20 魅了する力(ギャロッド視点)
ハイン王子と初めて話したのはいつだったか。
宮廷魔導士として大半を城で過ごしているため、その姿を目にすることは珍しくなかった。
だが、実際に会話という会話をするようになったのは、わりと最近のことのように思える。
「ルナシアさんについて、教えていただけませんか?」
きっかけは、かつての俺が陥れようとした相手だった。その名が王子の口から出た時は、思わず息をのんだ。
それから何度か呼び止められることがあった。決まって聞かれるのはルナシアのこと。
なぜ俺に聞くのか。思い当たる節といえば、あまり人と一緒にいることのない俺が、今でも時々ルナシアとお茶会まがいのことをしていることだろうか。グランディール王子の婚約者候補になったと聞くし、それもなくなっていくと思うが。
再びハイン王子に呼び止められたのは、彼がエルメラド王立学園に入学し、少ししてからのことだった。
いつものように、またルナシアについて知りたいとのこと。同じ学園にいるのだから自分で調べた方が早いのではと思うのだが、情報通と名高いレーナ王妃を母にもつ彼は承知のはずだ。何か理由があるのだろう。
「例えばですよ? ルナシアさんほどの人であっても、大勢の人たちから非難されることになれば、誰にでも手を差し伸べるなんてできなくなると思いませんか?」
その問いに、どきりとさせられた。
ルナシアが大勢から非難されるーーそれは例えではなく、実際にあったことなのだから。
元凶はもちろん俺だ。今となれば、何と馬鹿馬鹿しいことをしたのかと思う。
あんな噂を流したところで、ルナシアは折れなかったのだから。生き方を変えることは、なかったのだ。
共感してほしい、と言わんばかりのハイン王子。
なぜ、そんなことを聞こうと思ったのだろうか。ルナシアと会って、彼にも思うところがあったのかもしれない。
だが、聞く相手を間違えた。
「あいつは、例え世界中の人々が自分を非難しようと関係ないでしょうね。殿下が思っているよりも、ルナシアという人間は規格外ですから」
思っていた答えではなかったのか、ハイン王子が一瞬真顔になる。
「あいつは到底、並の人間が真似できるような精神をしていません。それが眩しく、妬ましかった」
自分にはないものだった。手に入らないのなら、自分の目に入らないように潰してしまおうと考えた。
だが、そんな浅はかな考えは、あいつには通用しない。身をもって思い知らされた。
「しかし、あいつはあいつ。自分は自分。同じように在る必要もない。あいつを羨むうちに憎悪が育てば、やがて滅ぶのは自分の身です」
「まるで見てきたかのように言うのですね」
「あなたよりも、少しばかり長く生きているからですよ」
一度、身を滅ぼして、やっと学んだ。偉そうに言えた口ではない。
「皮肉なことに、私がもっと楽に生きられる道筋を示してくれたのもルナシアでした。あいつに対する妬みも残ってはいますが、これが憎悪になることはないでしょう」
言葉にして、俺の中にあったわだかまりが、すうっと消えていくのを感じた。
そこまで聞いて、興味をなくしたようにハイン王子は感情のこもっていない笑みを浮かべる。形ばかりの笑みは、己を守る鎧なのだろうか。
王子が立ち去ってから、廊下の物陰に向かって声をかける。ずっと見られているのは分かっていた。
「ハイン王子の監視をしているんだろう。王族の魔力にも対抗できる宮廷魔導士は、今のところお前くらいだからな」
「さて、何のことか」
特に動じる様子もなく、ディーンが物陰から顔を出した。
そうだとも、そうでないとも答えない。だが、ディーンの気配を頻繁に感じるようになったのは、俺がハイン王子とやり取りを始めて間もなくだった。俺の予想もあながち間違ってはいないだろう。
「俺が魅了魔法をかけられたら、すぐ解除できるようにか?」
その問いにも、もちろんディーンは答えない。それが答えであるような気もするが。
魅了魔法について宮廷が過敏になっているのは、トリル男爵家の事件があったからという理由だけではない。
ハイン王子は幼い頃、魅了魔法を周囲の人間に無差別にかけるという事件を起こしている。
幼さ故に大きな問題にはされなかったが、それ以来、彼には密かに監視がつくようになった。本人も気づいているようだが、それを受け入れている。
成長した今、王族の魔力に対抗できる、ハイン王子の魅了魔法にかからないのは、宮廷魔導士の中でもディーンくらいのものだろう。
その事件以降、ハイン王子が魅了魔法を使ったという報告はない。近頃はそれもあって監視の目も緩んでいたはずだが、俺に会いにくるという行動が不審だと捉えられ、ディーンがついた可能性はある。
今のところはルナシアについて聞いてくるだけだが、別な目的がないとも言い切れない。
あの王子は、基本的に人を信用していない。腹の内を見せないため、本当は何を考えているかなど分からないのだ。
少し違ったタイプではあるが、彼もまた俺と同様に不器用な生き方をしている。もしかすると、不器用同士、何か感じるものがあったのかもしれない。
以前の俺であれば、もう少し共感できただろうか。
「今のところ、俺に直接的な影響はないはずだがーーいざという時は、お前に頼らざるを得ない。見逃すなよ」
そう言葉を続ければ、ディーンは目を見開いた。
「プライドの塊のようなあなたがそんなことを言うなんて……世界でも終わるんじゃありませんか?」
「やめろ、縁起でもない」
まったく笑えない冗談だ。
これから起こることを知っている身としては、それが冗談であると素直に受け取れない。
「すみません、あなたが人を頼るなんて驚いたもので。昔と比べて、本当に変わりましたね」
学生時代から知り合いだったディーンとは、宮廷魔導士になってからも腐れ縁が続いている。時間が巻き戻る前から考えれば、本当に長い付き合いになってしまった。
自分にないものを持っている彼のことを、俺は羨ましく思っていた。それと同時に、自分に強い劣等感を抱かせる相手でもあり、事あるごとに衝突していた。
だが以前の俺と違い、今回は早い段階で自分の限界を認めた。
どれだけ努力しようと、追い越せない壁があることを受け入れた……つもりでいる。
まだ何かのきっかけで黒いモヤモヤした感情が湧き上がることもあるが、自分の意志で制御することができている。
自分の在り方を認められるようになったのは、ルナシアの存在があったからなのだろう。皮肉なことに。
どれだけ突き放そうとしても、あいつはまっすぐ俺を見る。見ようとする。
家族からも、同僚からもほとんど関心を向けられてこなかった俺のことを。不当な方法でしか、人々の関心を集めることができなかった俺のことを。
それに気づいた時、初めてルナシアの瞳を見返した。
ルナシアとのやり取りを通して、少しずつ他者を見るようになった。
俺のことを誰も認識していないと感じていたが、それと同じくらい俺の視野は狭かったことに気がついた。
ゆっくりではあるが、少しずつ少しずつ、俺は俺の生きやすい世界をつくっている。
いつまで続くかも分からない世界ではあるが、以前とは違った道を歩んでみたいと思う。
未だ驚いた表情のディーンを見る。
何かと衝突することの多かった相手だが、それはつまり、ディーンが俺に関心を持ってくれていたということに他ならない。
「そういうお前は、昔から変わらないな」
「なっ、それはどういう意味です?」
「そのままの意味だ」
こいつとの関係は、いつになっても変わらないのだろう。
少し見方を変えれば、この関係も悪くないのかもしれない。




