25話 狼
「あらぁ? 皆、どうしたの? …ああ、ごめんなさい」
動かない、正確には動けないでいる冒険者達を不思議そうな顔で眺める悪魔──ラグニアは、ハッとして手を軽く叩いた。
パンっ、と子気味のいい音が周囲に響く。すると、
「──!?」
まるで魔法が解けたかのように、冒険者達は動けるようになった。
しかし自由になったとはいえ安全が保証されたわけではない。息を切らし、脂汗をにじませながらも、彼らは武器を取り出し構えをとった。
「あら、やる気? いいじゃない」
にじり寄る冒険者達に、妖しい笑みを浮かべるラグニア。そんな彼女に、シッフは慎重に、言葉を選びながら質問する。
「魔王軍…と言ったね。俺の記憶が正しければ、魔王軍は数百年前に滅んだんじゃないか?」
200年前にその名を馳せた、『勇者』エリック。彼の手により、魔王は敗れ、軍は壊滅したはずだった。
「ええ、一度ね。でも、滅んだのなら造り直せばいいじゃない?」
ラグニアは何でもないことのようにあっさりとそう言ってのける。
「なるほど。それで、君がその四天王の一人だって?」
「あら、信じられない? それじゃぁ──」
そう言いながらラグニアが不意に真横を向くと、背後に回り込もうとしていた冒険者の青年と目が合った。
表情が固まる彼にウィンクをし、直後、彼女の手が一瞬ぶれる。──少なくとも、冒険者達にはそうにしか見えなかった。
「──これで、信じてもらえるかしら?」
ラグニアの言葉と同時に、糸が切れた操り人形のように青年が崩れ落ちる。首から上が、きれいさっぱりなくなっていた。
「…は」
理解不能。頭が真っ白になり、その場にいた誰もが動くことができない。
…否、一人だけ動いた男がいた。
S級パーティー『紅蓮の刃』のリーダー、ソードレット。彼は近くにいた冒険者を引っ張り、悪魔の前に投げ捨てると、その場から背を向けて一目散に走り去る。
それを見て、紅蓮の刃の他の二人も大慌てで後を追った。
「あんな化け物とまともに戦ってられるか…!」
才能のない雑魚が犠牲になり、才能のある自分を生かす。これがこの場における最も合理的な──
「最善策ね。でも、ざんねぇん」
一瞬にして回り込み目の前に現れるラグニアに、目を見張り足を止めるソードレット。
「く、くそっ」
逃げられないことを悟り、やけくそになった彼は剣に手を伸ばす。が、それより前に、再びラグニアの手がぶれた。
「──っ!!」
その場を飛びのき、なんとか攻撃を躱す。全身の毛が逆立ち、恐怖に足がすくみかけたが、それでも悪魔の攻撃を視認し、避けたのだ。そのことが、ソードレットに自信を与えた。
──いける。強敵だが、バイオレッド、ヒートと力を合わせれば勝てる。
自分を鼓舞し、再び剣に手をかける──つもりだったが、できなかった。手に違和感を感じ、嫌な予感が彼の脳内を埋めつくす。
恐る恐る自分の手を見るソードレット。
両手の手首より先がなくなっていた。
「……う、うわああぁぁぁぁぁっ!!? 手、手が、俺の手がっ!?」
自覚した瞬間、激しい痛みが押し寄せる。人生で感じたこともないような激痛に、彼の心が砕け、脳が混乱する。
「なくなっちゃったねぇ。どうしようかしら? 次は逃げられないように足を切っちゃいましょうか?」
「ひ、ひいぃ、ま、待てっ」
しりもちをつき、小便を漏らしながら、彼はずりずりと後ろに下がり、血が溢れて止まらない傷口をどうしたらいいかわからずにただただ見つめる。
「ば、バイオレッド、回復、何とかしろ、なんとかしろぉ!!」
「ひっ!? い、いや、来ないでっ」
ソードレットはパニックになりながらもバイオレッドに回復を命じるが、同じく混乱していたバイオレッドは恐怖に顔を歪め、冒険者達の方へ逃げていった。
対してヒートは、怒りに顔を赤く染め杖に魔力を込める。
「よくも主様を…!」
「あらぁ、可愛い娘がいるじゃない」
ラグニアは瞬きの間にヒートの目の前に立ち、魔力の籠った杖の先端を素手で握りつぶす。そして、驚きに目を見開くヒートと唇を重ねた。
「!? んぅ、けほっ── う、あぁ、あ゛あああぁっ!!??」
接吻をされたヒートは、直後、悶え苦しみ始める。全身に血管が浮き、肌が青白くなっていく。ゴキゴキと音を立てながら骨格が変わり、背中の皮膚と服が裂け、血と共に翼が飛び出した。
「ヴゥ…アァァ…」
少しして、彼女が動きを止める。青白い肌に、翼と尻尾。
彼女は、悪魔になっていた。
「ふふ、素敵よ。さて」
ラグニアはその姿を舐めるように眺めた後、冒険者達の方に向き直り、口を開く。
「あなたたち、いつまでそうやって固くなってるつもりなのかしら?」
「…っ!」
そう声をかけられても尚、冒険者達は動くことができなかった。下手に実力があったばかりに、相手との力量の差を悟ってしまったからだ。
加えて、紅蓮の刃は、性格は最悪だが、実力だけは評価されていた。そんな彼らが一瞬で壊滅したという事実もまた、冒険者達の心をへし折る動機としては十分なものであった。
「誰も動かないの? まあ、一番加護の力が強い子がそのザマじゃしょうがないか。じゃあ、えっと、ヒートちゃんだっけ? あの子達、片付けてくれる?」
「ハイ…主様…」
悪魔となったヒートはラグニアから命令を受け、再び杖に魔力を集める。
「な、なんだあれ…!?」
その様子を見た誰かが呆然と呟く。杖の先端には、先程とは比べ物にならないほどの、下手すれば火竜の息吹よりも強大な魔力が集まっていた。
ヒートは、魔力が溜まった杖を冒険者達の方へと向ける。
這いつくばりながら後退していたソードレットは、半狂乱になりながら声を張り上げる。
「お、おい待て、ヒート! 俺が分からないのか!? 今すぐやめろ、やめろぉ! 命令だぞ!?」
──ヒートの動きが止まった。それは、ソードレットの必死の呼びかけが起こした奇跡──などではない。
「──フウゥゥゥゥ‥‥」
冒険者達の後方、ひび割れた地面の中央に、血まみれで立ち尽くす獣がいた。
「ル、ルゥフ…?」
そう呼びかけた冒険者の声色には、戸惑いと恐怖の感情が読み取れる。それも当然。
彼女の身体は、およそ人間のものとは思えないほどに変異していた。
人型の狼とでも言おうか、狼人間というものがいたならばこんな姿なのだろう。白銀の毛並みが血に紅く染まり、得も言われぬ神々しさを醸し出している。
「獣混じり‥‥気づかなかったわ。面倒なのがいたのね」
ラグニアが嫌そうに呟く。その声を聞き、狼は紅い瞳を光らせ。
「群れ」を壊さんとする悪魔へと、飛びかかっていった。




