第28話 実習当日
学院の卒業を目前に控えた、冬の冷たい朝。
王都救恤局の正面広場には、仮設の受付テントがいくつも並べられ、私たちアウレリア学院の生徒たちがそれぞれの持ち場についていた。
「これより、卒業最終実習を開始する」
教壇ではなく、現場の指揮所に立つ教員が拡声器を持ったまま告げた。
「本日は、月に一度の大規模配給と再就業受付が同時に行われる日だ。諸君の採点項目は『情報整理』『礼法』『会計』『他者との連携』、そして何より『危機対応』である。どのような事態が起きようとも、自らの持ち場を放棄せず、連携して対処しなさい」
これまでの実習は、すべてこの日のための訓練だった。
舞踏会での複合処理も、領地経営での立て直しも、あの地下室での会計調査も。別々に学んできた技能が、この本物の現場で一つの大きな実務として試されるのだ。
私は、広場の中央にある『総合案内および不備対応窓口』に立っていた。エルザ様は最前線の『一次受付』で流麗な礼法をもって列を捌き、フェリシア様は後方の『記録・照合デスク』で膨大な書類を高速処理している。
それぞれが一番力を発揮できる持ち場に分かれながら、必要があれば伝令を走らせて情報を共有する体制が組まれていた。
実習の開始から数時間は、順調そのものだった。
一次受付でエルザ様が対象者の要望を的確に分類し、必要な書類が揃っている者はフェリシア様のデスクへ流す。書類に不備があったり、自分に合う窓口が分からず迷っていたりする者は、私のところへ回ってくる。
「あ、あの……俺、この書類をどこに出せばいいか……」
文字を読むのが苦手らしい年配の男性が、私の前にシワだらけの紙を差し出した。
「お預かりします」
私は相手を急かすことなく書類を受け取り、内容に目を通した。これは救恤局ではなく、居住区の家族扶助窓口に出すものだ。
「こちらは、ここではなく西区画の役所へ提出する書類ですわ。ですが、せっかくお越しいただいたのですから、ここで書ける部分だけ一緒に埋めてしまいましょう」
私はペンを取り出し、彼に簡単な質問を投げかけながら、書類の空欄を代筆していく。
焦らない。相手の顔を見て、分かりやすい言葉で事実を切り分ける。失敗記録帳をつけて身につけた『具体化の聞き取り』の技術が、本物の支援対象者を前にしても自然に機能していた。
「……ありがとう、お嬢さん。助かったよ」
男性は安堵の表情で書類を受け取り、何度もお辞儀をして去っていった。
私の胸に、小さな温かい報酬が灯る。ほんのわずかだけれど、私の学んできたことが誰かの役に立っている。その実感が、冷たい冬の風の中でも私を真っ直ぐに立たせていた。
しかし、その平穏な時間は長くは続かなかった。
昼を過ぎた頃から、広場の空気が少しずつ変わり始めた。
エルザ様が捌いている一次受付の列の奥から、明らかに配給や通常の支援を求めているのではない、固い表情をした人々の集団が広場に入ってきたのだ。
「……おい、俺たちの支援を急に打ち切ったのはどういうことだ! 説明しろ!」
集団の先頭にいた男が、受付のテントに向かって声を荒らげた。
「私たちはまだ仕事が見つかっていないのに、いきなり来月からの支給を止めるなんて言われても困ります!」
「ちゃんと再審査をしてくれ!」
彼らは、最初から暴力を振るうような悪党の集団ではなかった。
ただ、アルベルトが原案作成に関わり、財政院が採用した『効率的な制度』によって、十分な説明もないままに突然支援の枠から切り捨てられ、行き場を失って途方に暮れた当事者たちだった。彼らなりの切実な不満と要求を伝えるために、この大規模受付の日を選んで集まってきたのだ。
しかし、彼らの怒りの声は、結果として広場の秩序を急速に奪い去っていった。
「うるさいぞ! 俺たちは朝から配給に並んでるんだ!」
「順番を守れ!」
正規の手続きを待っていた通常利用者の列と、抗議に訪れた人々の波が、一つの入り口の前で完全にぶつかり合い、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまった。
怒号と不満が飛び交い、エルザ様の一次受付の機能が完全にストップする。
私は総合案内のテントから、その混乱の渦を見つめていた。
抗議に来た人たちの気持ちは、私には痛いほどよく分かった。私だって、公衆の面前で一方的に婚約を解消され、切り捨てられた経験がある。彼らの怒りは正当なものだ。
だからといって、彼らに同情してこのまま業務を停止させればどうなるか。
寒空の下でずっと配給を待っている、小さな子供を連れた母親や、足の悪い高齢の利用者が、今日の食料や支援を受け取れずに追い返されることになる。彼らもまた、今日の支援を必要としている弱者なのだ。
感情的にどちらか一方の味方になることはできない。どちらの要求も放置すれば、必ず誰かが傷つく。
「ハルフォードさん! 前線が持ちませんわ!」
エルザ様からの伝令として走ってきた下級生が、青ざめた顔で私に告げた。
「抗議の方々が受付を塞いでしまって、通常の列が全く進んでいません! フェリシア様の記録デスクにも書類が回らず、作業が止まっています!」
見れば、広場の端に控えている救恤局の職員や王宮の警備隊たちが、どう動くべきか迷って顔を見合わせているのが分かった。
彼らは暴徒を鎮圧する訓練は受けていても、一般市民である抗議者と正規利用者が入り混じったこの複雑な群衆を、暴力を使わずに安全に整理する方法を知らないのだ。
ユリウス教官も監督席に立っているが、決して前に出てこようとはしない。安全の最終ラインは守ってくれるだろうが、実務の現場をどう回すかは、実習生である私たちに委ねられている。
私は総合案内のブースを飛び出し、混乱の中心へと向かった。
怒号が飛び交い、不満が熱を帯びて渦巻いている。このまま放置すれば、ただの口論がやがて本当の暴力事件へと発展してしまうのは時間の問題だった。
何とかしなければ。でも、どうやって?
警備隊に頼んで抗議者を力ずくで追い出せば、彼らの不満はさらに爆発し、怪我人が出る。逆に彼らの話をここで一人ずつ聞いていれば、配給を待つ人たちの列が凍えて倒れる。
私は、入り乱れる人の波を前にして、必死に思考を巡らせた。
失敗記録帳に書いた分類の型。『予定外の事態』と『人員の混迷』。
……違う。今目の前で起きているのは、単なる混迷じゃない。
私はハッとして、群衆の顔を一つずつ見渡した。
怒って支援の継続を求める男。配給が遅れて泣いている子供。そして、その混乱を遠巻きに野次馬として見物し、面白半分に野次を飛ばしている若者たち。
この広場にいる人たちは、全員が同じ目的で動いているわけではない。
「……分けるんだ」
私は無意識に呟いた。
エルザ様の受付が止まったのは、目的の全く違う三種類の人間を、無理やり『一つの列』として同じ窓口で処理しようとしたからだ。
ならば、答えは一つしかない。




