第30話 案は私が出す
ガシャーン、というガラスの割れる鋭い音が、冬の冷たい空気を切り裂いた。
王都救恤局の事務棟二階で、支援停止の撤回を求める強硬派の一団がバリケードを築き、立て籠もったのだ。
広場に緊張が走り、警備隊が怒号を交わしながら事務棟へと向かっていく。
「全学生は直ちに南棟のホールへ退避しなさい! 危険区域への接近は一切禁ずる!」
救恤局長とユリウス教官の声が重なり、私たち学生は足早に広場から安全な南棟へと誘導された。
南棟のホールは、突然の事態に不安がる令嬢たちのざわめきで満ちていた。
私は窓から事務棟の方角を見つめ、無意識に両手を強く握りしめた。どうすればいい。このまま実習は中止になるのか。広場に取り残された通常利用者の配給はどうなるのか。
視界の端に、ホール入り口で警備隊の伝令と短い言葉を交わしているユリウス教官の姿が見えた。
私は反射的に彼のもとへ駆け寄った。
「教官! あの、私たちはいったいどうすれば……」
言葉を口にしかけて、私はハッとして唇を噛んだ。
『どうすればいいか』と、教官に答えを求める。それは、自分で考えることを放棄し、先生にすがって安心しようとする、幼い頃の私と同じだ。
もう、そんな段階は過ぎたはずだった。彼が私に教えてくれたのは、パニックに陥った時こそ、状況を分解して次の行動を自分で選ぶことだ。
私は震えそうになる喉の奥に力を込め、まっすぐに教官の目を見上げた。
「……いえ。教官。この事態に対する対応案を、私たちで考えます。考えさせてください」
教官は微かに目を見張り、それから静かに頷いた。
「いいだろう。現場の情報を集め、取り得る選択肢を複数用意しろ。一つの完璧な魔法を探すな。利点と危険を比較できる複数の案だ」
「はい」
「だが、勘違いするなよ」
教官の言葉が、一段と重く、鋭くなった。
「案を考え、選択肢を作るのは君たちだ。だが、その案を採用するかどうかの危険判断、状況が悪化した際の中止命令、そして何より、結果に対する最終責任は、私と救恤局長が負う。……学生に責任は取らせない。だから、萎縮せずに君たちの考える最善を出せ」
ただの『勝手にやれ』という丸投げではない。大人が安全と責任という絶対の防波堤になってくれるからこそ、私たちは実務家として自由に思考を羽ばたかせることができる。
教官の役割が「答えをくれる先生」から、「責任を持って仕事を任せてくれる大人」へと変わった瞬間だった。
私は胸の奥が熱くなるのを感じながら、力強く頷いて踵を返した。
ホールの隅に、エルザ様とフェリシア様を呼び寄せる。
「現状の情報を整理しましょう。二階の占拠者たちについて、フェリシア様、分かっていることはありますか?」
「人数は約二十名。要求は支援停止措置の即時全面撤回よ」
フェリシア様が手元のメモを素早く確認しながら答える。
「警備隊の報告によれば、彼らは武器らしい武器は持っていないようだけど、かなり興奮状態にあるわ。強行突破しようとすれば、間違いなく乱闘になる」
「広場の通常利用者たちはどうなっていますか?」
「警備隊によって端に寄せられていますが、まだ二百名近くが寒空の下で待機させられていますわ」
エルザ様が窓の外を見やりながら眉をひそめた。
「南棟の空き部屋を使えば、臨時の窓口を三つは作れます。でも、事務棟が占拠されている状態では、彼らの配給書類を承認する権限者が動けませんわ」
私は失敗記録帳を取り出し、白紙のページに情報を書き込んでいった。
解決すべき課題は二つ。占拠者の排除と、通常業務の再開。
私はペンを走らせ、三つの対応案を書き出した。
「一つ目の案は、『警備隊による即時排除』です。利点は最も早く通常業務に戻れること。欠点は、必ず流血の事態になり、通常利用者にも危険が及ぶ可能性があること。そして何より、救恤局に対する市民の反発が決定的なものになります」
「二つ目の案は?」フェリシア様が先を促す。
「『要求を無視し、南棟で通常業務だけを別導線で強行する』。利点は通常利用者をすぐに救済できること。欠点は、無視された占拠側が暴発し、南棟へなだれ込んでくる危険があることです」
「どちらも、最悪の事態を招くリスクが高すぎますわね」
エルザ様の言葉に、私は頷いた。
「ですから、三つ目の案です。『代表者との交渉の場を設け、限定的な再審査窓口の設置を条件に退去を促す。並行して南棟で通常業務を再開する』」
私は、実習で学んだ事実を口にした。
「彼らが暴挙に出たのは、制度改定によって有無を言わさず切り捨てられたからです。彼らの中には、トーマスさんのように、少し条件を変えればまだ働ける適性を持った人がいるはずです。全面撤回は無理でも、『再審査の機会』だけを約束すれば、彼らの怒りを解き、矛を収めさせることができるかもしれません」
フェリシア様が顎に手を当て、思考を回す。
「……利点は流血を避けつつ、両方の要求を最低限満たせること。でも欠点は、私たち学生や現場の職員に、制度の特例となる『再審査窓口』を独断で設置する権限がないことよ」
「はい。私たちには決定権がありません」
私は三つの案が書かれたノートを見つめた。
「でも、私が救恤局の責任者なら、一番現実的なこの『案C』を選びたい。そのための根拠と手順をまとめます」
エルザ様が南棟の動線と配置可能な人員を割り出し、フェリシア様が再審査の条件となる対象者のスクリーニング手順を書き上げる。
三人の共同作業によって完成した提案書を、私はユリウス教官の元へ持ち込んだ。
教官は提案書を受け取り、鋭い目で文字を追った。
「三つの選択肢を比較し、利害を整理したのは評価できる。だが、案Cの交渉手順には欠陥がある」
「欠陥、ですか」
「学生が直接、興奮状態の当事者の前に立つような導線になっている。これは却下だ。交渉は訓練を受けた職員が間に入る形に修正しろ。君たちは後方の処理に専念するんだ」
「……はい」
私の案を丸呑みするのではなく、大人の責任として危険な部分を確実に弾く。その冷徹な安全管理が、今の私にはとても頼もしかった。
「修正したうえで、この案を救恤局長と上層部へ提示する」
教官は書類を丸め、私を見た。
「ただし、状況は楽観できない。先ほど、財政院のアルベルト殿からも、事態の収拾に向けた対応案が上級官僚へ提出されたそうだ」
「アルベルト様から……」
「内容は『暴動は制度の根幹を揺るがすテロルであり、不当な要求には一切屈せず、警備隊による即時排除を推奨する』というものだ。彼の作成した成果表が、その判断の正当性を裏付ける資料として添えられている」
アルベルトの案は、私が挙げた『案A』とほぼ同じだった。
彼は感情に流されない。数字が改善している以上、その制度に反発する者は「全体の効率を落とすノイズ」でしかない。だから、武力を用いてでも速やかに排除し、正しい数字の軌道へ戻す。極めて冷酷で、極めて合理的な判断だ。
「判断を下すのは決定権者たちだ。我々の案が通る保証はないぞ」
「構いません」
私は真っ直ぐに答えた。
私は彼を論破するためにここにいるのではない。目の前にいる人たちを次の実務へ繋げるために、自分が一番正しいと思う案を出したのだ。
救恤局の最上階、厳重に警備された大会議室。
そこには、救恤局長、学院長、数名の上級官僚、そして視察に訪れていたアデライド王妃の姿があった。
重厚なマホガニーの卓上。
そこには、アルベルトが提出した『短期支出と再就職日数の改善を示す成果表』と。
私たちが現場から提出した、『表から消えた人々の別勘定費用と、再審査を条件とした対話解決案』が、並んで置かれていた。
学院生活の集大成となる、最終的な評価の天秤が、今まさに傾こうとしていた。




