第三話:体感、あるいは色の見える剣士
今日もダンジョンに来た。
地下十四層。いつもの場所だ。石の壁が水色っぽく光ってるのは、水分が多い層だからだと前に誰かが言ってた。本当かどうかは知らないけど、綺麗だから好き。
私の名前は草薙このは。二十歳。攻略者。
精神障害者。
こういう順番で言うと、大体の人が最後の一個で止まる。顔が変わる。変わり方は人によって違うけど、たいてい何かが変わる。気を使うとか、距離を取るとか、逆に急に優しくなりすぎるとか。
私はそれを見るのがあまり得意じゃない。
何が変わったかはわかる。どこがどう変わったかも、わりと細かくわかる。ただそれに対してどう返せばいいかが、よくわからない。
だから最初に言うのをやめた。知り合いには知ってる人もいるし、知らない人もいる。それぞれでいい。
刀を腰に差して、廊下を進んだ。
前方、少し先に気配がある。
気配というのは正確ではないかもしれない。私には、物体と物体の間に働く力が、色として見える。引力みたいなもの。生きているものが近くにいると、その力が独特の色になる。魔物の場合は、生き物の色の中でもさらに独特の色味で見える。
今見えてるのは、橙色と黒が混ざったような色だ。
ゴブリン、たぶん。
ゴブリンは二体いた。
廊下の角の向こうにいる。私は角の壁際に背中をつけて、少し目を閉じた。
目を閉じると、色がよく見える。
これを人に説明するのが難しい。目を使って見てるわけじゃないから、目を閉じても見えるし、目を開けてても見える。ただ、目から入ってくる視覚情報と混ざらない分、目を閉じてる方が細かいところが把握しやすい。
二体のゴブリンのうち、一体はそれほど動いていない。もう一体が、少し落ち着きなく動いている。
落ち着きなく動いているほうが、最初に反応する。
私は刀を鞘から抜きながら、角を曲がった。
落ち着きなく動いていたゴブリンが、私を見て跳びかかってきた。思った通り。跳びかかった時に、体の重心がどこにあるかが見える。橙色の密度が高いところが重心だ。重心が前に出て、足が離れた瞬間は、体の向きが変えられない。
そこを横に動きながら、刀を薙いだ。
ゴブリンの側面を切った。
倒れる前に振り返って、二体目が動く前に前に出た。二体目は最初の一体が倒れたのを見て、逃げようとした。逃げようとする時は、後ろに重心が移る。その動きに合わせて、刀を振り下ろした。
二体とも倒れた。
素材が光の粒になって、浮かんだ。
私はそれを手で触れてインベントリに収めながら、刀を拭いた。
特に難しくなかった。ゴブリンは動きが単純だ。重心の動きも読みやすい。
私が刀を使えるのは、こういう理由からだと思う。
体のどこにどれだけ力がかかっているかが見えると、次の動きが予測できる。相手がどこを狙っているかも、どこに隙があるかも、色でわかる。
私は頭が良くないから、これを「考えて」やっているわけじゃない。色が見えるから、そっちに体が動く。それだけだ。
地下十四層を少し歩いたところに、小さな広間があった。
休憩に使われる場所で、今日は先客が一人いた。壁に背中をつけて座っている、二十代の男の人だ。装備から見ると私より少し上の層を潜っているような感じ。
私は反対の壁側に座った。
水筒を出して水を飲んだ。今日は朝からちゃんとご飯を食べてきた。昨日友達の千佳の家でお米をもらったから。炊いた。今日はちゃんとお米を入れた。
先週は入れ忘れた。
炊飯器のスイッチを入れて、一時間後に開けたら水だけだった。なんで、と思ったけど、入れ忘れてた。お腹が空いたから千佳に電話したら、「また?」って言われた。また、って言われたから、前にも同じことをやったみたい。覚えてなかった。
千佳は「来なよ」って言ってくれたから、電車に乗って千佳の家に行って、ご飯をもらって、お米を少し分けてもらった。
千佳はよく「草薙は昔から変わらないね」って言う。褒めてるのか、そういうことを言ってるのかは、毎回よくわからない。でもたぶん怒ってないから大丈夫だと思う。
男の人がこちらを少し見た。
私の腰の刀を見た。次に顔を見た。そして視線を前に戻した。
よくある反応だ。刀を持った女の人が一人でいると、たいていそういう順番で見る。
私は特に何も言わなかった。
休憩を終えて、また歩き始めた。
今日の目標は地下十七層の、蜘蛛型魔物の素材だ。蜘蛛の糸は高値で売れる。蜘蛛型はゴブリンより大きくて、動きも速いけど、私は蜘蛛型の動きが読みやすい。
蜘蛛型は体が大きい分、重心の位置が高い。体が大きくなるほど、重心の動きが大げさになって、見やすくなる。逆に小さくて速い魔物の方が、重心の動きが細かくて追いにくいことがある。
十五層に降りた。
ここからは少し魔物の密度が上がる。通路も複雑になる。
私はこういう複雑な場所が、地上よりむしろ得意だ。
地上は、情報が多すぎることがある。人がたくさんいて、いろんなものが動いていて、音が多い。それらの力の流れが全部色で見えるから、うるさい感じがすることがある。頭が痛くなることはないけど、疲れる。
ダンジョンの中は、魔物と石と空気と、あとたまに他の攻略者がいるだけだ。情報がシンプルで、見やすい。
だから私はダンジョンの中が、割と好きだった。
十六層に降りた廊下で、先行している攻略者のグループと行き会った。
四人組で、全員二十代後半くらいに見える。装備がしっかりしていた。リーダーらしき人が私を見て、少し立ち止まった。
「一人?」
「そうです」
「十七層行くつもり?」
「はい」
リーダーの人は少し眉を寄せた。
「十七層は今日、蜘蛛型の巣が活性化してる情報が出てる。一人だと危ないかもよ」
「大丈夫だと思います」
「根拠は?」
「蜘蛛型の動きが読みやすいので」
リーダーの人はしばらく私を見た。何かを判断しようとしているのがわかった。顔の筋肉の動き方で、迷っているのが見えた。迷っている時は、力が一箇所に集まりきらなくて、色が揺れる。
「名前と所属は」
「草薙このは。所属はないです」
「スキルは何?」
私は少し考えた。
スキルの説明が、難しい。
発現した時に頭に流れてきた情報は、あった。でもその情報が指してるものが何なのか、私にはよくわからなかった。言葉は入ってきたけど、その言葉が何を意味するのかが、読めなかった。
友達の由希に見せたら、「これよくわからないな」って言ってた。由希はスキルの研究をちょっと齧ってる人だから、詳しいはずなのに。「珍しいタイプかも」とも言ってた。
「うまく言えません」
リーダーの人の顔が少し変わった。
「言えない?」
「説明が難しくて」
「強化系? 知覚系?」
「たぶん近いのは知覚系だと思います。正確にはわかりません」
グループの中の一人が、リーダーに何かを小声で言った。内容は聞こえなかったけど、私を指していた。
リーダーの人は少し考えてから、「気をつけて」と言って先に進んだ。
私も進んだ。
十七層に降りると、蜘蛛型の色が見えた。
複数いる。活性化してる、と言われた通り、動きが多い。廊下の奥から、橙よりも濃い赤茶色の色が複数動いている。
蜘蛛型は集団で行動することが多い。一体に気づかれると、周囲の個体も反応する。音か、あるいは振動か。そういう情報が伝わって、群れとして動くようになる。
最初の一体に気づかれる前に、先制できるかどうか。
私は足音を最小限にして廊下を進んだ。
蜘蛛型の体重は大きい個体で二十キログラム以上ある。八本脚が均等に体重を支えているから、重心の位置が低くて安定している。その代わり、急激な方向転換には向いていない。
最初の一体が見えた。
私は刀を抜きながら駆けた。
相手が反応する前に、側面に回って斬った。一撃で頸部を切断した。
次の瞬間、奥にいた二体が反応した。
来た。
右から来る一体の脚の動きを色で追った。前脚が上がった時、右から体を前に出してきた。その動きに合わせて半歩下がり、通り過ぎる瞬間に背側を横薙ぎにした。
左から来た一体は、私が右の個体に気を取られると判断して真っ直ぐ来た。私は振り返りながら刀を逆手に持ち直し、体を低くして腹側に突いた。
三体を連続で倒した。
奥からさらに反応した個体がいる。
二体。
私は少し息を整えた。
二体同時は少し考えた。一体ずつ処理できれば問題ないけど、蜘蛛型は横に広がる動きをすることがある。壁際に押し込まれると少し面倒だ。
廊下の幅を確認した。それほど広くない。
私は前に出た。受けに回るより先に動く方が得意だ。
左の一体が先に来た。右の一体は少し遅れている。
左の一体の正面から受けに行くふりをして、最後の瞬間に右に体をずらした。蜘蛛型は直進してきて、私の横を通り過ぎた。その背面を斬った。
右の一体が追いついてきた。前脚が私に向かって振り下ろされた。刀でそれを受けながら、体を滑り込ませて首元に刃を入れた。
五体。
終わった。
素材を回収した。蜘蛛の糸が複数本。魔石が二個。
私はそれをインベントリに収めながら、少し呼吸を整えた。
難しくはなかった。ただ、五体を続けてやると少し疲れる。体力の問題ではなく、色をずっと追い続けるのが、少し疲れる。
十七層を少し歩いたところで、変な場所に出た。
変な場所、というのは、通路の形が地図と合わない場所だ。ダンジョンは時々、地図に載っていない区画が現れることがある。新しく生成された区画か、あるいは元からあったけど記録されていなかった区画か。どちらかはわからない。
私は立ち止まった。
新しい区画には、魔物がいることもあるし、素材があることもある。あるいは何もないこともある。
入るかどうか考えた。
入ることにした。
理由はあまりない。なんとなく、見てみたいと思った。
通路は短くて、すぐに小さな部屋に出た。
部屋の中に、人がいた。
人が倒れていた。
一人の女性で、二十代後半くらい。攻略者の装備を着ている。体が動いていないけど、死んでいるわけではなかった。生きているものの色は、死んだものとは全然違う。この人は生きている。
ただ意識がないみたいだ。
私は近づいて、状態を確認した。
体の各部に働いている力の色を見た。右脚に、他の部位と違う色がある。怪我をしている場所は、力の流れが歪むから、色が変わる。骨が折れているか、筋肉が大きく損傷している時は、赤みが強くなる。この人の右脚の色は、ちょっと赤みがある。でも骨折ほど強くはない。打撲か、捻挫だと思う。
頭部を確認した。こちらは色に大きな乱れはない。頭を打っていたら、もっと色が乱れる。
意識が戻らない理由が少しわからなかった。怪我の場所と深刻さで意識を失うほどではない気がした。
それからもう少し注意深く色を見た。
口元のあたりの空気の流れが、少し変だ。
低酸素、かな、と思った。
この部屋はあまり広くない。換気も悪そうだ。私が来た通路は短かったけど、ここは行き止まりで、空気が循環しにくい場所かもしれない。
この人がここにいた時間が長ければ、酸素濃度が下がっていた可能性がある。
私は入ってきた通路の方向に向けて、大きく手を動かした。空気を動かすために。
それを何度かやりながら、女性の肩を軽く叩いた。
三分ほどしてから、女性が目を開けた。
最初は焦点が合っていなかった。しばらく天井を見て、それから私を見た。
「……誰?」
「草薙このはです。攻略者です。倒れてたので」
女性は体を起こそうとして、右脚に力を入れて、顔をしかめた。
「脚は怪我してます。あまり急に動かない方がいいと思います」
「あなたが助けてくれたの?」
「たぶん空気が薄くなってたと思います。換気したら目が覚めたので、たぶんそれで」
女性は周囲を見て、少し考えた顔をした。
「そっか。ここ、行き止まりで狭いから。気づかなかった」
「私も最初はわかりませんでした。見てたらなんか変だと思って」
「ありがとう。助かった。本当に」
「どういたしまして」
私は水筒を出した。
「水、飲みますか」
「いいの?」
「どうぞ」
女性は水を受け取って、少し飲んだ。顔の色が戻ってきた。人の顔の色は、血流の状態で変わる。さっきより体の色が安定してきた。
「脚、自分で歩けそうですか」
女性は右脚を動かしてみて、顔をしかめた。
「歩けなくはないけど、痛い。捻挫かな」
「たぶんそうだと思います」
「なんでわかるの」
「見えるから」
女性は少し不思議そうな顔をした。
「見える?」
「そういう感じで見えます。うまく言えないですけど」
女性の名前は松永都といった。
三十一歳。攻略者歴七年のベテランで、スキルは「剛力」だった。身体能力の強化系スキルで、重量物を扱うことに長けているという。
「一人で来てたんですか」と私は聞いた。
「今日はね。仲間が体調不良で休んで、私だけ来ちゃった。無理だったかな」
「七年でも一人は難しいですか」
「七年だからこそ、自分の限界がわかってる。一人で来るべきじゃなかった」
松永さんは壁に背中をつけて、右脚を伸ばした。
「あなたは? 一人で来てるの」
「はい、いつも」
「いつも一人で? スキルは何?」
「うまく説明できなくて。知覚系に近いと思います」
「剣の腕は確かね。さっき魔物と戦ってるの、通路の向こうから少し見えた。速かった」
私は少し考えた。
褒められた時に、どう返せばいいかがよくわからない。ありがとうございます、で大抵は合ってるけど、毎回それでいいのかが自信がない。
「ありがとうございます」
松永さんは笑った。
「あなた、おもしろいね。悪い意味じゃなくて」
「どういう意味ですか」
「なんか、素直っていうか。変な遠慮がない」
「遠慮の仕方がよくわからないので」
松永さんはまた笑った。今度は少し大きく。
「それでいいと思う」
松永さんが歩けそうかを確認してから、一緒に帰り道を歩いた。
私が先に立って、松永さんが後ろからゆっくり来た。右脚をかばいながら歩いているのが、色の動きでわかった。体の重心が左寄りになっている。長時間続けると左脚と腰に負担がかかる。
「少しゆっくり歩いてください。右に偏りすぎると腰に来ます」
「わかった。どうしてそんな細かいことがわかるの」
「力のかかり方が見えるので」
「どんな風に見える?」
「色で見えます。どこに力がかかってるかが、色の濃さで見えます。重心がどこにあるかも、動きの方向も」
松永さんはしばらく考えた。
「それって、戦闘でも使えるの」
「使えます。相手の次の動きが予測できます」
「すごいじゃない。そのスキルの名前は?」
「わからないんです。発現した時に説明が来たんですけど、私には読めなくて」
「読めなくて?」
「書いてある言葉の意味が、わかりませんでした。由希っていう友達に見せたけど、由希にもよくわからないって言われました」
松永さんはまた少し不思議そうな顔をした。
「その友達、スキルに詳しいの?」
「ちょっとだけ詳しいと思います。でもよくわからないって言ってました」
「珍しいスキルなのかもね」
「由希もそう言ってました」
十五層まで戻ったところで、先ほどの四人組の攻略者グループに再び行き会った。
リーダーの人が私を見て、少し驚いた顔をした。それから松永さんを見た。
「怪我人?」
「捻挫です。大きくはないです」と松永さんが言った。
「一緒に戻るの?」と私に聞いてきた。
「そうです」
「十七層、どうだった」
「蜘蛛型が五体いました。素材は取れました」
リーダーの人が少し顔を変えた。一体目の時とは違う変わり方だった。何かを評価するような動きだった。
「一人で五体倒したの?」
「はい」
「それは大したものだね」
「ありがとうございます」
グループの中の一人が、また小声で何かを言っていた。今度は私への視線ではなく、リーダーへの視線だった。
リーダーが返事をした。それも聞こえなかった。
松永さんが私の隣で小声で言った。
「あの人たち、あなたのことが気になってるみたい」
「そうですか」
「何か変なこと言われた?」
「最初に一人は危ないって言われました」
「それは普通の心配だけどね」
私たちはグループと少し言葉を交わしてから、また先に進んだ。
ダンジョンを出た。
地上に出ると、夕方の光が差していた。
松永さんが「少し座りたい」と言ったので、ダンジョン入り口近くのベンチに座った。
松永さんは右脚を伸ばしながら、大きく息を吐いた。
「助かった。本当にありがとう」
「どういたしまして」
「今日のこと、仲間には言えないな。心配されるから」
「言わなくていいと思います」
「言わなくていいの?」
「松永さんが決めることなので」
松永さんは私を見た。
「あなた、いくつ?」
「二十歳です」
「二十歳か。若いのに、落ち着いてるね」
「そうですか」
「そうですか、って。自覚ないの?」
「落ち着いてると言われることはありますけど、どうしてそう見えるかはよくわかりません」
松永さんは少し笑った。
「あなた、友達多そうだけど、少なそうでもある」
「少ないです。でも長い人が何人かいます」
「それで十分だよね、たぶん」
私は少し考えた。
「そう思います」
家に帰った。
玄関を開けて、靴を脱いで、リュックを下ろした。素材をインベントリから出す前に、手を洗った。
ダンジョンから帰ったらまず手を洗う、というのは千佳から言われた習慣だ。ダンジョンの中は魔物がいるから菌とかがあるかもしれない、と千佳が言っていた。本当かどうかはわからないけど、千佳が言うのはだいたい正しいことが多いから守っている。
素材を袋に移した。明日、素材屋に売りに行く。
今日の収益は蜘蛛の糸が五本と魔石が二個で、計算すると大体三万五千円くらいになる。月の収入としてはいい方だ。
冷蔵庫を開けた。
豆腐と卵と、千佳にもらったお米がある。
今日はご飯を炊く。お米を先にボウルに出してから炊飯器に入れる、という手順を先週から変えた。こうすると入れ忘れない。
お米を研いで、炊飯器にセットした。スイッチを入れた。
卵を茹でた。
豆腐は冷たいままでいいか、と思って、醤油を出した。
炊き上がりまで二十分くらい時間があった。
私はテーブルに座って、今日のことを思い返した。
松永さんは今日、一人で来たことを「無理だった」と言った。
七年のベテランでも、一人で来るべきじゃない時があるということだ。
私はいつも一人だ。
それは大丈夫なのかな、と少し思った。大丈夫ではない日があるかもしれない、ということを、今日初めてちょっと考えた。いつも大丈夫だったから、今まで考えたことがなかった。
ただ、一人じゃないと困ることがある。
複数の魔物に囲まれた時は、後ろが見えない。色で追えるけど、同時に追える数に限界がある。私は三方向までなら大体大丈夫だが、四方向以上になると色が混じって、判断が遅れる。
今日の蜘蛛型は五体だったけど、廊下という構造のおかげで正面と左右に制限できた。もし広い場所で五体に囲まれたら、少し難しかったかもしれない。
そういう時に、仲間がいると助かるのかもしれない。
私は考えた。
仲間を作るにはどうすればいいか。
千佳と由希に聞いてみようと思った。
炊飯器が鳴った。
ちゃんとお米が炊けていた。
よかった。
次の日、素材屋に売りに行った後、千佳の仕事が終わる時間に待ち合わせた。
千佳の名前は宮田千佳。二十二歳。子供の頃からの友達で、今はダンジョン関係の事務の仕事をしている。スキルは持っていない。持っていないけど、そのことを気にしていない様子だ。
「昨日どうだった」と千佳が聞いてきた。
「蜘蛛型を五体倒した。あと人を助けた」
「人を?」
「空気が薄い部屋で倒れてた人がいたので、換気した」
千佳は少し目を丸くした。
「すごいじゃん。気づいたの?」
「口元の空気の動きが変だったので」
「さすがだね、このは」
千佳がこういう時に言う「さすが」は、からかいが混じってる時と、純粋な時がある。今日はどっちか、少し迷った。
「からかってる?」
「全然。本当にすごいと思って言ってる」
「そうなんだ。ありがとう」
「報告受けたみたいに言うなあ」
千佳は笑った。
「ね、それでさ」と私は言った。「仲間ってどうやって作ればいいかな」
千佳が立ち止まった。
「急だね。何かあったの?」
「昨日助けた人が、一人で来ると難しいことがあるって言ってたから、考えた」
「そっか。でも、このはは今まで一人でずっとやってたじゃん」
「大丈夫だったから考えてなかった。でもこれから大丈夫じゃない日が来るかもしれないなと思って」
千佳はまた少し黙って、それから口を開いた。
「このはが先に仲間が欲しいって言ってきたの、初めてかも」
「そうかな」
「そうだよ。今まで私が心配して聞いても、大丈夫って言ってたじゃん」
「大丈夫だと思ってたから」
「……まあ、今も大丈夫なんだけどね」と千佳は言った。少し間を置いて。「でもそう考えるようになったのは、いいことだと思う」
「そう?」
「そうよ。これは褒めてる」
千佳に、昨日助けた松永さんの話をした。
松永さんが七年のベテランで、それでも一人で来たことを反省していたこと。
千佳は頷きながら聞いていた。
「その人、今どうしてるかな。脚は大丈夫だったかな」
「帰る時はちゃんと歩けてたから、大丈夫だと思う」
「連絡先交換しなかったの?」
私は考えた。
「しなかった。しておけばよかった?」
「まあ……縁があればまた会うかもね」
「ダンジョンで会うかもしれない」
「そうね」
千佳は少し笑った。「このはって、人と別れる時に普通は連絡先を交換するって考えが出てこないよね。昔からそうだけど」
「気づかなかった。次は気をつける」
「次に会ったら、交換してみたら。それが自然なタイミングじゃないかな」
「わかった」
私はメモに書いた。「次に松永さんに会ったら連絡先を交換する」。
千佳が私のメモを見て、「几帳面だな」と言った。
「忘れると思って」
「忘れる前提なんだ」
「忘れたことがあるので」
「……まあ、このはらしいね」
家に帰る途中、由希に電話した。
由希の名前は間宮由希。二十一歳。スキルの研究を趣味でやっている。攻略者ではなく、ダンジョン関連の研究機関に就職した。スキルは持っているけど、内容は「情報読み取り」というもので、物体に残った記録を読めるらしい。
「ねえ、私のスキルのことなんだけど」と電話で言った。
「どしたの突然」
「昨日、一緒に帰った人に、スキルの名前を聞かれて、言えなかった」
「それはまあ、私にもよくわからないからね」
「由希的には今どこまでわかってる?」
由希は少し考える間があった。
「発現時の記述が普通じゃないんだよね。スキルの発現通知って、基本的に一定のフォーマットがあるんだけど、このはのは構造が違う。言語的に解析できない部分がある」
「解析できない」
「うん。私が使えるのは既存のデータとの照合なんだけど、このはのスキルの記述は既存の何とも一致しなかった。完全に新しいか、あるいは記述の形式が根本から違うか」
「根本から違うってどういうこと?」
「普通のスキルの記述は、日本語ないし各国語で書かれてる。でもこのはのは、言語じゃない可能性がある」
私は少し考えた。
「言語じゃない、って」
「感覚情報に近い記述かもしれない。言葉じゃなくて、感覚そのものが直接書いてある、みたいな。だから通常の言語解析では読めない」
「感覚が書いてある」
「このは自身にとっては意味がわかるかもしれない。言葉として理解するんじゃなくて、感覚として直接入ってくるから」
私は歩きながら、それを考えた。
発現した時に頭に流れてきた情報は、確かに「言葉」ではなかった気がする。言葉で理解しようとしたから、わからなかっただけで、感覚として受け取ったら——
「体で感じるものなのかも」と私は言った。
「そう思う?」
「色で見える、っていうのが、それかもしれない」
「あー、やっぱりそうか。スキルの効果が、感覚として発現してるんだね。このはには色として見えてるけど、それがスキルの情報処理の仕方なのかも」
「スキルの名前は?」
「わからないけど」と由希は言った。「強いて言えば、物理的な力の知覚、かな。でも普通そんなスキル聞いたことないから、もっと根本的な何かかもしれない」
電話を切って、歩き続けた。
物理的な力の知覚。
色で見える、というのを人に説明するのはいつも難しかった。「そういうのが見える」と言うと、大体の人が不思議そうな顔をする。中には疑う人もいる。でも嘘をついてもしょうがないので、見えると言う。
千佳は昔から「このはが見えるって言うなら見えるんでしょ」という感じで、疑わなかった。
由希は「面白い、詳しく教えて」という感じだった。
スキルが発現する前から、こういう感覚はあった。子供の頃から、人の体のどこに力がかかっているかが、なんとなくわかった。学校で体育の授業があって、先生が「このくらいの距離に腕を広げて」と言う。他の子はなんとなくで開くけど、私には正確な距離がわかった。自分の体だけでなく、人の体も。
それがスキルの発現で、もっと細かく、もっと遠くまで見えるようになった。
これが私の「普通」だ。
ただ、他の人には同じ「普通」がないということを、少しずつ理解してきた。
友達が「腰に手を当てて笑ってる」とき、どこにどれだけ力がかかってるかが見える。その人が今気持ちよく笑っているのかどうかも、力の分布でわかる。笑いながら実は少し緊張してる時は、体のどこかに余分な力が残る。
それは色の形で見える。
面白い、と思う。
人の体は正直だと思う。言葉とは違うことを言っていても、体の力の動き方は変わらない。
家に帰って、夕飯を作った。
昨日の残りの卵と、豆腐と、お米。
炊飯器からお米をよそって、食べた。
テレビをつけた。ニュースをやっていた。ダンジョン関連のニュースだ。霧深市から離れた場所のダンジョンで、新しい区画が発見されたとか。新種の魔物が確認されたとか。
私はテレビを見ながら、食べた。
今日は一人で、普通の夜だった。
辛いことは、ある。
うまく説明できないことが多い。言いたいことが途中で消えることがある。順番に言おうとすると、先に言うことと後に言うことが混ざる。相手が気を使ってくれるのがわかるけど、気を使われすぎると疲れる。
でも頑張れる。
それは千佳がいるからとか、由希がいるからとか、そういうことだけじゃなくて、単純に自分が自分を知ってるから、だと思う。
私の体のことは私が一番知っている。どこがどう動いて、どこに力がかかって、どう動けばいいか。それが色で見えるから、ダンジョンでも戦える。
自分の体のことを知っているというのは、強いことだと私は思う。
人はたいてい、自分の体のことをあまり知らない。
友達が「車はエンジンで動くけど、なんでエンジンで動くかは普通知らないよな」と言ったことがある。それと同じで、自分の体が動いているのは知っているけど、どうやって動いているかは知らない、という人が多い。
私は逆だ。体がどう動いているかは色でわかるけど、「なんで車が動くか」みたいな話は苦手だ。概念を言葉にして順番に追っていくのが、得意じゃない。
それはそれでいい、と思っている。
私は私のことをよく知っているから。
数日後、また松永さんに会った。
霧深市のダンジョン入り口近くの道だった。
松永さんは右脚を少し引きずっていたけど、それほど酷くはなかった。
「草薙さん!」と松永さんが言った。
「こんにちは」
「またここで会えると思ってた。毎日来てるの?」
「だいたい来てます」
「今日も一人?」
「はい」
松永さんは私を見て、少し笑った。
「仲間探してみようと思う? 一人で来てる攻略者に声かけてみるとか」
「それは考えてました」
「じゃあ今度、私と一緒に来てみる? 私のグループに入るとかじゃなくて、試しに一緒に潜ってみるだけ」
私は少し考えた。
「それは大丈夫です」
「ちょうどよかった。私のグループのメンバーが一人スキルアップして、行動範囲が広がったから、メンバーを一人増やしたいと思ってたところで」
「合うかどうかはわからないですけど」
「試してみればわかる。それと」と松永さんが言った。「連絡先、交換しておこう。先日教えてもらえばよかったと思ってたから」
私はメモを思い出した。
「私もそれを書いてました」
松永さんが少し驚いた顔をした。
「書いてた?」
「交換しておけばよかったなって、友達に言われたので、メモしておきました。次に会ったら交換するって」
松永さんは少し間を置いてから、笑った。
「律儀だね」
「忘れると思ったので」
「正直ね」
「そうですか」
私たちは連絡先を交換した。
その夜、千佳に報告した。
「松永さんに会った。連絡先交換した。今度一緒に潜るかもしれない」
千佳が電話の向こうで少し驚いた声を出した。
「本当に! よかったじゃん、このは」
「メモのおかげ」
「メモのおかげって(笑)。でもそういうことを一個一個やっていくのが大事なんだよ」
「そう?」
「そうよ。メモして、会ったら交換して、一緒に潜ってみて。一個ずつやっていったら、気づいたら仲間ができてた、みたいな感じになるよ」
「一個ずつ、か」
「うん。このはは急に全部やろうとしなくていいし、急に全部わかろうとしなくていいし、一個ずつで十分だと思う」
私は少し考えた。
「千佳はそういうこと、なんで知ってるの」
「なんでって、まあ……長年のつきあいで、このはを見てきたから、かな」
「そっか」
「ありがとうって言ってくれないの」と千佳が言った。からかってる声で。
「ありがとう」
「どういたしまして」
電話を切った。
部屋が静かだった。
外から、街の音がした。車の音、風の音、誰かが話している声が遠くに。
私は、明日も大丈夫だろうな、と思った。
辛いこともあるけど、大丈夫だ。
それは根拠がないけど、でも確信がある。
体が今どういう状態かが色でわかるように、なんとなく、大丈夫だというのがわかる。
今日は早く寝よう、と思った。
明後日、松永さんのグループと一緒に潜ってみる予定が入ったから、しっかり寝ておく。
お米は朝に炊く。忘れないように、炊飯器の前にお米を出しておく。
それだけのことを、順番に考えた。
それだけで、十分だった。
——第三話:完——




