第38話 点検口
「どーっすかぁ?」
と、どこか間の抜けた声が肩の向こうから聞いてくる。
多分やることが無くて暇なのだろう。こちとら、誰が設計したのか知らないが、工具を突っ込むのも一苦労な狭い整備用開口部に挟まってるというのに。
だからと言って、何をしろと指示することもできず、俺はいい具合に朽ちた基盤を前に、ハァとため息を吐いた。
「こりゃあ、結構かかるぞ。おい、デカいの。こいつの図面とかねぇのか?」
「言ってるだろう。神代の装置については、俺に聞かれても困る」
学習意欲のない原始人はこれだから困る。だとしたら何故、アタバラはアポロニアと共に整備作業を見守っているのか。おかげでこちとら、自由に隙間から頭蓋を覗かせる事すらできないというのに。
「なら指導者様に言って来い。完成図書でもなんでもいいから、自動工作機械に関連する書類を全部寄越せってな」
「……承知した」
追い払うようにそう言えば、間もなく足音は遠のき、暫くしてからアポロニアの手が俺の腰をポンと叩いた。
血行があるわけでもないのに、凝り固まってしまいそうな身体を、ようやくかと機械の隙間から引っこ抜く。
「もうちょい友好的な言い方、できないもんッスか」
「俺ぁどこぞのお人好しじゃねぇもんでな。ウエス」
向けられるジト目を軽くあしらいつつ、汚れた手袋を襤褸布で拭う。
別になんと言われようと構わない。単純に、気に入らないことを気に入らないと率直に伝えているだけのことなのだから。
やれやれと工具箱の上に腰を下ろした俺を、アポロニアは暫くジッと見つめていたが、やがてため息ついでにヘラリとした笑いを漏らした。
「捻くれてるッスねぇ。ホントは優しい癖に」
「どういう解釈だよそりゃ」
「ルウルアの事、気にしてんでしょ。誰も何も言わない、送るような儀式もないって」
馬鹿言うな、と言ってしまえば終わった話。
しかし、隙間だらけの咽だというのに、ただただ何処ぞかの骨をカラリと鳴らすだけで、声を出すことができなかった。
すると犬娘はやっぱりと言いたげに、俺の真正面へとしゃがみ込む。
「きっとそれが、ここの自然なんスよ。自分だってもし帝国軍人として死んでたら、乾いた土の上で誰の記憶にも残らないまま、ダマルさんみたいになってたッスから」
自然。当り前。それだけで片付けていい物か、とは思う。
相棒にとっては勿論、俺にとってもアポロニアは大切な仲間であることは言うまでもない。この小柄で明るく気安い娘が、戦火の中で倒れ、風化するに任せて消えていく様を想像すれば、乾いた背中にも冷たい何かが走ったようだった。
しかし、果たして俺たちの、高度に発達していた文明の葬儀を施した所で、誰かの死に対して得られるものは何だ。
どんな儀式をしたところで、失われた命は戻らない。アストラル体などと大仰な名前を付けて、さも何かを捕まえたかのように科学者が語っても、一旦消えてしまったそれを取り戻す方法など、誰にも見いだせなかったのだから。
――俺も大概、青いってことだろうな。
理屈ではない。分かっている。
汚れたウエスを手の中で遊ばせながら、俺は小さく顎を鳴らした。
「慰めのつもりかよ。俺の骨格はお前ほど小さくねぇっての」
「おんやぁ? 図星突かれて照れ隠しッスか? 骨の癖に、可愛いとこもあるんスねぇ」
母親のような雰囲気はどこへやら。向けられる半眼は人をからかう気満々で、にんまりと伸びた口にも腹が立つ。
「うるせぇ、その乳揉むぞ」
「はいはい怒らない怒らない。ジークルーンさんに言いつけるッスよ」
「おおおおまっ、そりゃ卑怯だろうが!」
さっきとは異なる冷たさが背筋を駆け抜ける。
犬猫は勿論、シューニャやマオリィネ辺りに汚物を見るような目を向けられることにもいい加減慣れた昨今ではあるが、ジークルーンから同じ視線を向けられたら、その場で膝から崩れ落ちる自信がある。あと、チビ共もできれば勘弁してもらいたい。
土下座か、土下座すればいいのか、とワタワタする俺を、アポロニアはアッハハハと楽しそうに笑っていた。こいつはもしかすると、とんでもない悪魔なのかもしれない、なんて。
「ダマル」
背中にかかった声に振り返れば、猫を伴ったシューニャがこちらへ近づいてきていた。
「よぉ、お使いは済んだか?」
「言われた通りにはした。けど、私ではこれで正解なのかを判断しきれない」
「おじーさんは、これで大丈夫って言ってましたけど」
「見せてみろ」
差し出された小型メモリを受け取り、携帯用端末に読み込ませる。
テクニカは特殊な地理的条件のせいか、あるいは衛星との距離なのか、あらゆる長距離通信の環境が非常に悪かった為、シューニャに頼んでガーデンとの衛星通信が可能な場所を探し、事情を説明しに行ってもらったのだ。
お使いを任された当の本人は、あまり自信が無さそうではあったが、ファティマが教授の名前を出した以上、データのやり取りは上手く行ったのだろう。端末の画面に展開されたファイルは、大方俺の予想していた通りのデータが揃っていた。
「オーケーオーケー、これでいい。スケコマシの予想通り、爺さんはちゃんと持ってたようだな」
「なら、ヒスイはもう直せるんですか?」
「あーそれなんだが……」
期待に満ちたファティマの視線に、俺はコリコリと硬い頭蓋を掻く。
本当なら、今すぐやれるぜ、と胸を張りたい所ではあるが、現実とは非情な物で。
「コレ見て出来ると思うか?」
「バラバラ」
「ですね」
「今朝方に試験動作させてみたら、出るわ出るわ不具合の山さ。使えるっつぅ話だから安心してたってのに、あのポンコツバイオドールめ」
機械は好きだが、人工知能を搭載したタイプを例外としたい理由がこれだ。同じ言葉を喋っているはずなのに、人間との間に埋めがたい解釈の差がある。
確かに自動工作機は動作した。だが、それはスタンバイ状態に至るまでの起動処理においてエラーを吐かなかっただけで、実際の工作動作に入った途端、油圧低下だの補器動作不良だの電動機過負荷だのと、まるでイルミネーションのようにエラーランプを点滅させまくって非常停止を繰り返す始末。
これが800年前の時点で、まともに使える等と宣う仕事仲間が居たならば、俺は正常という言葉の意味について身体に叩きこませただろうし、それがバイオドールのような連中だったら、躊躇いなくリコール書類をメーカーに突き付けている。
「それは……直せそう、なの?」
「努力はするさ。こんな物騒な旅を、いつまでも続けてたくはねぇからな」
何処か不安げなシューニャに、ヘラリと肩を竦めてみせる。
ただでさえ専門外の機械が相手な為、絶対と自信は持てないが、ここまで見た感じでは、今すぐ工具を投げ捨てる程酷くもない。
珍しくまともに見えた光明なのだ。早々捨ててなるものかよ、とコキコキ腰を鳴らして立ち上がれば、何故かまたアポロニアに半眼を向けられた。
「素直にジークルーンさんに会いたいって言えばいいッス」
「俺ぁお前ら程脳内ピンク色じゃねぇよ」
「じゃあ会いたくないんですか?」
謎に乗ってくる猫娘。こいつら普段はケンケン言いあってる割に、こういう時に限って呼吸が合うのは何故なのか。否、聞かずとも本当は仲がいいことくらい理解しているのだが。
お前らと一緒にすんな、と否定してしまうのは容易い。ただ、帰りを待ってくれている栗色の毛をした乙女の顔を思い出せば、嘘でもそうは言いたくなく。
「……そりゃ、まぁ、会いたいが」
「「ほらぁー」」
「うるっせぇぞ畜生共! 暇があるなら荷物の整理でもしてやがれ!」
見事にハモった声に、ブンブンとスピンナハンドルを振り上げれば、獣ーズは怒った怒ったと笑いながら駆けていく。
「ったく、青春ハッピーな頭しやがって。女子高生かよあいつら」
2匹が工作室から逃げ出したのを確認し、手にしたスピンナハンドルで肩をコンコンと叩き、そのまま軽く首を横に振る。
古代的な年齢感から見て、ファティマにまだまだ子どもっぽい部分が残っているのは分かるが、アポロニアに関してはもう少し大人びてくれと言いたい。いやむしろ、現代における年齢計算自体が俺の感覚とズレていたり、そもそも不正確である可能性の方がよっぽど高いのだが。
「……ダマル」
「あんだよ、まだ居たのか」
てっきりファティマを追いかけていくかと思ったが、シューニャはその場に立ち尽くしたまま。どうしてか、言葉を躊躇うように視線を彷徨わせていた。
大概のことはハッキリ口にする社会科教師にしては、案外珍しい気もする。
「ダマルはその、ジークルーンと一緒に居たいと、絶対に離れたくないと思うこと、ある?」
「お前までそういう……いや、お前も似たようなもんか。何が言いてぇんだよ、からかってんのか?」
「違う。そうじゃなくて」
ふざけている様子はない。むしろ、シューニャがふざけた様子なんて、滅多に見ることが無い上、鉄仮面のような表情からテンションを理解する事さえ難しいのだが。
今のこいつからは何か、普段の博識ぶりとは真逆な、年齢相応の困惑が見て取れ、俺は少し考えてから口調を改めた。
「……そりゃ、誰かを好きになるってのは、そういうモンじゃねぇのか? たとえドライな付き合い方でも、一緒に居たくねぇって思う奴と恋に落ちるのは不自然だろ」
自分から言葉にするには、甘ったるすぎて吐きそうなセリフではある。キャラじゃねぇ、と心の奥でもう1人の俺が叫ぶのもむべなるかな。
ただ、シューニャは至極真面目腐った様子で、ポンチョの中から小さな手を覗かせ、小さく握っては開いていた。
「これが、普通の感覚? 誰かを好きになった結果?」
ため息を吐く。
こいつが頭でっかちなのは知っているし、それがいいところでも悪いところでもある。
が、今は明らかに後者であり、俺はスピンナハンドルを溶接用トーチに持ち替えて、沈黙している自動工作機の方へ向き直った。
「何を悩んでるのか知らねぇが、相談なら相手を間違えてるぜ」
「……え?」
肩越しに振り返った先、翠色の眼はキョトンとした様子でこちらを見ていた。
シューニャは己の苦手な範囲をよく理解している。その中でも、家族を除いた他者との親密なコミュニケーションについては、特に不得意というかあまりに経験が薄いのだろう。
だからこそ、彼女はダマルに疑問の答えを求めている。それが最も合理的だと考えたのだろうし、多分だが返答が得られることに疑いもない。
だが、俺はハッキリと期待を込めた視線に背を向けた。
「誰かが間に入る時期は過ぎてんのさ。それともお前の恋って奴ぁ、腹ン中を欠片も見せられねぇような、ただの火遊びだったのか?」
「わ、私は! そんな、つもりじゃ……」
「なら、そこに俺が挟まる余地はねぇよ。仕事に戻るぜ」
シューニャは黙り込む。元々口数の多い方ではないが、本当に何も言えなかったのだろう。
メンテナンスグローブの裾を歯で加え、ぐっと引き延ばす。小娘がどんな顔をしていたのかは分からないが。
「きっちり自分の足で歩くこった。もしお前が、シーツに包まるだけの生娘じゃなく、1人の女として対等に見てもらいてぇと本気で思ってんならな」
そう吐き棄てた俺は、背中を押してやりたい気持ちを喉奥に押し込みつつ、改めて整備性を考えていない隙間へ、骨身を滑り込ませたのだった。




