第四章:第七話「蝕まれる英雄、悪意の種」
最終防壁から三キロ手前。緩やかな傾斜を描く小高い丘の上に、ゼイン率いる魔軍は陣を敷いた。
丘の上からは、防壁の城壁で慌ただしく防衛準備に奔走するアステリオ軍の姿が克明に見える。
かつての英雄、ゼニスは、無機質な瞳でその光景を眺めていた。ヴォイドスの侵食により、その肉体も精神もかつての面影を失いつつある。しかし、混濁した意識の深淵には、まだ「アステリオ」という存在が、消えかけの灯火のように残っていた。
その隣に、音もなくゼインが歩み寄る。
「……慎ましい姿だね。まるで人間のようだ。魔族もああなっては終わりだね」
眼下では、アステリオの指揮のもと、組織化された兵のように規則正しく動く魔物たちがいた。かつての破壊衝動を抑え、守るために動くその姿を見て、ゼインは嘲笑混じりにつぶやく。
ゼニスからの反応はない。だが、ゼインは構わずに言葉を紡ぐ。
「あそこには君の息子もいるらしいじゃないか。父親の手で殺されるというのは、一体どんな気分だろうね?」
ゼインの唇に、歪んだ笑みが浮かぶ。その瞬間、ゼニスの眉間がわずかに動いた。反応を確信したゼインの瞳に、さらに深い悪意が宿る。
「そうだ。再会を祝して、君に『贈り物』があるんだ」
言い終えるが早いか、ゼインはゼニスの胸部――心臓があるべき場所へと、その腕を容赦なく突き刺した。
「ぐふっ……!」
ゼニスの口から短い苦悶が漏れる。生身の人間であれば即死するような一撃。ゼインがゆっくりと腕を引き抜くと、そこには赤黒い脈動を繰り返す不気味な光が埋め込まれていた。
「ヴォイドス降臨の仕上げだよ。君の中に『種』を植えた。その種はね、君の中に残った未練、情愛、すべての感情を食いつぶして肥大化し、やがて花となる。その花が咲き誇ったときこそが、ヴォイドスの真の復活の時さ」
「ぐ、おぉぉ……おおおおおおおおおおおおおお!!」
己の魂が内側から喰い荒らされる激痛に、ゼニスは天を仰ぎ、絶叫した。その咆哮は、かつての勇者のものでも、魔王のものでもない、地獄の底から響くような異形の叫びだった。
ゼインは、地面に伏して悶絶するゼニスを冷たく一瞥すると、興味を失ったかのように陣へと背を向けた。北の空は、さらに深く、暗く、澱んでいく。




