第7話 騎士道を歩む人々
野営のかがり火は、街中よりも皓々と照らされていた。
一説に拠ると、炎は魔性のモノを祓う性質を持ち合わせているらしい。これは『神聖叙事詩』にも書かれている内容で、したがって黒魔術とは異なる神聖な摂理として知られている。だから魔獣退治に関わる騎士たちは燃料と薪の調達を欠かさないようにしていた。
そのかがり火が、いまや円陣となったひとびとを映し出している。影のひとつも見いだせないくらいの明るさのただなかに、ふたりの少女が立っていた。
いまひとりはアデリナ。
そしてもうひとりはシュヴィリエールだ。
両者は革の鎧を着せられ、刃を抜いた長剣を手渡されていた。
シュヴィリエールは慣れた手付きでそれを持ち、手首を返して柔軟な構えを見せた。いっぽうアデリナは、たどたどしく受け取って、最初その重さに驚いていた。青年騎士から無造作に受け取ったそれをガクッと身を崩しながらも持ち直す。一連のしぐさの滑稽さで周囲の失笑を買ったくらいである。
「なんだい、ありゃあ」
「騎士になりたがるヤツあな、口先だけはご立派なモンなんだがなあ」
騎士たちがアデリナの挑戦を歓迎していないのは、明らかだった。
かれらの侮蔑の言葉を受けて、アデリナがむきになって応えようとする。しかしそこに先んじてシュヴィリエールが口を開いた。
「だから言っただろう。きみは騎士になるには、弱すぎる、と」
「……ッ!」
「それだ。その自制のなさだ。きみは騎士道精神のなにを知っているつもりなのだ?」
アデリナは歯をむき出しにした。だが、とっさに言い返せずに、奥歯をギリギリと噛んで、しばらく相手をにらみつけている。
長い時間に思える数秒間があった。怒りをグッとこらえた彼女は、溜め込んだ息をようやく吐き出すと、苛立ちを含んだ声で言う。
「一つ。力を蓄え不屈の己を築くこと。
一つ。隣人を愛する心で弱きを守ること。
一つ。何よりも忘るるなかれ。
恐れに対して勇気を捨てぬことを」
『神聖叙事詩』「勇者問答」の章の有名な一節──シュヴィリエールは肯いた。
ふたりは長剣を携え、背を向けてゆっくりおのれの配置に着いた。
審判役を買って出たのは壮年の騎士で、名をモレド・カヴァーナと言った。
騎士装束をまとったその男の背丈は、さながら巨人族の末裔のように思えたものだった。かれはクセなのか、口ひげをやたらとさすりながら、口を開いた。
「あくまでこれは試練だ」
モレドが物々しく説明する。
「剣術を通じ、力と技、そして戦いにむきあうおのれの勇気を問う。したがって傷つけ合う必要はないし、殺傷などもってのほかだ……よろしいのですね?」
最後の言葉は、上座に座ったフェール辺境伯への問いかけだった。
むろん辺境伯の回答は「是」であった。その傍らにはアデリナを心配そうに見つめるルートと、とっさに出ていかないようにその肩を抑えるガーランドのすがただった。
(リナはどうなっちゃうんだろう)
父の仇の子ども──
辺境伯の発したその言葉の意味を、言われて気が付かぬほどルートは愚かではない。
(ガーランドさんはお父さんが〈エル・シエラの惨劇〉で魔女結社に寝返ったって言っていた。だからあの事件のなかで、シュヴィリエールのお父さんを──仲間の騎士を手に掛けたってことになる)
この従士試験の準備の過程で、ふたごはシュヴィリエールの本名を知らされている。当然その家名が意味するものも知っていた。
勇者アスケイロンの末裔。それは平民の立場から建国の英雄と為った、いわばアデリナのあこがれそのものの影だった。
その人物の父親を、ふたごの父ノエリク・ガルドが殺害した──
心做しか周囲の騎士がふたごを見る目も険しく、忌まわしいものをまなざすようだ。
ルートは背後のかがり火の薪が爆ぜる音を聞いて、身を縮こまらせた。なんてことのない突発的な炸裂音だったが、いまとなっては〈夜の賢者〉とされるズクの鳴き声であっても非難の声に聞こえるほどに、心細かった。
(お母さん……もしこの光景を見ているなら、リナを助けてあげて)
祈らずにはいられなかった。
そうこうしているうちに、モレドの声が場のざわめきを鎮めた。
「両者、構え」
両手で握った剣を、ゆっくりと構える。
構える。剣の刃に当たる部分を寝かせるようにして下段──腰に提げた位置よりも低く、相手から隠すようににぎった。
アデリナはこれを見て、なぜか直感的に〈魚の構え〉だと悟った。水面下に潜航し、相手が打つ先手を掬いあげるがごとく下から払って顔をねらう。定石と言えば定石、しかしかなり技術を要する型だった。
(なら。こっちはこうだ)
アデリナが取ったのは〈鳥の構え〉だった。肩口に担ぐように剣を置き、一撃必殺の瞬間まで〝溜め〟をつくる。しかしこれはたんなる大ぶりな一発屋ではない。あくまで上段にのみ限って、手首の返し次第でいくらでも複雑な斬り込みを放つことができる。
両者が実践したのは叙事詩圏でもっとも正統に近い〈中央剣術〉の本流、その基礎とされる型だった。
モレドもこのときばかりは眼を見張った。
一瞬の沈黙、それから、どよめき。そこに「なにをしている」と辺境伯の一声が割り込み、我に返ったモレドが開始を宣言した。
「始めッ!」
先に攻撃したのはアデリナだった。〈鳥の構え〉からすばやく振り下ろされた一撃は、冷静な判断がなければ決定打に見えるほどだ。ところがシュヴィリエールは厳しくその軌道を読み取って自ら飛び込んだ。ガラ空きのアデリナの半身に向かって下から上へと斬り込む姿勢は、一見無謀だったが、相手の技がだましだとわかったからできる手だった。
シュヴィリエールの手のうちで泳ぐ〈魚〉が、急流を駆け上ってアデリナのわき腹に噛みつく。彼女の思惑ではアデリナは〈鳥〉の翼をたたんで退くより他にない。しかしアデリナはさらに踏み込んだ。姿勢をくずし、剣を深く振り下ろすように見えた。さらに手首を捻って、翼を広げた。さながら威嚇する猛禽類──飛びかかった〈魚〉の牙は、あえなく〈鳥〉の爪に弾かれて終わった。
すかさずアデリナは飛び膝蹴りを放った。
半身になったシュヴィリエールにはこれは痛手だった。とっさに得物を手放し、両腕で衝撃を吸収した。背後にはじき飛ばされ、受け身を取る。地面に放り出された勢いそのままに立ち上がった。
その立ちどころに、アデリナが力任せに左腕を振った。荒削りだが、鋭い。シュヴィリエールは視界の端でこれを捉えると、両腕で受け止めて、今度は反撃に転じた。
足払い──
瞬く間にアデリナが宙に浮いた。
くるっと視界が半回転。そのさなかに、アデリナは自分の腕を軸に、シュヴィリエールが殴打を受け流しているのを理解した。しかし分が悪かった。アデリナはあえて抵抗せずに、勢いよく体重を掛けた。
さながら側転からの宙返りといった具合に、身を旋回させると、放り出されたふりをして、右手を地面に付けた。身をひねって両足で着地する。
両者得物は手放していた。
組み合う姿勢で緊張した間合いを取る。前屈みにたがいの手と手を差し出し、狙いあう。油断も隙も、へったくれもありはしなかった。とくにアデリナは油断して惨敗している。同じ失敗を二度繰り返すわけにはいかなかったのだ。
一瞬交差した腕が、相手の腕をつかんだ。勝った、とアデリナはほくそ笑む。あとはこのまま力任せにねじ込めば、いける。
そう思っていた。
ところがシュヴィリエールのほうが数段上手だった。彼女はアデリナの油断を見逃さない。身をわずかに、すばやく沈めると、アデリナのつくった両の腕へ飛び込むかのようにその下をくぐった。あっ、という間もなかった。彼女は相手の胴を抱えあげ、そのまま下半身をすくいあげて地面に倒したのだった。
「そこまで!」
モレドが終了を告げた。かれはこの激闘を見ても眉ひとつ動かさない。
アデリナはくやしくて、歯をむき出しにして起き上がった。
(くそっ、まただ。また負けた)
対するシュヴィリエールは汗をかいたひたいをぬぐって、騎士たちを見やる。
「ちきしょう、なんだってんだよ」
アデリナの憤慨が声になって出た。
シュヴィリエールは冷ややかにその怒りを受け流している。
モレドはおもしろいものを見た、と言いたげなまなざしでふたりを観察する。そしておもむろに拍手をした。
「メリッサ村のアデリナ」
「はいッ」
真っ先に呼ばれたのでびっくりした。少し声が裏返ったかもしれない。
「いまの技術、大したものだったぞ」
モレドの言葉は、ふしぎと胸に響くものがあった。しかし──
「さぞかし師の教えが良かったのだろう。わたしはきみに剣術を教えたヒトを尊敬する。たとえ過去がどうあれ、な」
続く言葉に、アデリナは衝撃を受けた。火打ち石で頭を殴られたかのような激痛と、激しい閃光が彼女の脳裡によぎった。
「……父さんがどうしたって?」
ぴくっと眉が動いたのは、シュヴィリエールだった。モレドほか、周囲の騎士たちは平然とした面持ちでアデリナを見ている。
「これはアタシが努力して得た技だ」
めまいを覚えながらも、ゆっくり歩く。息を切らしながら、内臓から言葉を引きちぎるように叫びを声にした。
「確かに父さんはアタシに剣を教えてくれた。だが、これはアタシが身につけたことで、いまの試験はアタシの能力を試すためのものだったんじゃないのか?」
「そうだな」
「だったら──」
「きみは少し勘違いをしている。これは騎士の世界ではごく当たり前のことなのだ。師を敬い、目上のものを立て、手柄を決して驕らない。騎士の誓いを知らないのか」
アデリナはきょとんとして、思わずシュヴィリエールを見た。
シュヴィリエールは複雑な面持ちでアデリナの視線を受け止める。決して逸らさない。そのまま代わって返事をした。
「騎士は正義をなさねばならぬ。
騎士は虚偽を吐いてはならぬ。
騎士は名誉を守らねばならぬ。
騎士は戦争に身を投じねばならぬ。
騎士は乙女に身を捧げねばならぬ。
騎士は信仰に身を置かねばならぬ。
騎士は憐憫の情を忘れてはならぬ。
騎士は決して傲慢に心を許してはならぬ」
モレドは口ひげをさすった。
「そういうことなのだ」
「そんな……」
アデリナは怒りの行き先を失って、途方に暮れてしまった。
「そんなばかな話ってあんのかよ」
この言葉はただかがり火の向こう側に吸い込まれるだけだろう。
闇だけがそっと受け止めるだけのむなしい声でしかない。だれもがそう思っていた。
ところが──
「まったくだ。ばかげているではないか。騎士道など唾棄すべきものに、なぜそうも固着するのだ?」
くらやみのなかから、だしぬけに聞こえてきた女性の声。それが、騎士たちのあいだに緊張としてほとばしった。
瞬発的に身構える騎士たちのなかに優雅に歩んで来たのは、禿頭で大柄の女性だった。紫水晶の瞳と、褐色肌がかがり火の明るみにさらされて、激しい対照をなしている。そのたたずまいにだれもが目を奪われていたが、ガーランドだけがその魔力のくびきを逃れたかのように、彼女を名指しした。
「貴様は、〈冬将軍〉イシュメル……!」




