1-1. 名門追放悪役貴族▷▶駆け出し鉄級冒険者
「着いたぞ」
御者台から聞こえたその言葉が、レオンの意識を浮上させた。緩慢な動作で頭を持ち上げると、バキバキと首の骨が鳴る。やはり、約9日間に渡る乗合馬車での旅は、旅慣れしていないレオンにとって辛いものがあった。しかし、それも今日で終わりだ。
「ありがとうございました」
トランクを持ち、馬車の外へ出る。目覚めた瞬間から感じていた喧騒が、より鮮明な情報となってレオンの五感を刺激した。最初に感じたのは、むわっとした土と汗が入り交じったような匂い。王都の洗練された空気とはまるで違う、荒々しい戦場のような雰囲気を感じた。
遠くに見えるのは、高く聳える石壁と、そこに取り付けられた巨大な門だ。門の前には長い行列が出来ていて、屈強な兵士が旅人の荷物と通行証を確認している。レオンの乗っていた馬車もあそこを通ったのだろう。
そしてその門の内側には、質素な木造の建物と頑丈な石造りの屋敷が混ざった光景が広がっていた。華やかな装飾が随所に見られた王都とは異なる、機能美を優先した街並。
だが、活気はある。
鍛冶屋の槌音が響き、それに負けじと行商人が威勢よく声を張り上げる。背中や腰に、巨大な剣を、盾を、ナイフを装備した様々な種族の冒険者達が、まだ昼前だというのに、酒場で杯を突き合わせながら笑っていた。
熱気と喧騒の坩堝。そう形容するに相応しい雑多さが、レオンは嫌いではなかった。
「これが……冒険者の街、ルヌラ」
ルヌラはオルキナ王国の王都、タマデクスから馬車で約9日の距離にある。辺境とはいえ交通の要所であり、都市に隣接する「ガランシュトの樹海」、通称「魔の森」からやってくる魔物の討伐拠点として発展している。
「ええと……残りのお金は銀貨10枚……だいたい10万円くらいか」
へそくりの入った巾着袋を広げて、中身を確認する。ルヌラに来るまでの道中で寄った都市にて、レオンは平民が着るような普通の服を2着と靴1足を購入していた。お値段は全部合わせて銀貨2枚。中でも高かったのは靴で、銀貨1枚の出費となった。また、乗合馬車の利用料金は銀貨5枚であるため、合計支出は銀貨7枚となり、元々のへそくりである銀貨17枚から差し引いて、残り銀貨10枚となった訳だ。
元々着ていた服はトランクの中だ。もちろん、売れば確実に路銀の足しになるため、どうにかして売れないかと考えたのだが、身元不明の若い男が高級素材をふんだんに使用した衣服を売りつけようとしてくる姿を客観視して、レオンは泣く泣く売却を諦めた。
どう見ても怪しすぎるし、異世界で羅生門デビューはしたくない。つまり何が言いたいのかというと、レオンはどうにかして稼がにゃあかんということである。
「冒険者ギルドはっと……あれか!」
冒険者ギルドは特徴的な赤い屋根に加えて、剣とドラゴンのエンブレムが刻まれた看板をぶら下げている。この外観は、大陸にある冒険者ギルド全てに共通しており、王都に存在する冒険者ギルドも例外ではない。レオンは大通りの先に、目当ての建物を見つけ、歩き出した。
そもそも何故、彼が冒険者になろうとしているのか。その答えは単純で、身元を詮索されにくいからだ。 貴族としての過去を知られれば厄介なことになるし、どこかの店で働こうにも、保証人がいなければ雇ってもらえない。さらに、職人の徒弟になるには時間がかかりすぎる。
その点、冒険者は素性を問われることが少ない。 実力さえ示せばすぐに仕事を得られ、結果を出せば報酬が支払われる。
もちろん、命の危険はある。だが、他の選択肢はもっと厳しい。実家から追放され、まともな資産もコネもないレオンにとって、即金で報酬が手に入り、自由に動ける冒険者という道は、「唯一の現実的な選択肢」 だったのだ。
「よし……」
レオンはギルドの入口にある両開きの扉の前で深呼吸すると、意を決してその扉に手をかけた。そのまま押し開けると、年季の入った木材特有の軋む音が響く。
ギルドの中には、そこそこ冒険者の姿があった。チラリとレオンを一瞥する者もいたが、大半はクエストボードらしき大きな掲示板に貼られた依頼書を眺めたり、併設されたテーブルで仲間と談笑したり、受付カウンターで交渉をしていた。
一目見ただけでも、人族の剣士に、軽装の猫獣人、無骨なドワーフの戦士、重装備の竜人族、華美なローブを羽織ったエルフなど、実に多種多様な冒険者がいる。しかし、そんな彼らには一つの共通点があった。
それは全員、男であるということだ。
冒険者という職業は、この世界ではほぼ男性だけの仕事だ。その男女比はおよそ9:1。女性の冒険者はほぼ存在しない。
その理由はいくつかある。
まず単純に、男のほうが身体能力に優れているからだ。魔物と戦う以上、肉体の頑強さや瞬発力は重要になる。魔法で補強できるとはいえ、素の身体能力が高いに越したことはない。同じ魔力量ならば、筋力や耐久力の高い男のほうが有利になるのは自明の理だった。
だが、それ以上に大きな理由がある。
『女は奴隷になりやすく、男は冒険者になりやすい』
この世界では、身元不明の人間は簡単に奴隷として扱われる。特に女性は性的な需要が高く、見目が良ければ貴族や富裕層の慰み者として売られることが多い。見た目が普通でも、家事奴隷や使用人としての需要がある。
一方、男の奴隷はどうか? 労働力として使われることはあるが、過酷な環境下でこき使われることがほとんどだ。運が良ければ善良な貴族や商人に買われ、それなりの扱いを受けることもあるが、大抵は過酷な鉱山労働や戦場での使い捨て要員となる。例外として、14歳ぐらいまでの男ならば、特定の好事家に買われることもある。しかし、それを過ぎれば『旬が終わった』として処分もしくは手放されることが多い。
だったら冒険者になったほうがまだマシだと、「行き場のない男たち」 が流れ着く先として、冒険者ギルドが機能していた。
「……さて」
レオンは小さく息を吐き、軽く頬を叩いた。余計なことを考えていても仕方がない。今はとにかく、自分の生きる道を確保することが先決だ。彼は改めてギルド内を見回し、カウンターへと足を向けた。
「すみません。冒険者登録をしたいのですが」
「はいよ。登録料は銀貨1枚と大銅貨5枚だ。払うのが難しけりゃ、新規登録の特例制度で大銅貨7枚で登録できるよ。その代わり残りは依頼報酬から天引きされるけどね」
恰幅のいい40~50代ぐらいの女性が、陽気に対応してくれる。登録料が払えない者も少なくはないのだろう。彼女の気遣いに感謝しつつ、レオンは心もとない自身の財産を鑑みて、制度の利用を決めた。
「その特例制度を利用したいです。銀貨1枚からでお願いします」
「確かに受けとったよ。これがお釣りの大銅貨だ。それをしまったら、この魔道具に手を当てな」
大銅貨3枚を懐にしまいつつ、受付嬢の言葉通り、カウンター端の四角い魔道具に開いた手の平を当てる。まるでスパイ映画に出てくる指紋認証装置みたいだなと、レオンは思った。
「これは何をしているんですか?」
「犯罪歴の有無を魔法で照合してるのさ。犯罪者の魔力は国の魔導譜に登録されてるからね。さて、照合してる間に書類を書いてもらわなきゃね。代筆もできるけどどうする?」
代筆と聞いてレオンは一瞬考えた。なぜなら文字を読み書きできるということは、高等な教育を受けたことがあるという何よりの証拠であるからだ。そこまで神経質になる必要も無いとは思うが、思わぬ綻びからレオンの素性に気づかれても困る。そのため、念には念を入れておくべきだと彼は判断した。
「代筆でお願いします」
「あいよ。じゃあ、あんたの名前と使ってる武器に戦闘スタイル。後は魔法が使えるかどうかについて答えてもらうよ。最後に死んだ時の処理についてだけど、ギルドに任せるのか遺品を誰かに渡すように指定するのか選びな」
書類をカウンターから取り出した女性が、いかにもな羽根ペンを持ちながらレオンの返答を待っている。名前をどうするのか。その問題についてレオンはずっと考え続けていた。家名を言わないのは当然として、「レオン」そのままというのもあまり良くない。かといって、全く異なる雰囲気の名前は露骨すぎて偽名だと丸わかりだし、一瞬自分が呼ばれたのかどうか分からなくなるのはいただけない。
また、ヴァルフォート伯爵家と交わした契約を万が一解除することになる時が来た場合に、全く異なる名前にしてしまうとあちらとの接触が難しくなる可能性がある。彼は数瞬の間悩み、結局は無難な結論に落ち着いた。この間約0.01秒の出来事である。
「……名前はレオ。片手剣と盾を使います。前衛で、魔法は簡単なものなら少し。死亡時の処理は…ギルドに任せます」
レオがそう答えたと同時に、彼が手を当てていた魔道具から鈴のような音が鳴った。どうやら照合が完了したらしく、犯罪歴は確認できなかったらしい。内心ほんの少しだけドキドキしていた少年は、いつの間にか入っていた肩の力を抜くようにゆっくりと息を吐いた。
「それじゃ、ギルドカードを発行してくるから、ちょっとここで待ってな」
全ての記入事項を書き終えたギルドの受付穣が、カウンターの奥へと消える。そして、ものの数分で戻ってくると、レオにカードを渡した。その際、「頑張れよ、坊主!」と背中を叩く激励を添えて。
少し痛む背中を擦りながら、レオは手渡されたギルドカードをじっと見つめた。手のひらほどの大きさで、角が丸められた長方形のカード。材質は分からないが、触れるとほんのりと冷たさを感じる。表面は黒曜石のように滑らかだが、光の角度によってわずかに魔力の流れが揺らめくのが見えた。
指でカードの表面をなぞると、魔力が反応し、そこに浮かび上がるようにしていくつかの項目が映し出された。表面にはカードの所有者の個人情報が記載されており、裏面にはギルドの登録番号や過去の依頼履歴、等級の変動履歴などが表示される。また、裏面はギルドでのみ確認出来るようになっていた。
◆◆◆
〇表面
【名前】:レオ
【等級】:鉄級
【所属ギルド】:ルヌラ辺境都市支部
【戦闘スタイル】:前衛/剣士
【魔法適性】:あり
〇裏面
【登録番号】:XXXXーXXXXXXXX
【過去の依頼履歴】:なし
【等級変動履歴】:鉄級(灼陽の月二十七日~)
◆◆◆
レオはカードを握りしめ、小さく息を吐いた。これが、自分の「冒険者」としての証。もう貴族としてのレオン・ヴァルフォートは存在しない。その事実に、胸の鼓動が高鳴る。それと同時に込み上げる一抹の寂しさは、胸の奥深くに封じ込めた。
「ところであんた、宿のあてはあるのかい? もし無いんならここに書いてある宿がオススメだよ。ギルドと提携してるから冒険者は他のとこよりも安く泊まれる。ま、その分サービスの種類は最小限だけどね」
簡易的なルヌラの地図を渡される。いくつか印が付いている建物があった。これが提携している宿屋らしい。
「じゃあ早速、依頼を持ってきな。と言いたいところだけど、駆け出しには講習を受けてもらわなきゃならないんだ。とりあえず担当の奴を見繕っておくから、先に宿を決めてきな。あんたが戻ってくるまでには間に合わせるよ」
「……分かりました。何から何まで、ありがとうございます」
さぁ! 冒険者としての初仕事だ! と意気込んでいたレオは肩透かしを食らった気分になるが、ギルドだって新人を無闇に死なせる訳にはいかないのだろう。
そう思い直して地図を受け取り、すぐに宿を決めて荷物を置くことにした。レオが選んだのはギルドから歩いて10分の場所にある「風の小道」という宿だ。もちろんギルドと提携している。部屋は質素で、必要最低限の家具が整っていたが、冒険者向けらしく、他の部屋にも忙しそうな顔をした者たちが出入りしていた。どこか落ち着かない気持ちを胸に、荷物を部屋へ放り込むと、彼はすぐにギルドへ戻ることにした。
ギルドの扉を開けると、またあの賑やかな雰囲気が広がっている。数歩歩いたところで、先ほどの受付の女性が声をかけてきた。
「来たね、案内するよ」
彼女は軽く微笑んで、レオを先導する。数分後、少年はギルドの中庭の一角に案内された。そこには、刃渡り120cmほどある木製の両手剣を腰に提げた、強面の男性が待機していた。
「お前が新人か?」
低く、深みのある声で話しかけてきたその人物は、長身でがっしりとした体格をしており、その佇まいから滲み出る圧力は、太く重いひと振りの鋼刃のようであった。年齢は20代後半ぐらいだろうか。短く整えられた黒髪に、鮮緑の力強い瞳。彼の耳をよく見ると、僅かに先が尖っていた。純粋な人族では無いのだろうか。
「はい、レオといいます」
少し緊張しながらも返事をする。
「俺はガルヴァス。ギルドからお前の講習を頼まれた」
男は木剣を軽く振りながら言った。僅かに生じた風圧がレオの頬を撫でる。
「得物をとれ。お前の実力が見たい」
レオはその言葉に驚きながらも、覚悟を決める。彼の冒険者としての最初の試練が始まった。
〇この世界の暦
春:黎明(2月)、翠嵐(3月)
夏:陽華(4月)、灼陽(5月)、炎雷(6月)
秋:紅葉(7月)、黄昏(8月)、冥刻(9月)
冬:霜白(10月)、凍晶(11月)、星詠(12月)、光耀(1月)
〇冒険者の等級
黄金級:化け物
白銀級:ベテラン
鋼級:実力者
青銅級:一人前
黄銅級:半人前
鉛級:期待の新人
鉄級:駆け出し