第39話 魔女と少女
「……それで、気は済んだのかい」
デイヴィッドが「魔女」パトリシアの屋敷に運び込まれてから、数日後。
落ち着かない様子のセレナに向け、パトリシアは呆れたように声をかける。
「『復讐するんだ』って、聞かなかっただろう」
「……なんかね、わかんなくなっちゃった」
セレナは俯きつつ、目深に被ったフードをぎゅっと握り締めた。
「お兄ちゃんと、お姉ちゃんにボクのこと思い出してもらえて……それがすっごく嬉しくって、他のことぜーんぶ、どうでもよくなっちゃった」
セレナはただ、家族と、家族と過ごす時間を愛していた。
奪われたから怒り、嘆き、憎んだのだ。
けれど、本来の願いは違う。彼女は、本当は「取り戻したかった」……。
「やっぱり、お子ちゃまだねぇ」
パトリシアはセレナの頭をぽんぽんと叩きつつ、どこか満足げに口元を緩める。
「……子どもはそれぐらいがちょうど良いのさ。難しいことなんか忘れて、笑ってた方が良い」
「……むぅ。子ども扱いばっかりしてぇ」
「子どもだろう。見た目も、中身もね」
上機嫌にケラケラ笑うパトリシア。
からかうような言葉に反し、蒼い瞳には、穏やかな光が宿っていた。
「……で」
……が、すぐに苛立たしげな声になり、背後の「よそ者」に向けてトゲのある言葉を放つ。
「あんた達、いつ帰るんだい」
声をかけられたランドルフとディアナはサッと背筋を伸ばし、口々に主張し始めた。サイラスは仕事があるため、その場には既にいない。
「兄さんが心配だ」
「右に同じく。あいつ昔から意地っ張りでさ、高熱出してもぶっ倒れるまで何も言わねぇし……」
デイヴィッドが眠る部屋に一瞬だけ視線を向け、ランドルフは再びパトリシアの方に向き直る。
「『魔獣』が増えた原因はそこの嬢ちゃんなんだろ? なら、俺たちの『仕事』にも関係してるわけだ」
ランドルフの言葉に、ディアナは顔を曇らせつつも頷いた。
「……そうなるな。セレナにも、事情があってのことだが……」
セレナは押し黙り、無言のままディアナの胸に飛びつく。
ディアナはそれを受け、特に何も訊かずにフードで覆われた頭を撫でた。
「……まあ、そう言われちゃこっちも無碍にはできないねぇ……。その子が暴走しちまったのには、あたしにも原因があるんだ」
ディアナと戯れるセレナを見つめ、パトリシアはばつの悪そうな表情で頬杖をつく。
「……と、いうと?」
じゃれつくセレナの頭を撫でながら、ディアナは続きを促した。
「まずは、その子を世の理に還してやらなかったこと」
自らの人差し指を折り、パトリシアはぼやくように語る。
「もうひとつは……その子に憎しみを教えちまったことさ」
続いて中指を折り、パトリシアは、どこか遠くを見るように言葉を紡いだ。
「憎しみを……? どういうことだ」
ディアナの問いに目を伏せ、パトリシアは静かに続ける。
「その子は躰を得て、自我も取り戻して……真っ先に『お兄ちゃんとお姉ちゃんはどこ!?』と聞いてきた」
匿ってくれた祖母は既に亡く、パトリシアは独り「魔女」として暮らしていた。
孤独と同情は判断を誤らせ、「魔女」は世の理を踏み外した少女に、与えてはいけないものを次々に与えてしまった。
「あたしなりに調べて……教えちまったんだ」
パトリシアは棚の上から水晶玉を取りだし、ごとり、と机に置く。
「何度も何度も殺された『兄』と、何度も何度も死のうとした『姉』のことをね……」
「……!」
ディアナはさっと青ざめ、ランドルフも息を飲む。
「……見て分かると思うけど、あたし達は兄弟仲が大して良くない。だから、本気で分からなかったんだ」
パトリシアとサイラスとて、兄妹としてある程度の情は持っていた。
けれどサイラスは独りで夜の森へと逃げ込み、その後もパトリシアを顧みることはなかった。
パトリシアとて同じだ。サイラスが「逃げて獣のエサになった」と聞かされた時、サイラスを悼むよりも先に、自らの将来を悲観した。
「セレナが怒り狂って、復讐に精を出すってことも、予測できなかったんだ……」
パトリシアには激情の根源を理解できず、したがって、説得も厳しかった。
「行かないでおくれ」と縋りつけば結果もまた違ったのだろうが、意地っ張りな彼女にはそれも難しかった。
──どうしようもない子だね。あたしゃ、どうなっても知らないよ
怒鳴って掴み合いの喧嘩をして、それでも意志を曲げなかったセレナの背を、涙を飲んで見送るしかできなかった。
「ずっと気が気じゃなかったさ。森を探しても見当たらないし、不穏な噂も流れてくるし……」
「……セレナ。心配してくれていたみたいだぞ」
「う。……ごめんね、魔女さん……」
ディアナに促され、セレナはしゅんとした様子で謝罪する。
嬉々として復讐を語った「魔獣」とは似ても似つかない姿が、そこにはあった。
「『ルーナ』って名乗ってたのは、スチュアート家の者にバレないためだろうねぇ。……それくらいには頭も回るし、魔術の腕も天才的だった。末恐ろしい子だよ」
「……デイヴが正気に戻ってくれなきゃ、マジで危なかったな」
ランドルフは冷や汗をかきつつ、拳を握り締める。
「デイヴィッドが何度も殺された」「ディアナが何度も死のうとした」。……どちらも、自分が知らなかった情報だ。
二人の心に深い傷があるとは以前から察していたが、ここ数日、ランドルフが耳にしたのは想像を上回るほどの凄惨な過去だった。
「……ディアナ」
どう、声をかけるべきか悩みはした。
それでも……悩んだ上で、ランドルフは「いつも通りの接し方」を選択する。
「ブラックベリーでも摘みにいかねぇかい。デイヴが目を覚ました時に、食ってもらおうぜ」
「……良いな。賛成だ」
ランドルフの提案に、ディアナは穏やかに微笑んだ。
「セレナもどうだ」
続いて、ディアナは膝の上に乗ったセレナにも微笑みかける。
「……えー……そこのオジサン、ボクを放ってイチャイチャしない?」
「そんなことしねぇよ!?」
「ほんとにぃ? ……あ、でも、ボクが見張らなかったら見張らなかったで、そこら辺の鹿さんとかに目移りしてそう」
「そんなこと……ちょっとなくもねぇかもだけど……ディアナ以上の美女は滅多にいねぇし……大丈夫だろ、うん!」
「待ちな。今、鹿って言ったかい? 比喩だろう。比喩だよねぇ??」
ランドルフはパトリシアの追求からそっと目を逸らし、ディアナは何事か真剣に考え始める。
「どうしたの、お姉ちゃん」
セレナに問われ、ディアナは「……ふむ」と一言呟いてから答えた。
「ランドルフ。趣味嗜好は自由だが、浮気は良くない」
「ごめんなさい。……って、しねぇってば!?」
「仕方ないなぁ。ボクが見張っといてあげるよ」
「助かる」
「あれっ? 俺ってもしかして信用ゼロ!?」
戯れるランドルフ達を呆れた様子で見守りつつ、パトリシアは小さく呟く。
「それで良いんだよ。セレナ」
優しく、穏やかな声音は、誰かに届かせるようなものではない。
「あたしがあんたに躰をあげたのは、獣にするためじゃない」
自らの心を改めて確認するように、パトリシアは目の前の光景を噛み締める。
「あたしができなかった分まで、子どもらしく過ごして欲しかったんだ……」
その呟きは、出発の準備で賑わうランドルフやディアナ、セレナには届かない。
「……子どもらしく、か」
別室で床に伏していたデイヴィッドだけが、その声を聞いていた。




