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聖剣と魔女のミュトロジア  作者: 八雲 辰毘古
第二章 魔女と騎士
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第9話 父が遺してくれたもの

 騎士たちが布陣に就くためにてんやわんやしているさなか、ふたごは思わぬ人物に呼び止められた。

 なにを隠そう、フェール辺境伯である。

 かれは使いもなくふたごの肩を叩くと、「来なさい」とだけ言って野営地の作戦本部へとふたりを案内しようとした。


 ふたごは一瞬ためらった。

 とくにアデリナはシュヴィリエールからの視線を感じていたのだ。


 しかしフェール辺境伯は一瞥(いちべつ)すると、シュヴィリエールは「では後ほど」と言って身を退()いた。それでふたごは辺境伯と三人だけになったのだった。


「ガーランドさんは?」とルート。

「かれはもういないよ。魔術を駆使して例の魔女を追跡しているかもしれんな」


 フェール辺境伯はさもどうでもいいことのようにさりげなく言った。

 それからテーブルに手をかけ、少々寄り掛かりながらふたりの顔を交互に見た。


「星室庁のものがいなくなったから、きみたちにはほんとうのことを伝えようと思う。

 ……騎士ノエリクに〝ラストフ〟と名を与え、魔女エスタルーレとの隠遁生活を送れるように手配したのはこのわたしだ」


 ふたりはびっくりして、ついお互いの顔を見合わせた。


「え、じゃあ。お父さんのことも、お母さんのことも……」

「もちろん知ってる。とはいえ〈エル・シエラの惨劇(さんげき)〉でなにがあったのかまでは、知らんが」


 ふたごは絶句したままだ。

 フェール辺境伯は苦笑した。


「ノエリク・ガルドの名前は、宮廷では()まわしい名前──決して口にするのもはばかれる名前だが、騎士のあいだではそこまで悪評は立っていない。宮仕え時代の功労・人柄の賜物だろう。かれは騎士学校卒の人間のなかでは英雄家の一族に匹敵するくらいの熟達の士だったからな」

「父さんが……!」

「ああ。曲がりなりにも聖堂騎士の一員だったのだから当然だ。トリスタン(きょう)の信頼も厚かったのさ。かくいうわたしもよく世話になったものだ。足を向けて寝れない相手だ」


 アデリナは身を乗り出して、感激に身を震わせていた。


「すげえや。やっぱりアタシの父さんは……」

「だが、手放しで()めてばかりもいられないところがひとつあった」

「えっ?」

「〈エル・シエラの惨劇〉でノエリクがした〝裏切り〟のことを、きみたちがどう知らされたのかはわからん。だが、通説では魔女結社を擁護(ようご)し、混乱のさなか英雄家の世継ぎを(しい)した罪に問われている。その裁判はいまも決着が着いていないのだ」

「──それが、シュヴィリエールのお父さんなんですね」とルート。

「そうだ。しかも困ったことに、クナリエール──シュヴィリエールの父君(ちちぎみ)の名だ──は生前、ノエリクとは大の親友だった。それが友情を絶って果たし合いをせねばならないほど、〈惨劇〉とはひどいものだったとも言えるだろう。しかしあの事件を生き残っている人間は騎士ではあの男だけなのだ。真相はなにもわからんままだ」

「じゃあ、なんであなたはお父さんを助けたのですか? それも、ボクたちがこの年齢になるまでの長い間ずっと」


 ルートが挑むように問いかけると、フェール辺境伯はわずかに視線を逸らした。


「なぜだろうな。きみたちにはわからん話かもしれんが、わたしはノエリクを信じたかったんだよ。〈エル・シエラの惨劇〉の()()()()はこんな辺境でも否が応でも聞こえてくる。その当事者でありながら、あえてわたしを信頼したノエリクの気持ちに応えてやりたかったんだ。それくらいの恩は受けたと思っているよ」

「…………」

「事件で利き腕の左腕すらも失くしていたんだ。もう昔のように剣が使える身じゃなかった。だったらと鍛冶屋を薦めたのもわたしだ。あとは余計なことをせんで済むようにと当地の教区司祭を買収させてもらった。ヘルマン司祭はああ見えて酒好きの破戒僧だったからな。たらしこむのは難しくなかった」


 ルートはなんとも言えない表情をつくる。


「辺境伯様、お世辞にも冥府(よみ)での裁定はひどいものになりそうですね」

「なに。〈沈黙(もだし)の地〉に言葉は持って行けぬのだ。最後まで黙っていればどうということもあるまい」


 ふたごはここに、大人の世界のずる賢さを見たような気がした。


「まあ。ヘルマン司祭による監視も、いまとなっては台無しだがな」

「どういうことですか?」

「ヘルマン司祭からの連絡は、黒竜出没とともに途絶えている。ノエリクの行方は、だからわたしにもわからん」


 そこで──と、ふたごが唖然(あぜん)とするなか、フェール辺境伯は直立した。


「率直な話を聞きたい。きみたちは、ほんとうに何も憶えていないのか?」


 ルートは即座に「すみません」と言った。しかしアデリナはしばらくの間があった。考えているのか、それとも。

 果たしてアデリナの脳裡(のうり)は、めまぐるしく働いていた。まるで灯火を中心に据えて回転するからくり仕掛けの影絵芝居のように、父の声が、父と会話した内容や、父と模擬戦を試みた日々のことを断片的に追憶している。途中でなんども火打ち石を打ち鳴らすような激しい閃光が割り込んで、回想の邪魔をする。しかしそのさなかに、壁画に映った絵具を痕跡を見るような、確かな感触を得た。雨の日も風の日も木剣に打たれ、体術を仕込まれ、泥に埋もれ、全身をあざだらけにした記憶が、生々しく蘇ってきたのだ。


「少なくとも、父さんはアタシに剣を教えてくれました。たくさんの剣術を、型を、基礎的な訓練を、教えてもらったはずです」

「うむ」

()()()もその訓練の日だったと思います。アタシ──なにか見たはずなんだ。で、父さんにやたら強く打たれたような気がする。だって気がついたら藁屑だらけだったんだもん。干し草のさ、あのなかに埋もれてるって。アタシが父さんと訓練してた場所の記憶と合わないからさ」

「なるほど。なおさらわからんな」


 だがこれだけは言える、とフェール辺境伯は言った。


「ノエリクは逃げたわけではない」


 ふたごは真剣にうなずいた。


「少なくとも、わたしにはかれは何も語ってもくれなかったし、相談もしてくれなかったよ。ただ、もし圏外に出ようと思ったなら、かなり手間がかかる。だれにも知られず出るには難儀するだろうな。それを利き腕を失くした男がやるのはほぼ無理な話だ。ましてやタリムの城市(まち)に目撃情報があったわけでもない」

「……調べたんですか?」

「可能なことはね。でも、逆に言えばそれまでなのだよ。きみたちに話せることは」


 ふたごは黙っていた。


 槍を抱えた騎士が視界の端を行き来する。号令がくらやみにこだまして、まるでお祭り騒ぎが始まったみたいだった。

 さながら、史劇の始まりである。この叙事詩圏では幾度となく魔獣の脅威に脅かされてきた。その歴史はヒトの誕生とともにあったとさえ言われている。魔女狩りよりもはるかに昔から連綿と続いている、これはれっきとした人間世界の営みなのだ。


 アデリナは、その列に自分が参加することを夢見ていたはずだった。

 だが、それが現実(うつつ)のものとなったいまになると、やけに身がソワソワして落ち着かない気持ちのほうが勝っていた。


「どうも答えはきみたちの中にあるようだ」


 辺境伯は不敵な笑みを浮かべる。


「アデリナ、きみの処遇についてはわたしのほうから一考してみよう。いったんは辺境伯付き騎士シュヴィリエールの従士として作戦に参加せよ」


 アデリナの反応に先手を打ってから、辺境伯は言葉を続ける。


「なに、()()も騎士だ。いまなにをすべきか、それくらいはわかっている」

「でも……」

「アデリナ。騎士になるというのはそういうことなのだよ」


 フェール辺境伯の試すようなまなざしに、アデリナはひとりの人間として、迎え撃った。それは数ある剣戟のなかでももっとも緊張するものだったと言っていい。


「わかりました」

「よろしい。行け」


 アデリナはうなずいて、踵を返した。

 その背中に、ルートは。


「リナ」声を掛けた。

「……なんだよ」

「死なないで」

「……ん」


 振り向かず、右腕を伸ばす。中空を握るこぶしが、ルートの不安を小突いた。


 そして、少女は走り出した。

 あとに残された少年は、あらためてフェール辺境伯を見る。


「さて、あとはきみだが──」

「ヘルマン司祭の身の回りのことについて、気になることがあります。そしてボクからあなたにいくつか〝提案〟できることがあるかと思いますが、いかがでしょう?」


 フェール辺境伯の眉間にシワが寄った。

 立て続けにルートはまくしたてる。


「決してお手間は取らせません。うまくいけば、メリッサ村に出現した黒竜を〝封じ込め〟ることができると思います」

「──なら、聞かせてみよ」


 挑みかかるルートの目は、湖の底のように深い青だった。



     †



 すでに戦いは第二の展開を見せていた。


 アデリナが駆けつけたときには、第一の襲撃は終わっていて、魔獣の群れが遠ざかっているところだったのだ。

 だが、騎士たちはまだ獣除けの柵から先に出ていこうとはしない。得物を片手に、油断なくあたりを警戒しつつ、くらやみの向こう側に眼を凝らしている。


 かがり火が照らすただなかを、アデリナは自分とだいたい同じくらいの背丈の人物をさがしもとめた。

 シュヴィリエール・アスケイロン。

 その名は、かつてはおとぎ話のなかの英雄だった。しかしいまは肩を並べ、ともに戦う仲間のひとりでもある。


「シュヴィリエール」


 火明(ほあ)かりが()めるように照らすその場所の隅から、「アデリナ」と声がした。呼ばれた当人はただちに走り寄る。これを、(つや)やかな気品のある金髪と、深く知性の宿った(みどり)のまなざしを湛えた騎士が迎えた。


「だれの命でここに来た?」

「辺境伯様」

「そうか、では──」

「いったんシュヴィリエールの下に就けという、命令だった」

「……ッ!」


 シュヴィリエールの片目の瞳だけが一瞬揺らいだように見えた。それでアデリナは不安になったが、シュヴィリエールは固く眼をつぶっただけで手荒な真似はしなかった。


「だいじょうぶだ。親の罪は子どもにはない」


 まるで言い聞かせるようにそううそぶくと、彼女は眼を開いた。そこには不気味なほど澄んだ(みどり)の瞳がアデリナを見ていた。


「アデリナ……アデリィと呼べばいいか」

「なんでもいいさ。よろしく頼む」


 シュヴィリエールはアデリナの背中に手を当てて、そのまま陣地を案内した。

 かれらが身を潜めていた獣除けの柵は、よく見ると土を掘った盛り土の上に築かれていた。したがって、かがり火の照明に導かれるままに視野を開くと、くらやみのなかに(うごめ)いているけものの影を見通すことができた。


「あれは……」

「闇のけものだ。物見の報告に拠ると、大多数が月狼(マナガルム)だと言われている。中型の魔獣で、月が照らす森でその数を増やす魔の眷属(けんぞく)だ──その数おおよそ三十。大した群れだ」


 アデリナはようやく闇に眼が慣れた。

 赤くにらむ無数の眼を見た気がした。


「たぶん後ろにはもっと厄介な魔獣がいるはずだ。だが、やつらは来てない。その前に、月狼(マナガルム)どもを一掃するのがわれわれの作戦というわけだ」

「どうやって?」

「下を見ろ」と言いながらシュヴィリエールは指し示した。「獣除けの柵が切れて、なかに円のような囲い込みがあるだろう。あの中に誘い込むと、やつらけものの習性から囲いの外に出ようとしても出れない。そうなったところを内側から一匹ずつ刺し殺す」

「げえ、そうなってるんだ」

「きみは騎士道物語などから、単独で魔獣と戦って勝つ英雄のようなものを想像しているかもしれんが……時代は進んだんだよ。いまは白魔術によって魔獣それぞれの特性もよく知られるようになっている。だから、必要なのは集団戦法と適切な指揮系統、そして命令に忠実な兵士たちってわけだ」


 そして──とシュヴィリエールが付け加える。


「この戦法の実現に奮闘したのが、わたしの父クナリエールと、きみの父ノエリクだ」


 アデリナはふとシュヴィリエールの横顔を見た。()()の面持ちは無に等しいほどの冷たさだった。火明かりが陰翳(かげ)を深く刻み込んでいて、うかつに声を掛けにくいほどだった。

 シュヴィリエールは、アデリナの視線に応えるようにこちらを見た。おかげで光と影が、()()鼻梁(はなすじ)からあごのあたりまで表情をすっぱりと二分割している。


「わたしにとっては、自慢の父だったよ。きみもノエリクの遺したものの凄さを、きっと目の当たりにするだろうね」


 ぽつりと言った言葉の真意を、問う間もないまま、第二波の襲来を告げる(かね)が鳴った。

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