第六十八話:偽りの凱歌、澱む深淵
王都メルキアの広場は、熱病のような狂騒に包まれていた。
伝説の勇者ゼニス・レイ・ブレイバー。その死神の如き進撃を退け、王国を絶望の淵から救った「奇跡」を祝う民衆の歓喜が、白亜の街並みに反響する。
「王国万歳! アルヴィス王万歳!」
バルコニーに立ち、満足げに民衆を見下ろす王アルヴィス・ド・メルキアは、贅を尽くした法衣の袖を揺らし、大衆の喝采を全身で浴びていた。かつて、魔王を倒し英雄となった勇者ゼニスに対し、「平和な世に剣は不要だ」と言い放ち、祝宴のケーキカットの余興を命じて辱めた男。彼にとって、今回の勝利は自らの権威が「勇者の血筋」を凌駕したことを証明する最高の舞台であった。
アルヴィス王の傍らには、陽光さえも吸い込むような漆黒の法衣を纏った男が、揺らめく影のように静かに佇んでいた。
**虚空守護教団**の大教主、モルガウスである。
「……見事であったぞ、モルガウス。あの死神め、貴様らの古の魔術を前に、逃げ出すしかなかったようだな」
アルヴィス王の言葉に、モルガウスは感情を排した冷たい声で応えた。
「……あれは撃退したわけではありません。一時的にこの空間から座標を弾き出したに過ぎない。ゼニス・レイ・ブレイバー……あの男の魂は、すでに現世の理から外れております」
虚空守護教団。それは、王国創世の時代、神々が世界を形作った際に零れ落ちた「無」の欠片を管理するために結成された秘密結社だ。彼らが操るのは、火や氷といった自然の魔力ではない。万物を構成する原子の結びつきを強制的に断ち切り、無に帰す「虚空魔術」。
王家は代々、この禁忌の力を「有事の際の最終兵器」として飼い慣らしてきたつもりでいた。
「フン、理などどうでもよい。我が国には勇者などという不確かな力ではなく、貴様らの確実な『兵器』があることが証明されたのだ。これでアステリオの出来損ないも、二度とこの国に顔を出すことはできまい。勇者も魔王も、我が王権の下で塵となるのが定めよ」
アルヴィス王の下卑た笑い声が響く。だが、モルガウスはその言葉に耳を貸すこともなく、城壁の外に広がる「無」のクレーターを見つめていた。
教団の真の目的は、王国の守護などではない。
彼らが奉ずるのは、一切の光も音もない完全な静寂――「虚空」による世界の浄化。モルガウスの肉体さえも、その魔術の代償として内側から虚空に浸食されており、すでに人の体温を失ってから数百年が経過している。
(……魔王の種の共鳴。そして、勇者の亡霊。……すべてを無に還さねばならん。それが、我が教団の唯一の悲願)
凱歌に沸く王都の地下。教団の聖域では、何千もの黒装束の神官たちが、絶えることなく「無」への祈りを捧げている。
避難民としてこの熱狂を路地裏から見つめていたルカは、かつてない悪寒に身を震わせた。勇者が去った後のこの街に漂う空気は、勝利の喜びなどではなく、生者の魂をじわじわと削り取るような、ひりついた「死の予感」だったからだ。
平和を祝う偽りの歌声の裏で、世界を飲み込もうとする真の闇が、確実にその拍動を速めていた。




