第40話 遥か海の彼方
照明を暗く落とした部屋の中、白く浮き上がる歪な形のホログラム。
ゆっくりと回転するそれを、壁から照射されるレーザー光で指し示しながら、横たわるバイオドールは口を開かないまま声を発した。
『東ブリュネル海上の海洋プラットフォーム、トリセディ。ここが独立国家共同体、統合防衛軍の活動拠点であることが、新たに判明した』
「独立国家共同体の中心となる諸島部からは、随分離れた場所だな。ギリギリ排他的経済水域内、と言ったところか」
「地図通りだとすりゃ、ド辺境の絶海だぜ。建前上は、海底資源掘削を目的とした施設、ってところだろうが」
「偽装されている可能性が高いね」
軽く顎を撫でる僕の隣で、ダマルがガシャンと鎧を鳴らし腕を組む。
B-20-PMが持っている情報は、あくまで一般向けに公開されていた物だろう。洋上プラットフォームというだけで人目につきにくいというのに、表示された地図情報が事実なら、完全な絶海に存在しているのだ。
これでは何の当てにもならない。そう思って肩を竦めた途端、待っていたかのように画像が入れ替わる。
『大尉の想像は概ね正解と言えるだろう。これはストークスの外部カメラから抽出した映像を解析したものだ』
「これはこれは……本当に随分と盛ったな」
現代人である女性陣が首を傾げる一方、僕からしてみれば凝視せずとも分かる。この施設がただの海底資源採掘を目的とした施設でないことくらい。
「自立式の防空システムに長距離レーダー、対艦誘導弾発射器まで抱えているのか」
「カッ、とんだハリネズミがあったもんだぜ」
単純に隠す理由がなくなったからか、それとも機械的なトラブルか。本来は格納式であろう過剰な防衛設備の群れは、全く隠されることなくプラットフォーム上に露出していた。
民間施設としての言い訳をするなら海賊対策だろうが、一体どんな海賊を想定すれば、装甲化された多連装ミサイルランチャーを5基も6基も配備することになるのか。
『加えて、バイオドールより取得した構造データによれば、大規模な自己完結型エーテル発電システムを内部に備える他、最下層に大電力を必要とするチャンバー状の設備が存在しているようだ。当機は複合データ演算の結果、これを87%の確率でスタンドアロン式軍事指揮システムのコアユニットであると結論付けている』
陸地と隔絶された施設である以上、自己完結型の発電設備があるのはむしろ当然と言える。
が、問題はその規模だ。概略的な構造図に記されているのは、中心となっている最も大きなプラットフォーム内の半分を占めるかという規模の、本格的な発電所にも劣らぬ設備だった。
これには骸骨があり得んと首を振る。
「どんな脳味噌だよそりゃ。いくらなんでも、効率悪すぎだろ」
「見えていない範囲に格納式の大型レーザー砲か、プラズマ砲でも設置されてるんじゃないか?」
たとえスーパーコンピュータが設置されていたとしても、規模から想定される発電量はあまりにも過剰。何なら無駄と言い換えてもいい。
仮に自分が付け足した防衛設備を加えたとしても、一般的な大威力砲台程度なら一体何基を設置する前提だったのかが分からない程だ。マイクロウェーブ波を用いる衛星経由の無線送電で、どこかの町のエネルギーを賄っていたと言われても納得できる。
『この報告はあくまで途中経過だ。暗号化されたデータの解析は、引き続き実行する。あと数日の猶予を貰いたい』
どうやら、B-20-PMも答えを持ち合わせている訳ではないらしい。なら、これ以上の問答は妄想以上の何物でもない訳だが、彼の言葉尻から追加の疑問が生じた。
「猶予、ね」
「いい加減、言葉にしといてもらいてぇもんだな。お前は結局、俺たちに何をさせるつもりなんだ? 客に延々とリソース注げるほど、ここの連中はいい生活してねぇだろ」
骸骨鎧が呆れたように言うのもむべなるかな。ここに暮らすキメラリアやデミ達は、僅かばかり残されたテクニカの設備を利用しての生活を余儀なくされている。
彼らが生きていられるのは、B-20-PMという指導者が、水耕栽培設備の運用知識や、深層井戸からの地下水確保を行っているからに他ならない。焼けた大地と呼ばれる乾ききったこの場所で、安全かつ生計を立てられる家を手に入れられたのは、間違いなく幸運だ。
問題はその頼みの綱が、長い年月を経た結果、本来の能力を発揮できる状況にないことである。僕の見た限り、水耕栽培農場で稼働できているのは、全体の1割にも満たないだろう。
にもかかわらず、飲み食いするばかりの客を5人も、何の理由もなく抱え続けるはずがない。
兜の細いスリットに睨まれた当の管理権原者代理は、少し言葉を探すような間を置いてから、改めてスピーカーを鳴らした。
『……現時点ではあくまで想定に過ぎないが、それでも構わないか?』
「我々の間にあるのは、あくまで契約関係だ。たとえ想定であろうとも、要求があるなら明瞭にしてもらいたい」
『君達企業連合軍に対し、テクニカは外部勢力による軍事的脅威の完全なる排除を望んでいる。我々だけの力では、不可能な処理だ』
流石に機械、と言ったところだろう。先程の短い思考時間が嘘のように、アッサリと自らの希望を吐き出した。
尤も、その内容は何の捻りもない想定通りの内容でしか無かったが。
「だろうたぁ思ってたぜ。どんな演算すりゃ、それが実現可能だって答えが出せたんだよ」
『当施設は本来、人間の存続と繁栄を目的とした平和的な研究機関でありシェルターだ。国家、民族、思想、利権、その他あらゆる社会的な問題から隔絶されていなければならず、何者にも侵害されない自治独立状態を維持しなければならない。これは最優先事項である』
感情などエミュレーションの結果でしかないはずなのに、妙な圧力が声から伝わってくるようだった。
単なる人工知能でも、長く長く人間の居なくなったテクニカを守り続けてきた結果、システムに矜持でも宿っているのかもしれない。その熱意には応えてやりたくもあるが。
「だとしてだ、管理権原者代理。どうやって実現するつもりだ? 少なくともこちらには、東ブリュネル海に到達できる術がないぞ」
東ブリュネル海を含め、古代の海図がどれほど原型を留めているのか知らないが、プラットフォームの周囲が未だ海のままなら、自分たちの装備では近付くことすらままならない。
策はあるんだろうなと言外に問えば、B-20-PMはあっさり問題ないと言い切ってみせた。
『先に鹵獲したストークスの再整備は、既に完了している。操縦に関しても、大尉が確保したC-54型バイオドールの制御系を、当機の人格プログラムを持って上書きしてある』
「お、お前、輸送機の操縦なんてできんのかよ?」
『安心して貰いたい。上書きしたのは人格だけだ。操縦関連のプログラムや、ストークスの飛行経路データ等は、C-54型のストレージ内容をそのまま保持している』
機械の特権とでも言うべきか。人格を上書きする等という、相手がバイオドールでなければ猟奇的にすら聞こえる内容に、ダマルは呆れた様子で肩を竦めた。
「ったく、何が想定だよ。やる気満々で準備してんじゃねぇか」
『事実を誤認しないでもらいたい。当機の行動はあくまで、予見されるリスクに対応するためのものだ』
人間と機械の考え方が違い、と言えばいいだろうか。
準備行動を決行前夜と捉える人間に対し、B-20-PMはあくまで、言葉以上の意味は無いと言い切っていた。
つまり、テクニカは未だ、敵への対処を決めかねているらしい。その善し悪しはともかくとして。
「1つ、質問がある」
スッと上がった小さな手に、全員の視線が集まる。
シューニャは相変わらず無表情のまま。翠色の瞳が真っ直ぐB-20-PMを捉えていた。
『承諾する』
「ドクリツコッカキョウドウタイが、テクニカに侵攻してくる理由がわからない。彼らは何を求めている?」
「あぁ、言われてみればそッスね。理由が分かれば、無理に戦わなくてもいいかも知れないッス」
ポンと手を打つアポロニア。その隣に立っているファティマは、長引く話が理解出来ずに退屈らしく、大きなあくびを隠そうともしない。
尤も、この場にそれを咎める者は誰も居ないのだが。
『明確な宣戦布告があった訳では無い。現時点で収集された情報からも、確実と言い切ることは不可能だが』
彼の本体である機械の骨格は、相変わらずピクリとも動かない。
その代わりにか、巨大なサーバーを管理するための端末が、静かな空間の中でジジジと音を立てた。
『想定される敵の作戦目標は、97.65%の確率で、当機の確保だろう』
一瞬の沈黙。
続いて零れたのは、綺麗に重なった僕とダマルの、はぁ? という声だった。
「また突拍子もねぇなオイ。どっから出てきた答えだよ」
B-20-PMが800年以上に渡り活動状態を維持している、貴重なバイオドールであることは間違いない。
だが、如何に珍しいバイオドールと言っても、本質はあくまで工業製品。その生産工場を占領して技術を奪うならばともかく、たった1体を確保するために軍事侵攻を起こすというのは、あまりにも不合理が過ぎる。
それも9割超と言い切られると、これはいよいよ演算システムそのものの故障を疑い始めたが、彼は変わらぬ調子で1つのデータをホログラムに映した。
『これは解析中のC54型バイオドールの制御系に見つかったログで、マハ・ダランによる介入を示している』
「マハ・ダラン……とは?」
『アイヤーシュ・エルゴノミクス・テクノロジー社が開発していた、単体完結型バイオドール集中制御システムだ。当機が出荷された時点において、初の実験機が軍部に納入されており、現場での運用試験を行っていたというデータがある』
ホログラムが切り替わり、砂時計のような形をした謎の装置が浮かび上がる。
一見して、何をする物なのか想像がつかないのは、この広間に置かれたモニュメントのようなサーバーと同じだろうが。
「集中制御というと、つまりこれが敵部隊の中枢、司令塔である可能性も?」
『確証は無いが、十分に考えられる』
あくまで想像。しかし、用途不明の大規模発電設備や、最深部に存在する奇妙なチャンバーといった、事前の情報と擦り合わせればを、こいつが潜んでいると言われても納得出来る。
その一方で。
「分からねぇな。それとお前の何が繋がるんだ?」
訝しげに首を傾げる骸骨。確かにここまでの話では、B-20-PMとマハ・ダランの間に、同社製品という以外の繋がりは全く見いだせない。
とはいえ、当事者は理解しているだろうと、倒れたままのバイオドールボディに視線を落とせば、何故か彼は沈黙し、代わりにサーバーへのアクセス端末がジリジリと長く長く音を立てた。
『……アクセスが許可されていない要求。セキュリティコードエラー8250。すまない、このデータを開示することは、当機の開発元の権限により制限されている』
「君の開発元が残っているとは思えないが……セキュリティの強行突破は不可能なのか?」
『不可能だ。当機を含むあらゆるAETCの製品は全て、開発元への危害行動は行えない』
所謂、サポートへお問い合わせください、という案件らしい。電話をしたところで誰も出ないだろうし、なんなら電話回線などとうの昔に跡形もなく消え去っているが。
「カカッ、セキュリティとしちゃ逆効果だな。むしろ信用できるぜ。AETCは何かを隠してるって事だ。それも、試作機同士の間にな」
「ただの技術面における企業秘密なら、可愛いものなんだがね」
骸骨は兜の中で、ニヤリと下顎骨を開いていたことだろう。対する僕は、面倒な話だとため息を吐く。
『明確なことは何も言えない。ただ、当機及びテクニカの中央システムが、この想定を非常に強く推していることだけは事実だ』
B-20-PMは淡々と繰り返す。その様子がむしろ、何かを確信しているように思えてしまうのは何故だろうか。




