08再び春が訪れるのかもしれない。今度は誰かを守るための剣へと変える。真の幸福を見つけるための道のりとなるのならば
そこは、危険な野生動物が跋扈し、通常の貴族が足を踏み入れないような未開の地。険しい山道を馬で進むオリヴィアの護衛を務めるのは、新任の騎士団長、ゼノ・ヴァンス。
彼は、貧しい騎士爵家の出身ながら、類稀なる剣の腕と冷静な判断力で頭角を現し、オリヴィアが自ら抜擢した人物。
黒曜石のような瞳と、鍛え上げられた精悍な肉体。口数は少ないが、その眼差しには常に真摯な勤務態度が窺える。
「オリヴィア様、この先は道がさらに険しくなります。馬を降り、徒歩で参られませんか?」
ゼノが、馬の傍らに進み出て、恭しく尋ねた。声は、低く落ち着いていて、荒々しい自然の中でも不思議と安心感がある。
「そうしましょう」
ゼノの差し出した手に迷わず手を乗せ、しなやかに馬から降りた。掌は剣を握りしめているだけあって、固い。温かさが、オリヴィアの凍てついた指先に、微かな熱を伝える。
「真面目な人」
ぽつりと言う。さらに奥地へと進んだ。途中、巨大な魔獣の足跡を見つけ、ゼノは警戒を強める。
「オリヴィア様、お下がりください」
瞬時に剣を抜き、オリヴィアの前に立ちはだかった素早い動きと、揺るぎない背中に目を見張った。一切の躊躇なく、自身を盾にする覚悟を示されるなんて。
幸い、魔獣は現れなかったが、一瞬の出来事が、オリヴィアの心に小さな波紋を広げたのは確実。ロドリゴは、常に己の保身を優先する男だった。けれど、ゼノは違う。
(え、かっこいい)
鉱山に到着し、作業員たちから報告を受ける隣でゼノは周囲を警戒し続けていた。日差しを浴びる横顔は、彫刻のように美しい。どこか、憂いを帯びているようにも見えた。
視察を終え、ヴァルデマー邸への帰路につく頃には空には満月が輝いている。山道は暗く、何度も足元を滑らせそうになった。
その度に素早く手を差し伸べ、彼女を支える。スマートだ。
「ゼノ騎士団長、ありがとうございます。あなたのような、有能な騎士がいてくださり、心強いです」
素直な感謝の言葉を述べた。彼女が、ここまで誰かに素直な感情を伝えたのは、いつ以来だろうか。苦笑する。
「恐縮でございます、オリヴィア様。それが、務めですから」
ゼノは淡々と答えたが微かな喜びの色が滲んでいるように聞こえた。邸に戻ったオリヴィアは熱い湯に浸かりながら、ゼノのことを考える。
お湯のせいではない、熱さが顔に集中していく。一切の計算を含まない、純粋な忠誠心。瞳の奥に時折垣間見える、深遠な孤独。
奥底に眠っていた何かを、揺り動かすようで目が離せない危うさがある。
数週間後、ゼノを自室に呼び出した。
「ゼノ騎士団長。新たな任務を命じたい」
書状を差し出した。ヴァルデマー家直属の騎士団の再編と、高度な訓練プログラムの構築に関するもの。過去の知識を総動員した結果。
「任務を遂行できるのは、あなた以外にいない。剣の腕と、優れた統率力を必要としてる」
「ハッ!身命を賭して、務めさせていただきます」
ゼノは、迷いなく答えた。真摯な眼差しに再び心を揺さぶられる。
「えっと。ところでゼノ団長。あなたは、なぜ騎士になったのですか?」
ふと尋ねた。これまでなら、他人の個人的な事情など、一切興味を示さなかっただろう。
ゼノは、一瞬戸惑った表情を見せたが、静かに語り始めた。
「故郷は、小さな村で。そこは常に魔物の脅威に晒されており、多くの村人が命を落としました。村の人々を守りたい一心で、剣を取りました」
遠い故郷と、失われた命への哀しみに浸っている様子で胸がグッとなる。
「貴族の身分も、名声もどうでもよいことです。力が欲しい。守るべきものを守るための力が」
ロドリゴは、自身の名声と欲望のために生きていた。この人は純粋な使命感と他者を守るための強い意志を持っている。
「そう。あなたには、守りたいものがあるのね……立派よ」
静かに呟いた。自身には、守りたいものがない。今は何だろうか。昔はあったが。復讐の達成感以外に特にない。ゼノは、わずかに眉を寄せた。心を見透かすかのように。
「オリヴィア様にも守りたいものが、きっとあるはずです」
凍りついていた感情の塊に触れた。目を伏せる。慰められてしまうとは。オリヴィアとゼノは騎士団の再編のため、毎日のように顔を合わせるようになった。
どんな指示にも忠実に従い、期待以上の成果を出す。自分を裏切る心配がないことに徐々に安堵を覚えた。
(素敵なのに、切実)
雨の日のこと。オリヴィアは書類の山に埋もれ、執務室で夜遅くまで仕事をしていた。疲労困憊し、無意識にため息をついた時、ノックの音が。
「オリヴィア様、まだ起きておいでですか?」
ゼノの声。ずぶ濡れになりながらも、温かいスープを持ってきていた。
「もしよろしければ、これを。体が温まります」
驚いた。ここまで、自分を気遣ってくれるとは。
「ありがとう、ゼノ」
初めて名を呼び捨てにした。一瞬、目を見開かれたがすぐにいつもの真摯な表情に戻る。服が濡れていることが気になるけれど。温かいスープを飲みながら、語りかけた。
「あなたは、ふふ。本当に、不思議な人ね」
「何かございましたか?」
「いいえ。ただ、あなたを見ていると。為すべきことがあるような気がするって」
本心だ。ゼノの純粋な存在が新たな希望の光を灯し、復讐という暗闇のトンネルを抜けさせる。ようやく、前を向き始めたのかもしれない。
夜、穏やかな眠りについた。それは、最も安らかな夜。翌朝、目覚めたオリヴィアは、自らの心の変化に気づいた。
凍てついていたはずの心が変化を始めていたのだ。再び春が訪れるのかもしれない。今度は、誰かを守るための剣へと変える。真の幸福を見つけるための道のりとなるのならば。
隣にいる男を見つめながら、相手が気付かないようにそっと距離を縮めた。
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