第二章 第一話:捕食者の月光
月の輝く晩、静まり返った絶界宮の一室。
雲が晴れ、差し込んだ蒼白い月光が、部屋の中央に佇む小さな影を映し出した。
口元はどす黒い赤に染まり、その小さな両手には、無残に引きちぎられた腕が二本。
足元の床には、かつて人間、あるいは家畜であった「何か」の残骸が、無数に転がっている。
ノイン、七歳。
かつて俺の隣で無邪気にジュースを飲んでいた少年。
彼こそが、人類が最も恐れるべき「魔王」そのものであった。
***
「グリル! ノインはどうした?」
俺は苛立ちを隠せず、場内を歩き回っていた。どこを探してもノインの姿が見当たらない。俺は通りかかったグリルを呼び止め、助けを求めた。
「先ほどまで部屋でお休みでしたが……。……最近……」
そこまで言いかけて、グリルは重く口を噤んだ。
「最近どうした? 隠し事は許さんぞ」
俺が凄むと、上級魔族であるはずのグリルがわずかに身震いし、ぽつりぽつりと話し始めた。
「実は……最近、夜な夜などこかへ行かれているようなのです。初めは私も、こっそり抜け出して遊んでいるのかと深くは考えていなかったのですが……」
「ですが……どうした?」
「先日、満月の晩にノイン様がまた姿を消されまして。場内を探し回っていると、今は使われていない東の塔に明かりが見えたのです。……覗きに、行ったのです。その部屋に近づくにつれ、立ち込める死臭。扉を開けると、そこには……無数の死体と、それを貪るノイン様がおられました」
俺は言葉を失った。
脳裏に、俺に懐いていたノインの笑顔がよぎり、それが血に塗れた捕食者の顔へと上書きされていく。
「……とはいえ、これは喜ばしいことでございます。魔王としての本能に目覚めた、成長の証でございますから」
グリルはそう言いながらも、その顔を隠しようもなく曇らせていた。
本来、魔族が仲間の捕食行為を嘆くなどおかしな話だ。人間を喰らい、欲望のままに蹂躙するのが魔族の真理。だが、グリルや絶界宮の魔物たちは、俺という「人間」と過ごすうちに、いつの間にやらその凶暴な本能を忘れかけていたのだろう。
俺は、残酷な現実を突きつけられた気がした。
いや――むしろ好都合なはずだ。
やはり奴らは残虐非道な魔物。父上がそうしたように、勇者として躊躇なく討つことができる。俺の復讐は、正義の名のもとに完遂されるべきなのだ。
なのに……何なんだ、この胸を掻きむしるようなざわめきは。
バルコニーに出て、煙草に火をつける。最近、明らかに本数が増えた。
肺に染み渡る苦い煙を吐き出し、俺は高く昇った月を見上げた。
「なあ、ノイン……。本当のお前は、どっちなんだ?」
優しい「少年」としての顔か。それとも、血に飢えた「魔王」としての顔か。
俺が求めていたはずの結末が、今、最も恐ろしい形で動き出そうとしていた。




