第80話 偽りの神
とてつもなく長い休載を頂きまして、こっそり帰って前りました!
不定期更新になることをお許しくださいと土下座すると共に、またゆるりお付き合い頂けると幸いです。
寂れた市に砂塵が舞っていた。
革で作られた日よけには穴が開き、僅かに並ぶ干からびたような商品を前に、こけた頬の店主たちはギラリと睨みをきかせている。
どの程度物流が滞っているのかは分からない。ただ、町の状況は相当な物である様子で、ちらと細路地へ視線を向ければ、骨と皮だけのような者達が伏したり座り込んだりしていた。
「水はあるか」
「金、持ってるんだろうな」
井戸の前に陣取った店主に、数枚の銀棒銭を手渡す。
それをチャラチャラと手の中で遊ばせた彼は、一瞬意外そうな顔をしてからフンと鼻を鳴らした。
「……持っていきな」
眼光だけがギラギラしている店主は、削られた砂岩の隙間を後ろ手に指さす。
たかが水屋の癖に、偉そうなものだ。
しかし、他の店と比べれば彼はまだ比較的裕福な方なのだろう。だからこそ、我は脇を通り抜ける振りをして立ち止まった。
「少し聞いてもいいか。この町の聖ど――」
「止まるな……!」
ギョロリとした目がこちらを射抜き、低い声にはさもなくば殺すと言わんばかりの凄みが乗っていた。
何がそこまで、と思わなくもない。だが、ある意味で我の得ようとしている答えの片鱗は見えたようなものだった。
今にも枯れそうな井戸から水筒に水を足し、今度は顔も合わせないまま店の前を後にする。
暗がりには入らないようにしながら、それでも僅かな庇の作る日陰に隠れて水をあおった。
「……取引しようか、お嬢ちゃん」
「何?」
突然の声に周りを見回せば、足元から頭巾を被った小柄な女がこちらを覗いているではないか。
全く気配を感じなかった。いや、それ以上に我は、返事をしてしまったことを後悔せねばならなかったと言うべきか。
――キメラリア、こんな奴まで町中に。
信仰における冒涜。人の言葉を真似する穢らわしい存在。
これが在りし日のオン・ダ・ノーラであったれば、我の視界に入っただけで焼き殺されていたことだろう。
だが、鱗を持つそいつはさも平然と喉を鳴らしながら、我の水筒を指さした。
「何か知りたいことがあるんだろ。そいつをくれるなら、なんでも話してやるよ」
吐き気がする。こんなものが、素性を隠しているとはいえ聖王の娘たる我に対し、平然と対等に話そうとしている事実が。同じ高さに、同じ場所に存在することが。
それでも滲み上がった諦念が、この手に剣を抜かせなかった。
「必要ない。知るべきことは十分にわかった」
「チッ、何だよツレないな」
外套を握り直して背を向ければ、後ろから汚らしい舌打ちが飛んでくる。
下賎なのは皆同じことだ。人の紛い物が我が物顔で町中に在るというのに、咎めようとする者はどこにも見当たらないのだから。
ちゃぷんと水筒を揺らしながら、我は顔を伏せて町を出る。1人だけ立っていた領主の私兵はこちらを一瞥こそしたものの、浮浪者のような風貌の我を止めようとはしなかった。
砂礫の転がる丘を2つ程越え、町が見えなくなった窪地を下る。
そこには不似合いな鋼の箱と共に、小さな人影が待っていた。
「お帰りなさい、ミス・フォンテイン」
恭しく頭を下げるのは白髪の少年。否、子どもと言っていいだろう。
まるでこれまでに陽の光を浴びたことがないかのような肌をして、どうにも見慣れぬ衣服を身に纏った彼は、年齢と不似合いな程美しい所作で頭を下げる。
「お早いお戻りでしたね。必要なものは得られましたか?」
「ああ」
「そう仰るのに、お顔がムッとしておられますよ」
あどけない笑みと、心の中を見透かしたような青い瞳。
聖堂に仕えていたどんな子どもたちとも異なる姿に、我は誤魔化すことを諦めて小さくため息を吐いた。
「虚しいだけだ。我は結局、世間知らずの子どもに過ぎなかったのだと思うとな」
「生物学上、貴女は十分大人だと思いますが」
「慰めのつもりか?」
「いいえ。知識と照らし合わせて、ありのままを申し上げただけです」
少し睨むような恰好で視線を向けたというのに、彼はただキョトンとするだけで何の腹を探ろうとするでもなく返してくる。
もし以前のまま、何も知らない我であったとすれば、無礼が過ぎると腹を立てたかもしれない。ともすれば、無礼は人の身に過ぎない我の方だと言うのに。
「お前達は美しいな。出してくれ」
「承知しました」
鋼の箱に乗り込めば、それは滑るように動き出す。
もしかすると我はカニバルに襲われたあの日より、まだ夢を見続けているのかもしれないが。
■
「防御構造健全性、63.7パーセント。対地兵器稼働率、71.1パーセント。対空兵器稼働率、53.9パーセント」
「エリアN1からN32、付帯動力正常伝達確認。コンディションチェック、クリア」
同じ顔をした者達の、聞き分けられない声が淡々と響く。
そこに私は居ない。だが、私が聞いていることを彼とも彼女とも呼べない者達は知っている。
初めて外の空気を吸ったであろうレプリカ達は、与えられた役目を熟練の兵士であるかのようにこなしていく。試験成績として見るならば、不足する兵員の補充に大いなる成果をもたらす新技術である、とでも報告しなければならないだろうが。
『……中央参謀本部はどうか』
「応答ありません。共和国上下両院議会及び国防長官、大統領官邸を含む全ホットラインも同様です」
昨日も一昨日も、起動してから毎日繰り返してきた質問にも、レプリカは同じ答えを返すのみ。
技術報告をすべき先も、作戦指示を仰ぐべき組織も沈黙を貫く。決して通信装置の故障などではない。
『結局は何も残らなかったという訳だ。貴賤に関わらず、人とは愚かしいものだな』
全くお笑い種だろう。ただ1人、率先してカラーフラ・インダストリに魂を売った私だけが、当時を知るまま意識を残しているなど。
国内で安穏と私腹を肥やした政治家連中も、戦場を実験場としか考えていなかった学者達も、安穏と暮らしながら反戦運動に酔いしれていた蒙昧な活動家も、戦争経済の恩恵を受けながら無関心を貫いた企業や国民も、誰も私の後を追おうとする者は居なかったということらしい。
では、何の為に私は目覚めたのか。何を成すべきか。
「偵察戦闘車《RCV》004、帰還しました」
『除染処理終了後、中央管制へ呼び出すように。諸君らはこのまま、起動処理を続行してくれ』
「了解しました」
唯一残る頸木の望みより他に、この世で私に何が出来よう。
■
我は暗がりに跪く。
美しい炎が灯され清水の流れていた石造りの神殿とはまるで違う、冷たく乾いたその場所に、しかし我は同じように首を垂れていた。
『見たものは見れたかね、ミス・フォンテイン』
響き渡る人とは違う声。気分が高揚し、身体が震えそうになるのもむべなるかな。
「はい、我が大神」
人の身が如何に冷たく暗く感じようと、これが神の座される場所なのだ。
父よ母よ、我の愛し守ってくれた全ての者達よ。我は今、運命の導きによって神前に在り、その御声に耳を震わせることができる。
しかし、暗がりの声はどこか呆れたような沈黙を挟んだ。
『その呼び方はやめたまえ。私は神を名乗る程傲慢ではない』
「しかし――いえ、申し訳ありません。チュウサ」
大神は人からの呼び名を嫌うのか。エカルラト様とお呼びした際も、同じようにそうではないと断られ、チュウサという不思議な呼び方を求められる。
否、人の身が神の御心を量ろうなどと、おこがましいことこの上ない。故に我はただ、言われたままに再度頭を垂れる。
『して、求めた答えは得られたと見えるな』
小さく唇の端に力が籠った。
全てお見通しの上で、この我儘を聞き入れて下さった。我には見えぬ未来の事、遠く離れた町の事、神国の土地と人とがこの幾月かの間にどう変わったのかさえも。
直接肌で感じてもなお認めたくないと願う自分が、如何に矮小なことかと拳を握った。
「期待とは異なりましたが、だからこそ安心致しました。この身に与えられた暖かさは、己だけが守り続ければよいのだと」
この身に宿る古き血が繋いできた聖なる国は、僅か数十日をもって失われた。その事実を受け入れなければならない。
最早、過酷な砂漠に生き得る為の信仰を守るは我が身のみ。されど、故にこそ守り通すと心に決めた。
『私は君を肯定も否定もしない。ただ、マスターキーを握っているのは君だ』
深く息をする我に、チュウサは何を感じたのだろう。頭上から注ぐ声から、ただの1つさえも感情を読み取ることができなかった。
試されているのだろうか。それとも、本当に清らかな水のようなお心で。
「……1つ、不躾な問いをよろしいでしょうか」
『かしこまる必要はない。何か』
口を突いて出た疑問に、一気に舌が乾いた。
何を馬鹿なことを。仰られているままを果たすべき立場にありながら、疑問などと。
しかし、吐いた声を腹に吸い戻す術などこの世にはない。出もしない唾で必死に口の中を潤しながら、喉の奥に逃げ込もうとする言葉を必死の思いで捻りだした。
「貴方様の願い、エカルラトたるチュウサが何を望まれてここに在られるのかを、お聞かせ願いたいのです。矮小なこの身には、理解しえぬことやもしれませんが――」
『私の望みは叶うことのないものだ。恐らく、永遠にな』
淡々とした口調は変わらず、それなのに薄く影のようなものが見えた気がする。
寂しい。あるいは虚しいか。人の物差ししか持たないこの身には、その程度にしか感じ取れないが。
「それは……一体何故、なのでしょう?」
『過去に囚われた、あるいは時代はずれな軍人という立場に縋った男の、哀れな末路とでも言っておこう。君が気にすることではない』
「そんな、いえ、しかし……」
我は知りたかった。同じ視座になど立てないと分かっていても、ほんの片鱗でも構わないから、チュウサという存在に近付きたかったのだ。
だが、我の想いは暗がりからの声に遮られる。
『前にも伝えた通り、私は君の遥か祖先、バヴァリア・イグナティウス少将との縁により、君の望みに応えるのみ。それが私の、今に残された唯一の責務と考える』
名も知らぬ祖先。神代を生きたと聞いた太古の存在。
その縁によってのみ繋がっているという明確な答えによって、我は最早どんな言葉も吐き出せなくなった。
ただ、自身の背中にエカルラトが着いてくれているという、暖かさ以外には何も。
「……大いなる御心に、感謝を」
床に額を擦る程、深く深く頭を下げる。
『パジェ』
「はい、中佐」
視界の外で、軽く踵を合わせる音が響いた。
『罐に火を入れよ。終の戦に幻と消えた雷嵐を、今一度目覚めさせる時が来たのだ』




