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腐った果実の斜め下備忘録  作者: 腐った果実
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奇跡も魔法もあるんだよ

 最近、AIが書いた小説を、人間が書いた小説より好む人が多い、という話を読んだ。

 その理由として、AIの文章は直接的で、分かりやすく、簡潔だからではないか、と分析されていた。

 なるほど。それは確かにそうかもしれない。

 

 AIの文章は、とても親切だ。


 情景が描かれ、登場人物が何を感じたのかが示され、その情景が何を意味するのかまで説明してくれる。読者は迷いにくい。


 例えば、


「三人とも、どうしていいか分からず困惑していた」


 と書けば、とても分かりやすい。

 おそらく、ほとんどの人が同じ意味に受け取るだろう。

 しかし、


「私たちは互いの周りを、不安げにぐるぐる泳いでいた」


 と書いたらどうだろう。


 少し妙な表現である。

 人間なのに泳いでいる。

 ある人は「何だそれ」と思うかもしれない。


 しかし、別の人には、「分かる!」と、強烈に響くかもしれない。


 何をしたらいいのか分からない。

 でも、その場から離れることもできない。

 互いの様子を窺いながら、意味もなく同じ場所をうろうろしている。


 そんな経験を持っている人なら、「ぐるぐる泳ぐ」という妙な表現が、自分の中にあった感覚と突然つながることがある。


「困惑していた」という表現なら、誰に対しても五十点くらい届く。


 しかし「ぐるぐる泳いでいた」という表現は、ある人には二十点しか届かない代わりに、別の人には八十点、九十点と届くかもしれない。


 平均すれば、どちらも五十点だ。

 統計的思考なら同じかもしれない。

 しかし、八十点、九十点まで届いた人にとっては、その文章は記憶に残る。その後の人生にまで影響するかもしれない。

 文章とは、本来そういうものなのではないだろうか。

 料理も少し似ている。

 材料をすべて同じ大きさに切れば、

 均等に火が通る。

 食べやすい。

 味も安定する。

 

 それはそれで優れた料理である。


 しかし、少し大きなところ、小さなところ、焦げたところ、歯ごたえの残ったところがあることで、食感に変化が生まれることもある。

 均一ではないことが、味になる。

 文章の少し妙な比喩も、それと似ているのではないかと思う。

 そして、このことを考えていて、以前から気になっていたAIによる声優の声の再現について考えた。

 今のAIは、特定の人間の声質をかなり精密に再現できるようになっている。

 今後はさらに上手くなるだろう。


 悲しい声。

 怒った声。

 疲れた声。

 泣きそうな声。


 そうした感情表現も、どんどん再現できるようになるはずだ。

 では、声優という仕事はAIに置き換えられるのだろうか。

 果実は、今のところ少し懐疑的である。

 なぜなら、人間の声は、単なる「声質」ではないからだ。

 声は身体から出る。

 その日の体調がある。

 喉の状態がある。

 呼吸がある。

 疲労がある。

 年齢による変化もある。


 さらに、相手役の芝居に引っ張られたり、その日の気分に左右されたり、演出家の一言で解釈が変わったりもする。


 声が予定より少しかすれることもある。

 声が裏返ることもある。

 一瞬、息が詰まることもある。

 もちろん、そういう揺らぎの多くは、単なる失敗だろう。


人間は不安定である。


 だからこそ、収録では何度も録り直すし、訓練によって安定した発声を身につける。

 しかし、ごくまれに、その不安定さが奇跡を生む。

 『魔法少女まどか☆マギカ』の終盤で、まどかの声が非常に高く、少しかすれて聞こえる場面がある。

 あれが完全に意図された演技なのか、その日の身体状態まで関係しているのか、果実には分からない。

 でも果実は、あの声が好きだ。


 きれいに整った声ではない。

 むしろ、少し危うい。

 だからこそ、その場面の人物の感情と重なって聞こえる。


『伝説巨神イデオン 発動篇』のハルルの声にも、似たものを感じた。


 声が荒れ、時にひっくり返る。

 技術的な意味で「美しい声」とは言えないのかもしれない。

 しかし、極限状態にある人物の声として聞くと、むしろその崩れが生々しい。

 では、AIに同じことをさせればいいのではないか。


「声を少しかすれさせる」

「五パーセントの確率で声を裏返す」

「タイミングにランダムなズレを入れる」


 そうすれば、人間らしくなるのではないか。

 たしかに、その方法は考えられる。

 文章でも同じだ。

 常に最適な言葉を選ばず、少しだけ外れた言葉を選ばせる。

 比喩を少し不安定にする。

 文章のリズムにランダムな揺れを入れる。

 そうすれば、「ぐるぐる泳ぐ」のような妙な表現が生まれるかもしれない。

 しかし、人間の揺らぎというのは、本当に単純な乱数なのだろうか。


 きっと、そうではないと思う。


 人間は揺らいだ瞬間、それを元へ戻そうとする。

 声がかすれれば、無意識に発声を修正する。

 息が足りなくなれば、次の台詞で呼吸を整える。

 感情が強く出すぎれば、少し抑えようとする。

 つまり、人間には負帰還(フィードバック)が働いている。

 しかも、その戻し方そのものにも個性がある。


 ある人は力で押し切る。

 ある人はいったん力を抜く。

 ある人は、その崩れをあえて利用する。


 揺らぎ方だけではない。

 揺らいだ後、どう戻るのか。


 そこにも、個性がある。


 そして、その個性(制御方法)も一生同じではない。

 ある役を経験したことで、演技が変わるかもしれない。

 ある演出家と出会ったことで、考え方が変わるかもしれない。

 昔なら失敗だと思っていた声を、後になって「これは使える」と判断するようになるかもしれない。

 つまり、人間の個性とは一瞬たりとも同じではない。

 その人が何を経験してきたかによって、少しずつ変化し続けている。

 そう考えると、ある声優を本当にAIで代替するためには、声質だけをコピーしても足りないことになる。


 その人の身体状態。

 疲労。

 呼吸。

 発声の癖。

 演技経験。

 役への理解。

 共演者への反応。

 演出家の言葉にどう影響されるか。

 過去の成功や失敗をどう学習したか。

 そうしたもの同士の複雑な関係まで再現しなければならない。

 一つの要素が変化すれば、別の要素も変わる。

 しかも、その結果を本人が認識することで、さらに次の行動が変わる。

 重みづけすべき要素は、どんどん増えていく。

 単純な声のコピーから始めたはずなのに、完全に再現しようとすればするほど、「その人そのものを、一つの動的システムとして再現する」という話に近づいていく。


 ここまで精密に再現できるなら、たしかにAIはその人の代わりになれるのかもしれない。

 少なくとも、表現の面ではかなり近づくだろう。

 しかし、未来のAIは本当にそこまでできるのだろうか。

 そして、そこまで再現された存在を、まだ単なる「声のコピー」と呼んでいいのだろうか。

 ただし、ここで一つ注意したいことがある。

 果実は、別に人間の揺らぎが常に素晴らしいと言いたいわけではない。

 そんなものは、場面によっては単なる迷惑である。


例えばカーナビである。


 昨日までは普通だったのに、

 「次、右です。聞こえてます?」

 などと機嫌悪そうに言われたら嫌である。


 今日は喉の調子が悪いからといって、

 「つ、つぎ……みぎ……です……」

 などとかすれた声で案内されたら困る。


ナビゲーションシステムに、

「今日は昨日の利用者と揉めたので少し不機嫌です」などという個性は求めていない。


 そこでは、常に同じ品質であることが価値になる。

 論文、報告書、マニュアル、業務連絡なども同じだろう。

 誰が読んでも、できる限り同じ意味に到達することが大切である。

 そういう用途では、むしろAIが得意とする均一で分かりやすい表現のほうが優れていることも多い。

 問題は、創作という少し特殊な領域である。

 創作では、普段なら除去したいノイズが、意味を持つことがある。


 料理の不揃いな切り口。

 文章の妙な比喩。

 声優のかすれた声。


 工学的には誤差として消したくなるものが、芸術では意味を持ったシグナルになることがある。

 もちろん、ほとんどの揺らぎは失敗で終わる。

 でも、ごくまれに奇跡を生む。

 そして人間は、その偶然をそのまま放置するわけではない。

 揺らぎを感じ取り、修正し、ときには利用し、次の表現へとつなげていく。

 そのフィードバックの仕方そのものが、その人の個性になる。

 だから、果実は今のところ、AIが人間の創作を完全に代替できるとは思っていない。


 ただし、


「人間には魂があるから」

「AIには心がないから」


 という理由ではない。


 もっと工学的な意味で、

 人間というものは、思っている以上に複雑な、履歴を持った動的システムなのではないかと思っているからだ。

 もし未来のAIが、単にランダムなノイズを加えるだけでなく、


 経験によって変化し、


 揺らぎ、


 揺らいだ自分を修正し、


 その修正方法さえ過去の経験によって変わり続ける、


 そんな仕組みまで持つようになったら。


 そのとき初めて、AIは人間の表現を本当の意味で代替できるのかもしれない。

 未来のAIは、そこまで到達するのだろうか。

 今はまだ、その問いに答えを出せない。


 ただ一つ思うのは、完璧に整ったものだけが、人の心を動かすわけではない。


 少しずれた言葉。

 少しかすれた声。

 少し不揃いな形。


 そんなものの中から、ときどき奇跡が生まれる。


 創作とは、その奇跡を許容する仕事でもあるのだと思う。


 最後に、麻上洋子さんも悠木碧さんも、果実は大好きです。


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