第八十九話:神の傀儡、騎士の終焉
吹き荒れる地吹雪の向こう側、氷に閉ざされた神殿の跡地で、ゼニスは静かに膝をついていた。
その視線の先、高座に座るのは新魔王ゼノスである。
「……報告を。王都への回廊、最終防壁は崩したか?」
ゼノスの問いに、ゼニスは感情の失せた声で応じる。
「抵抗勢力は排除した。……教団の術士、王国の騎士、すべては不純物だ。アステリオに近づく者は、我が剣ですべて断つ」
ゼニスを見下ろすゼノスの口元に、冷酷な笑みが浮かぶ。
「それでいい。お前は神の右腕であり、息子を神の座へと導くための『ゆりかご』だ。人間であった頃の脆弱な感情など、もはや不要なのだよ」
ゼニスは答えず、ただ己の掌を見つめた。触れれば温かく、脈動も感じる。だが、この中身はもう人間ではない。息子を「人間」という苦しみから解放するためだけに動く、終わりなき機械――。
ゼニスは再び、血の匂いが漂う南の空――自らが蹂躙した「最終防壁」の方角へと翻った。
その最終防壁では、いまや地獄のような光景が展開されていた。
ゼニスの一撃によって半壊した防壁の裂け目から、教団の執行官ヴェナールの叫びが響く。
「ひるむな! 教団の『神兵』を投入せよ!」
教団の陣営から姿を現したのは、かつて人間だったはずの囚人や負傷兵を禁忌の魔術で変異させた**「人造魔導兵」**の一団だった。自我を失い、ただ破壊の魔力を撒き散らす肉塊たちが雪原を埋め尽くす。さらにその後方では、かつてゼニスをも退けたとされる巨大な魔道兵器――『神罰の瞳』が、禍々しい輝きを放ち始めていた。
「……狂ってやがる。これが、俺たちが守るべき王国の姿か」
ガルガンチュア公爵は、返り血に汚れた剣を杖代わりに立ち上がった。指揮権を教団に奪われ、盾として使い捨てられる運命。だが、教団が繰り出す「人としての尊厳を奪われた兵器」を目の当たりにし、彼の胸の中に眠っていた古い騎士の誇りが、最期の火を灯した。
「ヴェナール! 貴様らは神を騙り、人の魂まで汚すのか!」
「公爵、うるさいと言ったはずです。死ぬ間際まで名誉を欲しがるとは、滑稽ですらある」
ヴェナールは冷たく言い放つと、魔道兵器の照準を、防壁の向こうに立ち尽くすゼニス……そして、その前に立ち塞がるガルガンチュアごと固定させた。
「……フン、滑稽か。違いないな」
ガルガンチュアは自嘲気味に笑うと、震える手で兜を脱ぎ捨てた。剥き出しの白髪が戦場の風に揺れる。
「だが、教団の犬として死ぬのは、我が一族の名が許さぬ。……騎士団! 生き残っている者はいるか!」
ボロボロになった数人の騎士たちが、公爵の元に集う。
「我らは王の盾ではない! この国の誇りを守る、最後の騎士だ! ……突撃ッ!!」
ガルガンチュアを先頭に、騎士たちは神の如き力を持つゼニスへと、そして背後から迫る教団の魔道兵器へと向かって駆け出した。勝機など微塵もない、あまりに無謀で、しかし鮮烈な最期の輝き。
「消えなさい」
ヴェナールの指が振り下ろされる。
魔道兵器から放たれた極太の光軸が、突撃する騎士たちを、そしてガルガンチュアの巨体を一瞬にして飲み込んだ。
光が収まった後、そこには焦土と化した雪原だけが広がっていた。
爆煙の向こう側、神の加護に守られ無傷で立つゼニスの姿を見て、ヴェナールは即座に踵を返した。
「……チッ、ゼニスを仕留め損ねたか。全軍撤退! 私は王都へ戻り、次なる聖域の展開を奏上する!」
部下を見捨て、一人の騎士が守ろうとした矜持を踏みにじり、ヴェナールは逃げるように去っていく。
後に残されたのは、崩壊した防壁と、誰にも看取られることなく雪に埋もれた老騎士の折れた剣だけだった。
ゼニスは、その折れた剣を一瞥し、虚しさを抱えたまま再び地平線の彼方へと歩き出した。
(……アステリオ。お前を、この醜い世界から解放してやる。それが今の私の、唯一の目的だ)




