第22話 ロープロープロープ
それは足を掴んでくる巨大ナナフシモドキを蹴りつけていた最中。それは唐突に目の前へと落ちてきた。
筒状の見慣れた形に、非致死性を示す帯状に塗られた青色。
尤もこちらへ近づいていた奴の頭に当たった時、僕は反射的に目を閉じ息を止めていた。
刹那、ガスが抜けるような音がして辺り一面に猛烈な煙が立ち込める。一息吸いこんでしまえば、むせかえること間違いなしだ。
連中にとってもそれは同じだったらしい。自分の足やロープを掴みに来ていた奴らは、驚いて散ったらしく、僕は軽々と引っ張り上げられた。
「おにーさん! 大丈夫ですか!?」
「げほっ……すまないファティ、助かった。それに、見事なタイミングだったよダマ――ル?」
煙をかき分けて陽の光を浴びるなり、僕は軽装の骸骨を見て言葉を失った。決して、外出用の鎧兜を着用していないからではなく。
「なんで君、そんなにぐっちゃぐちゃなんだい」
「ダマルさん、すごい臭いです」
「しゃーねーだろ、散々な目にあったんだからよ。目ぇ覚めたら貝塚みてぇな場所に捨てられてるわ。歩き出したら出したで、途端に5匹そこらのジャンボナナフシモドキに、人間だの男だのって叫びながら追い回されるわ。しゃーなし、連中に鉛玉叩き込んで回った結果がこれだ」
やってられねぇ、と肩を竦めるダマル。ナナフシ連中はあまり目がよくないのか、それとも人間を判別する能力が低いのか。とりあえず玉匣に居た全員を引っ張り出したはいいが、骸骨だけは途中でゴミと間違われて、外に捨てられていたらしい。
それも、いざ動き出してみればまた人間だと勘違いされて追い回され、やむなく戦闘した結果今に至ると。
「つーか、お前も大概じゃねぇかよ」
「至近距離で弾丸をプレゼントしたお返しだよ。まぁ、おかげで貞操の危機は免れたんだが」
下水のような香りに包まれているのはお互い様。ドロドロに汚れた拳銃を手に、全く勘弁してもらいたいと肩を落とせば、骸骨はカッカッカと大きく笑った。
「やっぱそうか! 想像はしてたが、本気で雄しべ扱い狙いとは恐れ入るぜ!」
「テーソー? オシベ? ってなんですか?」
はてな、と耳を揺らして首を傾げるファティマ。前々からそうだが、どうにもその辺りの知識が、彼女は綺麗に欠けているらしい。
「簡単に言やぁ、こいつは危うく、化物の親――ってか、ガキ生産装置にされちまうとこだったってこった」
「親……? 殺される訳じゃないんですか?」
「詳しい説明は後にしよう。シューニャとアポロがまだ巣の中だ。ダマル、玉匣の位置はわかるかい?」
余程強い興味を惹かれたからなのか。教えてください、と瞳を輝かせて迫るファティマに、僕は素早く話題をカットした。
説明しづらい話であることは認めるが、それ以上に今は好奇心を満たしている場合ではないのだ。
一方の、骸骨は無理を言うなと髑髏を横に振ってみせる。
「わかると思うか? 携帯端末はバッテリー切れ、兜は生憎目指す我が家の中に放置だぜ?」
「となると、あの群れを正面から突破するのは難しいな」
「武器もなけりゃ作戦考えてる余裕もねぇぜ。仲間を殺されたとなっちゃ、いつ捕虜に手ぇ出すかわからねぇ」
僕がそうであるように、ダマルも既に機関拳銃の弾は撃ち尽くしているらしい。残されている武装らしい武装と言えば、ファティマがどこからか拾ってきた僕のナイフと、相棒の腰に揺れている閃光発音筒が1本くらいのものだった。
武器の優位も数の優位もなく、地の利すら相手に軍配となれば、置かれている状況は中々厳しい。骨と揃って腕を組み、うーんと首を捻っていれば。
「さっきの方法でいいのでは?」
と、ファティマは真顔で零す。
一切ふざけた様子はなく、ただただ真面目な一言に、僕とダマルは顔を見合わせた。
「さっきの、って、ロープで引っ張り上げる奴かい?」
「はい。ボクたちが捕まってた場所にも、天井に穴は開いてましたし」
「いや簡単に言うが、周り見てみろよ。そこらじゅう穴だらけなんだぞ。どうやって連中の真上を見つけるってんだ?」
自分たちが上がってきた穴も然り。採光用なのか換気用なのか知らないが、とにかく辺り一帯には大小さまざまな穴が口を開けている。
この中からシューニャとアポロニアの閉じ込められている場所を見つけるとなると、しらみつぶしに探していては何日かかるか分かったものではない。
が、ファティマは困惑する僕らを尻目に、ふふんと自信ありげに鼻を鳴らして見せた。
「任せてください。ボク、耳には自信ありますから」
■
連中には見張り、という概念がないのかもしれない。あるいは、牢に入れた人間は決して出られないものと経験から考えているのかも。
どちらにせよ、近くに枝みたいな奴らが居らず、私達が何をしているかを見られないのは好都合だった。
だったのだが。
「ふんぬ! ふんぬぅッ! えぇいくそぉ、全然壊れないッスよ! なんなんスかこれ!」
「はぁ……はぁ……私達の力だと、道具なしで檻を壊すのは現実的じゃない」
想像以上に枝の檻は堅牢で、あまりにも私達は非力だった。
ファティがあっさりと扉を壊して脱出していたのを見て、ならばと真似をしてみたものの、ケットの剛力には2人がかりでも届かないらしい。
ただでさえ体力のない私は息切れをしていたし、アポロニアは恨めしそうにぐるると喉を鳴らしていた。
「こんなの、ジュウの1丁でもあれば何とでも――ん?」
ぴくりと分厚い耳が跳ねたのはその時である。
「どうか、した?」
息を整えながら、彼女に体ごと向き直れば、アポロニアは天井の穴を指さした。
「今、上の方からファティマの声が聞こえたような……」
「上? もしかして、外から?」
ファティはキョウイチを助けに行った。それが成功していて、2人が一緒に行動しているとすれば、あり得ない話ではない。
必死で耳をそばだてる。アステリオンからすれば、遥かに劣る人の耳だが、それでも何か聞こえないかと手をかざしていれば。
「シューニャー? アポロニアー? 聞こえたら返事してくださーい」
徐々に近づいてきていたのだろう。霞むような音ではあったが、私とアポロニアは顔を見合わせた。
「こ、ここッスよファティマぁー! 自分たちはここに居るッスぅー!」
「あ、あんまり騒ぐのはやめた方がいい気がする、けど」
外から見えるはずもないのに、ぴょんぴょんと体を跳ねさせて両手まで振るアポロニアに、私は慌てて周りを見回した。
いくら近くに居ないとはいえ、大声を出せば流石に怪しまれるだろう。逃げようとしていることに気付かれれば、それこそ、遠くに薄っすら見えた干物のような死体にされてしまいかねない。
だが、静止しようとする私の手を、アポロニアはフサフサの尻尾で器用に払いのけた。
「そんなこと言っても、気付いてもらえなきゃ話にならないッス! ごーしゅーじーん!」
キョウイチが居れば、ファティマが居れば。きっと彼女には、そんな思いがあったのだろう。
止められないのなら、賭けるしかない。否、私もそうしたいと考えてしまったのだ。
「っ! ファーティー!」
「ごーしゅーじーん!」
普段出さない大声は喉に響く。息切れも整ったばかりとなればなおの事。
僅かに切れるような痛みも感じたが、それも数回ばかりのこと。もう一度と息を大きく吸いこんだ所で、穴から差し込む光がふいに遮られた。
「お? ここですか?」
「ファティ! はぁ、よかった……」
落ちる影に表情はハッキリと見えないが、思った通り外に居て、怪我をしている様子もないことに安心する。
加えて、いつしか聞きなれた声が後に続いた。
「アポロ、怪我してないかい?」
「ごっしゅじーん! 信じてたッスよぉ!」
「よぉし、これで1番難儀なハードルはクリアだな。ロープで引っ張り上げてやるから、しっかり掴んでろよチビスケ共」
意外なことに、ダマルも一緒らしい。いつどこで合流したのかわからないが、ファティの行動は予想以上にうまく行ったようだ。
一言余計な軽口の後、パラリと落ちてくるロープ。自分たちを縛っていたものと同じらしく、荒い作りの物だったが、アポロニアは躊躇うことなくそれに飛びついた。
「きたきたきたッス! これでようやく、この陰湿な暗がりからおさらばッスよシューニャ!」
「これに掴まって上まで……わ、私は、あんまり自信がない」
「そんな心配しなくても大丈夫ッスよ。上から引き上げてもらえるんスから」
「ん、んぅ……でも、私、懸垂とかできない、から」
高い天井と1本きりのロープに、私は現実を思い出してたじろいだ。種族的に非力だとよく自嘲しているアポロニアだが、彼女の運動能力は決して低くなく、元斥候兵というだけあってむしろ身軽な部類だろう。
一方の自分は、本当に運動が苦手で非力なのだ。地上に出るまでの間、両手だけで体重を支え続けられるとは到底思えなかった。
ここに居続ける訳にはいかない。けれど、途中で落ちてしまえば結局は同じこと。
ただ、どうしようと考えあぐねていれば、頭上からキョウイチの声が降ってきた。
「アポロ、君を縛っていたロープはあるかい?」
「ほい。自分の分もシューニャの分もあるッスよ」
「それを持って先に上がってきてくれ。2本以上あれば、シューニャを引っ張り上げるのは難しくない」
「了解ッス! じゃあシューニャ、先に上で待ってるッスよ!」
「ん、ん!」
掴まって上がる以外の方法があるのなら、なんだって大歓迎だと首を大きく縦に振れば、すぐにアポロニアは天井の穴へと消えていく。
ただ、それから間もなくして、悲鳴のような声も聞こえてきたが。
「ぐえっ、あきゃん!? ちょっ、もうちょい壁に擦らないよう、優しく上げてほしいんスけど!?」
「文句言わないでください。速さが大事なんですから、っと」
最後は勢い任せに引っ張られたのか、パラパラと砂や土が降ってきた。それでも、脱出には成功したらしい。
「うげ、体が土塗れ――ってくっさ!? 何スかこの、オナラを煮詰めたような臭いは!?」
「おう、開口一番それかよ。もっぺん穴に戻してやろうか」
「連中の体液でね……悪いが我慢してくれ」
「いいから早くロープください。臭いよりもシューニャの方が優先です」
「うぐぐ……よく耐えられるッスね」
「耐えられないので、さっきからずっと口で息してます」
会話だけが聞こえてくる中、私は少しそわそわしつつ上を見上げていた。
いつ奴らが戻ってくるかわからないという緊張感に、足すことどうやって自分が上まで登るのかという疑問。
それから間もなくして、するすると降りてきたのはファティだった。
「お待たせですシューニャ」
「ん、ありがと。ダマルが来るかと思ってた」
「ボクもそうすると思ってたんですけどね? なんかの拍子に骨が外れたらヤバいだろうが。誰かさんのせいで、最近ダッキューヘキがついてる気がするぐらいなんだぞ。って言われちゃって」
言われてみれば、納得できるようなできないような。それ以上に、ダマルの口調を真似する彼女が、妙に上手だったことの方が気になったが。
しかし、余計なことを考えている暇はない。胸甲や小札腰巻を外したファティの首に両手を回せば、ひょいと軽々抱っこされた。
「おにーさん! ひっぱってくださ――あ」
ケットの目は光ることがある。どうしてかは知らないが、そう見えることがある。
暗がりの中ならば、彼女の瞳はくっきりと映ったことだろう。
「……ニンゲン?」
ガサリ、と。
暗がりの奥で、横長の頭が傾いたように見えた。
「これ、目が合ってる気がする」
「不思議ですね。ボクもそう思います」
沈黙。
「ニンゲェェェェェン!!」
「おにーさんおにーさん! 急いでください! またさっきみたいなことに!」
「了解だ! ダマル! アポロ!」
2本のロープに引っ張られ、ファティと私は勢いよく穴へ向かって昇り始める。
だが、連中も逃げられそうというのを察してか、1匹のみならずわらわらと檻の向こうから押し寄せると、仲間を踏み台にしながら物凄い勢いで追ってくるではないか。
「お、追いつかれる!」
「くそっ、もっと引け! 引くんだ!」
「あ゛ぁ゛ん!? 軽いお骨様に無茶言いやがって!」
「ふんぎぎぎぎぎ、これ、自分、役に立ててるッスかねぇ!?」
「とにかく力一杯引っ張るんだ! 追いつかれたら今度こそ終わりだぞ!」
狭い穴の中、ロープが擦れて落ちてくる土を浴びながら、私達の体はぐんぐん上る。
それでも、積み重なりながら追ってくる連中の方が僅かに早い。
いよいよ先頭の奴の手がファティの足にかかろうとして。
「ニンゲ――ギェッ!?」
「こっち来ないでくださいッ! 尻尾を掴もうとするなぁ!」
素早い蹴りが横長の顔に突き刺さり、追い打ちのように振りぬいた尻尾に弾き飛ばされる。
枝のような見た目の通り、身体は軽く頑丈ではないらしい。掴みかかりかけて来ていた1匹が崩れると、下から来ていた他の奴も動きを鈍らせた。
ただ、状況がよろしくないのはこちらも同じ。
「ファティ、揺らすと危ない!」
ギシギシと鳴るロープに、私は彼女の体へ必死にしがみ付く。意味がないことはわかっていても、それくらいしか不安を紛らわせる術がないのだ。
とはいえ、さっきの1匹を蹴倒したのは正解だったらしい。
「ギィ! ギィ! ニンゲン!」
「あ、諦めた……?」
枝のような奴らは、一定の高さで追撃をやめていた。ちょうど、さっきの奴が転がった辺りだ。
理由はわからないが、もしかすると、土台役が上の重さに耐えられなくなっているのかもしれない。
何にせよ、助かったことは事実だ。穴の出口にも、あとほんの少し登れば手が届くと、私達は揃って安堵の息を吐いた。
「ふー……危なかったですね。あとは上までもうちょっと、で?」
が、限界を迎えたのは敵だけではなかったようだ。
「ファティ、そこ、ロープが!」
「へ?」
これまたさっき暴れたのが原因か。作りの粗いロープはギチギチ音を立てながら、束ねられた糸が1本また1本と千切れて細くなり。
最後は2本がまとめて弾け飛んだ。
「んにゃああああッ! うぐっ!?」
衝撃を恐れて硬く目を瞑る。必死でファティにしがみ付いても、この高さから落ちれば怪我は免れないだろう。
だが、落ちるような感覚はどれだけ待っても訪れず、恐る恐る瞼を開いてみれば、短くなったロープがはらりと穴の中へ垂れ下がっていた。
「う、ぎ、ぎぎ」
苦しそうな声を出すファティを見れば、彼女の手はギリギリのところで上のロープを掴んだらしい。握力だけで2人分の体重を支えていた。
しかし、如何に強靭な力があろうとも姿勢が悪すぎる。伸ばし切った腕にはそれ以上の力が入らないらしく、ぶら下がっているだけで精一杯。
否、掴んだロープすら、じわじわと手の中から抜けて行っていた。
「ふぁ、ファティ、頑張って!」
「そ、そうは言っても、手が滑って、もう……!」
暗い穴の底には奴らが待っていて、怪我無く着地できたとしても無事では済まないだろう。
恐怖はあるのに、掴まっているだけの私には何もできない。どれだけ考えた所で、滑る彼女の手はとめられなかった。
私が1人で上がれれば。そんな後悔が心の中で沸き立った所で、ファティの手がロープから離れ。
「にゃっ!?」
「あ――あぁ」
私達の体は、まだ宙に浮いていた。
ファティマの手首を握りしめる2つの手。内1つは大きく、もう1つは輝くほどの白さだった。
「なんとか、届いたぞ……」
「か、肩が抜けるかと、思ったぜ」
「ふ、2人とも早く……早く上がってきて、欲しいんスけどぉ……!」
どうやら、上ではアポロニアが2人の体を落ちないように引っ張っているらしい。代わりにさっき千切れたロープの片割れが、暗い穴の底へと落ちていった。
■
ファティマとシューニャをなんとか地表へ引っ張り出した所で、全員揃って地面に転がった。
「っ、はぁ……はぁ……よかった。よく耐えたね、ファティ」
「大した根性してるぜ……あー、肩が痛ぇ」
仰向けに倒れて、見た目通り死体のようなダマルを尻目に、僕はファティマに笑いかける。
命綱が切れた時、彼女が咄嗟に上のロープを掴めていなければ、あの時点で彼女らの救助は半ば不可能だっただろう。無謀な作戦だったとはいえ、成功の功労者は間違いなくファティマだ。
「いえ、正直、最後諦めてました。おにーさんと、ダマルさんが、来てくれないと、落ちて、ましたよ」
「ん、そんなことない。ファティはいい子。よく頑張った」
「んふへへ、シューニャ、くすぐったいです」
彼女に抱き着いたまま、ぐりぐりと頬ずりをするシューニャ。珍しく大げさなスキンシップだが、ファティマは照れたように笑いながら受けて止めていた。
一方、軋むように体を起こしたダマルは、カコンと顎を鳴らして大きくため息をつく。
「しっかし、本気でクソみてぇな土地だぜ……結局なんだったんだ? 俺たちがこのナナフシ共に捕まっちまった原因はよ」
「焼けた大地が怖がられてる理由って、まさかあいつらなんスかねぇ……?」
こちらも全力を出し尽くしたらしい。大の字にひっくり返ったアポロニアは、天を仰いだままそんなことを呟く。
「原因追及は後回しだ。今は急いで玉匣を探そう。このまま夜になったら、また同じ目に遭いかねない」
「違ぇねぇ。となると、探すべきは連中の足跡なんだろうが――」
そう言いながら周りを見回した時、ふと目に入ったファティマの耳が、ピンと小さく弾かれた。
「のんびり探してる暇は、なさそうですよ」
「うへぇ……こりゃ不味そうッス」
これまたゆっくりと起き上がってくるアポロニア。その表情は、何と言うか引き攣った笑顔だったように思う。
「……ま、まさか」
言葉にならない嫌な予感。それが背中をぞわぞわと駆けあがってくる。
ガサガサと聞こえ始めた足音が、僕の気のせいでなければ。




