捕食者の月光(2)
東の塔へ向かう足取りは、鉛のように重かった。
一段、また一段と階段を上るごとに、鼻をつく死臭が濃くなっていく。グリルの言葉が、逃れようのない現実として肺の奥まで侵食してくる。
俺はノインになんと言葉をかけるべきなのか。いや、そもそも俺に彼を責める資格など万に一つもない。
人間を蹂躙する魔王を自ら育て上げ、その絶頂で「正義」の名のもとに彼を殺す。それが俺の書いた復讐のシナリオだ。計画通り事が進んでいるというのに、なぜこれほどまでに心がざわつくのか。
これがリリスの立てた、悪趣味な新企画の演出であったなら、どれほど救われただろうか。
考えがまとまらないうちに、重厚な扉の前に行き着いた。
この向こうには、俺が望んでいたはずの「化け物」が立っている。
「……ノイン。入るぞ」
扉を開けた瞬間、それまでとは比べ物にならない濃密な臭気が鼻をつんざいた。
部屋の中央、蒼白い月光に照らされて立つ少年。その姿は、おぞましくも神々しいほどに美しかった。
「あっ……ヴェイル。ごめんなさい……。僕、お腹が空いちゃったんだ」
血に濡れた顔で、迷子の子供のように微笑むノイン。
俺は折れそうな心を鋼の理性で繋ぎ止め、魔王軍総帥ヴェイルとして、努めて冷酷に語りかけた。
「……ノイン。それでいい。お前は世界を恐怖に陥れる魔王なのだから。食らえ、奪え。それがお前の、王としての権利だ」
返り血を浴びた少年の瞳に、俺はどう映っているのだろうか。
***
同時刻、王都の謁見の間では、頻発する国民の失踪事件についての緊急会議が開かれていた。謹慎の解けたヴィンセントも、険しい表情でその列に加わっている。
「報告します。昨晩も新たに失踪者が確認されました。現在、判明しているだけで被害者は三百人を超えております」
王は苦悶の表情を浮かべ、玉座の肘掛けを強く握りしめた。
「ついに魔王の脅威が王都まで迫っておるか……。ゲシュタールが敵の手に落ち、防衛線が瓦解しておるのが原因じゃ」
会議の末席に座るガルガンチュア公爵は、自身の失態を棚に上げ、知らぬ存ぜぬと肩をすくめている。ヴィンセントはその醜態を一瞥し、意を決して王の前に進み出た。
「陛下、申し上げます。もはや一刻の猶予もございません。……勇者を招聘すべきです。この難局を打破できるのは、彼以外にはおりません」
静まり返った広間に、沈黙が支配した。貴族たちの脳裏に、かつて冷遇し、追い出したアステリオの姿が苦々しく去来する。
「……しかし、彼が力を貸してくれるだろうか。我々は彼に、あまりに無慈悲な仕打ちをしてきた」
「私が説得いたします」
ヴィンセントの声は、静かだが揺るぎなかった。
「大丈夫です。……彼は、勇者ですから」
友を信じるその真っ直ぐな言葉が、今の俺には毒のように突き刺さる。
ヴィンセント。お前が信じる「勇者」は、今この瞬間、魔王の食卓を整えているというのに




