第20話 運命の別れ路で
〈戴冠の都〉リア=ファルの大港は、タリムのそれとは比較にならない豪華絢爛の光景だった。
アンカリルの河岸の中でも流れが緩やかで、船着き場としても理想的な地形に造られた大港は、それ自体が一個の城市だった。年月経た遺構のアーチをくぐった先の港湾部に、生臭い藻と魚河岸通りとの香りが渦巻き、ひとびとの熱気で蒸している。
特に印象的なのは色だった。タリムの街並みは薄暗い灰一色だったが、リア=ファルの大港では古代遺跡と赤煉瓦の倉庫街が交錯し、壁を這うキマキヅタや街路樹の緑、ギルド傘下の商会の垂れ幕、そして道ゆく人の衣装の色などが折り重なって極彩色の景観を生み出している。
ふたごはこの景色に圧倒された。アデリナは歓声を上げていた。ルートもこんな場合でなければ胸の高鳴りに正直でいられただろう。
(とうとう来たんだ……)
そういう感慨がなくもない。ルートは複雑な心境にあった。
エヴァンズ商会の定期便が荷下ろしの仕事を始めるなか、三人は船長に別れを告げ、聖櫃城の方へと歩きはじめた。
これほどの賑わいを見せる大港も、しょせんは壁外区と呼ばれる新市街に過ぎない。
もともと丘の上に建てられた聖櫃城を、さらに市壁で囲んで造られたのが壁内区である。〈女神の平和〉の訪れとともに、人が増え、市壁をもう二枚ほど建て増したが、ついにあふれだして港湾部と区別がつかなくなったという。それが壁外区の成り立ちだった。だから、三人の旅路も自然と傾斜を登るようになっている。
四層五層が当たり前の集合住宅街を抜けて、子供たちや人夫、ケヅノシシによる荷車の移動をかわして進む。だんだんとふたごは街の景観が煉瓦ではなくライムストーン(石灰岩)の建物で構成されていることに気づいた。
(いよいよ本丸なんだな)
アデリナは喜んでいたが、ルートは憂うつの嵐が内面に渦巻いていた。
リア=ファル到着前に、ルートはすでにあることを試していた。苦痛はなかったが危険なことだったといまでも思う。それをひとりでやれてしまった自分にも驚いたが、かえってその秘密の重さに胸が苦しくなっていた。
(うまくいくといいけど……)
けど──その先は自分自身、言葉にしたくなかった。
水道橋の下をくぐり、市壁の門を通った。タリムと違って星室庁の顔が効いた。二枚目、三枚目の市壁も平気だった。街並みはすっかりライムストーンの壁と黒いスレート屋根で、色もおとなしく品格のある景色になっていた。
壁外区の下町風情も、無くなった。壁内区の外縁は商人屋敷やギルドの集会所があったが、それをくぐると貴族の上洛屋敷か、教導会や星室庁、騎士学校の円形武道場などの立ち入りが限られた施設が目立ってくる。道幅も広くなり、行き交うひとびとというのも違ってきた。
「さて、ここでお別れだ」
まったく思いがけないところで、ガーランドが立ち止まった。この言葉の意味を受け取るのにわずかに時間がかかった。
最後の市壁を過ぎて、しばらく歩いたところである。そこにはツノフチコマに引かせた駒車があり、四人乗りの箱だった。ふたごはてっきりガーランドも付いてくるものと思っていた。しかし、乗車したとたんにかれは微笑んで首を振ったのだ。
「そんな、ガーランドさん……」とアデリナ。
「わたしはここまでと、さっきお達しがあった」と、かれは御者をさりげなくあごで示した──「君たちは、自分が思っているよりもはるかに重要人物なんだよ。それで、どうも上層部がひどく関心を持っていているらしくてね」
ルートはその言葉に裏表がないことを確認した。ガーランドはまた荷物を取り出し、黒い書物をルートに、鞘の無い剣をアデリナに返した。
「結果的に、何もなくて良かった。無事かどうかはまた別だけど」
「ガーランドさんは、どうなるの?」
「どうもなりはしないよ。わたしはまた次の仕事があるだけのことだ──」
「きっと、それは秘密なんですよね」
「そうだね」──とガーランドは苦笑した。「まあお察しの通りさ」
ただ、ガーランドはついでのように、手袋を脱いで、ルートに握手を求めた。少年はけげんに思いながらも、それに応じた。
手のひらに、何か異なる感触があった。
「それじゃあ、また──」
駒車は動き出した。
それからは言葉も出す間もなく、貴族の敷地をわき目に淡々とした道中がつづいた。噴水がある広場を抜けたかと思うと、最後の橋を渡って、ついに聖櫃城に入った。
歴史あるライムストーンによって築かれたその城郭は、古代魔法文明の遺構の上に建てられたというが、とてもそんな気がしなかった。むしろ感じたのは城内を満たしている清浄な気配だった。何を間違ったか、辺境の山奥の村に住んでいたふたりには到底想像もつかないほど洗練された文化と風習の積み重ねが、ライムストーンの壁や敷物ひとつに感じられた。だから、下車しろと言われても素直に頷けなかった。
それでも降りて、ふたりは着の身着のまま連れて行かれた。まるで裸のまま歩かされているかのような緊張感があった。
ふたごは厳密には城内ではなく、星見の塔の一画に続く内庭の道を通されていた。そこは俗に〈天文塔〉と呼ばれる、星室庁の総本山だったがふたりはそれを詳しくは知らなかった。ただルートはその建物を、〈星見の塔〉に似ていることから何かを察していた。ガーランドからもらった紙片はまだ開かれずに握られていた。
塔に入る。階段を登る。それまで引率していた人も、何度か交代してついに導師の衣をまとった壮年の男になっていた。最後のその男は、膝を屈し、自分はパラディン・トルクという名前の導師だと名乗った。ヌマワシのような強面だったが努めて笑顔で接してくれた。
かれに導かれて入ったその部屋は〈星の間〉と呼ばれている。もともとここに集って国政の行く末を占い、施策を判断したのが星室庁の始まりだった。いまでは宰相を交えた政務の舞台裏そのものであったが、ふたごはそんなことを知る由もなかった。
「ノエリク・ガルドの子供たちを連れてきた」
入室してすぐ、パラディン導師はそう宣言した。驚いたのは〝魔女結社の手のもの〟でも〝黒魔術の関係者〟でもなかった、ということだった。だが似たようなものかもしれない。その言葉による反応は決して良いものではなかったのだ。
導師連の目は、まるで見たくなかった井戸の底を念のため確認するかのような、苦り切ったまなざしだった。ルートはともかく、アデリナまでも緊張してしまった。あまりにも想定外だったのだ。最悪の事態と言っても、異端審問官に幽閉されて尋問を受けると思っていたのに。
「してパラディン導師よ。これはどういう茶番だね?」
奥の席に座した導師が言った。傍らのパラディンはうやうやしく一礼して応える。
「恐れ多くも大導師ハルケン様よ。これなるは、かつて〈エル・シエラの惨劇〉の渦中にあり、魔女結社の陰謀を阻止した英雄の子息たちです。われわれが歓迎せずしてどうなされるか」
「フム……」
「それに、ノエリクのその後は明らかではありませんでしたが、わかったのですよ。あのメリッサ村にいたのです。十五年も、名を変えてね」
淡々と告げられた内容に、導師連は束の間沈黙したものの、ヒソヒソ声での疑問のやり取りをし始めた。だがハルケン大導師の一瞥が走ると、再び沈黙が舞い戻った。
「メリッサ村? 例の界嘯があったという?」
「それ以外のどこがありますか」
「ならば、その子らは〝生存者〟ということになるのかね」
「生存者……?」
思わずアデリナが反応した。なんだ知らんのか、と言わんばかりにパラディン導師が事実を添えた。
「メリッサ村の入会地の山奥で、無数の村人たちが供犠に捧げられた痕跡があった。その中にはヘルマン司祭自身の亡き骸も含まれていた。辺境伯の騎士団が上げた緊急の伝書鳥に拠ると、死亡者の一覧は、土地台帳のそれとほとんど一致したのだ──われわれが潜入させたガーランドと、魔女ユリア、それから鍛冶師ラストフの一家を除いてね」
そんな、とルートはつぶやいた。ハルケン大導師が身を乗り出して言った。
「被害は明確だが、あいにく魔物の痕跡が不明瞭なのだ。大型の魔物か、壮絶な魔術現象でなければああしたことは起こらない。だがそのどっちなのかは騎士団は報告してない。何も分からなかった、というのだよ。そこで訊きたい。きみたちはどのようにして生き延び、何を見たのかね?」
アデリナは口をパクパクさせていた。ここは、こうなったら──ルートは言うしかなかった。
「竜です」──それから、ルートは震える声を鋭く制して、言った。「ボクは竜を見ました」




