ひかり
その男の子が言うには、七年前、急に税金が倍に跳ね上がったという事だ。
家族全員家を追われ、流れるように寂れたこの裏町に住みついたらしい。だけど、有り金は全てとりたてられて奪われたから、そこで生活していくお金もなかった。そして、知らないうちに家族が男娼館と契約を交わしていて、この男の子は攫われるようにして連れて行かれたらしい。
漸く外出できるようになった時には、元居た裏町の家に家族はおらず、どこか遠くの町へと言ってしまったというのだ。
私は、泣く立場なんかじゃないのに。泣いていい人なんかじゃないのに。溢れてくる涙を抑えることが出来なかった。
今までの自分の境遇が辛いと思っていたことが恥かしい。
「…同情なんかで泣かれるのが、この世で一番胸糞悪い。」
『違うの…私、恥かしい…』
私の横に来て、腕に納め、窺うようにあやしてくれる温もり。それを得られたことが、どれだけ幸せか。私は、この子が手にしていない幸せを、あまりにも簡単に手に入れてしまった。
『…私、ね、家族に存在を無視されてたの。でもね、生きてく為のお金はだけは出してくれてた。それなのに、自殺しようとするなんて…君は自力で生きてるっていうのに、あんなことした自分が恥ずかしい。』
涙は、半分は同情もあったのかもしれない。だけど、それ以上に自分が悲劇のヒロインで、世の中に不幸なのが自分だけだと思っていたことが恥ずかしかった。
「自殺…そうか、その手があったか…」
『ダメ!死んじゃダメ!』
あの時、(もう一人の自分だけど)本当に怖かった。自分で死のうとしたくせに、落ちていく体をもう自分の力ではどうしようもできなくて。後悔したって遅いのに、あの時心のどこかでほんのちょっとだけ、死にたくないとも思った自分が居た。
この男の子が辛い状況下で生きてるってことは、まだ生きることに希望があるから。だったら、それに正直に生きて欲しい。
『私が、変えるから。この国の、あり方を変える。だから、死ぬのだけはダメ。』
「…っ、離せっ!」
咄嗟に、両手を握ってしまったらしい。その子は妙に嫌がって無理矢理手を解かせた。
『どうして?』
「俺は、汚れてるから。」
『確かに、土で汚れてるね。だけど、それとは違う意味で言ったなら、その意味こそ違う。』
真っ直ぐ、真摯に。そうやって伝えることしかできないけど、真っ直ぐな心は真っ直ぐ届いてくれると信じたい。
「…なんで。」
目を逸らされる。私はさっき無意識にやったことを今度は意識的にした。
にっこり微笑んで、両手を自分の両手で包む。その手は、少し冷たかったけど、生きてることが感じられるだけの温かさはあった。
『さっき、太陽の光が当たった君の瞳が、キラキラしてたから。生きる希望を失っていないから。』
すぐに、お前に何が分かるって言われちゃったけど、正直にいえば何にも分かんない。だけど、直感的に思ったの。この人は、きっと誰よりもきれいな心を持っているって。
声を荒げているのに、男の子は私の手をさっきみたいに振り解いたりはしなかった。
『自殺しようとした時の自分が、客観的に思い浮かぶの。目が濁ってた。世の中のものを何も映そうともせず、ただひたすら自分の存在を消すことだけ考えてた。』
あの時の自分は、人間味に欠けてた。ただ只管呼吸だけは繰り返して、父親に言われた言葉を反芻して、ぼーっとして。日常に心がなかった。その私と、この男の子は違う。
「…あんた、さっきこの国のあり方を変えるなんてバカな事言ってたけど、あれ、本気?」
『本気。私はよく嘘つくけど、約束は必ず守るの。あ、でも、この間のルイスには嘘つきっぱなしか。』
なんだそれ、と言ってその子は笑ってくれた。
『約束のしるしに、何か自分の大切なもの渡したいけど、今は持ってないなぁ。』
ちらっと横目でクーンさんを見る。それから、違うだろうと自分に突っ込みながら、首を横に振った。
流石にクーンさんは渡せないもん。ものじゃなくて人だし、意志があるもんね。
『今度、おばあちゃんたちと撮った写真持ってくるね。』
「「“シャシン”?」」
…ここには写真、無いのね。
説明は長くなるから面倒だ。そう言うものがあるのだとゴリ押しで二人を納得させた。
『それから、君の事をこれからどう呼ぶか考えなくちゃね。』
思考を巡らす。君、とか呼ぶのは気が引けるし、僕って呼んでいい歳でもない。だけど、名前を忘れちゃったって言うし…
『…あだ名、付けていい?』
無言は肯定と受け取りまーす。
ここでとんだ良い性格を発揮させた私は、にっこり笑って勝手に付けちゃうことに決定した。
『…ライト。』
「…ライト?」
『そう。私が居た国とは別の国の言葉で、「光」を意味する言葉。』
どうして、と口籠る彼に、私はやっぱり笑顔を浮かべる。金髪も、今はくすんでるけど、きっと太陽にも負けないくらい輝いてるんじゃないかって思ったし、きっとライトって名前は彼に似合うだろう。
『君の、髪も目も輝いているから。自分で光り輝く太陽に負けないくらい同じようにある「ひかり」だと思ったから。』
そう言った途端、ライトは顔を歪めた。目には涙が集まってきている。そのうち顔を背けてしまった。
「…ネイ、男娼に名前を与えていいのは、その男の人生を買った人物だけだ。」
そう、なの?ぴったりな名前だと思ったのになぁ。って言っても、私お金持ってないし。自分で働こうと思ったけど、それも叶いそうにないし。どうしよう。
『クーンさん、やっぱり私働いちゃダメですか?』
「…ダメ、に決まっているだろう。」
ですよねー。これから裁判が終わったらこの国の人たちにも顔が知られることになるだろうし。
「こいつを買うつもりか?」
その言葉には、俺が居るのに、と言う言葉が含まれてる気がした。てゆーか、その時の迫力がすごかった。
「買ってどうする。」
『ただ、ライトって感じがするじゃないですか。だからそう名乗って欲しいと思っただけなんですけど。大体、私が一人だけを贔屓することはできませんから。』
この国の伝説である<最後の乙女>が、誰か一人を贔屓するのは神の使いとしてはいけないんだろう。って、例によってはクーンさんと恋人なのもダメなのかもしれないけど、そこはジュノが口を挟まないからいいことにする。
「ネイが一生懸命働いても、到底払いきれない額がこいつにはかかっている。…お前、38番だろう?」
「…ああ。あんた、俺のこと知ってんの?」
「ああ。貴族たちに有名だからな。」
有名?何だか二人だけ理解していて私は面白くない。むすっとしてると、クーンさんが話してくれた。
「男娼には番号がある。こいつは38番と呼ばれている。貴族に人気が高いんだ。そうなると、余計に値段が跳ね上がる。」
そういうもんなのかぁ。ライトは人気なんだねぇ。だけど、誰も今まで買っていないってことは、本当に買えないほどの値段なんだと思う。どうやったらうまくいくんだろう。
「…いいよ、別に。買ってもらえなくても。」
ライトは、俯いたまま、拗ねた子供のように言った。また何か気に障るような事言っちゃったのかと
心配していると、急に顔を上げて真っ直ぐ目を見つめてくる。だけど、そこに怒りはなかった。