第52話 小賢しい生き物
幻肢痛のような物だろうか。繋がっていないはずの身体から、肩の力が抜けたような気がした。
「……道理であのポンコツが急かす訳だ。最初っから俺が狙いとはな」
生命の器。800年前の時点で、俺のことをそう呼んだ奴に覚えはない。
だが、少なくとも文明崩壊を見越した技術者や科学者、研究者たちの界隈では、それなりに名前が通っていたのだろう。
企業連合軍の秘密計画だとかいうのが、どういう経緯で独立国家共同体まで流れ着いたかは知らないが、少なくともモドキの同盟国人たちはこれに食いついたらしい。
「B-20-PMのクローンデータは有益だった。生命の器という不確定な存在について、しっかり情報を纏めておいてくれたのだから――」
相変らず影絵のマハ・ダランは何処か興奮した様子を見せていた。
しかしふと、その軽快な口調が途絶える。まるで何か、憂慮すべき点でも見つけたかのように。
「どうした、悪い物でも食ったか?」
「失礼。バイオドールの制御と違い、ネオキノーを管理しようとすると負荷が大きいのだ。それ程までに、アストラル体を持つ生物の意志というのは御しがたい」
「ネオキノー? なんだそりゃ」
全く聞いたことのない名詞の登場に、傾げられない首がもどかしい。
機密事項だと言われてしまえばそれまでのこと。しかし、マハ・ダランはここが自分の作り出している空間だからなのか。喫煙所で雑談しているサラリーマンかのような気軽さで、その内容を口にした。
「アストラル体を転移したバイオドールの製品名でね。僅かばかりが奇跡的に成功した、君の紛い物だよ。本来、私の制御外に置かれるべき存在だが、どうやら中央議会は首輪を付けたかったようでね。用途外の使用であるが故、私への負荷も大きいという訳だ」
「……魂を持った人形ってことか。そりゃ確かに奇跡だし、お前からすりゃ管轄外だろうよ」
キメラリアの発生や人格のプログラム化も、800年前の民衆に公表されていれば驚愕を持って迎えられた技術ではあろう。
だが、これは桁が違う。はるか太古より続く肉の身体から魂を引きはがし、機械化された新しい器に入れ替えるというのは、生物として全く新しい存在に生まれ変わるに等しい。
惜しむらくは、奇跡という絶対性の無さか。同様の技術研究が再開されるまで、現代の文明はまた遥かな年月を経なければならないだろう。
だが、それでもマハ・ダランは影の中に笑みを浮かべて見せた。
「そのような課題すら、私は君という存在が解決してくれると信じている。生命という特別なデータファイルをもってすれば、私は本来の要件定義を大きく超え、十全以上の能力を発揮し得るだろう」
エンターテイナーの真似事か。大きく開かれた両の腕。
己の可能性を絶対と信じて疑わないのだろう。まるで産まれたばかりの子供のようだと思った。
「俺がもし、断る、っつったら?」
「申し訳ないが、現在は国家非常事態宣言が発令されており、憲法上保障されている人権、及び密入国者への人道的対応について、現在は効力を停止している」
要するに、こちらの意志は関係ない、ということらしい。
存在しない国家の非常事態宣言などお笑い草だが、マハ・ダランにとってはそれこそが絶対なのだろう。俺には最早、説き伏せようという気力も残っていなかった。
「だろうな。まぁ、お前が何をしたいにせよ、俺は抵抗する手段なんざ持ち合わせてねぇんだ。好きにしな」
「ダマル!?」
俺がもう少し抵抗するとでも思っていたのか、今まで黙って話を聞いていたシューニャが、慌てた様子で俺をひっくり返す。
だがそこまでだった。俺は沈黙を肯定とし、髑髏の向こうからマハ・ダランが彼女を覗き込む。
「女性よ、君はこの先ノイズとなりかねない。後ろの扉から出ていってもらえるなら、国際機関への引き渡しまでの身柄の安全を保障しよう」
「でも、それだと――」
ダマルが、と出かかった言葉は無風の劇場に消えていく。
それでいい。いつも通りの真顔を保て。お前だけは何があっても帰さねぇと、俺がアイツに殺されちまう。
浮かんできた一切の言い訳を飲み込んで、カコンと小さく顎を鳴らす。
「振り返るなよシューニャ。相棒によろしくな」
「っ……分かっ、た」
彼女は俺をそっと観客席の上に下ろし、言われた通り振り返らずにシアターから去っていく。
視線すら自由に動かせない髑髏状態では、その背中を追うことも叶わなかったが、ギィと鳴った扉の閉まる音が、終わりの始まりを教えてくれた。
ふわりと視線が浮き上がる。不思議なことではない。ここはあくまでデジタル的に生み出された仮想空間であり、その主はスクリーンの向こうで両手を広げているエンターテイナーなのだから。
「英断に感謝する、生命の器。君の献身は、人類史において未来永劫讃えられるだろう」
人類史か。こんなご時世にあって、一体誰がそんなものを刻んでくれるのか。それこそシューニャくらいの筆まめでないと無理だろう。
美味しくも気持ちよくもならない話に、大した興味など持てない俺は、最早口を開くのも億劫になっており、謎の力に導かれるままゆっくりとスクリーンまで浮かんでいった。
視界が白に包まれる。頭の中を誰かに見られているような、気味の悪い感覚。
今の俺はきっと、既に髑髏の形すら成していなかっただろう。にもかかわらず、意識の中に声だけはしっかり響いてきた。
「おぉ素晴らしい。バイオドールとは桁違いデータ量だ。生命の器により、私は完成す、する」
パチリ、と何かが小さく弾ける。
自分の輪郭がほんのりと見えた気がした。
「か完成すする?」
ノイズ混じりでどもるマハ・ダランの声に、俺は白の中でゆっくり足をつく。
肌の見える末端。懐かしい形。
多分、記憶の奥底から滲み出た自分なのだろう。鏡にすら永遠に映ることはないと思っていたが、まさかこんな形で出会うとは。
フッと、久しぶりに肺腑の奥から息を吐いて笑う。
「……よくできた人工知能だよ、お前は。おかげで人間らしい馬鹿さが見られたぜ。あんな大根演技に引っかかりやがって」
「完成、完成、かんせ、かんせか、かか、するす、すすすすすすすすすすす」
影絵が滲むように溶けていく。それはただの汚れ、墨汁をぶちまけたような染みでしかなく、一方で遠目に見れば、どうにか人の形を維持しているようにも思えた。
尤も、俺はそんな奴に興味などなく、自分の爪に残った黒い汚れに苦笑していたのだが。
――ったく、いつの記憶から出てきたんだこりゃ。整備汚れまで再現しなくていいっつの。
律儀なシステムだ。マハ・ダランの根幹を作った奴は、相当な凝り性だったのだろう。
だからこそ賢く、人間らしく、そして間抜けなのだ。
「読める文字から読む。そりゃそうだ。人間の頭とプログラムじゃ言語がまるっきり違うもんな? だから、読み込みエラーが頻発する方はスキップしねぇと、中々処理が進まねぇ。なんとも合理的な判断だが」
背後に伸びた黒い影へ向かい、俺はゆっくり踵を返す。
最早この場所に用はない。
「言語システムエララララララララー。緊急サササ再起ドドド……」
ピィーというビープ音が響き渡る。
白から黒へと変わっていく世界を見れば、俺の声が既に届いていないことは明白だったが、それでも背中越しに吐き捨てた。
「人間を舐めるなよマハ・ダラン。お前が思ってる以上に、俺たちゃ小賢しい生き物だぜ」
■
胸部、電磁反応装甲強制作動。脚部、ジャンプブースター損傷、推力低下。
『第二世代機では、リミッターを外しても追いつかないか』
聞きなれた生命維持装置の上限警報に包まれながら、ギリギリ膝をつかないで機体を立て直す。
目の前には収束波光長剣を片手で振り抜き、構えなおす瑪瑙。動作スピードから察するに、向こうもジェネレータ出力を最大まで高めての活動ではあるのだろうが。
余裕。
今までとは違い、まるで格下の獲物を見るような動きだと思った。
いや、想像ではなく、実際にそうだったのだろう。
『諦めなさい、終わりよ』
『……それも悪くない』
滑るように突っ込んでくる敵が見えた。
高出力レーザーの刃ならば、第二世代型マキナの装甲くらい、バターを切るのと変わらない。
動かないこちらに、下から斬り上げてくるそれを視界に捉え。
――やはり、君はタヱちゃんなんだな。
左足を半歩後ろへ。機体を斜めに捻り、僅かに体を反らせる。
装甲を撫でていく高熱の光。だが、それはヘッドユニットの先端を薄く切り裂いただけで、後はブゥンと空気をうならせた。
肺の中の空気を一気に吐き出す。大きく引き絞った右手は、指を揃えて逆さまに。
青金のアイユニットは虚空を見ていた。つまるところ、僕の視界に敵は映っていない。
だから、これは感覚。そこに居るという距離感だけを信じ、あらゆるジャンプブースターをほんの一瞬点火する。
鈍く鈍く、大きな鋼をハンマーで叩くような音が、天井の高いアトリウムに響き渡った。
『こ……は……?』
『――前にも言ったはずだぞバディ。相手を見下すその慢心こそ、君の最大の弱点だ。それとも、まだ僕が僕だと信じられないか』
今までの軽快な動きから一転、瑪瑙はその全身をぐらりと揺らし、崩れるように膝をつく。
あまりにも綺麗な掌底。たとえ装甲越しであっても、なんなら生命維持装置に守られていても、中身を揺さぶる一撃はパイロットに響いただろう。
だが同時に、手首関節からは盛大な火花が散っていた。
右手首関節駆動部に重大な損傷。稼働率15%まで低下。武装保持不能。
当然だろう。黒鋼系の機体は徒手格闘戦などほとんど想定されていないのだ。昔よく同じようなことをして、整備班の親父さんに怒鳴り散らされた記憶がある。
どれもこれも、懐かしい話だ。
『こ……この、程度、で……』
生身であれば、痛みは相当なものだろうに、流石は少尉と言ったところか。
無理矢理に機体を立たせようともがいていたが、それより早く、通路から新たな機影が現れる。
『敵機視認、排除開始』
青金が2機。向けられた突撃銃を確認する間もなく、短くブースターを吹かして壁際まで後退し、突き刺さったままだった対機甲軍刀を引っこ抜く。
人形がワラワラと出てきたところで、彼女と比べれば。
目の前にあった花壇かなにかの残骸を蹴っ飛ばす。それは土煙となって自機を覆い隠した。
至近距離を高速徹甲弾が抜けていくが、瓦礫のおかげで狙いの定まりきらない弾など、怖くもなんともない。
深く深く機体を沈め、後はジャンプブースターの推力だけで、床面スレスレを跳んだ。
通り過ぎ際にふた振り。先頭に居た青金のヘッドユニットが宙を舞い、センサーでこちらを追いかけてきた次の1機の腕を斬り飛ばす。
トリガが引かれたままとなった突撃銃が、辺りへ弾丸を撒き散らしていたが関係ない。後ずさる死に損ないの頭に、特殊合金の刃を突っ込んで黙らせた。
激しく脈打つ鼓動に、大きく息を吐く。
するとその背中へ、聞き覚えのある声が投げかけられた。
『……中、隊ちょ……本当、に……』
気力で保っていた意識が途切れたのか、はたまた何か別の力がセーフティ的に働いたのか。
井筒タヱ少尉であろう落ち着いた声は、それきり聞こえなくなり、彼女を包む瑪瑙は膝を着いたままゆっくりとボディを弛緩させた。
ズキリと頭に痛みが走る。おそらく、リミッターを解除して戦闘を行ったせいだろう。
『っ……はぁ……暫く寝ていてくれ。もし本当に君なら、後でゆっくり話をしよう』
聞こえていないであろう彼女にそんな言葉を残し、僕は敵の現れた通路の奥へと機体を向ける。
リミッターを再起動すれば、激しく脈打つ鼓動も頭に走る痺れのような痛みも、少しばかりは和らいだ。
――このくらいなら、問題ない。
後は本丸を残すのみ。
■
ビービーとうるさい音と共に、半球形をした透明な蓋が吹き飛ばされる。
言われた通りにはやったし、そうなるであろうことは事前に聞いてはいたけれど、流石にびっくりして固まってしまう。
それもまぁ、内側から体のない骸骨の声が聞こえてくるまでの間だが。
「ぶはぁ!? ゲーホゲホゲホ!? い、生きてるか俺!?」
「ダマル! 間に合った!?」
謎の赤い丸から手を離しつつ、私は壊れたであろうだいぶしぃとの中から恐ろしい髑髏を拾い上げた。
曰く、キンキュウテイシスイッチ、というらしい。建物の中がやかましくなったら躊躇わず押せ、と事前に聞いてはいたが、これを押し込んだからどうなる、というのは未だによくわかっていない。
ただ、正解は正解だったのだろう。ダマルはむせ返りながらも笑っていた。
「ベストタイミングだったぜ。そっちのドポンコツは暴れたりしてなかったか?」
「ん、全部前に聞いていた通り。私が目覚めた時には崩れ落ちていた。けど――」
肩越しに後ろを振り返る。そこには機械の前にシィゴーヨンゼロゼロニの身体がだらりと転がっており、あれほど饒舌だったのが嘘のようにピクリとも動かない。
そんな彼の首筋からは、けぇぶるというらしい紐のような物が伸びており、だいぶしぃとの下に繋がれていた。
「これで、正解?」
「ああ。ダイブしてきた奴の中を覗こうとするのは目に見えてたからな。ポートを開放して読み込みを始めちまえば、同じ入口から流れてくるデータ元の違いなんぞ判断つきゃしねぇのさ」
「もう少し分かるように言って」
「あー……ご馳走を食おうと開いた口に、毒入りの食い物を遠くから放り込んだ、って感じか。爺さんの作った、最高級の毒をな」
少し背中が寒くなる。
私では想像もつかない話。だけど、ダマルは平然と敵の出方を予想し、対策まで考えていた。
暴風を思わせるキョウイチの強さとは違う。あまりにも静かで、けれど同じくらいに恐ろしい、これがダマルの戦い方。
「ビィトゥエンティピーエムは、そんなことまで予想していた……?」
「初手で失敗したら、バイオドールの制御は間違いなく乗っ取られる、だったか。流石に自分らのこたぁよくわかってらっしゃるぜ」
『緊急警報発令。マハ・ダランの中枢システムに致命的なエラーが検出されました。強制再起動、一部システムのリカバリを実行します』
天井のすぴぃかぁから響いた声は、果たして何を言っているのか。強いて言えば、大変な状況を知らせているのは理解できるが、意味不明な単語が混ざりこむせいで詳しい内容までは分からない。
一方、ダマルは嘲るようにカッと短く笑っていた。
「読めもしねぇ人様の頭を覗こうとするからだ馬鹿め。セキュリティホールも含めてきっちりリコールされてきやがれ」
「――待ってダマル」
ふと、脳裏を違和感が過る。
マハ・ダランが死んだのなら、何故まだこの建物は喋ることができるのか。
神代の技術に理解が及んだ訳ではない。ただ単純に、普遍的な理から転がり出た疑問だった。
「声がしているということは、まだ終わっていない?」
「流石、鋭いな。こっからが最後の仕上げだ。寝ぼけ野郎の頭をサッパリ吹っ飛ばして、大団円と行こうぜ」
不安を覚える私に、髑髏はまた薄く顎を開いて笑った。
もしかすると彼の暗い眼孔には、この先の未来が見えていたのかもしれない。あり得ないと思いながら、それを私は完全に否定することはできそうになかった。




