第53話 アイプロミスユー
自分たちは聞かれるままを答えた。
ダマルさんという骨がどんな存在か。神代から出てきた凄腕の技術者だ、とか、バラバラにしても生きている、とか、自分で骨を切り離すことができるけど戻すことは無理、とか、大腿骨が齧るのに向いている、とかそんなこと。
何故だか、途中から優男が顔を引き攣らせていたように見えたが、少なくとも自分は気にしなかった。聞いてきたのは向こうなのだから。
と、ある意味で捕虜らしい聴取が暫く続いていた中、それは何の前触れもなく訪れた。
「ふぇ?」
耳に届いたフィーンという風鳴りのような、あるいは鼻を鳴らしているかのような音。
続けて、周りを囲んでいたばいおどぉる達が、まるで糸の切れた人形のように一斉に崩れ、トツゲキジュウを突き付けていたまきなさえも、重厚な身体をガックリと弛緩させた。
唯一倒れなかったのは、目の前に居る優男だけ。それでも何やら、頭痛がしたかのように額を押さえてよろめいていたが。
「な、なんだ、何が起きてる? マハ・ダランからの制御が途絶え――うぉっ!?」
久しぶりに腰から抜き放ったククリナイフが、優男の鼻先へ煌めく。
それは待ちわびた隙であり、自分の動きは最早考えてのものではなかった。
強いて言えば、本当なら首に当てて投降を促すつもりが、上手く躱されて結果的に振り抜くことになってしまったのはあるが。
それでも口調は強気に、次は外さないという気迫を込めて。
「形勢逆転ッスよ、旦那。死にたくなかったら、武器捨てて跪くッス」
「いやはや……物騒な娘さんだこと。だが悪いね。君みたいに軽そうな身体で、ネオキノーとの白兵戦に勝てるなんて――」
思うなよ、とでも言うつもりだったのだろうか。
残念なことにその声は、バキバキという壁の砕ける音に遮られ、自分に向けようとしていたであろうジュウは、明後日の方向を見たまま固まっていた。
「じゃあ、ボクの方がいいですか?」
にっこりと笑う猫。
あの一瞬で、マキナに奪われていたミカヅキを取り返したらしく、重厚な刃は男の体をギリギリ撫で斬らない絶妙な位置で止められていた。
多分、最近見た中では1番の笑顔だった気がするが、仲間であるはずの自分まで少し背筋が冷たくなる。であれば、男が青い顔をして武器を手放すのも、至極当然と言えた。
「あ、あの、猫っぽいお嬢さん? 君、中身ゴリラだったりする?」
「何言ってるのかわかりませんけど、馬鹿にされた感じがするので肩から斜めに、できるだけゆっくり斬りますね」
「ちょちょちょちょ、待った待った! 降伏、降伏するから! ほら武器も全部捨ててるから! ねっ? 俺痛いのは嫌いなの!」
勝てない、と悟った優男の動きは早い。ねおきのーとか言うのがなんだか知らないが、こんな切れ味鋭い鉄塊を片手でぶん回せる奴が前に来れば、大抵の人はこうなる気がする。
ただ、このままではファティマが有言実行してしまいかねないので、代わりに自分が喉元に刃を突き付けた。
「自分たちの言う事、ちゃんと聞くッスか?」
「聞く聞く聞く! もうなんでも聞いちゃう! 痛いことされないなら何でも!」
頷く代わりにパチパチと高速で瞼を動かす優男に、自分は金色の瞳と視線を合わせる。
まきなもばいおどぉるも起きてこない。そして自分たちの装備は使われないまま残っている。
「じゃあ、案内してもらいましょーか」
自分はきっと、ファティマと似たような獰猛な笑みを浮かべていたと思う。
■
3階層、あるいは4階層だろうか。
エレベーターが使えない分、運動が苦手なシューニャにクソ長い階段を駆け下りてもらい、ちょうど彼女の息が切れ始めた頃。
俺たちは明らかに異質なドアを潜った。
「道理で階段が長い訳だぜ。馬鹿みてぇな規模してんな」
洋上プラットフォームの脚部全てに連結されているのだろう。
何もなければ天井の高い巨大空間が広がっていそうなものだが、俺の視界は圧迫感に溢れていた。
サーバーシステムらしき棚はまるで柱のように高く高く積み上がり、その間を太いケーブルがのたうち走っている。
それらが収束する中心部。一見、砂時計のようなモニュメントにしか思えないそれが、今まさに音を立てて再起動処理を行っていた。
「これが……マハ・ダラン?」
吸い寄せられるように1歩踏み出すシューニャ。一方で俺は、巨大設備の周囲に視線を配る。
モニュメントの回りに配された解放部。そこには光を落とした大型のレンズが並べられていた。
「レーザー防壁は動作してねぇな。こいつを起こされる前にカタをつけるぞ」
「どうするの? かなり堅牢だと言っていたけれど」
「これだけデカい設備なら、そこらに整備用の点検口があるはずだ。ガワが頑丈でも、動力配線か制御基盤を吹っ飛ばされりゃ、ひとたまりもねぇだろ」
外見は装甲を兼ねた化粧板に覆われてか、滑らかで美しい見た目をしているものの、所詮は機械。
分解整備を考慮しない使い捨て品でもない限り、外装の取り外しが不可能な構造というのは考えづらい。その口さえ見つけてしまえば後は簡単だ。
「どこにあるか、知ってる?」
「雰囲気だよこんなもん。どこでもいいから適当にひっぺがせ。やり方は分かるな?」
「や、やってみる」
ファティマは別枠として、シューニャやアポロニアはこれまで俺の整備を眺めていることも多かったし、自ら扱う銃の分解整備はその手でさせてきた。手先の器用さには不安が残るものの、工具の基礎的な扱いについては問題ない。
彼女は砂時計の底に当たる基部を、恐る恐る触りながらぐるりと回り、俺も固定された視線で開きそうな場所を探す。
否、探すという程の事もなかったのだが。
「……っ! ダマル! これ!」
突如ぐるりと視界を回され、顔の真正面に持ってこられたのは、感電に関する警告が書かれた箇所だった。
シューニャにとってはただの違和感だったかもしれないが、やはり目の付け所がいい。当然、そう刻まれている下には人の体が入り込めそうなくらい大きな点検蓋が見つかった。
「突起を引っ張って回せ。それでロックは外れるだろ。気を付けろ、重いぞ」
「んっ、ぐぐぐ……っしょ」
装甲を兼ねている化粧板だ。その上、前回開けられたのがいつかすら分からないのだから、固着もしていたに違いない。
非力な彼女では無理かもしれないと思ったが、壁を足で押しながら全体重をかけたことで、メリメリと音を立てて蓋は開いた。
「はぁはぁ……これ……あってる?」
肩で息をするシューニャに代わり、ひょいと持ち上げられた俺はそのまま中を覗き込む。
とはいえ、いくら俺でもこんな新鋭機器が相手では、詳細な構造なんて分かりようもない。
が、ぶっ壊すだけなら十分な情報だと、俺は顎を小さく鳴らした。
「カカカッ――この太さなら、十中八九は動力ケーブルだろ。爆薬の準備だ」
「っ……ん!」
息を整える暇もなく、シューニャはポーチの中からプラスチック爆薬の束を4つ取り出して捏ね始める。
マハ・ダランの全てを吹き飛ばすには、とても足りない量ではあるが、基部の内側と動力ケーブルを損傷させるくらいならば十分のはず。プログラムはリカバリできても、ハードウェアの損傷を修復することまでは不可能だろう。
小さな手が柔らかい爆発物を開口部の奥に貼り付け、起爆用の電極を突き刺す。
「見てろよポンコツめ。腹ン中からきっちり吹っ飛ばしてやる――」
これで俺たちの勝ちだ。
そう思った時、砂時計全体がブゥンと音を立て発光を始めた。
『セキュリティ警告、レベル5。中枢設備への不正アクセスを検知しました。脅威の排除を実行します。職員はセーフエリアに退避してください』
「いけねぇ!? 跳べシューニャ!」
「っ!?」
最早反射だったのだろう。
彼女は言われるがまま、マハ・ダランから距離を取るようにジャンプし、サーバーらしき柱の陰に転がり込んだ。
その後を追うように、上から銃弾の雨が降ってくる。
やはりマハ・ダランはまだ死んでいない。それどころか、唐突に迎撃用のオートターレットを起動してくる当たり、少しずつプログラムを復旧していると考えるべきだ。
「怪我はねぇか?」
「な、なんとか……」
不幸中の幸いと言うべきか、シューニャがどこかを負傷した様子はない。
とはいえ、自分たちだけという条件下においての問題は山積みだ。
「野郎、俺の想像より遥かにしぶといぞ。レーザー防壁が立ち上がってねぇ辺り、警備システムだけを優先して起こしたんだろうが、こりゃ時間の問題だ」
「まだキバクソウチが繋げられてない。けど、あそこに戻るのは」
シューニャの視線を追いかける。
自動ターレットは天井に埋め込まれていたらしく、一方でマハ・ダランの周囲には一切の遮蔽物がない。
考えなしに近付けば、一瞬でハチの巣だろう。だからと言って、ここから拳銃で応戦するというのも現実的ではなかった。
「チッ、今更コソコソしても仕方ねぇか。無線を」
言うが早いか、口元にレシーバーが持ってこられる。多分、彼女としてもそれが最善と考えていたのだろう。
「ダマルから全隊! 現在、マハ・ダランユニット前で自律防御兵器と交戦中! 聞こえてたら援護頼む!」
『恭一よりダマル。支援要請確認、現在急行ちゅ――』
『通信波検知。マハ・ダラン、自己防衛プログラムをきんきききき、緊急起動』
無線を遮って走る電子音と共に、目の前に檻状の赤いレーザーが立ち上がる。
レシーバーがノイズしか返さなくなった辺り、このエリアにジャミングが展開されたのだろう。
「光の壁……!」
「チッ、お目覚めかよ砂時計野郎」
『基礎システム、修復率35%。バイオドール制御不完全、各機独立思考モードにて再起動。接近中の脅威を確認。機甲歩兵第3中隊、防衛配置』
マハ・ダランは人格を再構築しているらしい。
周囲に配されたモニターに、様々な処理の状態を示すポップアップが浮かび上がっては消え、やがて影絵と同じ声がノイズとディレイが混じりに聞こえてきた。
『きき客人、降伏を推奨すル。諸君らの希望とトトする機甲戦力が、ここコココへ到達することは不可能だ』
「最低でもマキナ12機ってか、クソが。貴重な装備を湯水のように使いやがって――」
苦虫を噛み潰す。
物量という力は単純が故に強力。それも機体までほぼ同じとなれば、残る違いは中身の性能だけだ。
スケコマシは確かに化物だが、たった1機で何の援護もなく、中隊規模の完全武装したマキナと正面から戦うとなれば無謀という他にない。
俺に何ができる。どうすれば切り抜けられる。
そんな思考が渦を巻く俺の前に、ふと甘い香りが落ちた気がした。
「数字だけなら、確かにそう」
「シューニャ?」
視界を動かせない俺には、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。
ただ、彼女の小さな手は、確かにレシーバーの通話ボタンを押し込んでいた。
「だけど、貴方はアマミ・キョウイチという人のことを知らない」
『第2小隊、交戦開始――反応消失、対応強化』
「たった1人の兵士。私と同じ、戦いには死の可能性が付きまとう、普通の人間」
『第4しょショショ小隊、反応消失。集中対応指示』
見えなくとも分かる。無線の向こうでは恭一が戦っていて、それをマハ・ダランは眺めているのだろう。
面白みのない実況を聞きながら、シューニャは本物の機械より増して淡々と、しかし手指に力を込めながら呟く。
「数の上では、貴方達が圧倒的。でも、彼は数字の1ではない」
『第5、第1小隊壊滅。最適な戦闘モデルを再計算』
フッと、全ての力が和らいだ気がした。
笑ったのだろうか。こんな時に、この娘は。
「きっと貴方には理解できない。彼は癒えない傷を背負いながら、それでも強くて、だから私は――」
彼女は柱の影から1歩を踏み出す。
俺には止められなかった。正しくは、あまりに感情の籠った声に、口の開き方を忘れてしまったと言うべきか。
その視線は間違いなく、檻の向こうに鎮座する砂時計へと向けられていただろう。
「最後まで信じると決めた」
刹那、真っすぐな言葉の後ろで、分厚いドアが弾け飛んだ。
■
赤いアイ・ユニットをギラリと輝かせ、激しく舞う粉塵をブーストジャンプで突き破る。
たちまちターレットからの銃撃が飛んでくるが、所詮は対人用。なんなら、設備を損傷しないようソフトポイント弾でも使っているのだろう。
攻撃の一切を装甲で受けながら、蹴破ったドアの破片をターレット目掛けて放り投げれば、回避も迎撃もできないそれは質量によって押しつぶされた。
射線が切れたことを確認し、僕は柱の前に出ていた少女を肩越しに振り返る。
『期待には応えられたかな』
「ん……待ってた」
錦紗の髪も白い肌も埃に汚れていながらなお、シューニャはいつもの表情を崩さない。
それが信頼の証であることくらい、言葉にしてもらわずともよくわかる。
本当ならば今すぐにでも彼女を抱きしめ、身体の汚れを拭ってやりたかった。よく頑張ってくれた、また無理をさせたと。
しかし、そんな願いすらこの場では叶わない。
『エラー。脅威度計測に異常。プロろろろグラムの修正ヲ開始』
シューニャを背中に隠しつつ、僕は改めて砂時計状の構造物へ向き直る。
青金のアイ・ユニットは、自分の視線を代替して睨むように見せてくれただろうか。
『舐めるなよマハ・ダラン。パターン戦闘しか出来ないカカシを並べたオママゴト程度で、機甲歩兵《本物》を止められるとでも?』
ここまでの道半ば、確かに多数の敵機を相手取りはした。この施設の事だ。その全てがバイオドールによる操縦ではあったのも間違いないだろう。
しかし、マハ・ダランが不調を来たしたことで、敵機の動きからは柔軟性が大幅に失われていた。
バイオドールが如何に戦闘用としてチューニングされていようとも、所詮は汎用品。機甲歩兵運用を前提としたシンク・マキナとは訳が違う。
そんな連中の動きを読むことなど造作もない。加えて、狭い通路での遭遇戦では数の優位も碌に生かせず、まさしく舐められていると思う程度の稚拙な運用に陥っていた。
ただ、僕の口上がおかしかったのか。背後から、カッ! と大きな笑いが飛んできた。
「余裕ぶっこきやがって。実は貸し作るためにどっかで待機してた、とかじゃねぇのぉ?」
『また随分と酷い言われようだな。これでもかなり急いだつもりなんだが』
「なら、さっさと終わらせちまおうぜ。マキナがありゃ――」
『暫定脅威レベルを最大値に設定。レーザー防壁、出力最大』
室内照明が暗くなり、代わりにレーザー光が急激に明るくなる。
それなりに離れていても、輻射熱によって装甲表面温度がジワリと上昇するくらいには。
「いよいよ籠城かよ。往生際の悪ぃ砂時計だな」
籠城とは言い得て妙だ。サーマルシステムが、接近警告を鳴らす程の熱量となれば、触れただけで機体を焼き切られかねない。
さりとて、手持ちの武装は敵からかっぱらった突撃銃1丁のみ。こんな豆鉄砲の弾でマハ・ダランの防壁を貫通できるとは思えない上、レーザー防壁を突破する際に溶かされて終わりだろう。
故にこそ、スキャンを走らせた先で、ダマルとシューニャが残したチャンスが輝いて見えた。
『成程、あの点検口を――爆薬は?』
「取り付けた。けどキバクソウチが……」
『あるなら問題ない。僕が行こう』
「お、おいおいおい、何言ってやがる? いくらマキナにレーザー減衰被膜があるっつっても、あの出力相手じゃ一瞬で切り身にされちまうぞ」
シューニャは賢い。だからこそ、ダマルが危険を訴えるより先に、1歩後ろへ退いたのだろう。
僕がまた無謀な行動に出ようとしていると考えて。
優しい子だと頬が緩む。しかし、自分とて考え無しで言っている訳ではない。
『何も無いよりはマシだよ。それにもうすぐ――』
と、言いかけたところで、パラパラと天井の部材が散った。




