第四十四話:最終防壁、崩落の序曲
石を叩く音が、重く、乾いた空気に響き渡る。
ルカは額に浮いた脂汗を乱暴に拭い、ひび割れた城壁の隙間に練り上げたばかりの漆喰を叩き込んだ。
「急げ! 陽が落ちる前にこの区画を埋めろ! 隙間を作るな!」
上官の怒鳴り声が飛ぶが、作業に当たる石工たちの手は、疲労と恐怖で目に見えて震えていた。
ここは王都へ続く最後の門、『断絶の防壁』。ここが破られれば、あとに残るのは無防備な平原と、そこに住まう民の悲鳴だけだ。
(……間に合わない。こんな薄っぺらな補修じゃ、魔軍の突進どころか、あいつの『一撃』すら凌げやしない)
ルカは石を積む手元を見つめながら、絶望的な予測を捨てきれずにいた。
数日前、最強と謳われた聖騎士ヴィンセントが率いた精鋭部隊が、平原の露と消えた。消息不明――軍の公式発表はそうだが、命からがら逃げ帰ってきた兵士たちの濁った瞳を見れば、誰もが最悪の事態を察した。
「……なぁ、ルカ。本当に来るのか? あの『伝説の勇者』が、俺たちを殺しに」
隣で石を運んでいた若い職人が、震える声で漏らした。
ルカは答えなかった。いや、答えようがなかった。自分たちが英雄と崇め、その背中を追ってきた男が、今や世界を滅ぼす災厄となって迫っている。その事実は、石壁よりも重く彼らの心にのしかかっていた。
その時だった。
「……おい、あれを見ろ」
城壁の上の見張り兵が、かすれた声を上げた。
ルカはノミを置き、顔を上げて遥か彼方の地平線を見つめる。
西の空、沈みゆく夕日が赤黒く染まる地平の果て。
そこから、不自然なほどの巨大な土煙が立ち上がっていた。
それは、単なる軍勢の行軍によるものではない。
まるで大地そのものが激怒し、のたうち回っているかのような、暴虐的な砂嵐。
土煙はまたたく間に空を覆い、美しかった夕焼けをどす黒い闇へと塗り替えていく。その中心には、天を貫くような禍々しい覇気の渦が見えた。
「嘘だろ……もう来たのか……!」
誰かが絶叫した。
ルカは持っていた金槌を地面に落とした。乾いた音が空虚に響く。
石工として、彼は知っている。あの土煙の向こうにいる存在は、どれほど強固な城壁を築こうとも、紙細工のように容易く踏み潰してくるだろう。
地響きが、防壁の土台を揺らし始めた。
ルカの視界の端で、たった今補修したばかりの石壁に、新たな、そして決定的な亀裂が走る。
伝説の勇者、ゼニス・レイ・ブレイバー。
世界を終わらせる死神が、ついにその牙を剥こうとしていた。




