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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
五章 閉ざされた庭
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1

 二人と一匹は遺跡のある山を下りた。かなり距離があったが、下山途中の道沿いに住む者に、手紙を請け負ってくれる者がいるという集落を聞き、そこへ寄った。そこで、これまでの経緯とこれからマティアスの庭へ向かうことを記した封書を、塔の騎士たちが出入りする古木の塔の近くの村まで頼むと、南北に伸びる街道に再び乗った。

 二人きりでマティアスの誘いに乗るのは短慮ではないか、と悩みもしたのだが、マティアスの鍵に寿命があること、また元々この庭を見つけるための調査の旅であったこと、そして、恐らく二度あることではない、といった理由から、危険ではあるがリュエルがそう結論したし、シアンも同意したからだ。


 それに、あまり信用しすぎるのもおかしいのだが、かつてのマティアスは仲間内でも評判の高い生真面目で誠実な男だった。今は敵となった男だが、リュエルは心のどこかで「危害は加えない」と言った約束だけは守ると思った。


 あたりの景色は閑散として寂しい。元々、行き交う人々も少ない街道ではあるが、大陸の北の端に近づくにつれてそれはますます顕著になった。石でふちを舗装されていた道は、最後の村を過ぎると、いつしか草が生えていないだけの野道になり、しまいには木立の無い枯れた荒野の中に消えた。


「来ちゃったね」


 強い風に砂埃立つ遥か彼方を眺めるリュエルの隣に、シアンが立つ。


「ここから先は遊牧民もいないって話だよ」

「それ、誰に聞いたんですか?」

「ここらの遊牧民に」


 四年前、シアンは気づけばこのあたりにいたという。ならばその情報は確かだ。リュエルは笑って手元に視線を落とした。その手の平にはマティアスの庭を指す、半透明の魔術の針が浮かんでいる。マティアスが鍵と呼んでいたものだ。それが今は真西を指していた。

 その方角を確認してシアンが馬に乗る。


「さてと。眺めてても仕方ないし、行きますか」






 マティアスが置いていった鍵が本当に正しいのなら、目的地はすぐそこにあるはずだった。


 針が次第に立ち始め、間もなく垂直となろうとしている。だが眼前には白茶けたような大地が延々と広がっているだけだった。ここらには風の織機を通さずに、北からの塩を含んだ強い風が直接に吹き付ける。まばらな草は必至に地を這い、しがみ付く。これまで伝え聞いてきた通り、視界にあるのはそんな景色ばかりで、あのマティアスが作り出すと言うエヴィア湧く腐沼なんてひとつもない。本当にマティアスの拠点はあるのだろうか。


 謀られたのではないか。口数の少ない二人は、そういぶかしみながらも、これまで通りに馬の足を進めていく。しかし、ちょうど細い枯れ川を越えた後からだった。にわかにあたりに変化が起こり始めた。


「霧だ……」


 シアンがそう言い馬を降りる。うっすらとした濁った霧が、どこからともなく流れてきて二人を包む。


 朝の気温差によって乾いた荒野にも霧が出る事はあるだろう。しかし、空にかかる灰色の雲のせいで陽は弱いが、今は真昼の時刻だ。そう考察する時間も十分に取れない間に、霧は急速に濃くなり、濁っていく。伸ばした手の指先すら少しばかり霞むほどだ。トゥキが主人の髪の間から顔を覗かせ、鼻先をくんくんと突き出す。リュエルも安全の為、馬を降りた。


「ええ、でもおかしいです。この霧……湿気を感じない……」

「先を見てくる」


 そう言って、リュエルの前を歩いていたシアンは、馬を引きながら霧の中に霞んでいった。かろうじて姿を確認できるまでの距離は保っている。あまり離れすぎるのも危険だからだ。


 突然湧いた霧に注意を奪われていたが、実はリュエルは先ほどから、右手の平に僅かな違和感を覚えていた。それを確認しようと指を開くとともに、この霧の正体を知る。

 それとほぼ同時に、シアンの上ずった奇妙な声が上がった。


「ちょっ……! なんだよ、あの村……」


 リュエルは駆け出し、シアンの隣に立って、同じものを見た。


 二人が立つ場所から見ると、盆地のようにくぼんだ場所に、塀に囲まれた小さな村があった。そこにかかる霧は沈殿しているかのように、ここよりもずっと濃い。藻色に淀み、きっと、曇天の下よりも、鬱蒼とした森の奥よりも、日の光が差し込まないだろう場所だった。


「マティアスの庭です」


 言い切ったリュエルはこれが証拠だ言わんばかりに、手の平をシアンに見せた。そこには道中ずっと浮かんでいた針は無く、代わりに不思議な色の、無理に表現するならくすんだ七色の、薔薇に似た毒々しい花が咲いていて、シアンが見るとすぐに枯れ、ぽとりと地に落ち消えた。と、同時に、リュエルには、右手からマティアスの術の痕跡が消えたのが感じられた。


「マティアスの鍵は一回限りの鍵だったのでしょうね」


 鍵は結界の内に入るのを許す為のものだ。先ほど渡った枯れ川がその結界の境界だったのだろう。何か物理的な目印を境に、と言うのは、オロフの森でも同じだ。


「こんな場所に村があるなど奇妙です。それに、あそこに漂うものは、マティアスの創造物……エヴィアに纏わりついているものと似た感覚を離れていても感じます。奴の庭というくらいですから、マティアスの魔力の匂いと思って間違いないでしょう……でも、なぜ……? それが村中に満ち満ちています」


 リュエルはそう言って息苦しそうにむせた。シアンはそこまでではないものの、顔を歪める。


「うん。魔力なんか感じない俺だけど、さすがになんか、いやーな粘っこいものを感じる。沼なんかは無いけど、まるで腐沼の中にいるみたいなさ。気色悪いや」


 二人は塀に馬を繋ぎとめると、外堀にかかる腐りかけた小橋を渡り、静かに村の中に入った。

 出迎える者はいない。あたりは静まり返っていた。霧の中を目を凝らし、辺りを伺うが、どこにも人影は無い。


 それでもここはマティアスの庭に間違いがない。さらに警戒し、慎重に足音を忍ばせながら二人は進む。その足には時折、枯れて奇妙にねじれた、風に吹き流されるだけの草のなれの果てが絡む。


 手入れされていないのは草だけではない。おそらく礎石なども用いずに建てられた粗末な家の屋根は落ち、蔦が扉にまで絡まる。異臭を発する畜舎に動物の姿は無い。どんな生き物のものだったのかわからない破片となった白い骨が、時折そこらに転がっている。もう蝿すらたからない。


 それに、かび臭いような、水が腐ったような、そんな不快な匂いがあちこちから漂ってくる。いつもなら警戒して歩き回るトゥキが、いつしかリュエルの体にくくりつけた鞄の中に入ったっきり出てこなくなった。


 元はここも、村と言うのも申し訳ないほど小規模ながらも、人が住んだ場所だったのだろうか。

 この霧だけでも異常だが、今はおよそ、それはありえない。険しい顔のシアンは、剣の柄にそっと手をかけた。


「どっかにエヴィアどもがわんさかいるってことかな? やっぱ罠だったかな……?」

「わかりません……でも、とにかくここまで来たのですから、もう少し中を見てみましょう。罠でもなんでもエヴィアが出た時は、出た時です」

「ま、そりゃそうだ。それは何もこの村じゃなくっても、いつもやってきたことだしね」


 シアンはおどけて肩をすくめた。



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