下山
ひとまず死にかけていた少女の一命を取り留めさせたことで、男は次に隣で呑気に寝ている少女の頬をペチペチと叩いた。
「起きろ」
「んっ……」
ミカリスは目を開けると、ジメジメした空気を不快に感じながら腰を起こす。
マユと違い目覚めはスッキリしているようだ。
「痛たた……」
寝心地の悪いゴツゴツのベッドが彼女の身体を固めていた。
「誰……?」
目に映ったのは、ベテラン冒険者らしい壮年の男と、その男の腕にぐったりとしながら倒れ込んでいる黒髪の少女。
記憶が曖昧なミカリスは現状を全く把握出来なかった。
「助けに来た。救難信号を出しただろ?」
「えっ……、いや……あたしは……」
身に覚えのないミカリスは首を横に振った。
「いや……噴火があったとこまでは覚えてるんだけど、そこから全く記憶が無くて……」
「まさか……この子が一人で?」
救難信号の発信者はマユだったが、救助要請から到着まで単独で耐えていた存在に男は驚きの表情を見せる。
元ベテラン冒険者は当然ながらこの火山を知り尽くしており、上層を制覇したことのある男だ。
噴火という言葉から瞬時に状況を把握。落石で気を失ったミカリスを、誰かがこの洞穴に運んだという事実を――。
……この子は……自分の手当てをしなかったのか。
服ごと皮膚を焼かれた痛々しい太腿は健在。
男は応急処置として患部をガーゼで包む。何が何でも死なせてはならないと、お姫様を扱うようにマユを軽そうに抱きかかえて立ち上がった。
「話は後だ。動けるなら直ぐにここを出るぞ。外は暗いから、そのランタンを使ってくれ」
「そんなの要らないって。魔法で……って、杖は……? 帽子も無い……」
ミカリスは男が持ってきたランタンの灯りを頼りに陰鬱な空間を見渡すも、辺りには炭色の岩しか無かった。
「そんな物は置いていけ。命が優先だ」
「そんな物って……あれはあたしの……」
「諦めろ。物ならまた買えばいい」
「……」
ミカリスは名残惜しむように洞穴を振り返りながら外へ出ると、月夜の光を浴びる。
「いま何時?」
「九時だ」
少女は飛んでしまった時間に戸惑いながら、小さな明かりを頼りに周囲を見渡した。
洞穴の出口付近に不自然に散りばめられた溶岩石が目に付くも、特に疑問に思わず視線を外した。
それはゴーレムであったが、コアを破壊されてしまったことでただの溶岩石へ成り果てていた。
元が自分を畏怖させた魔物であったなど、彼女は思いもしないだろう。
「もう一人いなかった?」
「彼のことなら先に保護したよ」
ミカリスはなぜ一緒にいないのかと不審に思ったが、この時は深く考えずに暗がりの中で転ばぬよう足元だけに意識を向けた。
ゴツゴツした岩場を下り、ついでに落とした装備品がないかと眼を泳がせる。
「おい、置いてくぞ」
「待ってって」
男は少女を抱えながら月の光だけを頼りにサクサクと下っていた。
まるで自分の庭を歩くように、転ぶ気配など微塵もない。
「――火山ガスを知っているか?」
「え?」
「まあ、その恰好じゃ知らないよな……」
せめて素足は晒すなと言いたげに男は呆れる。
「この中層地域では目に見えない猛毒ガスが漂っている。何も対策をしてなければ、中層に入っただけで異変に気付くはずだが、何ともないのか?」
「うん……」
もちろん対策などしている筈もない。彼らが中層に足を踏み入れたのは突発的な提案のため、事前準備すら無く危険性も省みず、看板に書かれた注意書きをも読んでいない。
「やはりか……この子の本当のスキルが見えてきたよ」
救命師は予め救護対象のスキルを確認している。それが状況把握や原因究明の手掛かりとなることがあるからだ。
「どういうこと? 『火耐性』じゃなかったの?」
「『火耐性』は火傷なんかしない。熱中症とも無縁だ」
じゃあ何なのかと、ミカリスは問う。
「恐らくは有毒ガス耐性のようなものだが、周囲にも影響を与えるのは珍しいな」
「それで……あたし達も平気なんだ」
「ああ、俺はここへ来るまではマスクをしていたが、外してみて解ったよ。この子の周囲の空気は異様なほど清浄だ」
ガス対策はマスクだけでは防げない。肌への付着も死活問題だ。
男は火山灰を寄せ付けないローブに加え、更に聖水に漬されていたフィルターを使ったマスクと耐熱ゴーグルでガス対策をしていたと説明する。
「でも、何で重要なスキルを間違えてたの?」
「スキルは転生前の死因によって系統が決まる。恐らく、この子がスキル判定者に火事と伝えただけで判定されてしまったんだろう。ったく、いい加減な仕事しやがって……。この調子じゃ確認試験すらやってないな」
不運にも焼死イコール火耐性と単純に判断されてしまったのだ。
「焼死の場合、焼かれる前に一酸化炭素中毒で絶命することがある」
「だから毒ガス耐性ってこと?」
「ああ。君らの助けにはなったが、それが逆に死地へと導く形になってしまったようだ」
その言葉を聞いてミカリスは肩を落とし落胆する。ここへ来たことで失った物、救難信号を使ってしまったペナルティに。
「あーあ、ハズレ引いちゃったな……」
「ハズレ?」
「最初だから適当な転生者でもいいやって思ってさ」
こんな筈じゃなかったと、少女は不満を口にする。魔術学園で好成績を収めた彼女は驕りもあったのだろう。自分のミスを棚上げしつつボヤいた。
「何言ってんだ。少なくともこの子は宝くじ一等レベルだぞ」
「宝くじぃ? よくわかんないけど、スキルがレアってこと?」
男はそれもあるが、と付け加え。
「いいか、転生者ってのは――」
何かを言いかけて男はピタリと足を止めると、ミカリスもただならぬ気配を察知し男の背に隠れた。
暗がりからうっすらと浮き上がる影に、彼女は見覚えがあった。
「ダームウルフか……」
男の眼前に立ち塞がったのは、ミカリス達が出遭った巨狼。
赤い瞳がランプの光に反射する。
前回と違うのは、確実に彼らの存在を捉えられているということ。マユのスキルによって嗅覚で探知されなかったが、話声で気づかれてしまったのだ。既に目が合っているだけでなく、唸り声をあげている。
「腹を空かせているのか、仕方がない……」
避けられぬ戦いと観念した男は急に背を向け、抱えていた少女をそっと下に降ろした。
敵に背を向ける荒唐無稽な行動にミカリスは死を覚悟するが、巨狼は動かなかった。慣れていないのだ。逃げるのではなく、自ら隙を見せる生物に。
男は巨狼の方へ歩きながら背中の大剣を右手で掴むと、軽々と振り上げ逆手に持ち替えた。立ち止まり右腰に大剣を腰に添え、刀を抜くように左手は右手の上の柄を握る。
「来い」
ミカリスは、妙な構えと長すぎる得物に疑念を抱かざるを得ない。
これでどうやって戦うのかと。
それもそのはず。彼は対ゴーレム対策のためだけに大剣を携えて来たのだ。溶岩石以上の硬度を持つ武器は、巨狼相手には過剰性能。更に速度自慢相手には不向き。不利な状況であるのに男は全く動じている気配は無い。
一度は己を凍り付かせた恐怖に対し、ミカリスは怯えなかった。
男が殺されれば次は自分。
それなのに男の背中が告げる絶対の自信が彼女に安心感を与えていたのだ。
ダームウルフは強者のにおいを嗅ぎ分けることができ、本来ならば襲い掛かることはない。しかし、マユの能力によって清浄化された空気が鼻を鈍らせていたのだ。
一足飛びで咬み千切ろうと巨狼が迫りくる――その前に。
男は一歩ほど横に飛ぶと同時に、弧を描くよう大剣を振り上げた。
巨狼の首が切断され、転がり落ちる。
残った巨体は勢いのまま横に倒れ、静かな音を立てて崩れた。
「す、すご……」
男の構えは大剣を上に振り上げるためだけの構えだった。
防御を考えず、一瞬でもタイミングを誤れば死んでいたのは男の方だろう。
そんな危険な賭けを平然と行えるのには理由があった――。
「俺のスキルは『危険予知』。不意に襲われようが、落石があろうが対応できるから安心してくれ」
それが死因を不明とする彼の能力だ。
未来予知に似た能力で、危険が迫ると対象範囲が薄い赤で染まり、時間経過で徐々に濃くなる赤い範囲が最大濃度まで達すると危険が現れるという仕組みだ。
つまり男は巨狼の動きを視ていたのではなく、予知されたタイミングに合わせて剣を振っていたので、ミカリスの目には巨狼が勝手に男の剣に吸い寄せられたように見えただろう。
「ねぇ、おじさんってもしかして……英雄パーティのシュウゴ?」
「……ああ」
シュウゴと呼ばれた男は大剣を収めると、再び横になっていた少女を抱き上げた。
「何で冒険者辞めたの?」
「俺のことを知っているのなら、最後の挑戦のことも知っているだろ」
「うん。『零の都』でしょ?」
そこは冒険者が到達する最終地点。未だ踏破した者はいない。
「ああ、俺も今のお前らのように無謀な挑戦をした」
男は悲壮感も無く、昔懐かしそうに語る。
「もう一回挑戦しようとは思わなかったの? 一度の失敗だけで勿体ない」
「そうかもな……。だけど、その時あるヒトに助けられたのが衝撃的でね。俺も誰かの助けになりたいと思った。それだけのことさ」
灰色の大地から緑の大地へ。一行は生への境界線を飛び越える。
二十一時四十三分。更に救護対象二名を保護。全員生還――。




