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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
五章 閉ざされた庭
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 二人が十分に声の届く範囲に入ると、マティアスの薄い唇が待っていたというように開いた。


「この村に招待したのはもちろん、この〈硬質なる翼〉と引き合わせるためでもあったが、同様に、お前たちに、まずは私が目指す〈均一なる世界〉、その片鱗を見せておきたかったからだ」

「……均一なる世界?」


 不機嫌なリュエルの表情が一瞬で不安げに歪む。その響きは、マティアスが言うと、どこか不穏だ。


「そう。そこでは生き物の意識は共有され、ひとつとなる。均一となるのだ」

「集合意識ってやつか? 鳥とか魚とか……」


 シアンが言った。だがマティアスは首を振る。


「そんな程度のものではない。思考全てを共有する、全ての差異無き理想郷だ。この庭は、その前段階。ここでは皆が繋がっている。人間だけではない。生き物全てが、だ。見ろ。住人たちの幸せそうな顔を」


 リュエルたちは改めて辺りを見回した。そう離れていない場所で、先ほどの村人たちが異形の動物たちと長閑に散歩していた。ここで、少し前まで激しい戦闘が行われていたのにも関わらず、この日の光の十分に届かない景色の中で、くすみの無い笑みを浮かべる。確かに幸福そうだ。


 リュエルが顔をしかめると、反動のようにマティアスが笑った。


「まあ、この村はまだ試作段階だ。実験の為に村の形を魔術で整え、人を含めた生き物を配置し、様々に手をかけたのだが……完全なる『均一な世界』とは程遠い。最終的には食事や排泄の必要すら無くし、そして人間、獣、その他の生物の別なく、肉体の差異すら取り払ってしまう。そして文字通り生き物全てを均一化する。そこには今のような外からの視点は無くなる。全てが等しい生き物になるのだから」


 なんという恐ろしい世界か。シアンは気持ちマティアスに詰め寄る。


「そ、そんなの理想郷なんて言えるかよ!?」


 それをマティアスは、細めた琥珀の左目で「わかっていない」とでもいうように見つめたが、やがてまた、視線の先をリュエルに戻した。


「……お前たちは何を持って幸福となる? 富を得たとき? 愛を得たとき? 自尊心を満足させられたとき? 現象はそうなる為の手段でしかない。幸福とは、本来自らの心が決めるもの」


 腹立たしいが、リュエルには、それは少しだけ判る気がした。同じ状況にあっても、ある人は何かが足りないと嘆き、立腹し、時には絶望する、だが、またある人は満足し、喜び、感謝する。与えられた環境は絶対的に人の心を決定するわけではない。


 リュエルがそう思ったことをマティアスが感じ取ったわけではなかろうが、その口調がより軽妙に、優しくなる。


「差異が欲望を生み、過剰な自尊心を生み、現象を求めさせるのだ。愚かだ。すでに生き物は全て、自らだけで幸福になれるというのに。……だから全てを均一化する。差異を消し去る。さすれば求めるものは何も無い。これまで人間が求め足掻いた物を全て、全員が等しくその身に持つということだ。さすれば愚かなる者も現象無くして満たされることができる。誤解も争いもいさかいも、差別も虐殺も無くなる。これこそが幸福。これこそが理想郷……」


 リュエルはマティアスを睨み続ける。


「……あなたは人間、獣の別なく、と言いながら、人間にこだわっているようです」


 痛いところを突いたと思ったが、そうではなかった。マティアスは余計に雄弁に語る。


「そうだ。そこが私の始まりだからだ。私が人間であるからだ。だが、このような幸福を人間だけで終わらせるのは惜しかろう? だから全ての生命に分け与える」

「押し付けです! 全てが、あなたの偏った理想の押し付けに過ぎません!」

「それこそが押し付けかも知れぬぞ? 心が全てを決める。お前にとってはそうでも、現にあの彼らにとってはそうではない。そうなってみたら、お前にもきっとわかる」


 マティアスが指差したのはもちろん、この庭に住む人間と動物を混ぜ合わせたエヴィアらしい者たちだった。リュエルは強く首を振った。


「違う……違う! たとえ彼らが今幸福だとしても……そうだとしても……、あなたが他人を従属させる権利など無い! どうなるのか選ぶのはそれぞれの個人です」

「確かに。だが人とは愚かだ。幸福があると信じ、自ら地獄に落ちるものもある。……この世は常に寒い。不幸を選択するよりは、不幸を押し付けられるよりは、幸福を押し付ける方が遥かに良かろう?」


 道理が通っているような、いないような。リュエルはそれ以上の言葉を失ってしまった。話が通じない。こちらの倫理観や常識と同じようでもありながら、交わらず並行する。


 だが、リュエルが信じるその倫理観や常識すらも、果たして正しいのだろうか。地域の文化、または時代によって正義や悪が異なるのはよくあることだ。激しい戦争の時代に、人を多く殺した者が英雄と呼ばれたように。


 リュエルはマティアスの話を聞くうちに、それすらよくわからなくなってしまった。この村の異様な景色と、あのオロフよりも低く穏やかで、時に蠱惑的なマティアスの声がそうさせたのかもしれない。少し眩暈と吐き気がして、よろよろとふらついたリュエルは、そばの、先ほど大破した小屋の成れの果てに手をついて耐えた。気づいたシアンが駆け寄ってきて、その腕を掴んで二、三強く揺する。


「リュエル、しっかりしろって!」

「ええ……、大丈夫です」


 そのやり取りをどうするということでもなく、ただマティアスは眺めていた。そのうちに、思い出した様子で、足元の〈硬質なる翼〉に目を落とす。事切れる寸前の悶絶を確認して、マティアスはようやく術をかけてその傷口を塞ぎ、癒してやる。即座に翼の目は開き、再び二本の鳥のような足で地を掴み起き上がる。


 身も心も、セレヴィアはマティアスに捧げているのに違いない。〈硬質なる翼〉は放っておかれていた事には何の悶着も見せずに、うやうやしく主に感謝の礼を捧げる。リュエルは身の毛がよだつのを感じた。一通りのことが済むと、翼は誇らしげに主に寄り添う。マティアスは再びリュエルたちに向き合った。


「さて、リュエルよ。我と共に、均一なる世界を築き上げてはみぬか?」


 一歩を踏み出したマティアスがその異質な痣色の右手を伸ばし、リュエルの顎をすくい上げた。


「まだか弱いが、お前の力こそが私には必要なのだ。そのためにお前の力を、このように測っているのだ」

「っ……触るなっ……!!」


 リュエルは叫ぶと、それを激しく払いのけ、後ずさった。顔が真っ青だった。された行為のせいではない。マティアスの皮膚が固く、その温度が氷のように冷たかったからだ。触れた時間は一瞬だったのだが、とっさにリュエルはそこに健常ではないものを感じた。今までただの痣だと思っていたが、そこにはなにか、呪術でもかかっているのではないかという考えが過ぎったほどだ。


 そういえば、とリュエルは思い出す。オロフの庵でもラクィーズでも、マティアスはいつも、手袋をはめていて、その痣のある素肌を直に見ることは少なかった。それに顔の方も、布できっちりと隠していることが多かった。その時と比べると、マティアスはずいぶんとその身を露出している。当時は人目を一応は気にかけていたのだろうか。見ていて心地の良いものではない。


 何故だろうと考えていると、今のマティアスが、リュエルにはどうも、いきいきとしているように見えてきた。過去のマティアスは聡明で礼儀正しく、どんな者にも真の意味で優しく公平だった。だが、どこか窮屈そうにしていた、かもしれない。


 手袋や布で身を隠したように、心の深いところを隠していたのだろうか。それがこの『均一なる世界』とかいう理想なのだろうか。ラクィーズ王国を滅ぼすずっと前から、この計画は始まっていたのだろうか。


 マティアス自身はそれを、全ての生き物の幸せの為と言う。

 それは過去、リュエルが尊敬していたマティアスと同じでは……。


 最初の気がかりから転じながらそこまで考えて、リュエルは首を振った。自らを護るように、その身を抱く。

 そんなことはあるはずがないし、あってはならない。マティアスは皆をあざむいてこの計画を秘密裏に進めていたのだし、現にこの世界は混沌とし、終わりへと着々と時を刻んでいる。全てのものに幸福をとは言うが、それは歪んでいる。


「あなたに組するくらいなら死んだ方がましです!」


 リュエルは再びマティアスをきつく睨んだ。その視線を受けた紫顔の男はしかし、予想していたのか「くっく」と笑った。主の代わりに、隣で〈硬質なる翼〉が憤慨する。


「拒絶とは、愚かしい! マティアス様がこれほど心を砕かれているというのに!」


 リュエルは嫌悪の交じった視線を〈硬質なる翼〉に向けた。


「たかが魔術で寄せ集めた、つぎはぎの奴隷のくせに、図々しい口をきかないでください。愚かしいのは、あなたの方です。思考までマティアスに奪われたのですか? 均一化し、差異無い存在となることが最終目的なのだとしたら、あなたなんてマティアスの失敗作もいいところじゃないですか」


 激怒するのではないかとリュエルは思っていた。だが〈硬質なる翼〉は肩を震わせた。意外だ。笑っている。


「ますます愚かしいな。そこまでわかっていて、真実が見えんとは」

「!?」


 セレヴィアは可愛そうに、とでも言うような目をする。それでリュエルはようやく気づいた。エヴィアたちは揃って幾種かの動物たちが肉体を融合させた姿を持つ。それは……。


「まさか……エヴィアは……」


 にやりと、〈硬質なる翼〉が笑う。


「そう。我々は全て均一なる生き物を目指す、その過程で産まれたのですよ」

「なっ……」


 リュエルは悟った。だからエヴィアたちは共通の目的があるかのように、動物が群れを作るのよりも、もっと強い意志があるように団結してひとつの行動を起こすのだ。それはこの村の生き物のように、エヴィアたちが共通の意識を持つからなのだと。


「そして我々、セレヴィアとお前たちが呼ぶ、格段の力を持つ生命体は、堅固な意思を持った人間を核として造られています。マティアス様の手足となって、均一化の妨げとなるものを駆除するという命を遂行する為に。失敗ではなく、意図的に。奇しくも、部分的に均一化した体は強靭になることがわかったのでね」

「翼よ」


 そこまで話して〈硬質なる翼〉はマティアスに牽制された。リュエルたちの驚愕顔が面白かったのか愉悦の笑みすら浮かべていたのだが、「はっ……」と急にかしこまって一歩下がり、それ以来口を硬く閉じた。


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