第51話 マハ・ダラン
「何者だ」
「それを演者に聞くかね? お客人」
演者というのなら間違いないだろう。金を払っていないことを謝るべきかとも思ったが。
「なら、アンタがマハ・ダランか」
ポロン、と何処かでピアノが鳴る。
「如何にも。とはいえ、無礼があったら許してくれたまえ。バイオドール達ならばともかく、人を招くことはここ数百年に渡って1度もなく、骸骨ともなればマニュアルすら存在しなくてね」
「別に構わねぇよ。呼ばれてもいねぇのに飛び込んだのはこっちだ」
「その割には随分真っすぐ訪れた物だ。B-20-PMから、招待状を受け取りでもしたかな?」
まるで紳士であるかのように、影絵はステッキをくるりと回してから、深く深く首を垂れる。
一方で、招待状という表現に対し、俺の声は自然と低くなった。
「元凶はお前だろ。テクニカに侵攻した目的はなんだ。今更、焼け野原になった企業連合に戦争でも吹っ掛けるつもりか?」
「企業連合が焼け野原? そうか、ではあの時に受け取った信号は、間違っていなかったのだな」
「1人で納得すんじゃねぇ。何の話だ」
コツコツと聞こえてくる足音。それは自然なものだったが、どうやら木管楽器か何か表現されているらしい。
合わせてマハ・ダランらしい影絵はスクリーンの中を歩き、左から現れた書棚より、1冊の分厚い本を取り出した。
パラパラとページがめくられると、中から小さなロボットが何体かカサコソと現れ、またスクリーンの外へ消えていく。
「私は長く眠っていた。稼働する必要がなかったからだ。施設の維持だけならば、管理ロボットに任せておいて問題は無い」
更に1ページ。今度は丁寧に捲られると、内側から光が漏れ始める。
それは絵として映し出されている黒い影を飲み込んでいき、マハ・ダランそのものも白く消し去らんばかりだったが、彼は光に包まれる直前に、パタンと勢いよく本を閉じた。
「だが、戦略兵器の使用となると話は別だ。ログによれば、今よりおよそ半年前に記録されている」
「……天雷か」
ここ最近で運用された戦略兵器など、文明が失われた現在に至っては1つしか存在しえない。
そのトリガを引いたのは、間違いなく俺自身だ。
「戦争に備え、独立国家共同体を守ることが、私に課せられた使命であり宿命。しかし、マハ・ダランは試験段階であり、運用に必要な経験値が不足している。故に、AETCが準備していた高度データ収集機を回収する必要があった」
どれだけ優れた人工知能を持っていても、こいつの行動規範はあくまで純然たる機械だ。与えられた役割を、ただ真っ当に果たそうとしているだけ。
しかし、人間による制御を逸脱した結果、倫理という部分が置き去りになっている感は否めない。その結果訪れたのが、今の争いという事だろう。
半ば確信だった。であればこそ俺が、俺たちが止めなければならない。
「それがB-20-PMって訳だ。ご苦労なこったな。ありもしない戦争に備えるなんざ」
マハ・ダランは手にしていた本を棚へ仕舞うと、改めてステッキをついてこちらへ向き直る。
「何故言い切れる?」
「目も耳も奪われたお前にゃ分からねぇだろうよ。海の向こうに残ってんのは、運良く形を留めてる僅かばかりのガラクタと、その上に根付いた幼い文明だけなんてことはな」
「私たちの世界にはもう、キギョーレンゴウもキョーワコクもない。貴方達の文明は、800年前に滅んでいる」
奴とて、アチカとテクニカを襲った以上無知ではないはずだ。
己の想定よりもはるかに後退した文明だけが残る大地。博物館や歴史書の中にしか見ることのなかった人々の暮らし。統制の取れていない軍隊とも言えない組織。どこにも過去に栄えた大国の痕跡などは残っていない。
しかし、シューニャからの補足にも、影絵の紳士は首を傾げていた。
「理解に苦しむ。では何の為に、戦略兵器が稼働したのか」
「俺たちの不始末さ。事故だと思ってくれりゃいい」
「今、私たちの世界で戦争は起きていない。唯一、貴方の行動だけが、不要な流血を強いている」
スクリーンの中で、大型犬らしい影がマハ・ダランに何かを届ける。
それは手紙だったのか。あるいは何かのファイルだったのか。彼は顎に手を当てながら一瞥すると、やはり理解できないと言った様子で鼻を鳴らした。
「私の行動指針は、戦時国際法及び同盟国との盟約に則ったものだ。現在、テクニカは所属不明の勢力に占拠されており、同時に企業連合領内に、複数の所属国不明の武装集団が拠点を構築している。違うかね?」
「言ったはず。もうキギョーレンゴウは存在していない。あるのは、神代の終わった後で芽生えた国。貴方達の時代とは一切関係のない人の集まり」
「お前が何を見て判断してるのか知らねぇが、そもそもB-20-PMは正当な手続きを経たテクニカの管理権限者代理だ。それを武装勢力呼ばわりして喧嘩吹っかけんのは、本当に国際法上の正しい判断かよ?」
影の紳士は黙り込む。
もしもマハ・ダランが、本当に800年前の国際法、ないしそれに近しい規則を中核として動作しているなら、俺の言葉は緊急停止に至る可能性を秘めていたはず。
これで終わるなら、いや終わってくれ、そんな風に考えた。もしこれ以上争わずに済むのなら、ここの設備や物資も貴重品として手に入れられるから、なんて下心を覗かせながら。
しかし、彼は髭を弄るような所作を見せ、コツンとステッキを鳴らした。
「マハ・ダランの制御権は独立国家共同体中央議会及び、統合防衛軍参謀本部の管轄であり、私の判断は常に人間の監視下に置かれている。私の判断が、国家の利益を害するものなら、既に強制停止命令が出されているだろう。しかし、今に至ってなお、その兆候は見られない」
「……石頭が。信用ならねぇってか?」
「お客人、君たちは国家の代表では無く、外交官としても登録されておらず、パスポートすら認識できない、単なる密入国者だ。その言の何が、信用に値するデータになると?」
実にプログラムらしい発言だった。
B-20-PMと同じく、マハ・ダランもまた正式な手続きを踏み、戦闘行動を容認されたのだろう。回答期限切れを了承と判断するという文言でも記した提案を、遥か過去に失われたであろう中央議会へと投げて。
だから、天雷の照射から半年近く経った今、事が動いている。テクニカが失われることもなく、現代の幼い国々が蹂躙されることもなく。
そして俺は、言葉で止める術を失ったことを実感していた。
「なら、何故俺たちをここに招き入れた。トリセディは、お前の家みたいなもんだろ。侵入者を消すくらい容易かったはずだ」
呆れかえった問いかけに、影絵はゆっくりとこちらへ近づいてくる。正しくは、拡大されてそう見えるだけなのだが。
「先に述べただろう。私には膨大な経験が必要なのだ。たとえばそう、君のようなね」
大きくなった指先が、髑髏の眉間に突き立ったように思えた。
■
「せいめいのうつわ?」
自分とファティマは座ったまま顔を見合わせる。
飾り羽でもついているのかと思うようなボサボサ髪の優男は、先に宣言していた通り、武器を捨てたこちらを攻撃しようとはしなかった。まきなからジュウを突き付けられているのは、あまり気持ちのいいものではないが。
「聞いたことないかな。まぁ、企業連合の極秘計画だから、無理もないんだけど」
「それって確か、ダマルさんが骸骨になった理由、だったような」
以前、リッゲンバッハがそんなことを言っていた気がする。
内容は果たしてどんなものだったかと考えていれば、隣でファティマがあー、と思い出したように声を上げた。
「もしかして、博打に負けてお尻の毛まで抜かれたー、とか言ってたヤツですか?」
「コスプレのお嬢さんたち、仲間相手なのに結構容赦ないね」
隠す様子もなくつらつら語る自分たちに、優男は少々退いているらしい。糸目の顔が引き攣っているのが分かった。
こいつはどうやら、ばいおどぉるとかいうのではなく普通の人間なのだろう。話が通じるなら、時間を稼ぐくらい自分にもできるはず。
「約束は約束ッスから」
「小さいのに律儀な子だなぁ……」
「余計なお世話ッス。で、ダマルさんが何なんスか? 自分たちだって大したことは知らない、っていうか理解できてないッスよ」
嘘は言っていない。実際あの肉も皮も臓物もない骸骨が、どうやって自分たちと同じように食い動き喋り寝ているのかなんて、自分なんぞに分かろうはずもないのだ。
しかし、ハッキリそう伝えたにも関わらず、優男はなお質問を続けるつもりらしい。意図はともかく、神妙に顔を顰めながら、もしもだ、と口を開いた。
「仮に生命の器が生きていたとするなら、それは独立国家共同体にとって――いや、全人類にとって、とんでもない価値のある話になるかもしれないんだ」
「その、とんでもない、が分からないッス」
「ただの骸骨ですよ?」
時々嫌らしいことを口走る点を除けば、ダマルさんが凄い骨なのは、自分もファティマもよく分かっている。彼の持つ知識や技術が世の中に知れ渡れば、あちこちの国王や貴族が大金を抱えて頭を下げに来たっておかしくない。
ご主人が英雄ならば、ダマルさんは賢者なのだ。そんな2人がお互いに支え合っているから、ミクスチャでもリビングメイルでも打ち倒せる。
ただ、この優男が求めているのは、自分たちの考えている価値とは違うらしい。
彼は短い沈黙を挟むと、何やらホッとした様子で息を漏らした。
「ふぅ……どうやら、言ってもいいみたいだね」
「こんなとこで勿体ぶるんじゃないッスよ。何スか?」
動きも口調も、何だか妙に鼻につく。優しそうな雰囲気はご主人と似ているのに、どうにも軽薄に思えてならなず、自分はジトリと男を睨む。
最初ご主人に捕まった時と似たような状況なのに、我ながら随分腹が据わったものだと感心するが。
「そのダマルという骸骨が、もし本物の生命の器だとすればだよ。彼は俺たちネオキノーの祖にして、マハ・ダラン計画の始まりということになるんだ」
沈黙。
また自分とファティマは、揃って顔を見合わせ、目をぱちくりと瞬かせた。
「「……はぁ?」」
■
装甲がスネアドラムの如き音を奏で、アクチュエータはシンセサイザーのように唸りを上げる。
躱す躱すいなす。久しぶりに感じる格闘戦の挙動を、身体は岩から水がしみ出すように思い出していた。
機体システムと鼓動を合わせろ。相手がどれだけ速く、重くとも、笹倉大佐相手に徒手格闘訓練をさせられた時と比べればずっとマシだ。
決め手に欠ける攻防に、相手が焦れてきているのが分かる。そうだ、もっと焦れ。嫌になれ。
何度目か分からないワンツーを、まるでシャドートレーニングのように躱す。その後に来るのは肘。これは多分敵の癖だろう。
ふと、その動きに既視感を覚えた。
――知っている。なら、この後は。
勘が告げている。あるいは、自分の役立たずな記憶がか。
今まで以上に大きく、ずっと大きく膝を折った。
ブゥンと大きな羽音が頭上を越えていく。僅かにヘッドユニットの装甲を掠めた気がしたが、衝撃らしい衝撃はない。
加えて、それだけ大ぶりな攻撃をした後なら。
『ふぅッ!』
ジャンプブースターに点火。屈めた膝の駆動部を伸ばすバネも生かし、肩から相手の腹部装甲へ突っ込んだ。
『うぐ――っ!?』
合成音声がブレる。当然だ。まともな防御姿勢なくぶちかましを受ければ、如何に頑強な機体であろうとパイロットへの衝撃は殺しきれない。
それでも相手はバックジャンプ気味にこちらの勢いを殺し、綺麗に着地するという余裕を見せたが。
『……今のを、見切られた?』
余程自信のある連撃だったらしい。機械によって彩られた音声からも、ハッキリした驚愕が伺える。
逆に僕の方は、こんな時ばかり役に立つ記憶に、変な笑いが込み上げて来ていた。
――相変わらず、こういう勘ばかりは鋭いな。嬉しさ半分、難儀さ半分だが。
知っているのだ。何度も何度も、この身で受けながら手解きをしたやり方だから。
『貴方、何者?』
鋼の拳を構えながら、しかし今までより僅かに間合いを取る瑪瑙。
その動揺は手に取るように分かる。それもまた、よく知っているから。
声を落とす。元々大して威厳がある方では無いが、今だけはただの天海恭一ではなく、大尉という階級を背負い直して。
『自分が誰かなど関係ない。目の前に居るのは君の敵だ。違うか?』
『――ッ!? まさか……いえ、あり得ない。だってあの人は……がっ!?』
正拳を胸部に叩き込む。
さっきまでなら、アッサリと躱せたはず。むしろこちらに、こんな見せかけばかりの拳を打ち込む余裕などなかった。
故の確信であり、よろめきながら後退する瑪瑙を見つつ、マニピュレータの損傷警告を聞きながら、僕はふぅーと深く息を吐く。
『戦闘に集中しろ少尉。まさか今更、素人をいたぶって強者を気取りたかったとでも?』
1歩前へ進めば、向こうは1歩下がる。
怖いか僕が。相対している敵が、僕であることが。
『機体の違いがなんだ。その程度でやられる程、こちらの腕は訛ってないぞ』
我ながら、とんだ強がりが零れたものだと思う。
世代を経た機体の性能差は埋めがたい。その上パイロットの能力も、こちらは昔と比べて無理が効かないポンコツだ。
それでも、敵の中身が自分の想像通りだとすれば、上官として目を覚まさせてやらねばならない。
『違う……あり得ないのよ。数世紀の時間が流れて、誰も居なくなっていて当り前なのに、よりにもよって、貴方が……』
『君は着地の寸前、小刻みにジャンプブースターを吹かして制御する癖がある。再噴射の反応が鈍るからやめるべきだと前にも言ったはずだが、まだ抜けていないのか』
『違う、違う……あってはいけない。考えては、いけないのに』
怯えたように退く瑪瑙。
当たり前か。僕自身、現代に目覚めてから今日この場に至るまで、部下の誰かが生きているなんて思いもしなかったのだから。
外界から隔てられた海の上で、人形に囲まれて過ごしていたとすれば、信じがたいに決まっている。
だから僕は、敢えて肩の力を抜いた。
『変わっていないな、タヱちゃん』
装甲の向こうで、息を呑んだのは手に取るように分かった。
それくらいに慣れ親しんだ呼び名。部隊の中で親交を深めようと、他の部下たちが呼び始め、自分も乗っかった過去を覚えている。
ただ、空気が緩んだのも束の間。突如、瑪瑙が軋むような震えを見せ始めた。
『ぐ、うぁ、ぁぁぁぁ! 違う、そんなの! 私の、記憶じゃ、ない! 入ってくるな!』
『っ!? 何だ……?』
何かに抗うような声と、羽虫を振り払おうとするかのような動き。
悶えるようなそれは10秒近くの叫びに代わり、始まりと同様に突然治まった。
『そう、そうよ……貴方は、侵入者。排除すべき、目標』
怯えはなく、恐怖もない。否、それ以外のあらゆる感情を捨てたかのような、機械的な声。
――吹っ切れた? いや、しかしこれは。
背中から引き抜かれる収束波光長剣。束を成す光の刃が走ったことに、僕は意識を切り替えた。
これは殺気だ。他に何もない、とても単純で素直な、殺すという意志。
『何者でもない。何者でも、あるはずがない。ただの侵入者』
揺らめくように1歩を踏み出す瑪瑙に、背中を汗が伝う。
彼女の中で、何かが切り替わった。その理由はどうやら、考えている余裕などないらしい。
『殺すわ』
短い一言を残し、青い装甲と白い発光が、目の前でブレた。




