エピローグ 二人の冒険者
――気づいた時には炎に囲まれていた。
焦がすほどの熱気が寝室に居た少女の目を覚まし、赤と黄色の光が絶望を告げる。
唯一の扉は炎に包まれ、逃げ場は屋外へ繋がる窓しかなかった。
しかしそこはベランダの無い一軒家の二階窓。
下はアスファルトだが叫べば誰かが助けてくれるかもしれない、最悪飛び降りても生き残る可能性はあると、焦りながらも少女は悠長なことを考えていた。
こんな時、人は欲を掻いてしまう。
まだ炎が迫ってなかったからか、何か持っていける物は無いかと少女は考えた。
火事になったら全部失ってしまう。
先のことを考えれば少しでも何か残しておきたいと、誰でも思うだろう。
こうして愚かな少女は財布の入ったバッグに、スマホと大事にしていたクマのぬいぐるみを詰め込んだ。
そして鍵の掛かった窓に手を触れ――。
彼女が覚えてるのはそこまでだった。
救命師のシュウゴの予想通り、マユは一酸化炭素中毒で死んだのだ。
結局マユは火事で手にしたバッグも持ち込めず、全てを失ってこの世界に転生した。
いや、厳密には全てではない。
着ていたパジャマと記憶、死ぬ前の姿だけは持ち込めたのだ。
しかしそれが逆に仇となったか、天涯孤独なまま人生を再スタートすることになり、ごく普通の女子高生は異世界ホームレスへと変化した。
蘇った少女に待ち受けていたのは辛い日々だった。
家族の安否も判らない。
転生者は二十歳以下しか来ないため、例え同じ火事で両親が死んでいても会うことは叶わず。
この世界には友達どころか同級生もいないのは当然のことだった。
同じ時期に来た転生者も知らない人間しかおらず、誰もが状況を飲み込めていない状況。
人付き合いの苦手なマユは他人に話しかけることができず、国が支援してくれる施設では、ただ淡々と自立までのカリキュラムをこなしていくだけで時を溶かしていた。
そんな彼女が冒険者を選択したのは、宿無しだったからに他ならない。
余程優秀なスキルでなければ衣食住を保証された人気職は受け入れてもらえないのだ。
となると日雇い労働しか選択肢が無いのだが、家賃と食費で日銭を失う未来の視えない生活は元女子高生にとって厳し過ぎた。
その点、冒険者は割が良く、遠距離では案件報酬とは別で宿泊代が有り、食費もギルド側が負担する。
そしてパーティを組んで働けるということが、孤独な少女にとって何よりも魅力的だったのだ。
どんなに危険でも、失うものが無い転生者にとって冒険者という職はピッタリだろう。
死んでも誰も悲しまないのだから――。
向こうでは焼死体になってるのかなと、マユは二度と戻れない世界のことを考えながらベッドの上でシミのついた天井を見つめていた。
……またやり直しか……。
救難信号を使ったとはいえ採取依頼は成功していたため、彼女たちは報酬を三人で分割。
借金をしてしまったものの、マユは早速その報酬を使って格安の宿に泊まっていたのだ。
マユと同じ転生者のキョウヤは報酬を受け取ると、間を置かずに魔術学校へと走って行った。マユは新しいスキルを活かす道が出来たのだが、スキルの無い彼の道は険しい。
それでもキョウヤの目に曇りは無かった。
マユは新しい世界に希望を見出した彼が羨ましかった。
一方、パーティを組んでいたミカリスは実家へと帰って行った。
魔術学校の卒業祝いで、両親に買って貰った杖と帽子を早速失くしてしまったことで謝りに行くためだ。
叱ってくれる両親がいる。
少し前までは疎ましく当たり前だった存在がこんなにも大切だったと、マユは失って初めて気づいた。
マユはあれからスキル判定試験を受け直し、『火耐性』から『空気清浄』のスキルになったことで行ける場所が広がっていた。
きっとまた誰かが誘ってくれるだろう。
歩く空気清浄機として。マユは未だにそんな風に考えていた。
そう簡単に意識は変わらないのだ。
自分から誘うなんてことは、自信の持てないマユには到底無理だった。
……そろそろ行かなくちゃ。
マユは憂鬱になりながらも重い身体を起こしてベッドから降りた。
傷だらけのローブを羽織り、杖と荷物を手にして年季の入った部屋から出る。
ミシミシと軋む階段を下りると、意外な人物が玄関近くの待合席で待っていた。
「マユ! こっち!」
それは聞き覚えのある声だった。
「あっ、えっ……。な、何で……」
丸椅子に座りながら手を振っている茶髪の少女はミカリスだ。
ただ、雰囲気が以前とは異なっている。
マユは誘われるがままに隣の椅子に座ると、ミカリスは初めて出会った時より眩しい笑顔を向けた。
散々な目に遭ったにも拘わらず自信を損なうどころか、一人でも冒険に出かけてしまいそうなほど満ちている。
新しい仲間でも見つけたのかなと、ネガティブ思考のマユは想像する。
だって釣り合うわけないんだもの。きっと同じ高校に入ってたなら彼女は陽キャグループで、私は陰キャグループ。火と油。こうして関われただけでも奇跡なんだと。
「渡したいのがあってさ。これ、受け取って」
差し出された茶色の封筒の中には十枚の短い紙が入っていた。
それはこの国の最高通貨、一万ルクが十枚。
ちょうど救助料金の請求額と同額だった。
「十万……!? う、受け取れないよ!」
驚きのあまり、つい貧困層の多い空間で大金を大声で口走ってしまうマユ。
こんなお金どうやって手に入れたのかと、声を抑えて訊ねた。
「ローブ売ったの」
「え!?」
ミカリスは今、遭難前に羽織っていた青色の立派なローブを着ていない。
てっきり補修中だと思い込んでいたマユにとって、これは衝撃的な話だった。
杖と帽子を失い、残されていた唯一の魔術士としての証。
それを売り払ったなどと言うのだから、驚くのも当然だろう。
「痛んでたから安くなっちゃったけどね。他にも色々売ってお金にした」
「そ、そんな……」
「見て、似合うでしょ。お揃いだよ」
「あぅ……」
ミカリスは立ち上がり、ひらひらとツギハギだらけのローブをひらめかせる。転生者以外の冒険者がそれを着ているのは滅多に見かけない。
気の高い彼女にとって貧乏人のような服装は嫌なはずなのだが、恥ずかしがるどころか嬉しそうに笑っていた。
「それは命を救ってくれたお礼。だから……さ」
ミカリスは急に頭を下げ――。
「また……あたしと一緒に冒険して下さい」
「あ……えっ……」
見限られたかと思っていたマユには信じられない台詞だった。
「い、いいの……わたしでも……?」
「うん。マユがいいの」
無意識に開いた口が閉じられないマユの手を、ミカリスがそっと握りしめる。
「ごめんね……あたし、転生者のこと……何も解ってなかった。辛いよね……家族と別れるのって。これからはあたしのこと……頼っていいからね」
転生して良かったと、初めて感じた瞬間だった。
嬉しさが目からこぼれ落ちる。
……わたしはまだ……独りじゃないんだ――。
◇
案件の受諾を終えた冒険者たちが、次々と出て行く忙しいギルドの朝。
順番を待っていた少女二人が、ギルドマスターのいるカウンターへと足を運ぶ。
一度しか会っていないが、マスターにとって印象の深い二人組。
ところが、以前とは少し様子が異なっていた。
「これ、二十万。二人分ね」
茶髪の少女は請求書と同時に札束を机の上へ置いた。
「なっ、もう払うのか? もっと待っててもいいんだぞ」
面食らったマスターは、さてはコイツ……親の金でも借りたかと推測したが、支払いが二人分なのが引っかかった。
「いいの。今度こそ真っ新で再スタートしたいから」
魔術士の象徴である三角帽子も立派なローブも無い。
ボロ布を纏った少女は誇らしげに胸を張る。
マスターの目には、これからは親を頼らず生きていくという意気込みが映った。
「ほう……なかなかどうして、似合ってるじゃねーか。ピカピカの新米より信用できそうだ」
珍しく骨のあるヤツが来たかとニヤつきながら金を受け取ると、ちょっと待ってなと言い、大男は裏手に入っていく。
間もなくして戻ってくると、茶色の小包を手に携えていた。
「お前らが返しに来たら渡してくれって、シュウゴから頼まれてたんだ」
マスターはカウンターの上で包みを開けると、中から現れた銀色に輝く毛皮が二人の目を引いた。
「ダームウルフの毛皮だ」
二人が見ていた灰色の毛皮は、見違えるほど艶やかな銀色へと変化していた。
付着していた火山灰を取り除くことで、毛皮は本来の色を取り戻すのだ。
「埃がつきやすくて手入れが大変でな、俺だったら売るね」
そこそこの値で売れるから負債の足しに出来る――なんてマスターの好意を、二人は受け取らなかった。
「んーん。大切に取っておくよ」
「何でだ?」
「いつでも思い出せるように、戒めにするの」
「ほう……」
「シュウゴさんは?」
マスターは知らんと首を傾げたため、ミカリスはお礼の伝言を彼に頼むと、毛皮を再び小包に戻しマユへ手渡した。
「何か良さげな案件ない?」
カウンターに肘をつくミカリスに、マスターは一枚の紙を提示する。
「ん~、おススメはコレだな。下水調査。近いし空気清浄のスキルならやりやすいだろう。危険性は無いが、人気も無いからそこそこの報酬はある」
ミカリスは、「じゃあソレで」と迷わず引き受けた。
いいのか、他にも沢山あるぞとマスターは提案するが、彼女たちの心は決まっている。
ギルドマスターの職に就くためには元ベテラン冒険者という肩書が必要。
その経験豊富な男が自分たちの為に選んでくれた案件ならば大丈夫だろうと、二人は信用していたのだ。
「うん、今は出来ることからコツコツね」
二人は手続きを済ませて支給品を受け取ると、ピクニックにでも出掛けるかのように上機嫌で出発した。
「――行ったか?」
裏手からやって来た男がマスターに声を掛けた。
彼女たちの姿を見るなりコソコソ隠れていたのは、たまたまギルドに顔を出していた救命師のシュウゴ。
無茶な案件を受けないかと心配していたのだが、杞憂に終わるどころか即返金で驚いていた。
「居るんだったら挨拶しとけよ」
「いいんだよ」
彼は救命師の自分がもう関わることは無いだろうと、彼女たちの背中を陰ながら見送っていたのだ。
「……余計なお世話だったな」
シュウゴはカウンターにもたれ掛かり、自嘲気味に笑う。
「お人好しが。請求金額を勝手に半額にすんじゃねーよ」
言葉とは裏腹に笑いながら話すマスター。
「どうせ俺の取り分なんだ、別にいいだろ」
シュウゴが半額に負けたのは理由があった。
マユの存在だ。
彼女の行動に心を打たれ、敬意を払ったのだ。
もし彼女がミカリスを見捨てていたら、救助対象は一人減っていたのだから――。
彼女たちは、これからより多くの依頼をこなすだろう。
仲の良い二人の女冒険者。
彼女たちの名が広まるのは、まだ先のお話――。




