第39話 影に潜むメメント・モリ
いつしか見慣れた、大きな玄関扉。
その前に大きな背中が見えた。ぱいろっとすぅつの上から、薄手のジャケットを羽織った姿で。
彼は出かけようとしていたのだろう。なら、私もついていかなければ。
そう思って足早に歩み寄っていけば、彼の周りにいくつもの人影が見えた。
「よくやってくれたアポロ、ファティ。君達になら、もう背中を預けられるな」
嬉しそうに揺れる尻尾と、撫でてもらうのを待っているような耳。彼の声は優しく、2つの人影は身体を摺り寄せていた。
「ぁ……」
少しだけ足が遅くなる。多分、割り込むように邪魔したくない、とそう思ったから。
ただ、いつの間にか2つの人影は彼の後ろへ回り込んでいて、別の人影が何処からか現れる。
「マオ、結婚式の日取りは決まったかい? 君の隣に並べるのは、僕としても光栄だ」
彼は長い黒髪の先にサラリと触れた。人影も少しだけ身体を寄せ、彼の頬に唇を近づけていたように思う。
大人びて見える所作を羨む反面、どうしてか私の足はまた遅くなる。
その隙間を見計らっていたかのように、隣を別の影が通り抜けた。
「少し見ない間に大きくなったなぁポラリス。もう立派な、素敵なレディだ。あの子の面影もある」
少しだけ膝を折って、彼は人影の手の甲に口づけた。それは言葉通り、きっと彼女が大人であると認めた証拠。
彼と4つの人影は、まるで示し合わせたかのように、玄関扉の前へと並ぶ。その視線はどれも私に向いておらず、大きな手はゆっくりと扉を押し開くように動き。
「ま、待って。私は――」
ようやく吐き出せた声に合わせ、足も1歩前へと進む。
大丈夫。私は動ける、話せる。それなら、今までと変わらない。
彼は肩越しにこちらを振り向いたように見えた。きっと手を差し出してくれると、そう思った。
しかし。
「君はここで待っていなさい。その方が安全だから」
どこか抑揚のない声で、けれどハッキリと。
周りの人影はこちらを見ようともしない。ただ、肩越しに向けられた彼の視線だけが、私から体温を奪っていくかのようで。
彼はゆっくりと玄関扉を押し開く。その向こうに待つ鉄の箱と、鎧に包まれた相棒に軽く手を上げながら。
「ま、待って! 置いていかないで、私も!」
届いて私の声。私も役に立てるから。お願いだから、貴方の隣に。
絞り出すような声に、彼は再び立ち止まる。
今度は肩越しでなく、ハッキリと私を振り返った。振り返ってくれた。
「そうかい」
声は優しく響く。
溺れそうな藻掻くような、とても苦しい感覚から引っ張り上げられ、私は大きく息を吐いていた。
足を動かすんだ。前へ進むんだ。
彼は待っていてくれる。彼は優しいから。
「なら君は――」
足が急に重くなる。いつしか人影は幻のように消え失せ、白い漆喰の壁と大きな玄関扉が、じりじりと黒く染まっていた。
吹き抜けた熱風。咄嗟に顔を覆い、再び目を開いた時。
そこには焼け爛れたような黒い地面が広がって、赤々と燃える空を背に、俯いて立つ青い鎧。
ギギと軋むように、ソレが私に顔を向けて言った。
ひしゃげた装甲版の奥。黒く底の見えない穴の開いた、頭で。
「こんな姿を見ることさえ、恐れないと言えるんだな?」
と。
■
「っ!! はっ……はっ……!」
暗闇が見えた。
嫌な汗が背中を覆い、短い呼吸もあってか痛むほどに胸の奥が煩い。
ただ、目の前には焼けた臭いも、黒い砂を照らす炎も、青い鎧もない。よくわからない薄緑の光がボンヤリと部屋の角を照らしているだけだ。
ペタリと、汗に濡れた手で額に触れてみる。
「ゆ、め……くっ」
半身を起こして抱いた膝は、小さく震えていた。
暑くも寒くもない部屋なのに、汗をかいて震えるなんて、熱病にでも侵されているかのよう。
呼吸はほどなく整った。しかし、乾いた咽が横になることを許さない。
――ダメだ、一旦起きよう。すぐに眠るのが、怖い。
ギシリと鳴るベッド。床についた足の裏からは、夏なのに夜の冷たさが伝わってくる。
薄手の寝衣から着替えないまま、私は静かに部屋を出た。悪夢のせいか、なんとなくその場に留まりたくなかったのだ。
ぼんやりと緑色に照らされる壁を伝い、ひたひたと廊下を歩く。そこに人の気配はなく、寝息やいびきも聞こえてこない。
寂しい場所だと思った。ガァデンやスノウライト・テクニカと、よく似たような作りなのに。
廊下の角にあるガラス扉を押し開ける。神代の言葉でてんぼうらうんじと刻まれたそこは、テクニカの農園を見下ろすような場所であり、簡単な調理もできることから、私たちは食堂代わりとして使わせてもらっていた。
透明な美しいグラスに、歪なボトルからお酒を注ぐ。アタバラが言うには、テクニカで醸造されたものらしい。独特の香りがツンと鼻を突く。
私は別に、特段お酒が好きと言う訳でもなく、むしろ酔っ払う感覚は苦手な方なので、普段ならまず間違いなく水で薄めただろう。ただ、今日はそのまま口へ運んだ。
舌を走る独特の渋み。でも、正直味なんてほとんど分からない。ただただ、焼けるような強い酒精が、喉を通り過ぎていき、小さく息を吐く。
――言うはずない。キョウイチが、あんなこと。
こんな姿を見ることさえ。
ひたすら暗い穴が、瞬くように蘇ってくる。どんな光も届かないような、虚無の穴が。
振り払うように頭を振る。
「違う、違う違う……ッ! あれは夢、ただの夢。そんなこと起きるはずが……」
ない、なんて言えるだろうか。
ルウルアは死んだ。センショウとヒスイがどれくらい違うのか、私にはよくわからないけれど、まきなが無敵の存在でないことは知っている。これまでだって、何度も何度もキョウイチは傷ついて、アランの母親だったモーガル・シャップロンだって、キコウホヘイとして亡くなったのを見てきた。
それなのに、どうして。
――キョウイチが今にも、ほんの目を離した間に、あの暗闇に呑まれてしまいそうだ、なんて。
こんなこと、ただの妄想に過ぎない。分かっていても纏わりつく恐怖は、グラスの中を全て呷れば吹き飛ばせるのだろうか。
そう思って、揺れるお酒に視線を落とした時、ふと背後に足音が聞こえた気がして振り返った。
「……誰?」
ひたりひたりと聞こえるのは、どうやらガラス扉の向こう側。
私の他に、誰がこんな時間に起きているのだろうと思う反面、少しだけ期待もしていた。
キョウイチなら、あるいはキョウイチでなくても、1人で居るよりは落ち着けるのではないか、と。
しかし、ガラス扉の向こうに見えた姿は、私の想像していた誰でもなかった。
――あれは、クヴァレ?
半透明な髪を揺らしながら、その男とも女ともつかないキメラリアは、こちらを見ようともせず歩いていく。
夜の見回り、というには奇妙だろう。せっかく透明な扉なのに、覗き込もうとさえしないというのは。
では何をしているのか。訝しく思えた私は、グラスを置いたままその背を追うことにした。
何も無ければ、部屋に戻って寝直そう。少し歩けば同じ夢を見るようなこともないだろう、と思って。
らうんじを出て間もなく見えたのは、階段を下っていくクヴァレの姿。横顔が見えたため気付かれたかと思ったが、全くこちらを見ようともせず、彼ないし彼女はゆっくり下っていく。
1階層、2階層、3階層。農地が広がる場所を越え、吹き抜けの広い空間を越え、瓦礫となっている地上階も越えて。
一体どこまで下るのだろう。ダマルがゴソゴソしているコウサクシツを越えれば、その下に何があるのか、私は知らない。何なら、テクニカに住むキメラリア達も、地下への出入りは禁止されている様子だったので、きっと知らないだろう。
ルウルアがそうであったように、クヴァレは特別なのかもしれない。実際、私の追っていたその背中は、コウサクシツのある階層を越えてもなお階段を下り、いい加減足が疲れてきた頃、ようやく重々しい扉を開いた。
――もしかして、本当にただの警備?
余計なことをした気がしてならない。そう思いつつ、とりあえず鉄の扉をそっと押し開けば、何やら今までの階層とは異なる雰囲気の通路が広がっていた。
照明の灯されたその場所は、壁も天井も床までもが白に覆われていて、なんとなくスノウライト・テクニカの地下研究所を彷彿とさせる。
ただ、そこにクヴァレの姿は見当たらず、私は辺りを見回しながらゆっくりと足を進めた。
それなりに長く真っ直ぐな通路なのだ。きっと何処かの部屋にでも、と思った矢先、薄く開いた引き戸が目に入る。
今までより一層息を殺し、そっと隙間を覗き込むと。
「……これ、は」
目に飛び込んできたのは、なんとも不思議な光景だった。
大きな筒状のガラスらしき容器に、満々と水が入れられ、その中に見たこともない動物らしき何かが浮かんでいる。
一体何の為の場所なのか。私は扉を引いて部屋の中へと踏み入っていた。
「死んでいる、の?」
容器を眺めながら奥へ進む。
プカプカと浮かんでいるだけの大小様々な謎生物たちは、揃ってぴくりとも動かず、どれも似たような恰好で身を縮こまらせていた。
以前、スノウライト・テクニカの地下でも、似たような装置を見た気がする。だとすれば、ここも何かの研究をおこなっていたのだろうか。
そんな好奇心から来る私の浅はかな歩みは、開け放たれたままの扉を潜り、そこで凍り付いたように固まった。
「これは、何……?」
大きく1歩後ずさる。
透き通るガラスの向こう側。コポリ、と音を立てて何かが蠢いている。
それは薄く光る奇妙な塊だった。これだけなら、ただ気味の悪い何かだったが、私の眼は表面に浮かぶ模様が何か、そう。
――まさか、人の、顔……?。
頭の奥が警鐘をガンガン打ち鳴らす。皆に伝えて、すぐにでもここを離れるべきだと。
理由も理屈もわからない。ただ、もしかしたらという謎の危機感だけが胸の奥に募り。
「ひっ!?」
冷やりとした何かが、私の頬に触れた。
「ふふ、覗きは良くないなぁ。お嬢さん」
■
『B-20型バイオドール……モデルPM』
「じーちゃん? どうかした?」
サブモニターの中で呻く老翁に、青銀の長髪を輝かせる少女は、キーを叩く指を止めて不思議そうに首を傾げる。
『いや何、人格プログラムになったというのに、上手く思い出せんことなどあるのかと思ってな』
「元々がじーちゃんだったからじゃないの?」
ぐふぅ、と大袈裟に仰け反る老翁、ことカール・ローマン・リッゲンバッハ。神代において、マキナ開発の天才と謳われた世界の要人。
彼はその人格と記憶を複製したプログラムではあるものの、しかし、無礼極まる少女に対して、ひょうきんにペチンと己の禿頭を叩いてみせた。
『痛いところを突くのぅ。そんな所まで再現せんでええというのに。あー、若いモンが羨ましいわい』
「そんなにも?」
『そんなにも』
「でも、わたしはじーちゃんになれないからなぁ」
むぅん、と雪のように白い少女、ポラリスは眉間に皺を寄せる。皺と言っても、まだ幼くハリのある肌は深く波打つことなどできなかったが。
『ハッハッハ! ポラリスに代わってもらおうとは思わんよ。とはいえ、機械の中に入り込んでおきながら、クソジジイムーブをかますのはどうにも格好がつかんでなぁ』
自身をじーちゃんと呼ぶ少女に、リッゲンバッハはまさしく祖父らしい穏やかな視線を送る。
純粋な孫娘ではなく、その遺伝子から産み出されたホムンクルスであっても、老翁にとっては唯一残された肉親のような物であったから。
対するポラリスは、冗談じみたリッゲンバッハの言葉を真剣に考えていた。
「んー……入力されたジョーホーがあいまいなんじゃない? ほら、コンピュータってそゆとこユーズーがきかないでしょ」
少女の言葉に、画面の老翁は目を瞬いた。
この数ヶ月、ポラリスは長い時間をガーデンで過ごし、その間に様々なことをリッゲンバッハから学んでいる。特に、遺伝子上の母であるストリ・リッゲンバッハが得意とした分野については、彼女はまるで乾いた土が水を吸うような勢いで、知識を膨らませていった。
とはいえ、時間が平等である以上、飲み込みが早くとも教えられることに限界はある。故にリッゲンバッハは、まだ基礎的な範囲の理解に留まっていると想定していたのだが。
『……ははぁ、なるほどのぉ。つまりアレか、ガーデンの基幹システムが、人間のワシを元とする曖昧な疑似人格プログラムに対応できておらんと』
「なんでムツカシイいいかたするの」
ムッとするポラリスに、リッゲンバッハはまたハッハッハと笑う。
『すまんすまん。ワシのような老骨には、定義というものがとても重要でな。しかし、流石はワシの孫じゃ。さも当然のように、そのような解釈を思いつくとは』
「え゛っ!? わたし、そんなイタイこと思いついてないよ!?」
『そりゃ介錯じゃろ。痛いじゃ済まんぞ』
「コトバってムツカシイなー」
少女は目を糸のようにしながらも、片手で自分の端末を閉じ、軽い足取りで席を立った。
『今日はもう終わりにするのかの?』
「うん。なんかうまくできないから、ちょっとリフレッシュしてくる。また明日ね」
『うむ。また明日、じゃ』
何が上手くできないのか。リッゲンバッハは何も問うことなく、モニタの中で手を振り返すのみ。
小さな背中が自動ドアの向こうに隠れれば、飾り気のないガーデンの部屋は、凍りついたかのように静かになった。
老翁はプログラムである。ならば、無人の部屋のモニタに表示され続ける理由などない。
しかし、バックライトの放つ薄い光は消えることなく、彼は誰も聞いていないスピーカーから呟きを零した。
『ふっ……我が孫の写し身とはいえ、全く恐れ入る。おかげで思い出せたわい』
ストレージの奥底に眠っていたデータ。少なくともそれは、企業連合や玉泉重工の正式なものではなく、文字や画像としての処理はできないもの。
唯一読み込めるソフトウェアがあるとすれば、それはこの疑似人格プログラムを置いて他にないだろう。
老翁はまるで己へ刻み込むように、敢えて声としたのかもしれない。
『悲しき影の傀儡師よ。自立を成すべき国は既になく、安寧を守るべき民もないとすれば、お前は何の為に目覚めたというのかね』
そのデータは他ならぬ、カール・ローマン・リッゲンバッハという男から移された、人間の記憶だったのだから。




