺すまで終わらないってこと?」
「まぁ、基本はそうだね。降参は認めるけど」
「そんな条件、飲むと思うの? 殺人を犯せば、社会的には死ぬのも同然なんだよ?」
「その点はご心配なく。『魔女っ子大戦』で人を殺しても、それが他の人間にばれることは絶対にないと保証するよ。魔女になれば、ボクとのパートナー関係はどちらかが死ぬまで続くんだし、悪いようにはしないよ」
山羊人間の言葉が本当だとしても、人を殺して願いを叶えるなんて、許されるはずがない。そう咎める僕の良心を、山羊は嗤った。
「気にしなくていいよ。キミが殺すのは、キミと同じように自分の願いを叶えるために人殺しを覚悟した『魔女っ子』なんだから」
確かに正論だ。僕の心は揺れた。そして、続く一言が更に大きく僕の心を揺さぶった。
「退屈な日常、うんざりじゃないの? 魔女っ子や魔女になれば普通の人間には味わえない刺激的な毎日が待っているんだよ。すれ違う者全てを妄想の中で縛るなんて、よっぽど退屈で、欲求不満なんだよね?」
本心、とまでは言わないけれど、かなり核心を突かれてしまったことを、僕は否定できなかった。所詮は、満たされない飢えを誤魔化すための、代償行為なのだ。なんと答えるべきか、僕の頭の中でまとまらない思考がぐるぐると回る。
「まだ答えはいらないよ。あまり時間はないけど、今この場で決断を迫る程ボクもいぢわるではないしね」
このまま結論を急がされたら、思わず同意してしまうか、反射的に拒絶するか……どちらにせよ、理性的な判断は無理だったと思う。山羊人間もそんな場当たり的な回答を欲してはいなかったのだろう。
「また明日の夜、会いに来るから、その時までには答えを出しておいてね」
そう言い残して、山羊は闇に溶けるように、僕の前から姿を消した。




