第七話 38歳、演説原稿と格闘する
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朝、ユースケに言った。
「生徒会に立候補しようと思う」
「……え?」
「生徒会の役員選挙。締め切りが来週だから」
ユースケが止まった。
廊下の真ん中で。
後ろから来た一年生が、あやうくぶつかりそうになった。
「リュウが??? 生徒会????」
「そう」
「なんで??!」
「なんとなく」
「なんとなくで生徒会入るやつおる?!?!」
(おる。俺がおる。ただし理由は「22年後に投資家兼カフェオーナーになるための下地として推薦入試に必要だから」だが、言えない。)
「やってみたくなった」
「急すぎん?! リュウって生徒会キャラじゃなくない?!」
(キャラで決めるな。というか38歳がキャラで物事を決めるわけがない。)
「向いてると思う」
「え、自分で言う?!」
「自分が一番わかってるから」
ユースケがしばらく俺を見た。
笑うと目が細くなった。
「……なんか、リュウって最近どんどん変わるよな」
「変わってるか?」
「変わってる!!! でもなんか、好き!!! 応援するわ!!!!」
感嘆符が4個だった。
(こいつの応援は音量がでかいから、応援されているのかされていないのか判断しにくい。でも気持ちは伝わった。)
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バータに言ったのは昼休みだった。
「生徒会、立候補する」
バータが少し間を置いた。
窓の外を見ながら「まあ」と言った。
「まあ?」
「向いてんじゃないか、リュウは」
「そう思う?」
「まあ。落ち着いてるし。人の話ちゃんと聞くし」
「ありがとう」
「褒めてないけど」
「褒めてるだろ」
バータが「うっせ」と言って、メロンソーダのストローを噛んだ。
(照れた。バータが褒めるときは必ず「褒めてない」と言う。知ってる。)
フミには放課後に言った。
「生徒会、立候補する」
フミがコーヒーから目を上げた。
一秒。
「やると思ってた」
「なんで」
「掲示板の前で止まってたから。先週」
(見てた。見てたのかこいつ。)
(フミはいつも見ている。怖い。でも頼もしい。)
「応援してくれるか」
「まあ」
「まあ?」
「やるなら、ちゃんとやれ」
「わかった」
フミが「演説、自分で書くのか」と聞いた。
「そうなるな」
「見せろ。書いたら」
(……フミの校閲が入る。これは心強いようで怖い。でも頼む。)
「わかった」
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その夜。
机に向かって、演説の原稿を書き始めた。
ノートを開いて、ペンを持って。
(さて。)
(38歳の社会人経験と16歳の立場を統合して、生徒会の立候補演説を書く。)
(できる。絶対できる。)
書き始めた。
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**【第一稿】**
「まず現状の課題を整理します。本校の学校行事は、企画から実行までのプロセスが不透明であり、各クラスとの情報共有が不十分です。私が役員に就任した場合、KPIを設定し——」
(KPIって書いた。)
(高校生がKPIって書いた。)
(消す。今すぐ消す。)
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一行目から詰んだ。
(落ち着けアラフォー。お前は今、16歳だ。16歳が書く文章を書け。)
(でも俺の頭の中は38歳のSEだ。ビジネス文書の文体が染みついている。)
(「課題を整理」「情報共有」「就任した場合」……全部消せ。)
深呼吸した。
もう一度書き始めた。
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**【第二稿】**
「みなさん、こんにちは! 柳龍です!! 僕はみなさんの学校生活をもっともっと楽しくしたいです!! 一緒にバリバリ頑張りましょう!!!」
(……。)
(これはユースケが書いたやつだ。)
(感嘆符の量がユースケだ。)
(俺が書くものじゃない。消す。)
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ペンを置いた。
天井を見た。
(難しい。)
(38歳の語彙と16歳の立場の間に、深い溝がある。)
ノートの端に落書きをしながら考えた。
そもそも、俺は何のために生徒会に入るのか。
やり直し計画のため。推薦入試のため。国立大経済学部のため。
それは本当だ。でも、それだけか?
(……それだけじゃないな。)
正直に言うと、もう少し別のことも考えている。
ユースケが宇宙の夢を笑われないような場所。フミが奨学金を一人で抱え込まなくていい制度。バータが外部受験したいと言いやすい空気。
それから。
「みんなが言う好きって感覚が自分にもあるのかよくわからない」と言って、窓の外を見ていたキョンのこと。
(あの顔が、昼休みからずっと頭に残っている。)
キョンが「落ち着かない」と感じているものに、俺は名前を知っている。でも、この学校にはその言葉がまだない。
2005年に、その言葉はまだない。
でも、居場所ならつくれるかもしれない。
「いろんな正しさが、ちゃんと正しいと言われる場所」。
それを、一人の生徒会役員が高校の中につくれるかどうか、俺にはわからない。
でも、やってみる価値はある。
(……それを書け。)
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**【第三稿】**
「学校の中に、一種類しか「普通」がないのが、ずっと気になっていました。行事の「普通」。進路の「普通」。話せることと話せないことの「普通」。でも、人間の数だけ正しさがある。僕が生徒会でやりたいのは、それを少しだけ広げることです。大きいことはできない。でも、話しやすい場所を一個だけ増やすことなら、やってみます」
書いて、読み返した。
(……。)
(これはまだ、ちょっと大人すぎる。)
(でも、嘘じゃない。)
(2005年の高校生が言う言葉としては、少し早いかもしれない。でも全部ウソじゃない。)
ペンを置いた。
これでいく。
あとはフミに見せる。
(フミが「わかった」と言ったら、本物だ。)
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翌日の朝、フミに原稿を渡した。
フミがその場で読んだ。
二分くらい、無言だった。
「……一か所だけ直す」
「どこ」
「「ずっと気になっていました」は弱い。「気になっていました」だけでいい。「ずっと」は感情を押しつける言葉だ」
(……鋭い。)
「直す」
「あとはいい」
「全部?」
「全部」
フミがノートを返した。
「まあ、お前らしい」と小さく言った。
(褒めてくれた。フミが。)
(「お前らしい」。それが一番の評価だ。)
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放課後、生徒会室に行って立候補届を出した。
3年生の役員が受け取って、「名前と学年と所属クラスを確認していいですか」と言った。
確認した。
「わかりました。告示リストに追加します」
それだけだった。
あっさりしていた。
(これが「やり直し計画・第一項目の起動」か。)
(もっとドラマチックな何かがあると思っていたが、事務手続きは事務手続きだった。)
(38歳のSEには慣れた感覚だ。申請書類を出す。それだけ。)
廊下に出て、昇降口の方に歩いていたら、掲示板の前に人が集まっていた。
告示リストが更新されていた。
今日中に張り出すのが早い。
人だかりが少しあった。
そのなかに、キョンのグループがいた。
ミナミがリストを指差して、何か言っていた。
サナが腕を組んで読んでいた。
リサが「へえ」と言っているのが聞こえた。
キョンがリストを見た。
柳龍、という名前を見た。
(……どんな顔をしてる?)
遠すぎて、表情まではわからなかった。
キョンがリストから目を離して、きょろきょろした。
廊下の奥の方で、俺と目が合った。
三メートルくらい離れていた。
キョンが、少しだけ目を細めた。
何かを言いたそうな顔だった。
でも何も言わなかった。
ただ、また小さくうなずいた。
いつものやつだった。
でも今日のはほんの少しだけ、違う含みがあった気がした。
(落ち着けアラフォー。うなずきに含みを読むな。)
(読んでしまったが。)
ミナミがキョンの袖を引っ張って「行こうよ」と言って、四人は歩いていった。
俺は掲示板を見た。
「柳龍(2年B組)」という文字が、リストの下から3番目にあった。
(始まった。)
選挙は、来週だった。
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**つづく**
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第一稿のKPI、自分で書いて自分で笑いました。SEが書く高校の演説ってこうなるんだなと。第二稿のユースケ文体も、ある意味正解なんですよね。でもリュウじゃない。第三稿がやっと「リュウ」になった気がしました。次回、選挙当日です。演説の反応と、予想外の人物の一言が待っています。




